15.リーフィ姐さんと迷い犬

 夜道をひたひたと帰りながら、ゼダは、かすかににやついていた。

「今頃、あの野郎、オレがいねえことに気付いて焦ってやがるだろうなあ」

 そういって、ゼダは忍び笑いを禁じえなかった。

 先ほどまで、シャーと一緒に、不穏な輩と剣を交えていたゼダだが、シャーが彼らを押さえ込むのに一生懸命になっているうちに、自分だけするりと抜けてきたのだった。それは随分鮮やかなもので、敵のうちの数人も気付かなかったし、シャーですら気付いていないほどだった。それで、今、ゼダは、一人、人気のない道を夜陰にまぎれつつ、帰途についているのだった。

 それにしても、気付いた時のシャーの顔を思い浮かべると。ゼダの口元には、大きく笑みが広がる。シャーの奴は、滅多に見られないほど焦って、それから、烈火のごとく怒り出すに決まっているのである。あの青みを帯びた三白眼が、天をにらんでいるに違いない。

「へへへ、まァ、おめえさんにゃあ悪いが、オレは今日は疲れちまってるんだよ」

 ゼダは、そういって笑った。さて、これからどうしようか。さすがにしけこむにも、刻が遅い。ザフのところによれば、どうせ上着はどうしたのかとか、色々ととやかく言われるのが目に見えている。忠実で機転の利くいい使用人だが、ゼダとしてはいい加減坊ちゃん扱いはよして欲しいところもあるのだった。

 赤い上着もないままに、ゼダはふらふら歩きながら、顎をなでやる。

「シーリーンところに寄るってのも悪いだろうしな。アレはもう休んでいるだろうし、休んでなければかえって心配だ」

 会っていない間に、なにか無茶をしていないかと、それはそれで心配だが、自分が行くと、あの娘が過剰に気を遣うことをゼダはよく知っている。だから、時々しか寄らないのであるが、それにしても、シーリーンの名前が、いきなり自分の口から飛び出たことに、ゼダは薄く自嘲の笑みを浮かべた。

 ということは、今日は大人しくどこぞの宿にでも泊まることにしようか。

 ゼダがそう考え、金の算段をしようとしたとき、ふと小さな声が聞こえた。

「確かに渡してくれるのだな?」

「はい」

 ゼダは、息を潜めると、そっとそちらの方に近づく。といっても、近づきすぎては、相手に悟られる。ゼダは、相手の声が聞こえて、しかも、悟られないぎりぎりの場所に位置を取った。

 壊れかけのレンガ塀の向こうの道で、馬車が止まっているのがかすかに見えた。ゼダは、その塀に身をつけながら、話をきく。

 馬車からほんの少し顔が覗いているのは、貴族風の男だった。

(カディン卿だな)

 その、見覚えのある風貌をちらりと垣間見、ゼダは素早く相手を判断した。これはまた、絶妙なタイミングで出会ったものだ。先ほど、自分とあの黒衣の男を襲ったのは、まず間違いなくカディンの手先に違いないのである。ということは、ここに来ているのは、さしずめ高みの見物といったところか。

 では、もう一人は? 

 ゼダは、相手を探ってみるが、その顔ははっきりとしない上に、馬車の陰に隠れてしまっていて見えない。もう少し前に行けば見えるかもしれないが、そういう危険を冒すのはゼダとしてもまずいと思った。ここの位置からは馬車にいるカディンと男しか見えないが、カディンが一人で歩き回るはずはない。必ず、ボディーガードの男達が数人ついているはずである。

