8.酒乱のジャッキール!

 

 外に出るまではとてもいい気分だった。少し酔いが深かった彼は、ふらつく足取りで彼の兄貴分たちに少し遅れて外に出てきた。

 その頃には、彼らに喧嘩を売った身の程知らずな男がすでに追い詰められているものと思っていたのだ。

 夜の闇の中、周りにはもっと見物人が出てきてもいいようなものだったが、兄貴分たちは少し遠くで暴れているのだろう。深追いする見物人は少ないようだった。

 向こうで物音がする。そういえば向こうには、少し開けた場所があったから、そこで暴れているのだろう。

「ちえっ、兄貴たち、俺を置いていって……」

 あんな遠くまでいかなきゃならねえのかよ。と彼はぶつぶつ言ったものだ。しかし、あまり遅れていると後でどやされるといけない。彼はふらつく足取りで向こうの方に足を向けた。

 わずかな月明かりの中、勝負の優劣はわからない。ただ、人の叫び声や金属のぶつかり合う音が響いている。けれど、青年は自分の兄貴達が有利であると信じていた。

 ああ、いつもどおり派手にやってるな。

 そんな風に思っただけだった。

 ふと角を曲がろうとした時、目の前に何かが倒れこんできた。 

 一瞬、何が起こったのか、彼には理解ができなかった。目の前で倒れこんでいるのが、自分の兄貴分であることがわかるまでにもずいぶん時間がかかった。それは、いつも威勢のいい彼が、腰を抜かしてずるずるとはいずるように逃げていたからに間違いない。

「ひっ……!」

 情けない声を上げて何かから逃げている彼は右腕を押さえていた。傷を負った右腕からは血があふれている。そんなに深く切られたわけではなさそうだったが、それは青年に恐怖を与えるには十分だった。

「あ、あにき」

 呆然と彼が声をかけると、初めて兄貴分の男は彼の存在に気がついたらしかったが、彼に目を向ける余裕はなかった。他のものたちはどうなったのだろう。

 と思っていると、兄貴分が再び情けない声を上げた。

 気がつくと、目の前に黒い人影がたたずんでいた。ずいぶん背が高いその男は、尋常でない殺気を放っている。思わず青年は身を縮めた。

 男の目はぎらぎらと赤く光っているようにすら見えていた。それが自分達が喧嘩をふっかけたあの男と同一かどうかまで、青年には余裕がないのでわからない。ただ、あの時の男は、顔を隠すように帽子を被ったり、右目を隠したりしていたようだが、今はそんな視界をさえぎる鬱陶しいものはいらないとばかり、素顔を晒していた。

