14.狂犬と舞姫


 手にもったランプの光がちらりと揺れている。

 夜道は慣れているので、あまり怖いとは思わないことが多かった。だが、それでも、今夜だけは少し彼女でも不安になるものだった。暗い夜に不自然に明るく浮いたような月のせいもあるかもしれない。

 あちらのシャーとゼダは、喧嘩ぐらいはしそうな気もするが、まあうまくやっているだろう。だが、あの二人が相手と切り結んでいる事実が、嫌でも、あの事件を想起させる。この不安は、そこからきているものだろうか。

 事件が起こる中でも、リーフィは、さほど、夜道を怖いと思わなかったが、今日だけは別のようだ。勘の鋭い彼女には、今日の月夜が特定の連中の心理に作用することを無意識に感づいているのかもしれない。

 夜道を不安に思うなんて、と、リーフィは、自分でも思わず苦笑してしまいそうだった。本当に珍しいことだ。

「馬鹿野郎!」

 急に声がきこえ、リーフィは反射的に身を潜めた。声はそのまま向こうの方からきこえてくる。

「お前ら! 何やってんだ!」

「すみません、隊長!」

 リーフィは、そうっとそのまま向こう側を覗く。そこにいたのは、何かと見覚えのある色の黒い大男だった。酒場でシャーと飲んでいたメハルとか言う男だろう。ということは、あのときの役人の隊長だ。

 メハルは、なにやら焦っているようだった。だが、それでも、ついつい部下に説教してしまう性分なのか、ぶつぶつと文句を言っている。

「大体、お前らは駄目すぎる。謝って済む問題じゃねえだろうが! 目的の奴が切りあってるって情報がきてたのに、該当の場所に本人どころか、死体一個も落ちてねえなんておかしいだろ」

「それはおかしいと思うんですけれども」

「思ったら探せ、馬鹿野郎!」

 だから、探してもないんです、となにやら切ない言い訳をしている情けない部下達を見回し、メハルは頭を抱えた。

「しかたねえ! 俺が探す! とにかく、今逃げてる奴は、この辺の人間とちょっと違う風貌をしているらしいし、目立たないわけがねえ。その辺の人間たたき起こしてきいたりしてみれば、すぐわかるにきまってるぜ!」

 いや、それは迷惑だろう。そんな顔をする部下達だが、メハルはすでにやる気らしい。

「行くぜ、お前ら!」

「た、隊長! 待って下さい!」

 メハルが突然駆け出したらしく、その後をあわただしく部下達がついていく男がした。ばたばたとあわただしく去っていく足音をきいてから、リーフィは、建物の陰から表に出た。

 一瞬、今暴れている最中のシャーとゼダに狙いを定めたのかと思ったが、そうではなさそうだ。それにひとまず安堵を覚えるが、それにしても、黒服というのは。

(シャーの言っていた人のことね)

 確か、名前はジャッキールとか言っていた。その名前自体をきいたことはないが、シャーに言わせると腕利きの傭兵だとかいう話だ。旅の傭兵なら、きっとメハルがいったとおり、このあたりの人間でなくてもおかしくないだろう。

 彼はやはりこの街に潜んでいるのだろうか。それについては、後で少々シャーにきいてみたほうがよさそうである。

 と、リーフィは、再び足を止めた。今度は、目の前に人影が見えたからである。それも小さな影だった。彼女は眉をひそめる。子供がいるにしては、少々時間が遅すぎる。

 リーフィは、怪訝に思いながら、早足でそこに佇んでいる子供に近づいた。そして、ふと首をかしげた。 どうも見覚えがあると思ったが、近所の子供によく似ている。

「レル?」

 リーフィは声をかけてみる。案の定、女の子がこちらを振り向いた。少し泣いたあとのような顔は、不安そうにこちらに向けられた。

「レル、私。リーフィよ。安心して」

 リーフィは、不安げな彼女にそういって笑いかける。

「どうしたの? お母さんは?」

 レルの母は、リーフィとは違う酒場で働いているが、同業者ということもあって結構仲はよく、面倒をみている経緯があった。すぐにレルはリーフィに気付いたのか、こちらに駆け寄ってきた。

