9.その感情、鉛の如く―1

 鶏が時を告げ、あたりに朝の気配が漂い出した頃、いつも彼は目を覚ますのである。

 真昼の強い日光が苦手な彼は、月明かりが冷たく世界を照らす夜と、そしてまだ太陽の光の優しい朝方に行動を起こすのが好きだったのだ。

 がばっと起き上がると、彼はすたすたと窓の方に歩み寄り、窓を全開にする。そうして朝、太陽が昇りきる前に部屋に日光を入れて、せめてもの陰気さを吹き飛ばそうとするのが常だった。

 今日は快晴。まだ冷たいが、清涼な空気が一日のはじまりを感じさせる。今日は掃除をするのによいかもしれない。

「うむ、すがすがしい朝だな」

 上機嫌にそう呟いた所で、後ろから鬱陶しそうな声が聞こえた。

「何窓開けてんのよ。寒いんだから閉めろよなあ」

 ジャッキールは、ふと気づいたように振り返った。そうか、何か違和感があると思ったら、ここはどうも自宅ではないらしい。昨夜、後ろで毛布に丸まっている二人とそういえば飲みにいったのだったな、と彼は思い出していた。

「まったく、すがすがしいのは、オッサンだけだっつーの」

 シャーは、あくびをしながらため息をついた。ゼダは、というと、上手く毛布に丸まっていておきる気配もないらしい。シャーの方が入り口に近い場所に寝ていたので、窓から入り込んだ冷気と朝日で起こされてしまったようだ。

「もうちょっと寝かせろよ。俺達寝不足なんだぞ」

「何を言う。若いくせに怠慢な」

「俺たちは、オッサンが昨日暴れた後色々大変だったの。アンタ引きずってこのネズ公の別荘に帰るのも大変だったし、なんか暴れださないかとか心配で、おちおち寝てられなかったの」

 そう恨みがましくいうシャーに、ジャッキールはきょとんと首をかしげた。

「引きずって? はて?」

「はて? じゃねえよ!」

「お、覚えて? む、昨日俺は何かしたのか?」

 ジャッキールは、急に落ち着きがなくなった。シャーは、あきれたように起き上がる。

「まさか、覚えてないのかよ?」

「いや、酒を飲んで話を聞いたぐらいは覚えているのだが、その後記憶が曖昧でな。そして、酒場を出た辺りから全く記憶がない」

 眉を寄せてなにやら難しい顔で、昨日のことを思い出している様子のジャッキールだ。

「ええ、マジで? すごい勢いで喧嘩買ってたのも覚えてないの?」

「そんなことをしていたのか?」

「酒場を出たのは、喧嘩売られたからだったじゃねえか」

「うむ、まるで記憶にないのだが」

 はっと、ジャッキールは顔を上げる。

「ま、また刃傷沙汰でも起こして、ついでに殺生を重ねたとか……」

「最悪の事態は俺たちが阻止したっつーの。あんな所で人死に出されたら迷惑だからな」

「そ、それはすまないことをした」

 むっと頬を膨らませているシャーに、ジャッキールは素直に謝る。

「すまない。普段、酒を飲んでそんなに荒れることはないのだが。ああいう時は、何かあるとつい記憶が無くなって、何かとんでもないことをしまうのでな……」

「本当迷惑なんだよなあ。ということで、もうちょっと寝かせろよ」

「すまない。それは面目ない」

 ジャッキールが素直に平謝りするので、とりあえずシャーは鬱陶しそうに光を避けて寝転がった。これで静かにしてくれそうだ。

 ようやく再び睡魔がシャーに訪れそうになった時、少し離れたところでばたばた何かする物音がし始めた。どうもジャッキールが何か活動しているらしい。こんなことで睡眠を妨げられるわけにはいかない。シャーは聞かなかったふりをしようとしたが、物音はどんどん大きくなり、気にとめないと思えば思うほど気になってしまう。

「う、うるせえな」

 シャーは、いらいらしながら起き上がった。

 寝かせろといったのに、ジャッキールの奴は、一体何をしているのだろう。

 ふらふらと歩いていくと、ジャッキールはなにやら忙しそうにせっせと作業をしていた。

 見ると、どこから探してきたのか、箒やはたきに雑巾がわりの布などが整然と並べられている。

「な、なんだあ……」

 眠たくて生気のないシャーと裏腹に、ジャッキールといえば、異常にいきいきしていた。どちらかというと普段は彼のほうが生気がなくて陰気なのだが、朝のジャッキールは異常に活動的である。目をキラキラさせて、いっそのことさわやかですらある。