「まあ、慌てる必要もないでしょう。もう少しお待ちください」

「とはいえ、本当に渡してくれるのだろうな?」

 カディンは、もう一度確認するようにいい、わずかに眉をひそめた。

「ええ、ご心配には及びません。全て終わりましたら必ず」

「そうか、ならば、貴様のすすめにしたがった甲斐があるというものだ」

 カディンは、信用することにしたのか、少々ほっとした顔を覗かせた。

「しかし、先ほどのことは本当か? あの傭兵、深手を負ったのだな?」

「カディン卿。私の方からも、隊長からきいております。ですが、そこから、数名を斬って逃げおおせたという話です」

 カディンの側についているらしい男が、そう補足した。

「しかし、あの傷では逃げられるとは考えられません。役人もいることですし」

「確かに。貴様がそういうのであれば、そうであろうな」

 カディンは、そういい、腕を組んだ。

「では、もう一つ、貴様にもいっておくが、青い服の三白眼の男が、素晴らしい剣を持っていた。アレについてはどう思う」

「あれは素晴らしい剣でございましたな」

 ゼダは、む、と眉をひそめた。どうやら、今話している内容は、シャーのことについてらしい。

「あの下郎、私に向かって挑発までしてきおったのだ。……おまけに、このことについて、多少感づいている風でもある。……貴様にとっても悪くない話だと思うが」

「そうですな。……立ちふさがるようなら考えておきましょう」

 男はそう答えると、ふらりと立ち上がったようだった。

「それでは、私はひとまずコレで……。あの男の様子も知りたいところですしね」

「そうだな」

 カディンはそう頷いて、男を見送ろうとした。男はそのまま一礼すると、すたすたと歩き始めた。ちょうど影の部分に体が入って、顔が見えない。ゼダは、目をすがめてみたが、残念ながら男の顔は見えなかった。

「ああ、少し待て」

 カディンの引き止める声に、ゼダは、再び息を殺す。

「フェブリスは、無事で済むであろうな」

「何をご心配なされます、卿」

「いや、もし、剣を奪うのを目的だと、あの傭兵が悟ったら、わざと折ってしまわないかとおもってな」

「馬鹿なことをおっしゃいますな」

 男は、軽く嘲笑するように言った。

「あのジャッキールという男。そのような真似はおそらくできますまい」

「しかし……」

「あの男は、あの剣に心酔している。そのようなものを折るとは考えられません」

 それはそうかもしれない。カディンは、自分のことを振り返ってそう思った。そうして納得しかけたとき、ふと、男が笑って思いも寄らぬことを言った。

「ただ、剣の方も無事というわけにはすまないかもしれませんが」

「何だと?」

「アレは、ハルミッドが、あの男のために作ったような剣です。たった一人、持ち主のためにつくられた剣が、その持ち主の血を浴びる。そうした剣がどうなるか、私は知らないので、そう申したのです」

 かすかに月光で見える男の顔は、どうやら若いらしい。その口元が、どこか歪んでいる気がした。

「持ち主の血を浴びるだと?」

 カディンは妙な顔をした。今まで、欲しい剣をそのものを殺して奪ったこともある。だが、何も起こらなかったはずだ。目の前の男は、そんな迷信じみたことを本気で信じているのだろうか。

「いいえ、私が言っているのは、あの剣が、持ち主の命を絶った時のことをいっているのですよ」

「む、どういう意味か?」

「あの男、追い詰めれば、必ず自ら命を絶つ。それだけ気位が高いのです。剣を手放し、辱めを受けるぐらいなら死んだほうがましだという。流れの傭兵の癖に、そのくらい気位が高いのですよ」

 男はそこで一息切って、不気味に薄ら笑いを浮かべた。

「あの男は、死を覚悟した時、必ず自らに刃を向ける。そうして絶対にフェブリスを握ったまま死ぬのです。そういう男です、アレは」

「ああ、確かに……」

「つまり、フェブリスが、持ち主を喪った時に浴びる血は、あの傭兵の首から虹のようにふきだした赤い血になるはずなのです。あの剣は、自分の主人を自ら殺す、そういう呪われた運命にあるのですよ」