 その様子がどうもおびえているようなので、リーフィは少し身をかがめつつ、レルの様子を伺った。

「どうしたの?」

 リーフィはそういって、レルを覗き込んだ。レルの頬に泥がついているのを見て、リーフィはそれを拭いつつ、心配そうに聞く。

「どうしたの? けがでもしたの?」

「わ、わたしじゃないの。おじさんが……」

「おじさん?」

「うん。あっちの方にいるはずなの」

 レルは、ほとんど泣きそうな顔になっている。レルの言うおじさんが誰のことかはよくわかららない。

「でも、あなたも、膝をすりむいているじゃない? おうちに帰りましょう。お母さんも心配しているわよ」

 レルは母の帰りが遅くて出てきたのかもしれない、とリーフィは推測したが、さすがにそろそろ帰っているだろう。一緒に家まで帰ってあげようとリーフィは、レルの手を取ろうとしたが、彼女は首を振るばかりである。

「でも、おじさんが……。あのままじゃ、死んじゃうかもしれない……」

「レル、でも、おうちに帰らないと……」

 リーフィはそういって眉をひそめるが、どうもレルの決意は固いらしい。動こうとしないレルをみて、リーフィは軽くため息をついた。

「じゃあ、わかったわ。私が見てくるから、レルはおうちに帰って。私があとで、レルの家に立ち寄るから」

「ホント?」

「ええ、嘘はつかないわ」

 リーフィは軽く微笑むと、レルの家のほうに向けた。なるべくなら送ってあげたいのだが、この様子を見る限り、どうも今すぐリーフィが探しにいかないと納得しなさそうである。幸い、ここからは家は近いので、リーフィは角までレルを送った。

「じゃあ、ここからその人を探してくるから、レルは家に帰るのよ」

「ありがとう。お姉ちゃん」

 レルは、そういって少しだけほっとしたように頷くと、そのまま家のほうに走っていった。レルが家の前に着いたのを見届けて、リーフィは、きびすを返す。

 ともあれ、約束は約束だ。それに、レルの話をきいてみると、そのおじさんとやらは危険な状況にあるらしい。

 しかし、と、リーフィは首をかしげた。

「一体、……おじさんって、誰のことかしら」

 とりあえず、シャーとゼダではなさそうだ。妙に年齢不詳感の漂うシャーともあれ、童顔のゼダはどこからどうみても「おにいちゃん」にしか見えないし、そもそも、先ほどまでリーフィは彼らと一緒にいたのだから、あれからレルを助けるなどということはない。そういう意味では、メハルなどの役人の可能性も薄い。

 リーフィは、やや警戒しながら、少し小走りになりながらあたりを見回した。ここは裏路地に当たる。そもそも、リーフィのような娘が一人で借りられる場所なのだから、あまり治安のいい場所でもないのだが、この辺りは特に人気がない場所でもあった。廃屋が多いので、住んでいる人間もいない。特に夜は、寂しさを越えて不気味さを覚えるほどだ。

 その不気味な廃屋の通りを、随分進んできたが、周りには人間どころか、いきものの気配もなさそうだった。このまま諦めて帰ろうかと思った時、リーフィは、手に持ったランプをそっと道に近づけた。何かが見えた気がしたのだ。

「これは……?」

 道の上に点々と黒いものが落ちている。いや、厳密に言うと赤い色なのだが、夜の闇に黒く見えていただけかもしれない。間違いない。血の跡だ。

 リーフィは、服に隠してある短剣を一応確認しながら、そっと足を進めた。石畳で整備されていない砂にしみるように、ほぼ一定間隔にそれは続いている。時によろめいたのか、大きく横にふれているところもあった。

 リーフィは、息を潜めて立ち止まった。ちょうど、建物の影のあたりにつながるところで、血のあとは途切れている。リーフィは、少し顎に手をあてて考えた後、そっと声をかけた。

「だれ?」

 リーフィは、そうっと路地裏の影をのぞきやった。誰かいるような気はするが、返事がない。リーフィは意を決して、もう少し近づいてみることにし、足を一歩進めた。暗い建物の影である。闇に目が慣れたリーフィでも、すぐには向こう側が見通せない。

 と、いきなりリーフィの手の先のランプが落とされ、油が広がって燃え移り、大地の上をパッと明るくした。直後、リーフィの鼻先に、白い剣の切っ先が突きつけられる。

 リーフィは息を飲む。だが、目の前に掲げられた白刃は、さっとそのまま引かれた。

「……す、すまない」

 男の声が聞こえる。どこか辛そうだが、はっきりとした発音だ。訛り、でもないが、どこか発音が違うのは、彼がここの人間でないということなのだろうか。

「まさか、婦人とはつゆ知らず……。驚かせてしまったな。理由はどうあれ、いきなり女性に剣を向けるとは、この非礼、わびてすむものでもないだろうが、どうか許されたい」

 城の武官でもなかなかここまで妙に堅い言葉は使わないので、ずいぶんと珍しい。

 リーフィは、暗がりにいる男を見やる。足元で音を立てながら燃える油のおかげで、そこにいる人物の姿は多少なりともわかるようになっていた。かなりの長身で、割合にがっしりとした体格をしている。月の光のせいだけとは思えない青ざめた顔色に、鋭い目をしていた。黒い服を着ているからすぐにはわからないが、左肩辺りが濡れているようだった。