(何だ、コイツ。普段は、暗くて鬱陶しいだけなのに)

 あきれてじっとりとその様子を見ていると、ジャッキールの方が気がついたらしい。水を汲んできたらしいジャッキールは、さわやかにたらいを床に置いて、雑巾を絞りつつ聞いた。

「む、どうした。貴様も掃除を手伝いにきたのか?」

「なんでだよ。オレはあんたがうるさいから何やってるのか気になって覗きにきたの。なんで、掃除してるんだよ、朝っぱらから」

「俺はいつもこの時間には目を覚まして活動をしている」

(年寄りか!)

 思わず口に出しかけたが、あまり刺激すると恐いので止める。昨日の今日だ。酒でも残っていて暴れられると大変である。

「で、いつも家のことをこの時間にささっと済ませて、日が高くなる日中は屋内で内職をしているのだ。俺は暑いのが苦手でな、昼間はあまり活動できんのでな」

「そうかよ。そりゃよかったなあ」

 ぶっきらぼうにシャーが相槌を打つと、ジャッキールは首を振った。

「それで、ここがあんまり、あんまり小汚いのでな、我慢できないので、今から大掃除してやろうと思ったわけだ」

「汚れてるって? 別にそんなに汚れてないだろ。確かに、ネズミの奴は普段使ってないって言ってたけど、ちょっと蜘蛛の巣張ってるだけじゃん」

 シャーは、あたりを見回した。確かに、少し埃っぽいし、しばらく使っていない部屋なのだろうとは思ったが、それでも十分住むには困らない。シャーのめったに帰らない部屋より綺麗だろう。

「何を言う。見ろ!」

 ジャッキールはむっと眉根を寄せ、窓の桟を人差し指でなぞり、ふっと息を吹きかけた。確かに、朝陽に細やかなほこりが舞うのが見える。

「こんなにも汚い!」

「小姑かお前は」

 シャーは、あきれ返った様子で吐き捨てる。だが、ジャッキールはまじめくさった様子で言った。

「ほこりっぽい環境にいると、鼻水が出てとまらなくなったり、体の弱いものは咳が止まらなくなったりしてしまうのだ。貴様らのような頑丈なものでも、何かしら体によくないに決まっている!」

「そりゃあ、そうかもしれないけどさあ。オレは寝不足な方がよくないとおもうんだけど」

 シャーは、大あくびをしてふらふらと歩き始めた。ジャッキールに何かいっても無駄そうだ。 

「どこに行く?」

「ちょっと外に行きますよー。いいだろ、朝の散歩。ついでに朝市で飯食ってくるの」

 シャーが、だらりとした口調でそういうと、ジャッキールはうなずく。

「そうか。まあ、昼までには帰って来い。昼飯ぐらい作ってやる」

「はいはい、わかりましたよー」

 シャーは、生返事でそう応えて、雑魚寝をしていた部屋に一度戻った。散歩などと口で言ったが、本当は外に寝にいくつもりである。頭の固いジャッキールにそんなことをいうと、なにかと口うるさいに決まっているので、表向き散歩といっただけだ。

(昼飯まで寝てやる)

 毛布を手にシャーは、恨めしそうに向こう側をみた。なにやら生き甲斐で見つけたかのように、忙しく動き回る男の姿がちらちら見えている。家具の移動もしているらしく、どん、と重いものをおく音がしていた。

 一方で、さっきから全く気配がないと思ったら、ゼダはちょうど太陽の陽を避けてうまく毛布に包まって寝込んでいた。あれだけ騒がしくしていたのに、どうも起きた形跡もない。 

(コイツ、実は大物なのかもしれん)

 侮れない。

 シャーは、初めてゼダに素直に敬意を感じつつ、あくびをしながら外に出たのだった。

 

  



「さて、どこで寝ようかな」

 シャーは、寝ぼけ眼をこすりながら、毛布をもってうろうろしていた。まだ早朝だから、誰にも見つかるまい。

 正直、寝ようと思えばどこでも寝られるのがシャーの身上であったが、路上で寝るには少しは危険が伴うし、厄介ごとに巻き込まれても困る。自然と彼の足は、自分がよく知る界隈に向いていた。

