12.赤い華散る

 彼は、そこに佇んでいた。

先ほど斬り捨てた通行人を見るでもなく、月を見るでもなく、ただそこにたっているのである。月の光は、妙に明るく白く冷たい。月というのは不思議なもので、同じ色をしているのにも関わらず、見るものによってその印象はかなり違うものになるのである。

 この光を暖かく思うものもいれば、冷たいと感じるものもいる。一体、月の光というのは、人間の視覚と心のどこに作用しているのか。

 そして、その場に、その月光を彼とは真逆の感性でもって受け取っていたものがいることも、また大きな皮肉のような話だった。

 ざ、と砂をするような音に、彼はそちらを振り向く。

「あ……!」

 押さえられた高い声があがる。そこには、まだ十にならないほどの少女が立っていた。こんな夜にどうして少女がいるのか、ということに、彼の意識はいかなかった。それよりは、どうして気付かなかったのだろう、と思ったのだ。先ほどから、小さな影が彼の前をよぎっていた筈なのに、何故か今になって、彼は初めて彼女がここにいたことに気付いたのである。

 顔は見られただろうか。いや、あそこはここからでは逆光になる。ろくに顔など見えていないだろう。だが、確実に、自分が通行人の男を殺したのを見られた。そこを見られていなくても、この状況を見られた。

 以前に女にも見られたが、あの時は寧ろ姿をわざと見せたところもあった。だが、今回は偶然に「見られた」のである。その事実が、彼の気に障った。

「こ、来ないで!」

 彼が足を進めたのに気付いたのか、少女、レルは声をあげた。少女は、彼女自身の運命を悟ったのだろうか。恐怖の表情を顔に張り付かせながら、懸命に狭い路地を後ずさる。だが、逃げ場はないのもわかっているのだ。

 彼は、剣を振り上げる。一人の刀鍛冶が狂気の末に作った異形の剣を。

「見つけたぞ! メフィティス!」

 声がかかり、びくりと彼は肩をすくめた。そちらに目を走らせると、そこには若干息を切らせてはいるが、刀を抜いたままの男が立っている。黒い闇夜のようなマントをたなびかせているが、血の匂いがする気がするのは、誰か斬って来たのだろうか。

 だが、彼にはそれが決して味方でないことはわかっただろう。常に自分を追っている傭兵の存在に気付いた彼は、そちらに目をやった。

「悪いが、一度見た剣はこれでも忘れん方でな! 間違いない、貴様があの時の男だ!」

 ジャッキールは、そのまま血をはらったばかりのフェブリスの切っ先をつきつけた。

「いつもはすでに距離があったから逃げられたが、今日はこの距離だ。逃げられると思うな!」

 じゃりと音が鳴り、メフィティスを持った男の影が揺れる。予想外の乱入者の存在に、彼はさすがに動揺したのだろう。後ずさりしながらも、その行動には合理性がない。後ずさりをはじめた男に、ジャッキールは逃亡の可能性を知る。

「逃がすか!」

 ジャッキールはそのまま男に飛びかかった。慌てた男が振るったメフィティスの異形の輝きが、ジャッキールの瞳を射る。

 しかし、その程度の攻撃は彼の予想の範疇である。そのまま力でもって切り下ろしてやれば、それで勝負は終わりだ。

 だが、ジャッキールの目に飛び込んできたのはそれだけではなかった。男が、そばにあった何かをこちらに突き飛ばしてきたのである。それをもろとも斬ればいい、と思っていたジャッキールだったが、それが何であるかを知った時、彼はわずかに驚いた。

(子供が……!)