「ふん、腰が抜けたのか? 逃げた連中といい、くだらん奴らだ」

 男は居丈高に、苛立ったように吐き捨てた。が、すぐに相好を崩してにやりとした。

「まあいい、今日は気分がいい」

 どこかうっとりとした優しい調子で彼は言う。

「今日は一撃で命を奪うようなことはしない。それに、追いかけるのもまた一興だから、な。その抜けた腰で逃げられるものなら、逃げてみればよい」

 そういって男はにんまりと笑うのだ。

 それは本当によいことかどうなのか。青年には判別がつかなかった。普段ならすぐに相手を殺すような男なのだろうか。

 だが、目の前の男は尋常でないことは確かだ。

「あ、兄貴……」

 青年が呆然と声をかける。その声で我に返ったのか、彼は青年の方を向いた。

「お前ッ、なんとかしろ!」

 そう言い放つと、ぐいと青年の服のすそをひっぱって立ち上がる。急に引き込まれ、危うく倒れそうになっている間に、兄貴分の男はほうほうの体で逃げ出していた。 

「ははははは、腰抜けめ!」

 男の嘲笑が響き、青年ははっとした。その危うい視線が青年に向く。酷薄そうな唇が、裂けるように横に広がる。

「それでは、貴様が代わりに死ね」

 白い光が男の手ではじけるのを青年は見た。

「馬鹿! ぼさっとしてんなよ!」

 どこからか声がして、いきなり青年は腰をけられて横に飛ばされた。その間を白刃がすり抜ける。

 気がつくと、目の前に誰かの気配がした。青年を蹴飛ばしたあと、自分も倒れこんで男の追撃を避けた何者かは、すばやく起き上がって距離をとる。

 男の視線が青年から彼の方に移ったのを感じたのだろう。

 見れば、先ほど男と自分たちの間を仲裁しようとした三白眼の男が顔を覆っていた布をはずしながら飄々と立っていた。

「お前等、早くどっかいっとけ。うろちょろしてると死ぬぜ」

 彼はそういうと、布をそこに捨てやる。ひょろひょろとしていていかにも弱そうだった先ほどまでとは、雰囲気がガラリと変わっていて別人のようだった。

「あ、あんた……」

「さっさと行けよ。ダンナが何しでかすかわかんねえからな」

 ふとジャッキールが、彼らの方をギラリとにらみつけた。青年は、その目ににらみつけられた途端、金縛りがとけたように声をあげて走り出す。

「っーたく、喧嘩売る相手をちっとは考えろよな。オレと違ってダンナは自分から危険人物ですって顔に書いてくれてるのにさあ」

 シャーは、あきれたように吐き捨てて、ジャッキールの方に目を向けた。

「ダンナ、あんまり派手にやらないでくれよなあ。後始末が大変なんだぜ? オイタした連中にお灸を据えたところで気がすんだろ。今日のところは引き上げようぜ」

 ジャッキールはすぐに答えず、目を細めてシャーを見据える。その視線の意図に、シャーはまだ気づかなかった。

「誰だ、貴様は?」

 思わぬ返答に、シャーはどきりとした。

「な、何いってんのさ?」

「誰だと聞いている?」

 血走った目で睨みつけられる。

「じょ、冗談。何いってんのさ、ダンナ」

 反射的に一歩下がりながらシャーは手を前に出した。ジャッキールはまだ剣をおさめておらず、それどころか、いつでも攻撃できる姿勢を崩してもいなかった。

「な、何興奮しているのさあ。ダ、ダンナってば、そんな危ないものは収めてさあ」

 半笑いでそういうシャーに、ジャッキールはいよいよいらだったように声を荒げた。

「だから誰だと聞いている!」

「だ、誰だって、顔みりゃわかるじゃないのよ」

「見てわからんから、誰だと言っている! 答えろ、小僧!」

 本気だろうか。本気だとしたら、シャーの顔も判断できなくなっている、つまり見境がつかなくなっているということだ。これはまずい。こういう状態になったジャッキールが危険極まりないことは、今までの経験で理解済みなのだ。

(いや、今ならまだどうにかなるかも)

 慌てて引きつった笑みを浮かべつつ、シャーは首を振った。

「いやだな、忘れてもらっちゃ困りますよ。ジャッキールのダンナにはお世話になりっぱなしのお友達のシャーですよ」 

「は? なんだと?」

 ジャッキールがはっきりと眉根を寄せた。片目だけがひきつって細くなる。どうやら気分を損ねたらしい。ざっと、右足がこちらを向く。

 シャーはいよいよ焦ってきた。シャーは、本能的に後ずさりながら首を振った。

「ちょ、ちょっと待って、ね、ねえ、だからシャーだってば、ダンナってば、いつもオレのこと、アズラーッドとか呼んでたじゃん」

 ジャッキールはずんずん距離を詰めてくる。剣を握った右手が心持ち持ち上がる。

「ちょ、ダンナってば。冗談はよし子さんって……」

「そんな男は知らん!」

 言いかけるシャーの口を封じるように、ジャッキールが剣を一閃した。ひゃあっと悲鳴を上げて慌てて頭を下げたシャーの髪の毛をかする。一撃で済むわけがないので、慌てて剣筋を読んで身をそらしながらすばやく逃げる。

「くそう、あのオヤジ! のぼせあがりやがって!」

 シャーは、そう吐き捨てながら路地裏に逃げ込んだ。後ろからジャッキールの制止の声が聞こえる。どうも追いかけてくるつもりらしい。

 シャーは、打ち合わせどおりの角を曲がる。さらさらと水音が聞こえる。そこに少し開けた場所があり、古い噴水が設置されていた。王都は、水の豊富な都市であり、それを誇るかのように、街にはいくつも噴水がおかれていた。ここの噴水は、それほど大きなものでないが、昼に視覚的に涼を求めるにはちょうどよかった。そして、目印にもなる。

 なので、シャーは、ジャッキールを止められなかったときの手はずとして、ゼダにそこで待っているように伝えていたのだ。ジャッキールが、こうなってしまったからには、小さなプライドなど捨ててゼダにも手伝ってもらわなければ、どうにもならない。

「おい、ネズ公、こうなったら覚悟決めて……」 

 といいかけたところで、シャーは、はたと止まる。話しかけているはずのゼダの気配がない。

 慌ててあたりを見回すが、ゼダはどこにもいなさそうだ。

 打ち合わせでは、ここでゼダは待っているといっていた。状況がやばくなったら、手伝ってやるからこっちに逃げて来いとまで言っていた……くせに、その癖にである。気配がまったくない。