 弟分たちの家に押しかけてもいいが、こんな早朝からだと厄介そうにされるだろう。それなら、もうちょっと自分に優しい人のところにいったほうがいい。

 そう考えると、自然とシャーはリーフィを思い出してしまう。

 そうだ。彼女なら、起こしても笑顔、でもないが、いつもどおり淡々と迎えてくれそうだ。そう一瞬思ったが、さすがにそれは気の毒である。リーフィの家の軒下を借りるとかどうだろうとも、考えたが、なんだか変態に間違われそうだ。

(やめとこう)

 せっかく、数少ないシャーに優しい女の子なのだ。リーフィに嫌われてしまっては、誰もかばってくれなくなって寂しい。

 とはいえ、どこに行こう。

 ぶらぶらあるくシャーは、無意識に酒場の方に足が向いていた。なんとなくよく知っている場所を選んでしまったのだろう。

 不意に、シャーは思い出した。シャーは、大体毎日ふらふらしている男であったが、時々、夜遅くまで遊びすぎて、おまけに雨が降ったりした時に、帰りそびれることがある。そういうときは、誰かのうちに泊めてもらうのだが、まれに泊めてもらえないときもある。そういう時は、酒場の軒下などで野宿をするのも平気だったが、時々朝やってきた酒場の女の子などに見つかって罵られたり、しかられたりすることも多かった。

 そんなシャーを気の毒に思ったのか、リーフィがある提案をしてくれたのだ。

 ちょうど、酒場の裏手にリーフィたち女の子達の勝手口があり、そこに控え室がある。リーフィなどは、酒場では厚遇されている方らしく、狭いながら専用の部屋が与えられていた。その勝手口にいくつか小さな物置があり、女の子達に割り振られているらしい。その一つがリーフィの物置にあたるのであるが、あまり物を持ち込まない彼女は、中が空っぽのままだった。

 そこでリーフィは、雨が降った時など、勝手にそこを使って寝ていてもいいといってくれたものだった。今まで、どうしても帰れないときなどに、確かにそこで寝かせてもらった事はある。ここなら、リーフィ以外の誰も扉を開けないので、寝ていても怒られることもなかった。

「仕方ない、リーフィちゃんの好意に甘えちゃうか」

 シャーは、そういって酒場へと足を向けた。そっと勝手口の方に回ると、まだ朝が早いせいか、人気がない。それはそうだ、まだ誰も来る時間でもない。

 シャーは、その側の物置を見た。一メートル四方の小さな箱程度のもので、上に蓋がついている。鍵はかかっていないのでそれをあけると、案の定何も入っていなかった。

 狭いことは狭いが、体を折りたためば別に寝られないこともない。大体、シャーという男は、基本的にはどこでも寝られるし、どんな体勢でも基本的には寝られる猫のような男だった。

「それじゃ、リーフィちゃんに感謝しつつ」

 シャーは、都合のいいことをいいながら、蓋をしめてその中に忍び込んだ。あまり太陽が昇ると暑くなってくるが、ここはちょうど家の軒で陰になっており、太陽が昇りきるまではそれなりに心地よいことをシャーは知っている。

 ようやくここで心置きなく眠れる。シャーは、大あくびしつつ狭い物置の中で毛布を抱えて眠りについたのだった。

 しばらくは、気持ちよくすやすやと寝ていたように思う。ふと、彼が何かに気づいて目を覚ました時、まだそれほど太陽は昇っていなかった。

 不意に人の気配を感じて、シャーはなんとなく目を覚ました。

 誰だろう。酒場にやってきた女の子達だろうか。だとしたら、こんな所を見つかると叱り飛ばされてしまうので、静かにしていなければ。

 けれど、女の子達にしては、声がしない。リーフィは、一人で酒場に来ることも多いが、普通の女の子達は数人固まってくることが多かった。それは、この界隈がそれほど治安のいい所でないという事情もあったし、彼女達はリーフィより若い子が多かったから、他愛のない会話を交わしながら歩いてくるのももっともなことだ。

 シャーは、蓋を親指で押しつつ、そっと外をうかがった。

 確かに誰かがいる様子だったが、視界の中には入らなかった。

(勘違いか?)

