11.魔物達の狂宴
ふわりとゆれる薄布が宙を舞い、弦楽器の響きが室内に響いていた。人々の注目を集めて踊るリーフィの顔は、表情をあらわさないだけに、凛とした迫力のような美しさがあるようにおもう。手の動きにつれて踊る布の動きを目で追いながら、彼女に魅了されたように客は周りのことを忘れているようだった。
だが、例外的に一角だけ、妙な緊迫感に彩られた場所があった。厳密に言えば、それは三人の人間のいる空間の間ということになるかもしれない。
そもそも、一番リーフィにでれでれしていそうなシャー自身が、リーフィのことをあまり見ていなかった。なぜなら、隣のメハルが、リーフィに嘆息をついているようにみせて、周りの様子を伺っていることをシャーは気づいていたし、背後のカディンが、てんでリーフィのことを見ていないことも知っていた。その様子は先刻からまったく変化していなかった。
シャーはシャーで、酒を飲みながら相手に気付かれない程度に様子を見ているのだった。
メハルは、まあ、様子を見る正当な理由があるだろう。彼は、そもそも、カディン卿のことを探りにきているのだし、リーフィに目を向けないのも職務に熱心だからといえば、そうかもしれない。
だが、問題はカディンである。
(やっぱり、普通じゃないよなあ。あの見方は)
シャーは、そんなことを思いながら、カディンが自分とメハルの剣に見入っているのを見ていた。どこかしらうっとりするような、それでいて、今にもこちらにつかみかかってきそうな目をしていると彼は思った。
カディンは、剣を手に取りたくて仕方がないに違いない。
(入ってきて、すぐ、客の顔をみるまえに、持っている剣を確認するとは、まあ、随分なご執心だな、ホント)
もしかしたら、カディンは最初からこのチャンスを狙っていたのかもしれない。シャーはふとそう思う。リーフィに踊って見せろといったのは、単に余興がほしかったからというより、誰にも悟られず、客の持っている剣を物色したかったからなのかもしれない。そして、その対象は、おそらく自分とメハルのどちらか、であるか、もしかしたら、両方かもしれない。
ともあれ、そのために、酒場の客の目をリーフィにひきつけさせたかったのだろう。
少々方向性は違うが、どちらにしろ、カディンが目をとめてもおかしくない剣ではある。そもそも、シャーの剣の方などは装飾からして、あきらかにこの辺りのものとは違うので目立つだろう。
(しかし、どこまで怪しくても、それがコイツがそうだっていうには、どうにも――)
問題はカディンが果たしてどこまで剣を使えるのかである。多少の覚えはあるかもしれないが、多少の覚えぐらいでは、あんな真似はできない。当初、シャーがあれをジャッキールの仕業だと疑ったのは、あれぐらいの芸当をできるものがそうそう思い浮かばないからだ。
少なくとも、ジャッキールは多少荒削りなところもあるが、あの剣の使い手としては、最高峰の部類に入るはずだろう。ジャッキールの場合、そこそこの手練れを相手にしても、大体一閃で葬り去ったりするぐらいなのであるから、彼のはまあ神業級だとしても、それに準ずるぐらいの腕はほしい。
それを、貴族のカディンが持っているかどうか、ということについて、今の時点ではシャーにはよくわからない。
現時点でも十分にわかるのは、カディンの執着が少々度を越しているということだけだろう。
(まーったく、なんで、出会う奴出会う奴、こうアレなのかねえ)
経緯を思い出しながら、シャーは思わず癖の強い前髪に手をやった。
ジャッキールをはじめとして、このところ、会う人間会すべて、何かしら怪しい気がする。
まず、この事件に関わっているというあのつるぎ。状況とジャッキールの態度を考えると、どうも、鍛冶屋が殺されたときに持ち去られた剣というのが問題なのだろう。もし、そうなのだとしたら、その剣を持っているものが犯人だ、ということになるのだろうが。
しかし、ジャッキールのものと同じ刀工が作ったのだと考えて、ジャッキールの剣と同じ特徴をもつ剣は、シャーが見ただけでも三本。
まず、弟子のテルラが持っていた剣。そして、カディンが携帯している剣のうちの一本。テルラが師匠の剣を護身用にさしてくるのは、まあ、当たり前である。カディンにしても、収集家の彼なので、何かの手段で手に入れている可能性がある。
そして、メハルが持っている剣。
飲んでいる間、観察していたが、どうもその剣も無関係でもない気がするのだ。メハル自身が、そこそこ使える腕の男であることは予想できるので、あの性格を知りつつも、何となく疑ってしまいそうだ。
ただ、ジャッキールが持つ剣ほど、妙な気品を漂わせているものはない。だから、シャーも断言はできないのだが、あの種の剣自体、このあたりで持っているのが珍しいのだから、目立って仕方ない。
(ショージキなところ、怪しい奴がごろごろいすぎなんだよなあ)
シャーは、内心そういって首をひねる。
「なんというか、ジャッキールの奴から事情をもうちょっと聞きだしておくべきだったかな」
思わずポツリと呟く。この状態であちこち疑うのは、疑心暗鬼に陥るのが関の山だ。それでは、何の解決にもならないだろう。
(それにしても、オレはいつから、この件を解決させる気になったんだ?)