 逃げた。逃げたに違いない。

「あっ、あの薄情者……!」

 シャーがそう吐き捨てた瞬間、背後に凄まじい殺気を感じた。

 慌ててその場を飛びのいた瞬間、背後にあった建物の木戸にガッと剣が突き刺さる。それを力任せに強引に引き裂きながら、剣が抜かれる。

 いつの間にか背後までジャッキールが迫ってきていた。シャーは、木戸の惨状をみながら、思わずぞっとする。

「おおおおお、無茶しやがって……」

 ジャッキールは、酔っ払っているはずだが、足取りも乱れていなければ、特に息が上がるようなこともない。ぎらぎら殺気に輝く瞳をみやりながら、シャーは苦笑いした。

「チッ、冗談きついぜ」

 ジャッキールは、すでにシャーを獲物としか見ていないのだろう。そのまま横殴りに剣を振るってくる。

 右手をだらりとさげていたシャーは、一瞬手を跳ね上げた。

 火花が散り、ぶつかり合った金属の音が、路地裏に反響した。

 剣を抜いたシャーは、正面から彼の剣を受け止めていた。ギリギリ、とかすかに火花を散らす。

「本気できりかかってきやがって! 人が大人しくしてりゃあ何だよ! 頭にきたぜ!」

 力任せに押し切ろうとするジャッキールの力を上手く受け流して、すいと横に逃れるとシャーはすばやく反撃に出た。それを弾き飛ばしたものの、ジャッキールは思わぬ反撃に一瞬気を取られた様子だった。追撃するもそれはそれほど鋭くない。その剣先を弾きながら、シャーは後退ながらすばやく噴水の裏側に回った。

 噴き出す水しぶきの向こうで、ジャッキールはこちらを見据えている。

「大体、俺だってあんたに黙ってやられる義理はねーんだ。そっちがやる気なら、今日っていう今日は地獄の底に送り返してやっから覚悟しやがれ!」

 シャーが、腹立ち紛れにそう啖呵を切る。

 一瞬ジャッキールは無言に落ちていたが、シャーが思わずドキリとしたのは、いきなり彼が低い声で笑い出したからだ。そういう時、にたりと彼は、麻薬に陶酔したように唇を緩めてだらしなく笑うのだ。

「へへ、調子よさそうだな、ダンナ」

 シャーは、冷や汗が流れるのを感じた。

 こういう時のジャッキールとは、本気でかかわらない方がいいのは、今までの経験則からわかりきっている。ただですら常人より丈夫な彼であるが、こういう状態の時は、それにしつこさとしぶとさが加わってくるので、多少手荒く止めても大した制止にならないのだ。そういうときの彼は、実際痛覚が麻痺しているのかもしれない。

 となると、文字通り殺すか殺されるかの状態に陥りかねないし、たとえ勝てたとしても無傷ではいられないだろう。ジャッキールが正気に戻るまで逃げ続けるか、戦い続けるか、どちらにしても、厄介なことになったとシャーは思った。

(こうなったら気合入れて鬼ごっこするしかねえか!)

 シャーがそう考えて、剣をひきつけた時、同時にジャッキールが苛立ったように行動した。普段の動作は、どちらかというとおっとりしている彼だが、こういうときの動きは、その体躯に似合わず速い。

 シャーが夜の闇にわずかな光を弾いて輝く水滴の向こうで、きらりと剣がひらめいたのを見た時、ふと何かふわりとしたものがジャッキールの目の前を覆った。

 それは一瞬だった。ジャッキールの顔に布のようなものがまとわりついている。いきなり視界を奪われたのに混乱したのか、それを取り外そうともがく。

「おい、三白眼! 手伝え!」

 不意に声が聞こえる。ジャッキールはまだ剣を手放していないので、右手をつかみ、その刃先を気にしつつ、彼を押さえつけている人影が見えていた。

「あ、ネズミ! 逃げたんじゃねーのかよ」

 シャーは、慌ててゼダの隣に駆けつける。

「どう考えてもやばそうだから、隙をうかがってたんだよ! 早くそっち掴め!」

 ジャッキールにかぶせている布はゼダの派手な上着のようだ。シャーは慌てて反対側をつかみつつ、暴れだした彼の左腕を押さえつけた。

「危ないから、剣を手から離させろよ!」

「そんなことできたら最初っからやってらあ」

 ゼダは、ジャッキールの右腕をつかんで振り回せないようにするのがやっとのようだ。

「とりあえず、頭を冷やさせようぜ!」

 ゼダがそういう視線の先に、ちょうど噴水の池がある。暴れるジャッキールを二人がかりで抑えつつ、二人は彼の頭を水の中に押し込んだ。

 当然ながら、ジャッキールがいっそう激しく暴れだす。

「うわわ、危ねえ!」

 剣を持っている右手をつかんでいるゼダが、手だけではおさえきれなくなって片足を乗せて押さえつける。ばしゃばしゃ水しぶきが飛び、ぶくぶくと泡が水中から上がる。シャーもゼダも死に物狂いだった。