「あなた……」

 口を袖の裾で押さえながら、リーフィは呆然とつぶやく。視線を向けられたジャッキールのほうが、やや戸惑った様子になった。大声を上げられるとおもったのだが、その前に、向こうの方で人の声が聞こえた。リーフィには、先ほどすれ違ったメハルの部隊の声だろうということに簡単に予想がついた。男にもそれはわかったのだろう。その声に反応し、彼は立ち上がり、リーフィをそのままに逃げようとした。

「待って……。あなた、怪我をしているわね?」

 声をかけられ、男は静かに振り返る。リーフィは、月の光の中で、男の風貌を見た。頬に、自分のものか返り血かはわからないが、赤い血しぶきが飛んでいる。整っているが冷たい顔立ちに、わずかに戸惑いの色が浮かんでいた。

「私と一緒に来て」

 リーフィに言われ、男はきょとんとした。まさか、そんなことをいわれるとは思いも寄らなかったのだろう。

「……しかし……」

「追われているのでしょう? 早くしないと、このままでは捕まってしまうわ」

 こっちじゃないか、と向こうの方で声がした。男は、少しためらったが、やがて剣を収めて、リーフィのほうをみる。彼女は頷くと、そのまま進み始めた。

 




 リーフィの部屋は、随分と質素な印象の部屋だった。女性の部屋というには、何となく味気がなく、ある意味ではとても彼女らしい。

 この近くには、彼女のような職業の女性が多く住んでいる。だが、今日は夜も遅いからだろうか。特に誰も見かけることもなく、リーフィは、男を家の中に招き入れることができた。

 リーフィは、窓を少しあけて周りを探って見て、人の気配がないのを確認して、少しほっとした。シャーもまだこちらに来る気配はなさそうだが、少なくとも追っ手がきている様子もない。窓を閉めて、リーフィは改めて男を見た。

 ちょうどお湯を沸かして手当ての途中だったのだが、一瞬物音が聞こえたような気がして、一度リーフィは外の様子を伺っていたのだ。

「外の方は大丈夫みたいよ」

「そうか……。それはよかった」

 男は、部屋の明かりの中でも、どこか青白い顔をしていた。メハルが、この周辺の人間とは風貌が少々違うといっていたが、それは確かにそうかもしれない。一見した感じ、東方の人間とも、西方の人間ともつかないが、少なくともここの出ではないだろう、という顔立ちを男はしていた。

 リーフィは、巻きかけにしたままの包帯をちゃんと巻いて縛っておいた。どうにか、血は止まっているらしい。男は、手当てしている間、うめき声を一度もあげなかったが、相当痛かったのではないかとリーフィは思う。

「これで一応手当てはできたけれど」

 リーフィは、少しだけ不安そうなそぶりを見せた。

「そんなに軽い傷じゃないわ。お医者さまを呼ばなくても大丈夫かしら」

 男は、首を振った。

「今呼ぶとまずかろう。それに、それには及ばん。……今すぐ命に関わるものではない」

 男は、一通り手当てを終えると、その上からマントを羽織った。

「先ほどは助かった。礼を言おう」

「いえ、それよりも」

 リーフィは、少し眉をひそめた。

「あなた、ジャッキールでしょう?」

 唐突にそういわれ、男は、明らかに警戒の色を顔に上らせた。リーフィは、表情も変えずに首を振る。

「安心して。誰も呼んだりしないわ。私はリーフィというの。この近くの酒場で働いているの」

 不思議そうなジャッキールに、彼女は続けていった。

「あなたのことは、シャーから聞いていたわ。三白眼で少し不思議な雰囲気のひとよ。あなたも知っているでしょう?」

「シャー? ……ああ、アレのことか」

 ジャッキールは、名前だけではぴんとこなかったようだが、三白眼ですぐにわかったのだろう。ようやく半分ほど納得したというような顔になった。リーフィは、その様子に、軽く頷いた。