 思わずカディンは、息を飲んだ。男の語り口は、彼の目の前に、血にまみれ、剣を握ったまま倒れ行くジャッキールの最期を幻のように映したのかもしれない。或いは、思い浮かべたのは、それと同時に、持ち主の血を浴びて、涙のように血の雨を滴らす、美しい一本の魔剣の姿か。

 カディンの思考を読んだように、男はポツリと言った。 

「……そうなったとき、あれはどれほどの魔剣になるのでしょうな……。それは私には想像つきかねるのです」

 そういったときの男の目は、どこかうっとりとしていた。カディンは返事をせず、どこか呆然としたような目で男を見ているばかりだった。

「それでは。私はこのあたりで」

「あ、ああ」

 男に言われて、カディンはようやく返事をした。男は、再び一礼すると、きびすをかえして、今度はカディンに声をかけさせる暇もなく立ち去った。

 

 

 *


 リーフィは、以前、仕立て直すのにもらったらしい黒の男物のチュニックをもってきて、ジャッキールに着替えさせた。

 サイズが危うく合わないかと思ったのだが、大きめに作っておいたらしいそれは、どうにか彼にも着られるものだったので、ジャッキールは一応安堵していた。なにせ、もし、これが着られなかったら、女物のショールをかけられたり、長いローブを上から着せられたりするはずだったのだ。ジャッキールとしては、危ない橋を一つ渡りきったような安堵感を覚えても仕方のない状況だったのである。

 だが、それで終りではない。ジャッキールは、リーフィの部屋に入ってから、ずっと緊張の連続だったのだ。

 今、ジャッキールは、長身をどこか縮ませるようにしながら、座っていた。そして、自分でも意味がわからないうちに、スープを飲んでいた。いや、これも成り行き上仕方がなかったといえば仕方がなかったのである。

 リーフィが、

「あなた、逃げる間、ろくに食べ物もとれていないのでしょう? 残り物なんだけれども、よかったら食べる?」

 といってスープとパンを差し出すのを、どうにか断ろうと思った記憶まではある。それから、どうして自分が食卓についているのか、ジャッキールは、その間の記憶が判然としないのだった。簡単にいえば、断りの言葉を挟むひまなく、単にリーフィに押し切られただけなのだが、その事実も覚えていないジャッキールは、ひたすらに流されるままにリーフィのペースにのせられていた。

「お口に合えばいいんだけれど」

「い、いや。とても美味い」

 慌ててそう答えるジャッキールの笑みは、慣れないことからか引きつっていた。リーフィの作る料理だから、まずいわけはないのであるが、ジャッキールには、味を感じる余裕はあまりない。 

 おおよそ、ジャッキールという男は、女子供が苦手である。いや、厳密に言うと、苦手というより、ちょっと当惑してしまって妙に緊張してしまうだけかもしれない。そもそも、女性も子供も、ジャッキールに寄り付くはずもないのだから、彼らから親しげに話される、ということはあまりない。無邪気な子供は、それでも、稀にちょっかいをかけてきたりするが、大体事情がわかるようになった年頃の女性は、彼を見ると基本的に恐がるものである。

 そういうこともあってか、ジャッキールは、こういう風に親切にされると、どうしていいものかわからなくなることがよくあった。おまけに、誰か他にいればよかったのだが、二人っきりという状況に、ジャッキールのほうは、どう話をつないだものやら。先ほどから混乱しっぱなしの頭が、まだ全く回復していないのだった。

 それで、何となく挙動が不審になっているのだが、幸いなのは、リーフィがそのあたりにあまり気を留めない女性だったということである。リーフィの涼しげな様子は、ジャッキールを慌てさせもするのだが、だが、挙動不審な真似をやってしまった後は、ほんの少し救われる。

(それにしても、この娘、こうしてみると、このような場所にいるような者にはみえんがな)