 シャーは、そう思い直してそっと蓋を閉めてまた眠ろうとした。が、ざっという足音が聞こえた。シャーは、気を引き締めて再び外をうかがった。誰かが酒場の壁に隠れているようだった。

「それでねー、本当にいやになっちゃったの」

 ふと、女の子の声が聞こえた。これはどうやら酒場の女の子らしい。酒場の準備をするのにきたのだろう。

「まったく、あいつったらしつこくって」

「それは災難だわねえ」

 笑いながら彼女達は、勝手口の鍵をあけて中に入っていったようだ。だが、壁に隠れた何者かの気配はまだ消えていない。

 ここからでは見えないかもしれない。かといって、この物置から飛び出てしまうのは気が引けた。相手に自分の存在を教えてしまう。逃げてしまうかもしれない。

 そうシャーが思いをめぐらせていると、ふと壁際の人物が動いた。

(あいつ!!)

 シャーは、息を呑んだ。思わずその名を叫んで飛び出しそうになったが、すんでのところで我慢した。

 隠れていた男は、そっと酒場の中をうかがっているようだった。誰かを探している様子だ。

 その時、また外から別の足音が聞こえた。中をうかがっていた男は、慌てて壁の方に戻った。静かにこちらに歩いてくるのは、シャーの見知った人物だった。

「あら、リーフィねえさん。早いわねえ」

 酒場の中から誰かが声をかけ、彼女は静かに返す。

「早く起きてしまったからね」

 そういってリーフィが酒場の中に入っていく。酒場の中では、女の子達の明るい会話が続いていた。

 男は、リーフィが酒場に消えたのを見届けて、もう一度だけ酒場の中を覗き込んだ。が、誰かに気づかれそうになったのだろうか。確認するのを諦めたらしく、足早にそこから離れていった。

 男が消えたのを確認して、シャーは、そっと物置から抜け出した。

「あいつ……」

 あの男は、ベリレルだ。顔はちらりとしか見えなかったが間違いはない。あの男が、再びリーフィのところにやってきた。それの意味することは何だろう。

「リーフィ姐さん、いい香りね」

 ふと、酒場の中の声が聞こえた。シャーは、そっと足音を忍ばせて窓のほうに近寄った。中では、リーフィと彼女より年下の娘が座って話をしている。リーフィはジャスミンの花を手に持っていた。

「昨日、姐さんが髪の毛にさしていたものでしょ? もうちょっと大丈夫じゃないのかな?」

「昨日一日飾っていたもの。もうそろそろ花がかわいそうよ。しおれてしまうわ。こうやって活けておけば、もうしばらくいい香りをさせてくれるわよ」

「そうかなあ」

 リーフィに向けて無邪気な笑みを浮かべつつ、娘は明るくきいた。

「そんなに後生大事にしてるなんて、もしかして、姐さん、いい人にもらったものなの?」

「これ? これは、シャーにもらったのよ」

「えええっ! あの住所不定無職で毎日ふらふらしてるだけの三白眼に?」

 シャーからときいて途端興味をなくしたように、彼女は肩を落とした。

「なぁんだ。姐さんも、本当に変わってるわね。あんなの、相手にしなきゃいいのに」

「まあ、手厳しいわね。でも、シャーは、あれで凄くいい人よ」

「人畜無害なのは知ってるけど、だってかっこ悪いじゃない。だんだんムカついてこない?」

「さあ、それはどうかしらね。意外とそんな単純な人じゃないかもしれないわよ?」

 リーフィは、なにやら思わせぶりに微笑んで、近くの一輪挿しを手に取った。花を花瓶に挿すつもりらしい。

「そういえば、姐さん、昨日、どこかいってたの? 昨日お店を早く終わってたから、他の子にきいたんだけど」

 シャーには取り立てて興味がないらしく、娘が話題を変えた。

「ええ、少し。昔の知り合いの女の子を訪ねて、歓楽街の方にいたの。まだ向こうのお店ではたらいているってきいたから」

「そうなんだー。てっきり、男前の彼氏とでも待ち合わせしてるのかと思ったのに」

「私には、しばらくそういう色気のある話はないわよ」

 からかうような娘の言葉に、リーフィは、淡々と答えてかすかに笑い、水差しを手にとって一輪挿しへ水を注ごうとした。

 シャーは、壁に背をつけてひっそりとその話を聞いていた。

 昨日帰り際に見た、白い花を髪に飾った若い女は、やはりリーフィだったのだろうか。そして、先ほどリーフィの様子を伺おうとしたあの男。

 やはり、リーフィも彼を探しているのだろうか。

「水差しの水が切れているみたいだから、ちょっと水を汲んでくるわね」

 リーフィの声が聞こえた。シャーは、はっとして起き上がった。リーフィは井戸の水を汲みにくるのだろう。

 シャーは、慌てて駆け出した。

 


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