20.女神(メフィティス)に生贄を!

 一緒に歩いていたジャッキールが、ふと楽しそうな表情になったのがわかった。その原因については、シャーも当に気づいている。

 周りに、穏やかならない雰囲気をちらつかせながら、何者かが潜んでいるのだ。それも、一人、二人ではない。

 当たり前というと当たり前だ。今日は、あの凶行を起こした男に会いに、あてもなく街をさまよっていたのである。あてはないけれども、シャーとジャッキールが揃って、そういう不穏な目的で街を歩けば、相手の方から寄ってくる。何しろ、相手には、心当たりがあるものだから。

「気持ち悪いな、ジャッキール。……言いたいことがあるなら早く言え」

 シャーは、やれやれとばかりに声をかけた。

「そういう風に横でにやつかれてると、不気味でたまらないぜ。大体、オレとアンタがお友達に見えちゃうだろ。オレはアンタみたいな、アブねえ友達はいらないんだから」

「貴様こそ気づいているなら、率直に言え」

 憮然と一度言ってからジャッキールは、含み笑いを浮かべ、ちらりと背後に目をやった。

「……どうやら、あちらの方が俺達に用があるらしい」

「こっちにはないんだけどな。また、なかなか数がいるじゃない」

 シャーは、うっとうしそうな声で言った。

「で、どうする? 逃がしてくれるとありがたいんだけれども」

「どうするだと? 我々に選択の余地などあるものか」

 シャーの言葉に、ジャッキールは別に緊張もせずに答えた。それが、さも当然で、いつものことであるかのような言い回しだ。

(そりゃあ、あんたはいつもそうだろうさ。そういうのがないと生きられない男だからな)

 だが、今みたいに怪我をしているときぐらい、選択の余地ぐらい作って欲しいものだ。

 ぞろり、と、連中は、建物の陰から姿を現してきていた。月の光が不気味に明るい。どういうわけか、先ほどより赤みを帯びてきたせいで、気持ちの悪い晩は、さらに血の予感を感じさせていた。

「邪魔をするなら斬り捨てるまでだ。それ以外の道などない」

 ジャッキールはそういって、右手で左腰にさげてある柄に手をかけた。男たちはこちらに近づいてくる。

「わかりきったことだろう」

 ジャッキールは、そう呟く。雰囲気が少しずつ、先ほどまでとは違いつつあった。

(……結構平気そうな面はしてるが……)

 だが、ジャッキールが、本当はかなり不調なのは冷静に考えてすぐにわかる。いまだに、ジャッキールは左腕が動かせない。少しでも動かすと傷に響くのだろう。

 こういう状態で、数人を相手にすることが、果たしてジャッキールにできるのか。

(いや、こいつなら、意外にやるかもしれないが)

 もし、そうだとしても、どうなるかわからない。万一死なれでもしたら、リーフィの手前大変だ。

 それに。

 ジャッキールの奴にここで暴れられるのは、よくない。この時点で人死にが出ると、役人に見つかると終わりだ。この国の、ならず者たちの命の価値はそれほど重くない。流れの者の喧嘩は、彼ら同士の問題だと一蹴されてしまうことが多いから、ジャッキールが、カディンの手下を斬る分にはあるいはお咎めはないかもしれない。だが、ああいう事件が続いた後であるから、どうなるやらわからない。疑われるとどうなるかわからないのだ。第一、ジャッキールの戦い方は派手なので、どうしようもなく目立つのである。

(コイツは、一旦引かせたほうがよさそうだ)

 シャーは、あごをなでやると、なんでもないことのように声をかけた。

「……なあなあ、ジャッキーちゃん。はやる気持ちはわかるけど、ちょっとリーフィちゃんの様子みてきてくんない?」

 ジャッキールが、一瞬、こちらを見た気がした。

「ほら、あんたがしつこく言うもんだから、オレも心配になってきてさ。ちょっと、その辺の路地裏から、お店の方に……」

「何だと! 俺にこの場を離れろというのか!」

 シャーの言葉をさえぎり、ジャッキールは憤りを隠さない声で言った。

「まさか俺を足手まとい扱いするつもりか、アズラーッド!」

 プライドが傷ついたのか、それとも、すでに血の気の上った頭に水をさされたせいなのか、ジャッキールは、突然、狂気に閃いた目をシャーの方に向けてきた。そこには先ほどまで話していた男の、場慣れしたもの特有の穏やかさのようなものは、まったくない。

(うわあ……、コイツ。いつの間にやらもう人格変わってやがる!)