 ふと、ジャッキールはそんなことを思う。少なくとも、場末の酒場にいるような器量の娘ではないし、昔は妓楼で妓女でもやっていたのかもしれない。詮索するつもりはないし、実際どうなのかわからないのだが、若い割りに苦労した様子が覗く彼女を見ていると、どうしてもそういう気分にならざるをえないのだった。

 ともあれ。今のジャッキールにとっては、彼女は恩人である。ジャッキールには、まだ、どうして彼女が自分を助けてくれたのか、判然としないところもあるのだが、本当に心根の優しい娘なのだな、と思わず感に入っていた。

 ジャッキールでも、最初、彼女を見たとき、あまりに無表情かつ無愛想なので少々戸惑っていたが、こうして助けられた事情を知って、あれこれ世話を焼かれてからは、感情を外に出すのが苦手なのか、辛い過去でもあるのだろう、と考えるようになった。

(それにしても……)

 ジャッキールは、洗いものやらなにやら、後始末をしている彼女をちらりと覗きやった。

 切れ長の目と艶のある黒髪としろい肌。整った顔立ち自体は、それでも結構妖艶な方にはいるのだろうが、本人の表情がないものだから、それほど俗っぽくもなく、何となく人形のような上品さが漂うのである。それに、ランプの温かな光が当たって、ほんのりと赤く照らされると、彼女の優しい心根が内から染み出たようにみえて、何故か表情のない顔に、微笑みが浮かんでいるように見えるのである。

 それを呆然と眺めていたジャッキールは、思わず握っていたスプーンを落とした。

「……美しい……」

 ぼとんと、スプーンがそのままスープに落ちた音で、リーフィが振り返る。

「どうしたの?」

 声をかけられて、ジャッキールは、ハッと顔を上げた。その表情に何を思ったのか、リーフィは眉をひそめた。

「傷が痛むの? ごめんなさいね。いい薬を持ってなくて……」

「い、いや、そうではなく、……ただ……」

「ただ?」

 そこまで思わず言ってしまってから、ジャッキールは、ようやく、自分が今何をつぶやいたか思い出したらしい。途端、真っ青になってから、ジャッキールは慌てて俯いた。

「どうしたの? 気分が悪いのではないの?」

「そ、そうではない。わ、私のことは、気にしないで頂きたい!」

 勢いよく言う彼の様子に、首を傾げたものの、とりあえず容態が悪くなったようでもない。リーフィは、何か用意するためにか、向こうの方に歩いていった。

 どこか安堵したようにため息をつきながら、ジャッキールは、顔を上げる。青ざめた頬に、常人にはわからない程度にさっと朱を刷いているのは、別に熱のためではない。

(なんといううつくしい娘御だ……)

 しかも、心身ともに。そう心の中で呟きつつ、ジャッキールは、味がわからないままに、そっとスープを口に運んだ。

 妙に頭の固いジャッキールが、彼自体は、結構惚れっぽいところのある男でもあることは、あまり知られていない。その惚れっぽさは、実際はシャーを軽く凌駕していたりするのだが、顔立ちが冷たく見えるせいか、はたまた誠実なせいか、その事実があまり周りに知られることはなく、そして、本人自身もその事実に気付いていない。

「あら」

 リーフィが、ふと声をあげたのをきいて、ジャッキールは顔を上げた。外の方から足音が聞こえたのがわかったのか、一瞬、彼の顔が険しくなる。リーフィは、そっと窓をあけてのぞき、ジャッキールのほうに振り返った。

「大丈夫。シャーだから」

「そうか……」

 一瞬追っ手かとおもったのか、ジャッキールの顔にはほんの少しの安堵が浮かんだ。

 リーフィは玄関の方に歩いていった。ほどなく戸がノックされ、シャーの、一度きいたらなかなか忘れない、緊張感のない声が響いた。

「リーフィちゃん。あけて~。オレオレ、オレだから」

「はいはい。ちょっと待ってね」

 リーフィはそういって、入り口をふさいでいる鍵をはずした。直後、ぎい、と音を立てて扉は開く。闇に浮かびあがるようにして現れた、どこか青い瞳をした青年は、くしゃくしゃの頭をとりあえずかきやる。どこからどうみても、シャーでしかない人物に、リーフィは、わかっていたながらに、どこか安心するのを感じた。