シャーは、思わず苦笑した。
いつもは、ちょっと好きな子のためだとか、そういう理由がくっついてくるのだが、今回は果たしてどうか。酒が飲めないのと、リーフィがちょっと心配な以外、直接的に利はないわけで、少々踏み込みすぎているのかもしれない。
しかし、自分も結局こういうことに関わらずにいられない。それは、もしかしたら、あまりまともでない方の自分の主張なのかもしれないし、あるいは因縁みたいなものかもしれない。
ふと、隣のメハルが、音をたてたのがわかった。シャーは、何事かと目をやる。メハルは後ろのほうをみて、慌てて代金を払って席をたったようだ。
「どうしたの? 踊りは今からが盛り上がりじゃないの?」
シャーが小声で声をかけると、メハルはやや慌てたように言った。
「うるせえな。それどころじゃねえんだよ」
「何よ、そんな慌てちゃってさあ。無風流だネエ」
シャーは、そうメハルに声をかけるが、メハルはふんと鼻を鳴らして出口の方に歩いていった。そこに一人男が待っていて、メハルは慌てて彼から報告をきいているようだった。それをききおわったメハルは、血相を変えて何事かいう。
シャーには、おおよそ何を報告されているかの見当はついていた。そうこうしているうちに、メハルはそのまま外に姿を消す。シャーは、手元にあった鶏肉を口に投げ込みながら、何となく事の顛末がわかったような気がした。
(ジャッキールのダンナが、また何かやったかな)
本当に要領の悪い奴である。大人しくして、どうにかうまくこなせば、疑われることもあるまいに。
(ヘマしてつかまらなきゃいいけどねえ~)
その前に、役人が斬られないか心配だが、さすがのジャッキールも役人を斬り倒してすすんでお尋ね者になるほどには馬鹿ではないだろう。もし、それをやってしまったら、本当に救いがない。
「おい」
声をかけられ、シャーは、そちらの方を見た。
声をかけたのは、先ほどリーフィに戯れかかっていた男の一人。だが、その後ろにはカディンが立っている。
「あ、あの、なんでしょうか」
シャーが振り返ってそう尋ねると、男はやや困惑気味にカディンの方を指した。
「こちらのお方が、お前に話があるそうだ」
「ええ? 今ですか?」
シャーは、ちらりとリーフィの方を見やった。
「でも、踊りもちょうど盛り上がりのところだし、今って言うのは~」
「なんだ、お前! こういう風にこちらのお方がおっしゃっているのに……」
「まあよい」
いきりたち、危うくシャーの胸倉をつかみそうな男に、カディンがたしなめるようにはいってきた。
「確かにそれについてはわびるが。だが、用はすぐに済む」
「すぐに、とは?」
主人がいきなりはいってきたので口を閉じた男を尻目に、シャーは直接カディンを見やりながら訊いてみる。カディンは、しかし、シャーの顔をろくろくみてもいないようだった。カディンのほうはすでに剣をみているようだ。
「見れば、面白い剣を持っているようだが」
「ああ、そういわれれば」
シャーは、足元にあった剣をサンダル履きの足の上にのせてうまく手に取った。異国の植物を象ったような鍔に、細工された鞘。それだけでも、シャーのような男がもつには、ちと不似合いではある。きちりとはめられた鞘からは、刃の光はまったく漏れていない。カディンはいよいよそちらに目をやった。
「そういわれれば、珍しい剣かもしれませんな。いや、これは、東の旅人から、オレがもらったもんですけど」
「もらったものか?」
ああ、それならちょうどいい。と、カディンは言った。
「どうだ、ソレを私に譲る気はないか? それなりの対価は払うし、けして悪い取り引きではないと思うが」