 いつもは、こっちが普通だと思っていたが、先ほどまで結構まともに話をしている彼を知っているだけに、変化が激しすぎる。とはいえ、一度わかってしまえば、これは一過性のものだというのもわかるのであるが。

 そう、冷静に考えれば、ジャッキールがこうなるのは、一過性のものなのだ。

 奴の頭を冷やしてさえしまえば、冷静に話を聞かせることもできるはずである。それに気づいて、シャーは、作戦を変えた。

「ま、まあまあ。落ち着け。とりあえず、剣から手を離して話きいてくれよ」

 シャーは、顔を引きつらせながら、ごまかすようにいった。ここは、うまいこといわないと。ここで斬りかかってきそうなので、シャーも必死だ。こんなときに内輪もめで痛い目にあったりしたら、いくらなんでも悲惨すぎる。

「おっさん、きいてんのかよ。リーフィちゃんだよ、リーフィちゃん。オレじゃなくて、リーフィちゃんのこと」

「む、何だと。リ、リーフィ殿? ……そ、それは……」

 さすがにジャッキールもリーフィのことだといわれると ちょっとは正気に戻ったらしい。ほんの少し、狼狽した目にいつもの冷静さが戻ったのを見て、よし、とシャーはにやりとした。

「そうそう、リーフィちゃんのことだよ。ジャキジャキ。心配じゃないの?」

「心配ではあるが、……だが、俺よりも貴様が見に行った方が……あの娘の……」

 急にしおらしげになるジャッキールを見て、シャーはふといった。

「あのなあ。おっさん。もし、リーフィちゃんが大変なことになったらどうするわけ? ジャキジャキ、責任とって自害とかそういうことになりかねないよ。それでも、状況が元に戻るわけでもないし」

「そ、それは困る」

「でも、ここでカディンから二人とも逃げられるとは思えない。一人は残らないとね」

「そ、それは確かにそう……だが……。俺がいきなり酒場に見に行くと、よからぬ噂がたちそうで……迷惑が……」

 表情にはそれほど出ていないのだが、何故か傍目からみるといっそのこと哀れになるような気配を漂わせつつ、ジャッキールはいった。

「それじゃ、あんたがリーフィちゃんを探した方がいいわけだ」

「な、なぜそうなる! 貴様が……」

「あ、いいの。あのねえ、よく考えてよ、ジャキジャキ。リーフィちゃんをオレが探しにいったほうが危なくない? オレの性格わかってるんでしょ?」

 シャーは、途端、にんまりとにやつきながら、そんなことを言ってみる。そうすると、ジャッキールはにわかに慌てだした。

「き、貴様! まさか……」

「ほらほら、オレのこと信用してない。だったら、自分で行けばいいでしょ」

「それはそうかもしれないが……」

 あのねえ、と、シャーは、改めて言い直す。

「怪我してるアンタを邪魔もの扱いして、アンタの自尊心を傷つけようという目的はないわけ。ね、わかる? オレだって、あんたがいってくれた方がありがたいわけ。強いし、まあ絶対リーフィちゃんに変なことしないとおもうし、誘惑なんてもってのほかだし」

 これは本心だ。ネズミならともかく、ジャッキールは、絶対に口説いたりもしない。

「信頼はできると思ってるわけよ」

「う……う、む……」

 そう持ち上げられて、ジャッキールは、困惑気味にうなずく。

「ということなのよ。わかる。そりゃあ、アンタの自尊心的にどうかだけど、自尊心より恩人の命のが大事でしょ? というか、そういうちっぽけなことで、迷うなんて男として失格だよね」

「そ、それはそうだ……」

 ジャッキールは腕を組み、そして、なにやら考えていたが、やがて意を決したように顔をあげた。

「わかった。よ、よかろう。俺が見に行くことにする」

(動揺しながら、いう台詞かよ)

 シャーは、心の中で悪態を突いた。

「よし、まあ、じゃあそういうことで」

 シャーは話を打ち切り、ジャッキールに手を振った。

「それじゃあ、お願いね」

「う、うむ」

 ひとまず、これでいろんな気がかりはかわせるわけだ。リーフィが酒場にいればいればで、きっとジャッキールについて戻ってくるだろうし、女性が一緒なら、ジャッキールもそんな無茶なことはできない筈だ。

「ああ、そうそう」

 シャーは、まだ少々納得できていないような顔をしているジャッキールに声をかけた。

「今回助けた分と、前回助けた分で、これで貸しが二度ってわけだ。後で利子つけて返してね」

「う……」

 悪く言えば恩の押し売りだった。だが、押し売られていることにも気づく余裕がないジャッキールにとっては、返さなければならない重い債務が増えたらしいということしか認識できまい。ジャッキールが、苦しげにうなっているのをにやつきながら見たシャーは、刀の鯉口をぱちりと切った。

