終.気まぐれなネズミたち

 金属音が響き、シャアッと風ごと足を切られ、男が倒れる。悲鳴をあげている男の傷は、それほど深いものではないが、それにしても一時的な動きを奪うには足るほどだ。それよりも、たった一合剣を交えただけで手だてなく叩きふせられた事による精神的な衝撃の方が大きい。相手の太刀筋がつかめなかったということは、それだけ相手と自分の力の差をまざまざ見せつけられることになり、それは、恐怖心と直結する。そうなれば、戦意を保つのが難しくなるのだ。

 すでに地面には、何人かが倒れ込んでいた。どうしたものか、剣を握りながら考えている様子の仲間も数人いる。

「そう怯えなくても、今回はトドメまではささねえよ。そう、殺しはしないぜ」

 ゼダは急に妙に優しい声色でそう告げた。

「レンクのやつに恨まれるのは、別にかまわねえが、騒ぎになるのは嫌だからなあ!」

 それに、と、ゼダはにやにやしつつ言った。

「オレの剣じゃ、切り口見れば、誰が殺ったか一発でばれちまうだろう? だから、ここで口封じなんて下手な了見はおこさねえよ。隠して後でばれたほうが、恨みは深いからなあ」

 言いながら、ゼダはふと一瞬だけ眉をひそめた。

 先程からざっと数を数えていたのだが、地面で気絶したり、負傷していたり、戦意喪失しているものの数が、明らかに当初とあわないのだ。

 数人が、いつのまにか、「消えている」のである。最初は逃げたかと思ったが、逃亡している気配もない。

 闇にいつの間にか引き込まれて、ふらっと消えてしまった、というようにすら思える。

(……誰か、いるのか?)

 ゼダは、それについて考えを巡らせる。と、ゼダの背後から、突然鋭い風音がした。

「チッ」

 舌打ちと共に、大きく背をのけぞらせ、迫ってきた一撃を避ける。ゼダはそのまま、すべるように横に逃げながら、キッと相手を見た。

 そこには、青い顔のベリレルが、すでに追撃の構えを取ったまま立っている。

「へっ。真打ち気取りか? ようやくテメェが相手してくれるのかよ」

 ざ、とゼダは足を引いた。さすがのゼダでも、ベリレルは気の抜けない相手だ。さっき、一撃を食らったときから、その腕については既にみている。いささか慎重にも、謙虚な気持ちにもなりながら、ゼダは静かにベリレルを見た。

「何が気にくわねえ!」

 ベリレルは大声で言った。

「テメエがどこのだれだかは知らねえ! でも、結局、てめえだってオレと同じじゃねえか! てめえだって、どうにもならなかったら、こうするだろ! てめえだって、この街でこんな生き方してるならわかるだろうが!」

 喚くようなベリレルの言葉をきいて、ゼダは静かに言った。

「確かにそうかもな。オレがてめえと同じ立場なら、レンク=シャーに額すりきれるまで頭下げてでも仲間にいれてもらうぜ。強い奴の下にいない限り、生き残る方法がねえというのなら」

「じゃあ、何故だ! 何が気にくわねえ!」

 ゼダは、ふと目を細めた。

「てめえを見てると、オレはいやでもオヤジを思い出す……」

 ゼダは低い声で呟いた。

「オレのオヤジは、金と力さえあれば、どんな女でも支配できると思ってるような屑だった。オレのおふくろは、利用するだけされて見捨てられて死んだ。だから、昼間あんたの様子をみていて、オレは多分それを思い出したんだろうなあ……」