「あなたとシャーは、昔戦ったことがあるのね?」

「……」

 ジャッキールは、それには答えない。目をかえし、彼は質問した。

「しかし、では、何故俺を助けた? ……奴は、これは俺の所業だと思っていたのではないのか?」

「さあ、あなただとは断定してはいなかったわ。……でも、助けたのは、私の判断であって、彼の判断ではないわ」

 そういわれて、ジャッキールは少し唸った。だとしたら尚更意味がわからない。

 そもそも、こんな若い娘が、真夜中、血だらけの男を助けようなんて思うこともおかしいのに、ましてや、シャーから大体の話はきいているという。彼が助けろともいっていないということを考えると、どうも彼には腑に落ちないことが多すぎた。

「……で、では、何故、俺を助けようと思った? 奴が俺のことをどう伝えたかは知らないが、少なくとも、まっとうな人間には見えなかったはずだが」

「そうね、なぜかしら。でも、何となくあなたは、言われるほど悪い人には見えなかったし」

 リーフィはそういったが、相変わらず、無表情もいいところだった。ジャッキールは、相手の反応を読みあぐねているせいか、少々瞳に戸惑いをのぞかせる。

「あなた、女の子を助けてくれたのでしょう? このくらいの子なんだけれども。その子が、あなたのことを心配していたわ」

 ジャッキールは、視線をふとそらした。

「それは俺ではない。人違いだ」

「そう」

 リーフィはそう頷いて言った。

「私には真実はわからないけれど、私が思うにあなたの怪我にあの子が関わっているのは間違いなさそうだったものね。あなたは否定するかもしれないけれど、私はそう思うことにするわ」

 リーフィは、外の様子を伺い、そして再びジャッキールに向き直った。

「外は役人もいるし、よくわからない連中もいるみたいよ。その傷で逃げるのは大変よ。少し休んでいくといいわ」

「しかし……」

 ジャッキールは眉をひそめた。

「それでは、そなたに迷惑もかかる。……それに、第一、俺のような男が、夜、女人の部屋にいるというのは迷惑な話だ」

 ジャッキールは、ちょっとだけ焦った様子で付け加えた。

「何か妙な噂でも立つと申し訳ない。やはり、俺は、出て行ったほうが……」

「大丈夫。そういう評判は今更気にしないわ。職業上、別に何をいわれても、困らないし」

「いや、しかし……」

「あ、もしかして、あなたの方がお困りかしら。それなら、あなたの方に迷惑がかかってしまうわね」

 そうリーフィに聞かれて、ジャッキールはにわかに慌てだした。

「い、いや、そういうつもりで言ったのではない。だ、大体、助けてもらっておいて、そのようなこと、俺が言える立場ではない。そなたが迷惑でないのなら、俺の方は……」

「だったら、よかったわ。ここで今夜は休んでいった方がいいわよ」

 リーフィはそういって笑う。

「お、俺が言っているのは……」

 ジャッキールは、思わず小声になり、視線をはずしながらぽつりと呟いてしまうが、リーフィのほうはそれが聞こえなかったようだ。

「あ、そうだわ。そんな血だらけのマントを羽織っているのはよくないわ。何か、他のものを貸しましょうか?」

「ああ、いや、そういうわけには……」

 正直、出て行きたいジャッキールは、そういわれて再び必死になるのだが、リーフィのほうは首をかしげる。

「でも、それは洗ったほうがいいと思うし」

 ジャッキールは詰まった。このままいくと、遅かれ早かれ、マントを取られるのは必至だ。何か貸してもらわないともらわないとで、女性の部屋で上半身裸という状況になってしまう。混乱したジャッキールは、何と答えたものかわからなくなり、咄嗟に答えてしまった。

「で、では、貸していただくことに……」

 言った直後、それだと結局出て行けないことに気付いて、真っ青になるジャッキールだが、リーフィのほうはそんなことには気付かず、にこりと微笑んだ。

「それじゃあ、これは洗ってつくろっておくわね。まだ使うのでしょう?」

「……いや、それは……」

 慌てて言い直そうとしたが、リーフィのほうは、あ、と何か気付いたような顔になった。

「そうだわ。血の跡を見られるとよくないものね。ちょっと、玄関先あたりに、水をまいてくるから、ちょっとそこで待っていてね」

「………」

 ジャッキールは口をあけはしたのだが、結局それ以上何も言えずに黙り込み、呆然と外に出て行くリーフィを見送ってしまった。



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