「ああの、あのネズミ! 結局人に全部やらせて途中で逃げやがって……」

 入ってくるなり、シャーは、口を尖らせてそう文句を言った。

「ねえ、リーフィちゃん、ひどいと思わない?」

「まあ、また何かあったの。とりあえず、お疲れ様、シャー」

「ありがと。でもねえ、リーフィちゃん、大丈夫だった? いや、一人で帰しちゃってごめんね。あのネズ公がとんでもない……」

 いいかけて、シャーは、あ、と声を上げた。部屋の中にいる先客に気付いたのである。黒いチュニックを着た男の姿に、シャーは、一瞬、リーフィの新しい恋人かと肝を冷やしたが、そこにいた相手はある意味それ以上にシャーを驚かせた。

「アズラーッド……」

 ぽつりと呟いた男は、その青ざめて整った顔に、鋭い瞳を閃かせる。闇夜を引きずるような風貌が、刃物のような独特の鋭い冷たさを感じさせた。その男の手の届くところに、剣の柄が見えた。 

 その瞬間のシャーの動作は素早かった。

 リーフィをあっという間に、背後にかばった時には、シャーの手には、すでに白刃が握られていた。

「ジャッキール! てめえ、何でここに!」

「シャー、落ち着いて」

「リーフィちゃん、コイツは……!」

 ジャッキールは、というと、一瞬刀を向けられたとき、反射的に剣に手を出しかけたが、すぐに自制したのかその手を止めていた。

「……剣を収めろ、アズラーッド。女性の部屋で荒事など不躾もいいところだ」

 ジャッキールは、眉をひそめてそういった。

「大体、俺がこの体で、貴様と十分に戦えるはずもないだろうが。それでもやるというのならかまわんが……この部屋を俺の血で汚すのは、貴様も本意ではあるまい」

「何だと?」

 そういわれて、シャーは、ジャッキールを注視した。チュニックの左肩の部分から、何重にもまかれた包帯が覗いている。いつもより青ざめた顔には、いくらかの倦怠感のようなものが見受けられたし、息遣いもいつもより熱っぽい。そして、剣に一瞬手を出しかけたときも、ジャッキールは左手を全く動かしていない。いや、動かせないのだ。

 それだけの状況から推測しても、ジャッキールが怪我を負っていて、その痛みのために、満足に戦えないだろうことは、すぐにわかった。

 だが、そうだとしても、何故リーフィの部屋にいるのかわからない。しばらくにらみ合いをしていると、後ろにいたリーフィが、シャーを止めに掛かった。

「シャー、落ち着いて。彼は、何もしていないわ。私が傷の手当てをしてあげただけ」

「え、ええ?」

 シャーは、例の大きな目をさらに見開いていた。

「ど、どういうこと? コイツが押しかけたりしたんじゃないの」

「違うわ。彼は私が連れてきたのよ。駄目だったかしら」

「駄目だったかしらって……。だ、駄目じゃあないんだけれども」

 シャーは、思わず口ごもる。シャーにしてみれば、それこそ、意味のわからない光景だった。

 ジャッキールといえば、シャーとしては、かなりの位置にいる危険人物である。彼が、ジャッキールに、そういう扱いをしているのは、ジャッキールの危険な性格もそうなのだが、正攻法で戦ってジャッキールに勝つ自信がないというそこに一番の理由があった。スピードで振り回すか、罠に嵌めるかではどうにかなるが、ゼダと違って正攻法で来るジャッキールに、真正面から歯が立たないというのは、シャーとしても少々考えるところがあるのである。