そういって、剣に手をだそうとカディンがしたとき、シャーはついっと鞘ごと剣を引き寄せた。
「……あんたには駄目だな」
シャーは薄く笑った。カディンは、はじめてシャーの方をみやる。先ほどまで特に印象のない男だった。その三白眼気味の瞳が、カディンのほうをみていたが、その目が先ほどとは随分違っていた。青い瞳の中に、酒場の炎がうつってちろちろと赤く点滅する。
「あんたには血の匂いが強すぎる。コレは、ちょっと血を寄せる癖があってねえ。血の気の多い奴に持たせるのは危険なのさあ」
「何!」
シャーが、カディンにそんなことをいったので、周りが色めきだつ。しかし、カディンはそれを手で制しつつ、薄ら笑いを浮かべたままだ。
「……先ほどとは随分態度が違うようだが」
「まあ、少々事情があってね」
シャーはそんなことをいいながら、剣を腰に戻した。
「金に糸目をつけないのは結構だが、むしろ首に糸をつけといたほうがいいんじゃねえか?」
カディンの表情がわずかに固くなったが、シャーは気にせず続ける。
「色々とやってるようだが、剣ってのは結構オソロシイもんでね。自分の力量にあわねえのにあれこれやってると、いずれ自分で自分の首を飛ばすぜ?」
唇をゆがめてそんなことを言うシャーに、カディンの周りのものは何故か不気味さを感じて口を出せない。そもそも、主人が何も言わないので、いえないところもある。
「……私を誰だかしっていてそういっているのだな?」
息を呑んだようにしばらくだまっていたカディンだが、突然、強いて余裕をつくりながらそうシャーに言った。シャーは、直接には答えない。下の方から上をうかがうような目を向けて、口をわずかにゆがめる。
「帰るぞ」
カディンは唐突に声をあげた。彼がそういってきびすを返したので、慌てて周りのものたちがついていく。シャーに目を向けるが、主人の反応に戸惑いを覚えているのか、彼らはそれ以上強いてシャーに絡むことはなった。
再び、周りは踊りの音楽だけが響くようになっていた。今の騒ぎは、踊りに気をとられていた間に起こったため、あまり気取られていなかったのか、店の中でシャーの方に目を向けるものはあまりいない。
いつの間にか、踊り手はリーフィから別の女性に代わっていた。
「シャー……」
踊りを終えたリーフィは、そっと小走りにシャーのいる机の側に寄ってきていた。
「リーフィちゃん。お疲れ様。もういいの?」
「ええ、とりあえずは。……それに、私に踊るようにいった人もいなくなったしね」
「そうだね。……ちょっとやりすぎたかなあ。せっかく、リーフィちゃんが協力してくれたのにごめんね」
シャーは苦笑した。
「あ、それはいいのよ。もう情報は大体手に入ったし、不必要にあの人自身にちかづくのは危ないと思うの」
「え、ホント。収穫あったの」
「ええ、また後でお話しするわね」
リーフィはにこりとわずかに微笑んだが、何かを思い出したようにシャーの顔をのぞきこんだ。
「ねえ、シャー」
リーフィは、少し小首をかしげた。
「踊りながらみていたんだけれど、あの時、あなた、わざと挑発したの?」
「うーん、それもあるけど、純粋に」
シャーは、少々含みのある笑みを浮かべた。
「奴がふれる自体が生理的に嫌だったから、かな」
リーフィは、ふとシャーの顔を見やった。彼の裏の顔を知るリーフィでも、今のシャーの表情はなかなか見られないもののような気がした。
*
さすがのゼダも、そろそろ息があがっていた。 壁側に背をつけながら、息を整える彼とくらべ、相手のほうはまだ余裕を漂わせている。
「浅いな」
ゆらりと黒いマントが闇にまぎれながら波打つ。足を一歩差し出すと、ちょうど月光の中に黒い靴が不気味光る。続いて下げた剣の切っ先がぎらりと反射した。