 ゼダの目は、どこか遠くを見ているようでもあった。だが、その一方で、憎悪と哀しみを滲ませてもいた。だが、それもすぐに消えてしまった。

「オレは遊び人だが、女を殴るような真似だけはしねえんだよ。あいつと一緒になるのは嫌だからな。だから、昼間のあんたが気にくわねえ。それだけだ」

「そんなの、てめえの個人的理由にすぎねえじゃねえか!」

 半分ヤケになったようなベリレルの言葉に、ゼダは笑いながらいきなり声を高める。

「ああ、そうだ! でも、てめえをたたきつぶす理由には釣りがくるほど、足りるだろ!」

 言葉が終わった途端、ゼダは刀をひらめかせて、ベリレルに突っかかる。ゼダの歪んだ突きをどうにかこうにか剣で受け止め、ベリレルはぐっと力を込めた。

 ギ、ギ、と刃がすれて軋んだ音をたてる。刃が絡みながら徐々に動き、夜にはっきりと火花が散った。そのまま、刃を返し、ゼダは無理矢理身をひく。その動きをフェイントに取ったのか、ベリレルは突っ込んでは来なかった。

(難しいな……)

 ゼダは軽く息を切らしながら、相手を見やる。そろっと、足の先から忍ぶように歩みながら、ベリレルの隙をさぐる。普段は、もっと大胆に切り込めるのだが、今回は事情がある。

(チッ、一気にいっちまいたいところだが、それじゃあ……)

「どうした!」

 慎重に動きを読むようにゆっくりと動くゼダに、業を煮やしたのかベリレルは挑発的に声を上げた。相手の動きを待ちながら、気の短いベリレルは、もう待てなくなってきているのだ。切り込みたくてうずうずしているのが、すぐにわかった。

「いきなり、元気がなくなったんじゃねえのか!」

「そう焦るもんじゃあねえ」

 た、と剣をひき、ゼダはベリレルをみやる。さがった前髪が、汗をかいた額に何本か張り付いている。

(全く、難しいもんだぜ……)

 ちらりとゼダは、自分の刀を見やる。特殊な形状のこの武器は、相手を傷つけるのには適しているのだが、逆に言うと――

(気まぐれなんざ、起こすもんじゃねえなあ)

 ゼダは、何となく自嘲的な気分になりながら、ふと笑った。そして、腰にひっかけてある小刀を空いている右手で相手にわからないように、前に出した刀の影で握る。

 静かに足を動かすと、それにつられてベリレルが動く。待てないベリレルは、ゼダが動いたのをみて、早速仕掛けてきたのだ。

 と、ゼダの左手が、不思議な動きをした。一度右側まで引きつけ、そのまま弧を描くように振る。ベリレルは、ただゼダが剣を振るってきただけだとおもったのだが、闇の中わずかに見える白刃の反射で、その動きがいつもより更に不規則なものであると気づいた。

 ようやく、その時になってわかった。ゼダは刀をそのまま投げつけてきたのだ。

「なっ! 何だ!」

 ベリレルは目を見張り、それを弾こうとしたが、普通の刀と違う形状のそれは勝手が違った。大きく湾曲した部分に空振りしてしまい、ベリレルは柄の上のあたりにそれを当ててしまった。指を切りそうになり、反射的に思わず剣を取り落としたベリレルの目の前に、小刀を抜いたゼダが走り込んできていた。

「この剣は、振り回すだけが、能じゃねえのよ。こういう使い方もあるんだぜえ」

「て、てめえっ! 卑怯者!」

 ベリレルはそう反射的に叫びながら、どうにか応じようとしたが、剣を拾っている間にゼダはこちらに向かってくる。

「ヘッ、頭使っただけだろが!」

 ゼダは笑みを浮かべて、剣をようやく手にしたものの狼狽して慌てて遅れを取り戻そうとするベリレルに向かった。と、そこで、ゼダは一瞬顔をゆがめた。背後から、男が奇声をあげて斬りかかってきたのがわかったのだ。先程まで戦意を喪失してぼうっとしていた男が、背中をむけたゼダの隙を狙って襲いかかってきたのだ。一瞬、そちらに注意を向けようとして、ゼダはほんの一瞬だけ躊躇った後にやめた。この瞬間を逃せば、ベリレルを「この方法」で倒すチャンスはない。

 背後から飛び込んできた男は、にやりとする。

 すでにゼダの肩口をとらえている男は、そのまま振り下ろせばいいだけだった。ゼダは、ゼダで、絶好のチャンスを掴んでいる。ここで背後の自分に注意を向ければ、その勝機をふいにするだろう。だから、ゼダは先にベリレルにトドメをさしてから、自分に向かってくるつもりになったのだ。

(そうは問屋が降ろすか!)