 ジャッキールの位置からは、レルがいるのは見えなかったので知らなかったが、その死角にはいっていた少女を男はこちらに突き飛ばしてきたのだ。

 飛び込んできた少女はちょうどジャッキールと相手の真ん中である。重いジャッキールの剣はこのまま振り下ろせば途中で止めることはできない。必ず少女ごと斬ってしまう。

 月光が交わった刀身にあたってぱっと光が弾けていった。そして、一瞬の後、赤い色が黒い闇の中に飛んだ。








「え? あの男達は、剣をさがしてるんだって?」

 夜道を歩いて帰りながら、シャーはリーフィに聞いたことを反芻して、大きな目を瞬かせた。リーフィは、深くうなずく。

「ええ。そういっていたわ。私に、そういう剣をみたら教えてくれっていっていたの。あなたがいっていたとおりの、西渡りの剣よ。少し幅が広くて、諸刃。反りはほとんどないもの。そして、剣の柄の部分の細工に特徴があるといっていたわ。それが、芸術的にキレイなんですって」

 リーフィは、かなり集中して話を聞いて覚えてきたのだろうか。シャーが盗み聞きした以上のことを、やはり聞き出してきていた。

「見ればすぐにわかるとかいっていたわ。私にはあまり警戒心を抱いてなかったみたいだから、私がいるところで、結構色んな話をべらべら話してくれたわよ」

「リ、リーフィちゃん、なんかすごい!」

 シャーは純粋に尊敬のまなざしを彼女に送る。

「というか、色々聞き出すの、うまいね……」

「だって、このくらい役に立たないと、あなたと組んでいる意味が無いでしょう?」

 リーフィはくすりと笑った。

「あなたと釣り合うぐらいに、助けにならないと、あなたに対して申し訳ないわ」

「ええ、そんな、釣り合うなんて。リーフィちゃんは、いるだけで十分なのに」

 シャーは、リーフィのそんな言葉に、感激してしまって思わずでれっとしてしまう。リーフィにこんなことを言わせる男は、多分、世界で自分しかいない。そう思うと、シャーは、いっそう心の中が無駄に春色に染まるのである。

「でも、探している、っていうことは、カディンは、その剣をもっていないのじゃないかしら」

「そうだね。そのセンが強い」

 リーフィに突然きかれて、シャーは表情を思わず正す。

「あのカディンてえ奴は、ちょっと剣を探しすぎてるからね。入ってくる奴、入ってくる奴の剣を見てる奴なんてなかなかいやしないさ。収集家のサガってのもあるかもしんないけど、ちょっとやりすぎだよ。……何か事情がないと、あそこまでは、とてもね」

「そうね。私もそう思うわ」

「多分、あの男は、今、まさに剣を探している最中なんだ。だから、あんな血眼で人の剣を眺め回しているんだろ。……てことは、カディンの奴は、この事件に関わってないのかな」

 しかし、そう判断してしまうにも、シャーとしても自信はない。例の通り魔がカディンでないとしても、ジャッキールをこの前襲っていたのは、間違いなくカディンの手先の仕業だろう。そう考えると、やはり、彼も動いてはいるのである。

(まだまだ、絞るには情報が足りない)

 シャーは、顎をなでやり、一度考えを切った。そして、リーフィのほうをあらためてみて、微笑みかける。

「ああ、でも、今日はお疲れ様。リーフィちゃんも疲れたでしょ?」

「まあ、それはね」

 リーフィは素直に認めたが、すぐにシャーの方をうかがった。

「あなたほどではないと思うわ。なんだか、妙な緊張感漂っていたわよ。にらみあいでもあったの?」

「ま、まぁねえ。よ、横に役人のオッサンもいたしで」

 そういいながら、シャーはほんの少し苦い気持ちになった。

(……その理由が、この微妙な男心だってことはわかってくれてなさそうだよね)

 いや、そんなことは最初から予想できていたわけだが。リーフィは、妙に鋭いくせに、見るところは見てくれない娘なのである。考えてもむなしくなるだけなので、シャーは、ため息をついて考えるのをやめた。

 と、ふと、ぼんやりと見ていた目の前の闇に、何か動いているのが見えた。どうも、それは人影のようである。背は、シャーほどは高くない。なにかから逃げるように急いでいるようだった。