 ともあれ、そういうジャッキールだが、今のところ、本人に戦意はないらしい。それはありがたいことなのであるが、何故リーフィが、彼を家に連れ込んでいるのか、理由が知りたい。 

「シャー、ごめんなさい。ちょっと来て」

 リーフィが、ふとシャーのマントを引っ張った。

「え、ちょっと」

「そこであなたは、食事を続けていてね」

 リーフィは、ジャッキールに対してそういうと、シャーを玄関の方まで引っ張っていった。

「あ、あのう、リーフィちゃん」

 早速、シャーは、困惑気味の顔で訊いた。

「な、なんで、アイツがここにいるわけ?」

「あ、ええ、路地裏で怪我をしているところに出会ったので、連れてきたのよ」

「そ、それは何となく想像がつくんだけども」

 むしろ、どうしてそういう気持ちになったのかが知りたい。シャーの気持ちを知ってかしらずか、リーフィは、眉をひそめるようにしていった。

「シャー、あの人が助けてくれといったわけでも、脅したわけでもないのよ。私が連れてきただけなの。あの人が犯人ではないのでしょう? だったら、怪我をしている人を見捨てるのはいけないわ。それに、悪い人でもないみたいだし」

「そ、そりゃあ、まあ、ねえ、悪い人とも言い切れないけど。で、でも、リーフィちゃんもわかるでしょ。アイツは、……その、……ちょっと……」

 シャーは、唸りながら答える。確かにジャッキールは、無差別に市民を切り捨てていった冷酷で卑劣な男とは違う。だが、卑劣ではないが、ジャッキールが、冷酷で危ない戦闘狂であることは違いない。実際、リーフィと会う前も、数人は斬っているはずなのだ。ジャッキールには、そういう無視することの出来ない流血の気配がする。

 そういう人物と関わるのはどうなのか、とシャーは、何となく不安になるのであるが、リーフィは首を振った。

「勝手なことしてごめんなさいね。でも、シャー。あの人、平気そうにしているけれど、左肩から随分斬られてるのよ。血も大分流してしまったみたいだし、こんな状態で、このまま外に行かせたら、どうなるかわかっているのでしょう?」

 リーフィは、少しだけ口調を強めた。

「あなたは、私以上にあの人の性格をわかっていると思うのだけれど」

「う、ううう、そ、それは……」

 シャーは、頭をかきやって、目を困惑気味にふらふらとさせた。ジャッキールがいくら丈夫だといっても、あの体でこれ以上戦っても朝まで逃げ切れるかわからない。

 兵家の常といえば常だから、逃げ切れずに運悪く斬り死にされるなら、シャーとしてもそれで割り切れるかもしれない。だが、ジャッキールはあくまでジャッキールなのだ。役人に捕まりそうになったり、カディンに剣を取られそうになった時の行動が、シャーにも簡単に予測できたのである。

 ジャッキールという男は、それこそ失うものは、剣と高いプライドぐらいしかない男だ。失うものがない彼にとって、生死は大きな問題ではなく、屈辱を受けることによって失われる誇りのほうが問題なのだった。

 このまま、朝まで逃げ切れなかった場合、また、逃げ切れても動けなくなった場合、ジャッキールが、朝、街の片隅で変わり果てた姿で転がっている確率は、シャーのナンパの失敗率より恐らく高いのである。

 さすがに、そういう最期を遂げられると、シャーとしても後味が悪すぎるのである。

「……ね。今は、あの人をどうにか引き止めないと」

「そ、そうだね。わかった」

 シャーはため息をついた。向こうでは、ジャッキールが、いつも不機嫌に見える顔に眉を寄せていた。何を話しているのか、と気になっている様子ではあるが、しかし、あの顔は――。

(何を心配されているのか、ぜんぜんわかっちゃいねえ顔だな、アレは)

 どうせ、見当違いなことでも考えているに違いない。あんたのことを心配してやってんだよ。と、シャーは、何となく疲れた気分になるのだった。

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