 男は、勝利の笑みを浮かべながら刃を走らせようとした。が、男は突然、刀を取り落としてしまった。何が起こったかわからないまま、目の前のゼダの姿が揺れる。揺らぐ世界の中で小刀をもったゼダが、ベリレルとぶつかるのが見えた。ただ、男には、自分の背後になにか人影がいることだけをわずかに把握することができただけだ。

 男がどさりと音を立てて倒れる頃には、すでに彼の背後に立っていた影は消えていた。ベリレルが崩れ落ちるのを確認し、ゼダは息をつきながらそちらに目を走らせる。

 地面の上の気絶している連中以外は、いつの間にか逃げてしまっていた。いや、逃げたのではないかもしれない。ある男が、いつの間にか闇の中に引き込んで逃亡させたのと、やっつけたのでいなくなったにすぎない。

「余計なことしやがって! さっきから連中が消えてたのはてめえの仕業だな!」

 ゼダは、投げた刀を拾い上げて、ふと闇に吐き捨てた。そちらの方向に隠れているはずの男は、返事を返してこない。

「そんなに気になったのかよ、オレがこの男をどうするか?」

 ゼダは、やれやれとため息をついてにやりとした。ちらりと見ると、ベリレルは倒れて気絶してはいるものの、外傷らしい外傷は見あたらない。ゼダは、すれ違いざまに、手を返して柄でベリレルのみぞおちを強打して気絶させただけにしたのだ。もちろん、それはわざと、そう狙ってやったことである。

「オレが何の為に苦労して、コイツをばっさりやらずに我慢したと思ってるんだ。そんな監視しねえでも、オレはあの男はきらねえつもりだったんだよ。……さすがに振った後で死なれたり、目立った大けがしてたりしたら、誰だって後味が悪すぎらあなあ。オレは、こんな奴、正直、どうなろうとよかったんだが、あの娘はそうはいかねえだろう」