「……なんだ?」

 思わず、リーフィを背後にかばい、シャーは前に一歩出た。相手は、シャーに気付いていないのか、後ろを向きながらこちらに走ってくる。シャーは、相手に声をかけようと、少し前にでたが、そのとき、急に相手の速度が速くなった。

「うおっ!」

「いてっ!」

 ドンと肩あたりをまともにぶつけて、シャーも相手も、その場に倒れ掛かる。思わずしりもちをついてしまったシャーは、立ち上がりながら土を払った。相手も同時に立ち上がる。シャーがなにやら口を開こうとしたが、相手のほうが早かった。

「アブねえなあ、前向いて歩けよ」

 いや、悪いのは突っ込んできたそっちなのだが。さすがにむっとしたシャーだが、ここで喧嘩するのもよくない。適当に返事をして収めようとしたのだが、その相手の顔をみて、思わず声をあげた。

「てっ、てめえ、ネズミ男!」

「あー、なんでえ、お前かよ」

 途端、不機嫌そうな顔になるシャーだが、ゼダのほうは相手が知っている人間としったせいか、少々ほっとしている様子である。 そして、そういう状況になればなればで、持ち前の口の悪さが頭をもたげるのがゼダなのだった。

 今日のゼダは、珍しくあの派手な赤い上着を着ていない。どこかで落としてきたのか、肩にかかっていなかった。

「全く、こんな夜道をふらふら歩いているようじゃあ、テメエの不景気な顔の原因もしれるってとこだな」

「何だ! てめえだってふらふら道端歩いてるくせに!」

「あら、珍しいわね。この辺をあなたがまわるなんて」

 シャーの態度で、リーフィは相手が誰だかわかったらしい。それもそうである。大体、普段気のいいシャーがこういう態度を取る相手はものすごく限られているのだし、おまけにネズミなどと彼が呼ばわるのは大方一人しかいないのである。