切れ長の瞳に、どこか危なげな血の気配をのせながら、男は薄い光の中に姿をさらす。ジャッキールは、青ざめた顔を少しゆがめるようにして笑っていた。
「貴様の技は小手先ばかりの目くらましだ。一度見切ってしまえば、何ということもない」
「へえ、で、見切れたのかよ?」
「まあ、十のうちの七つほどは、な」
ジャッキールは、軽く肩をすくめた。流れの傭兵である彼は、普段からも、それなりの武装はしている。鎖帷子でも着ているのか、ちゃりと金属の音がなる。
十に七つということは、残りの三割の確率で、ゼダの技が決まることもあるということである。別に低い確率ではない。だが、そういう風に宣言されるのは、さすがのゼダにもプレッシャーがかかるのだ。ゼダは、わずかに口元を引きつらせた。
「それじゃあ、速攻で決めた方がいいってことかい」
「それでもいいかもしれんが、だが、最悪相打ちの斬りあいになっても勝つ自信はあるぞ。貴様の剣は、一撃で相手をしとめるのには向いていない」
「あんまりないい様じゃねえか」
「では言い方を変えようか」
ジャッキールは、薄笑いを浮かべたまま続けた。
「貴様の剣が不気味なのは、一体どこから来るか、どこを狙っているか、一瞬わからなくなり、受ける方が混乱するからだ。だから、逆に言えば、貴様が勝負をしかけてきたのがわかれば、俺は命に関わる場所だけに気をつかっていればいい。多少の傷を負うのはやむをえないと考えれば済むだけのことよ」
「へえ、言い切ってくれるじゃねえか」
ゼダは、一瞬冷や汗をかいた。それは、以前シャーにやられたのと同じことではないだろうか。いや、ある意味ではシャーだったからでこそ、この前はほとんど互角の結果になったわけであり、この男だとそうはいかない。
あの時、刺されることは覚悟で勝負を挑んできたシャーも相当キレたところはあったが、この男はまたソレとは違う。「異常」なのだ、この男は。あの時のシャーにも、それなりの覚悟はあったのである。だが、この男にはそういう気負いもなければ、覚悟もない。それは、彼にとっては別に特別に仕切りなおして考える必要のないことなのであろう。この男は、今、この後の勝負など考えていないのである。
もしかしたら、ジャッキールは、誰かを追ってここまで来たことも、これから誰かを追わなければならないことも、すっかり頭から抜けているのかもしれない。普通、戦いながらでも、利害や状況を考えるのが当たり前だが、そんなことを彼は考えないのだ。それぐらいに戦闘のみに陶酔できるというところで、ジャッキールという男は、シャーや自分よりも、明らかに一線向こうに飛びぬけているのである。
それとも、もしかしてあれだろうか。この男、今日の冷たく光る月に酔っているのか?
(これはちょっとまずいな)
ゼダの顔色は、さすがに少々まずくなる。
ジャッキールは、薄く微笑みかけてきた。死神でも取り憑いているのではないかと思うぐらい、冷たく不吉な笑みだ。
「そろそろ時間も時間だな。月が南中する頃合には、勝負を決しておきたいが」
「へえ、気がなげえことだな。そういう余裕かましてると、後で泣きをみたりすることもあるぜ?」
はっ、とジャッキールは軽く笑った。そして、一瞬、その唇が笑みの形を崩し、こちらをその目が向いた時、ジャッキールの上体がぐっと伸びた。直後、目の前に刃物の光がまぶしくよぎる。ゼダは咄嗟に、身を低めて横に飛んでいた。
鋭い風の音と共に、掠った服がやぶれる音が聞こえた。ぎりぎりでそれをかわしたゼダは、さらにそのまま逃げ、続いてきた軽めの一撃を剣を縦にして弾く。
(何が月が南中するまでだ? もう勝負をしかけてきやがって!)