 必死で押さえつけているうちに、ふとジャッキールの抵抗が弱まってきた。無我夢中の二人も、やりすぎたかとふと我に返る。 

「お、大人しくなった」

「さすがに溺れたんじゃないか」

 と二人が視線を交わした時、いきなりジャッキールが強い力で二人を振り払って起き上がった。わあっと悲鳴を上げつつ、振り払われて二人はひっくり返る。

 げほげほと咳き込みながら、ジャッキールは二人に交互に目をやった。頭からぼたぼた水滴を落としつつ、きっと鋭い視線を浴びせかける。その目が燃えるようだった。間違いなく怒っている。

 思わず、二人は身を引いた。その姿には、見るものを戦慄させるような、なかなか恐ろしいものがある。

「貴様ら……!」

 シャーはおよび腰になりながら、剣の柄に手をやった。 

「ま、まだやる気か、オッサン!」

「そ、そろそろ、寝る時間だろ」

「貴様ら……、絶対にぶち殺す!」

 どうもかなり立腹しているらしい。なんだか状況が余計まずくなった気がする。

 思わず二人が逃げようかと考えた時、ふとジャッキールの体がふらついた。くらくらするのか、そのまま後ずさり、建物の壁に当たってずるずると座り込む。そのまま、石畳の上にばったりと倒れこんでしまった。

「な、なんだ?」

「し、死んだかな」

「いや、このぐらいじゃ死なんだろ、このオッサン」

 一応は心配しつつ、そうっと近寄ってみる。

「寝てるっぽいな」

「だな」

 とりあえず、ジャッキールの息を確認しつつ、二人は盛大にため息をついた。

「頭が冷えたところで、ようやく酒が回ったかな」

「まったく、はた迷惑なオヤジだぜ」

 ゼダが派手な伊達帯をはずして言った。

「とりあえず、ぐったりしているうちに簀巻きにして運んじまおう」

「運ぶってどこにだよ?」

 シャーにも一応棲家はあるが、ここからは遠い。リーフィの酒場に運ぶわけにも行かないし、ジャッキールの家は知らない。シャーがきくと、ゼダは、さっさと先ほどの上着をジャッキールに巻きつけながら答えた。

「仕方ねえから隠れ家を提供してやるよ。ここから近いとこに一軒あるんだ」

「いいな、坊ちゃんは別荘があってよ」

「ただし、ここ数年使ってねえからなあ。埃っぽいだろうが、ま、我慢しろよ」

 ここはゼダの言うとおりにするしかない。

 とりあえず、ジャッキールを簀巻きにし、二人がかりで運ぶことにした。

 いつの間にか、華やかな街の裏側に出てきていた。向こうの方はまだ明るく、客引きの姿が目を引く。それに比べて、なんとなくその姿が情けなくシャーはため息をつく。

 本来、こういうことをしにきたはずではなかったのに。求める情報は手に入ったのだかわからず、最有力な情報源には逃げられ、挙句酔っ払いに振り回されてこの様とは、自分達は今夜一体何をしにいったのだろうか。

「こんなとこ、役人とかに見つかったらいやだなあ」

 どうみても不審者だよなあと嘆くと、

「そういう時は、正直に死体を運んでますって言おうぜ」

 ゼダが涼しげにそんなことをいう。

 ふと、ぼんやりと向こうから漏れる光を見ていると、路地裏の方でかすかな声がした。

「姐さん、そこまでは私にはわからないわ」

「そう、ありがとう」

 なんとなく聞き覚えのある声で、シャーはそちらに目を向けた。

 店の裏口なのだろうか、二人の女性がなにか話し込んでいる様子だったが、その一人が別れを告げて花街の光の方に歩いていく。

 光を受けて輝く黒髪に、白い花が挿してあるようにシャーには見えた。凛とした涼やかな香りが、不意に鼻先を掠めた気がした。――もちろん、こんなに距離があっては、その芳香など感じるはずもないのに。

「どうした?」

 ゼダにそうきかれて、シャーははっと我にかえった。

「な、なんでもねえよっ!」

 シャーは、ぶっきらぼうに答え、鼻先をぬぐった。そこに漂う残り香が、今のシャーにはわずらわしく腹立たしかった。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る