「まぁなあ。ちょいと用があったのはいいんだが、偶然、アブネエ黒服とでくわしてねえ」

「ああ、黒服だ?」

 シャーが、いらいらしながらそう聞くと、ゼダはシャーの方にちらりと目をやって、人差し指を立てて振った。

「おう、そうそう、おめえさんの言ってた、あの黒い男と会ったぜ。おかげでこっちは上着はなくすし、散々だぜ」

「ああそう。ついでに、その減らず口もどうにかしてもらやあよかったのに」

「悪いが剣じゃあ口は削れねえんだよ、残念だな、三白眼。そういうテメエも目の面積削ってもらったらどうだ?」

「な、なんだとう! コレでもなあ、凶相とかいわれてて、すっげー気にしてんだよ! てめえこそ、ガキみてえな顔しやがって!」

 売り言葉に買い言葉。ゼダの言葉に激しく反応し、シャーはそう言い返すが、ゼダのほうは、あっさりとシャーを無視して自分の話を続けた。

「それはそうと、あの黒衣のオッサンだが。アレは、お前の言うとおり、一種の化け物だな」

 ゼダは、苦笑した。

「傾向と対策しねえで飛びかかったオレが馬鹿だったぜ。危うく、首が飛ぶところだった」

「まぁな。……しかも、月夜と剣で最高潮に調子にのって、頭がアッチに飛んでやがるだろうし、今夜は」

 ジャッキールのことを思い出しながらシャーはそういって、ふとあごをなでやった。

「てえことは、あのダンナ、この周辺にまだいるわけ?」

「ああ、連中は奴が目当てなんだろ。てえことで、大半はあっちいったがな」

「大半?」

 嫌な予感がする。ゼダは、にんまりとして背後の方に手をやった。

「大半、は、な」

 そして、その向こうで剣の光がいくつかちらちら見えたとき、シャーは思わず息を飲んだ。その次にわきあがったのは、ゼダへの怒りである。

「てっ、てめえ! ……何客引き連れてきてんだ!」

「客は多いほうが楽しい主義だろ、てめえは」

 からから笑いながら、ゼダはにんまりとした。

「場合によるぜ。とくに、お前の客なんて楽しくもなんともねえな」

「それじゃあ。テメエの剣を見せりゃ一発で、テメエの客になるぜ」

 ゼダの言っている言葉の裏はよくわかる。カディンは、シャーの剣も狙ってはいるのだ。だが、さすがに今夜すぐにどたばたするとは思っていなかった。

 シャーは、リーフィのほうを振り向いてあわてて言った。

「あ、リーフィちゃん。ここ、危ないからごめんだけど、先に戻ってて。ていうか、一人で大丈夫?」

 正直、こんな夜だ。一人で帰すのは少々不安なのだが、リーフィの家はすぐそこでもある。ゼダを護衛にやるなどというのもとんでもない話なので、一人で帰宅させた方が、シャーとしてはまだしも安心なのだった。リーフィは、にこりとした。

「大丈夫よ。先に戻っているから、心置きなくやってちょうだい」

「心おきなくって……」

 やはり剛毅なリーフィである。そのしっかりしたところに、シャーは、ときめきを覚えなくもないのだが、もうちょっと心配とか何とかないのだろうか。そのあたりの態度がリーフィのリーフィたる所以なのではあるのだが。

「ほ、ホントに、大丈夫? つーか、危なくなったら大声あげてね。オレが助けに行くから!」

「ありがとう。二人とも、気をつけてね!」

 リーフィはそういって、少しだけ微笑むと、そこから早足で去っていく。自分の分をわきまえて、邪魔にならないうちに去ろうというリーフィの心構えはちょっとありがたくはあるが、同時に、胸にさびしい風が通り抜けていった。

「よく出来た女だな、やっぱり」

 ふと、ゼダが口笛を吹きながらそんなことを言った。

「あれぐらい、度胸が据わってるってのは、なかなかねえぜ。おまけに、わきまえるところはわきまえてるしな。正直、あんな場末の酒場においとくには、もったいなさ過ぎるぜ。いっそのこと身請けしちまいたいぐらいだね」

「何知った風な口ききやがる、ネズ公!」

 シャーは不機嫌に言ったが、ゼダは肩をすくめたりしている。

「何だ? もしかして、醜い嫉妬か? 金はないわ、モテねえわな奴は僻みがひどくっていけねえなあ。あ~あ、かわいそうに。だから、いつまでたっても、そんな変質者みてえな目つきに……」

「なんだ! テメエだって、まともな人間にみえねえだろうが!」

 寧ろ、ゼダに剣を向けそうなシャーに、彼は、からかいの意図もあってか、高らかに声を上げる。

「おいおいおい、相手はオレじゃあねえだろうが。てめえ、だって、虎の子の刀を取り上げられたら、カッコはつかねえし、お飯の食い上げってやつだろ?」

「テメエにいわれなくてもわかってる!」

 シャーはそういいかえし、向こうから走ってくる連中の方を向いた。大部分はジャッキールのほうにいったとかいっていたが、それでも、結構数がいる。このネズミ、もしかして、わざとここで自分達を足止めしたのではなかろうか。もしかして、シャーに相手をさせて、ちょっと楽をしようとか、そういうことを考えたのではないだろうか。

(こ、こんの野郎。ぶつかった相手がオレだって知ったときに、わざとすぐに追われてることをいわなかったな!)

 妙ににやにやしているゼダに、シャーはますます腹をたてた。

「ネズミ野郎、後で覚えてやがれ!」

 だが、ゼダは相変わらずである。にやりと口元を歪ませて笑って、こんなことをいってのける。

「悪いね、オレは物忘れがひどいもんで。女の名前と顔でもない限り、ぜんぜん頭にはいらねえんだよ」

 ひくりとシャーの口元が引きつった。

(いっそこのこと、この場で一緒に始末してやろうか! このドブネズミ!)

 シャーは、そんなことを心のうちで吐き捨てつつ、目の前に迫る男達を見やった。ともあれ、今はネズミなど相手にしていられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る