ゼダは心の中で吐き捨てる。先ほどの一撃は受け止められないと判断したゼダの行動は正しかった。彼が受けたところで、今のは受け流せるようなものではない。押し切られて、肩から切り裂かれていたはずだ。
「いい判断だ! だが、それがいつまで続くかな!」
ジャッキールの声が追ってくる。避けられたとはいえ、ゼダの不利は一切かわっていない。ここから反撃に転じるべきか、だが安易に反撃するのはアブナイ。
と、その時、ゼダは、何かの違和感に気付いた。が、すでに戦闘にとらわれたジャッキールは、まだそれには気付かない。ゼダは、相手を避けながら気付いた違和感について口を開こうとした。もし、彼が感じたことが「当たり」なら、こんなところで戦っている場合ではない。
だが、彼が口を開くまでもなかった。その次の瞬間、遠くの方で悲鳴があがったのだ。
その悲鳴は、闇に消されるようなわずかなものだったが、それでも、さすがに彼の熱くなった頭を冷やすのに十分だった。戦い以外の現実に引き戻され、彼は、はっと顔を上げる。そして、彼はようやく周囲の状況に気付いたようだった。動きをとめたジャッキールから、いくらか離れたゼダは、からかうように声をあげる。
「お? 顔が変わったな? 何かゴシュジン様におおせつかった用事でも思い出したのかよ。それとも、純粋にアブネエことに気付いたのか? ええ? 狂犬!」
「チッ、生意気を……!」
ジャッキールは、ゼダにそう応じるが、だが、すでに彼の表情は先ほどまでのものと違っていた。そして、ゼダもその理由に気付いている。
先ほどの悲鳴と別に、もうひとつ、後ろでことが起こりかけている。いつのまにか、彼らは周りを取り囲まれているのだった。
「時間をかけすぎたみたいだな」
「……全くだ。少々遊びに熱を入れすぎたようだ」
ジャッキールは、やや唸るようにしながらも同意するしかない。そろ、と衣服の裾をする数人の音が聞こえると同時に、明らかな気配が辺りを包む。
「ああ、なるほどね」
ゼダは、にやりとして、剣を腰の近くに引き寄せた。ゼダは、自分に付けねらわれる理由がないのをしっている。おまけに、役人ならともかく、周りを囲んだ連中は、そんな話が通じそうなまっとうな人間でもなさそうだ。自分でないなら、狙われているのは、間違いなく目の前のこの狂犬じみた傭兵。おまけに、先ほどから見れば、実にいい剣を持っている。
「オッサン、あんたが原因てわけ」
ひく、と眉をひそめ、ジャッキールはゼダを見てから顔をそらす。
「ふん、生憎、貴様の首は次まで預けることになりそうだな、小僧」
「ははは、残念だな。お互いに」
どちらかというと自分が不利だったくせに、そこを偉そうに切って捨ててしまえる辺りのゼダの切り替えの早さに、ジャッキールもさすがに舌を巻く。
「さて、どうするつもりだい?」
「知れたこと。邪魔するなら斬り捨てて走り去るまで。そうだろう?」
「まあな。じゃあ、オレはあっち側に逃げるとするかね」
「……」
要するに、ゼダに、あんたは反対側を通って逃げろと示唆されたわけである。とはいえ、こんなところで揉めても仕方がない。ジャッキールは、先ほどの悲鳴が気にかかっているのだし、特に異論を出すことはなかった。
「さて、じゃあ、そういう方向で。その辺で斬られて死んでたら、ま、花の一本でも手向けてやるぜ」
「ふん」
ゼダの軽口を軽くあしらい、ジャッキールはちらりと周りを見る。彼らはすでに姿を現していた。全員剣を抜いて、すぐに飛び掛ることもできる位置まで近づいてきている。
「じゃあな! 狂犬野郎!」
ゼダは突如としてそう声をかけた。同時に、左側にいた男が、悲鳴をあげる。ゼダが投げた小刀が手に刺さったのだ。ゼダはそのままだっと走り出し、その後を追うように影がついていく。
一方のジャッキールもそれを合図に、同時にそこを飛び出している。目の前に立ちふさがってきた男を突き伏せ、そのまま通り抜ける。
狭い路地を押し通りながら、ジャッキールは、先ほどの悲鳴の方向へと向かった。もう手遅れかもしれないが、それでも、今夜は何かがあるような気がした。
この月夜が自分に作用したように、必ず相手も、血に飢えてうずくその手を押さえきれなくなるはずだからである。
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