 闇に潜む者は、ずっと無言だ。

「別にオレはあの娘に気に入られたくてこんなことしたんじゃねえ。てめえじゃねえが、報われないってのも、たまにはいいからなあ。おっと、テメエの場合は常時だったか?」

 微かに舌打ちが聞こえた。どうやら、あまり機嫌がいいわけでもないらしい。クッとゼダは嘲笑った。

「こそこそしやがって! 人のこといえるかよ、てめえのほうがよほどネズミだろう?」

 そう言い放ち、ゼダはふと別の方向に意識を向けた。それは複数の足音が、向こう側からしたからである。

「誰だ!」

「オレです! ザフです!」

 闇から声が聞こえ、数人を連れた若い男が慌てて走ってきた。すっきりした整った顔立ちの青年は、後ろの柄の悪そうな青年達といるとどことなく不自然に見える。

「なんだか、坊ちゃんらしき人が刃傷沙汰に巻き込まれていると訊いて……!」

「なるほど、耳が早いな」

「坊ちゃん、お怪我は?」

 やってきたザフが、慌てて訊いた。

「別に……。怪我っていうほどの怪我はしてねえなあ」

 そうですか、と安堵した様子のザフは、周りに倒れている連中の顔を見渡して、ぎょっとしたように言った。

「ぼ、坊ちゃん、も、もしかして! こいつらは、レンクのところの……」

「だろう?」

「だろうって……」

 ゼダの言葉にザフは絶句した。慌てて顔色を変えながらゼダに詰め寄る。

「まさか、レンクに喧嘩でも売ったんですか! いけません! そいつは……」

「レンク=シャーはオレには手を出さねえよ」

 ゼダはザフの言葉を遮った。

「アイツは、カドゥサの金をもらってるからなあ、オレは部下を殺してないし、大事にはしねえだろう。いや、大事にするほど、アイツは馬鹿じゃねえ」

「ですが、一体何が原因で……」

 ザフは、まだ心配そうな顔をしていたが、ゼダは知らぬ顔をしてすっとぼけた。

「さああ、何だったかねえ」

「坊ちゃん、そんな……戯れにしてはひどすぎます!」

「まぁ、そういうなあ。少なくとも、オレは、何でこんなことをしたか、誰にも話すつもりはないぜえ。どんな美人にだろうが、まして、そこにいるネズミにも」

 そういってゼダは、ザフではなくちらりと後ろを見やった。ザフはそちらを見る。暗い闇の中で、何者かが走っていくのが見えた。

「なんだ、あいつは!」

 ザフが、後ろにいる連中に、追いかけろと命令しようと振り向くが、先にゼダがソレを制した。

「よせ、ザフ。ほっときな……」

「し、しかし! 今のは、さっきに逃げた雑魚とは明らかに……! もし、レンクの関係者だったら……!」

「そんな大物じゃねえよ。なぁーに」

 ゼダは、刀を回転させておさめる。

「ただのネズミが一匹走り去っただけの事よ」

ザフは困惑気味に首を傾げた。そもそも、この酔狂な主人のやることは、ザフには時々理解できないことがある。彼は主人のとぼけた様子に、ため息をついた。







「あ~! 気にくわねえ! キザったらしくて、むかつく! セリフ言う前に顔と相談しやがれっつーの!」

 素っ頓狂な声で喚き、足下にあった小石を思いっきり蹴りながら、シャーは、彼にしては珍しく大股に歩いていた。まだ刀を鞘に入れずに振りながら、そのままずんずんと歩いていく。

「なんだよ、あのカッコつけ! ちくしょ~、ああいう奴大嫌いなんだよな! なあにが、たまには報われないのもだ! おまけに、オレがずっと報われない子みたいないい方しやがってええ! 事実でも言っていいことと悪いことがあんだぞ!」

 ここで、もしレンク=シャーの部下が転がっていたら、腹いせに踏んで通ったかもしれないが、シャーの行く道には生憎とそんな都合のいい物はない。小石をもう一度蹴って、シャーは舌打ちした。

「何様よ、あのネズミ~!」

 途中で語尾がぐだぐだに元に戻るあたりはどこまでいってもシャーなのだが、本人はあまりそれには気づいていないらしい。シャーは、不服そうに唸りながらため息をついた。

「ああいうところでかっこよく締めるのは、オレのせめてもの十八番なのよ? つーたく、オレの見せ場から全部取っていきやがって、どぶネズミ!」

 シャーはぶつぶつそういいながら、ようやく刀を振るってそれを丁寧に鞘に戻した。

「にしても、レンク=シャーの奴、そろそろ何か動き出したのか?」

 シャーは、ベリレルが雇われている先を思い出しながら、少しだけまじめになる。だが、まじめな一方で、顔だけは先程の妙に難しい顔のまま、口をとがらせっぱなしなのでかなり怪しい形相になっていた。それに、どれほど考えても先程のことが頭によぎり、シャーはイライラしながら吐き捨てた。

「ネズミといい、レンクといい、オレがますます生きにくくなっちゃうじゃない! 何考えてんだ!」

 シャーは、鼻を鳴らしながらまたずんずんと歩いていく。このまま酒場にいけば、リーフィに会えるのだが、一体どういう顔をしていけばいいだろう。変に意識すると逆効果になりそうで恐い。これも全部ネズミのせいだ。

「大体それにさあ!」

 シャーは苛立ちと悩みを頭に抱えつつ、ぼそりと言い捨てた。

「助けてやったのに、礼の一つぐらいいえっつーの!」 

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