3
気分は最悪だ。きっとこんな気分を、庭に干した鮫とでも表するのだろう。手首を見る。古くなった傷たちが、わたしを誘う。けれど、それとはまた少し違う。ユイと出会い、彼女と一緒にいることで、わたしのその願望は自然と薄れた。わたしが望むのは、この手での死ではない。ユイの手による死なのだ。
冷蔵庫を開けると、チューハイがあった。肴になるようなものはない。けれど作る気力もない。わたしはチューハイを諦めると冷蔵庫を閉めた。
部屋を見渡してから、鞄から携帯を取り出す。メモリーから電話。
「もしもーし」
三コールほどで相手が出た。確か、わたしからの着信には運命が流れると言っていた。
「もしもーし、
どうして運命なのだろう。突然の主題は頭が痛い。
「
「家。お酒を飲みたくて」
「おおぅ。これは珍しい。ちょっと待ってね」
受話器越しに微かな声が聞こえる。誰かが近くにいるようだ。
「オーケー。ものはある?」
「ない」
「おっし。じゃあ仕入れていくよ。多分一時間くらい。問題ない?」
「ありがとう」
「オーケー、オーケー」
電話を切った。岬を誘ったのは初めてのことだ。電話が繋がらなくて、なかなか誘えないのも理由だが、今日は繋がった。講義後にあんなことを言ったからだろうか。わたしは携帯を充電器に差し込むと、ベッドに座りノートパソコンを立ち上げた。
ウィン。
腿を通して、微弱な振動が伝わる。画面からも、微かな音が漏れる。心地よい。きっと、胎内と同じ周波数の音なのだろう。
すぐにシンプルなデスクトップが現れる。壁紙はフォーゲット・ミー・ノット。スタートからインターネットを選び、接続。
砂時計はすぐに消える。スーサイダー・バーサスというお気に入りのページへ。
真っ黒。
やがて光を持ち、白く。
浮かび上がる、赤い文字。
エンターをクリック。
雑多な文章はすべてパス。掲示板へ。
ニュクスと書かれているラインをクリックする。
返信があった。
「N社ね。業績は好調みたいだよ。でもさ、ちょっと時代遅れ。たぶん後五年も持たないと見た<Masaki」
「先週、うちの会社にその営業来たよ。新聞に載ってた人。あたしはその場にいなかったけど、聞いた話だと、一緒に来てた人を顎で使ってて嫌な感じだったって。結局、うちはその会社の方法は取り入れないことにしたみたいだけど<Tsutsuji」
「うちの会社は取り入れてるよ。まあ、一、二年だろうけど、効果がないわけじゃないし<Genji」
「Yu-kiは新聞から興味を持ったの?<Masaki」
「もう、こらえ性がない人ね、Yu-ki<ERT」
キーボードを打つ。
「まじめな話、付き合ってくれてありがと。参考になったよ、充分に。新聞は読まないから知らない。だけど、N社って、ボクの所から近いんだよ。それで噂があって」
それからTsutsujiをクリックし、メールを立ち上げる。
「件名:無視していいよ。本文:突然メールしてごめんなさい。Yu-kiです。返信ありがとう。Tsutsujiさんってボクの住んでいるところから意外と近いんだね。驚いた。よかったら教えて、何ていう会社? 白状すると、その佐々木殺しの容疑者がボクの友人なんだ。困ってるんだ。どんな情報でもいい」
インターネットを切る。
テレビの上に置かれた時計を見ると、すぐに岬が来そうだ。少しだけ部屋を整頓しておこう。否、散らかしておこう。そのほうが自然だ。
それから三十分ほどしてチャイムが鳴った。わたしは返事をするとドアを開けた。岬が両手を持ち上げる。ワインとコンビニの袋だ。
「お・ま・た・せ」
「ありがおう」
「おうおう。遠慮するな、じゃまするよ」
岬が部屋に入る。散らかった部屋に一瞬肩をすくませるが、何も言わない。部屋の中央にガラスの丸テーブルがある。そこに荷物を置いた。わたしもドアを閉めると岬に続く。
「グラスは?」
「コップでいい?」
「もちろん。ラッパだけは遠慮」
わたしはシンクの上にある棚からコップを取り出した。確か百円ショップで買ったものだ。ひどい柄だが、だから安いのだろう。
「はい」
「ういうい。お菓子買ってきたよ。渋め」
「ワイン?」
「多分そう。実はよく分からんからテキトー。飲めればよいのだよ」
「幾ら?」
「後でいい。まずは乾杯だよ」
「コルク抜きないけど」
「抜かりなし。お店で開けてきてもらっちゃった」
わたしはコップを並べる。それから袋を開けると、中から出てきたのはピーナツ、煎餅、燻製、小魚……確かに渋い。
「こう、ポテチ系はないの?」
「言ってくれるな。わたし好みなのだよ。はい」
岬がわたしにコップを渡す。果たして、ワインに合うのだろうか?
「乾杯」
「乾杯」
コンと、ちょっと鈍い音がした。
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