「一応言っておくが、リーフィちゃんと会う前に血のにおいはつけるなよ。さすがに、酒場に入るんだからな!」

「そんなことぐらい心得ている! ……俺でもそれぐらいの分別はある」

 ジャッキールが不服そうにそういい捨てるのをきいて、シャーはにやりとした。どうやら、例の熱病からは醒めたらしい。こういうジャッキールなら、ひとまずは安全だ。

「へえ、そうかい。よくわかった!」

 シャーは、そう答えざまに、剣を抜いて、そのままサンダルの足で地面を蹴った。たん、という軽くて歯切れのいい音を合図のように、前に飛び込む青い衣と、身を翻す黒い人影が正反対の方向に進んだ。

 反対側に駆け出したジャッキールの黒い服はすぐに闇にまぎれるが、シャーの青さは月の赤い光に照らされて、なお、鮮明な青を夜の闇に映し、彼らの目を引いた。彼らにはシャーの存在がすぐにわかったはずだ。カディンが言う、特殊な剣をもった男として。

「やれ!」

 背後にもいるのだろうが、目に映る分の目の前の男たちがざああっと散開する。シャーは、青ざめて光る瞳でそれを認めた。

「実は、オレもちょっとは影響される性質だからね」

 ジャッキールは、すでに背後の闇に消えている。先ほど一度、軽い悲鳴が上がっていたが、あれは斬ったのではないだろう。ジャッキールもその辺は考えているらしいのだ。

「あのイカレたダンナまでとはいかねえが、今日は、ちょっとは手荒めかもしれないぜ!」

 シャーは、そういい捨てると、駆け寄ってきた一人目の懐に飛び込みながら横なぎに、剣ごと叩き伏せた。




 *

 

――わからない。わからない。

 彼は、ぽつりと呟いた。目の前を女が走る。それを追いながら、彼はひたすらに呟くのだ。

――わからない。

――最後のひとかけらだけがわからない。

 女の足は思ったより速い。もしかしたら先ほどの女とは違うのかもしれない。ようやく、彼は気づき始めていたが、もうどうでもよかった。

 女であればいい。そう、今夜の獲物は女であればいいのだ。

なぜ気づかなかったのか。

 彼は、握り締めた剣に力を込めた。ぎりり、と、皮を巻いた柄がきしんだ音を立てる。それが心地よく、彼に語りかけてくるような気がして、彼は再び、「答え」を求めようとするのだ。

そう、なぜ気づかなかったのか。今まで、斬ったのは男ばかりだった。昨夜、あの少女を斬っておけば、何かわかったかもしれないのに。

 彼はそう思う。

 ハルミッドの剣の業は玄妙すぎて、並みの玄人にもわからない。彼の作る剣は、なにか、とてつもない魔力のようなものを秘めていることが多かった。

 けれど、そばで見ていても、こうして剣をとっても、師の剣の秘密はわからなかった。だから、彼は最終手段に出たのだ。

 それは、人を斬ることである。

 師は、剣を決して芸術品にはしなかった男だ。この剣、メフィティスが、どこか異形味をおびているのは、師がこれを芸術的な目的で作らなかった証拠でもあるのだ。ハルミッドは、剣を実際使われるものとしてしか作らなかった。

 そして、剣の実用は、人間同士の戦に最も求められるものである。そして、あのジャッキールは、何かしら師の求めるところを掴んでいたようだった。あんな傭兵如きにわかるものではないはずなのに。

 だから、彼は思ったのだ。無差別に人を斬っていけば、なにかわかるのではないだろうかと。師の剣の秘密が。そうすれば、自分も、いい剣が作れるかもしれない。

 師は、ほとんど自分に剣を作らせてくれなかったが、自分でも、師のような剣は作れるはずなのだ。その秘密さえ知れば――。

 いいや、それは、本当は、彼が美しく異形の姿のメフィティスに誑かされてそう血迷っただけのことかもしれない。だが、彼はそれを信じた。

 そして、掴んだのである。師の剣の秘密を。師の狂気的な剣に注ぐ気持ちを。

 しかし、最後のひとつがわからない。実際、今日も剣を打ってみたが、師の持つ独特の気品と美しさだけが出なかった。

 ――なぜだ。

 彼は考え、すぐに思い至った。そういえば、今まで、男ばかり殺してきて、女を一人も殺していなかった。きっとそのせいだ。

 美しさと気品は、きっと女の血を吸わなければわからない。私の本当の姿は、女の血を吸わなければ見られない。この美しい夜に。この美しい満月の光を浴びて。

 メフィティスが優しく囁いたような気がしたのだ。

 ――そして、彼はその言葉に従うことにした。




 目の前の女は、まだ走っている。あれを逃がすわけにはいかなかった。先ほどの女であろうがなかろうがどうでもいい。とにかく、今夜、この満月の夜、それが最後のチャンスなのだ。

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