「まずは、その目の前にいる甲斐かいの顔を殴ってくれ」

 手紙の一行目。

「まったく。甲斐の話を聞いて、わたしはお姉さまが殺されたものだと思ったよ。人の命を軽く扱いおって。日比野ひびのという刑事が殺人未遂、という言葉を発するまで、わたしには分かり得ようもなかった。期待していただけに、少し失望したな。まぁ、けれどわたしは存外甲斐のことは気に入っている。だから、手を出すなよ」

 くすり、と芹沢雅せりさわみやびはほほ笑む。頬をさすりながら、甲斐雪人かいゆきとがこちらを見ている。パンチだが、すでに手を出している。

「何て書いてあるんですか?」

「あの子らしいわ」

「事件の顛末は、書いてあります?」

「いまのところ、そこにはほとんど触れられていないようですわね」

「犯人は香川かがわ先生でした。先日逮捕されて、今取り調べを受けているそうです。今回の事件を担当している日比野という警察の人が、なぜか情報を持ってきてくれました。まだ最後の、つまり芹沢さんを刺したところまで自白していないようですが、それまでのことはほぼ自供しています。芹沢さんを体育館で脅していた」

「わたくしは、桃花ももから方法があるとしたら、ということで、教えてもらっていましたから、二回目の脅迫のときに誰がわたくしを脅しているのかすぐに分かりました」

「僕が自己紹介する時、マイクの電源を切っていたのですね」

「ごめんなさいね。それもアドバイスで。その罠に、かかるかもしれないって」

「いいえ、怒ってないです。そのとき、僕のまっすぐ正面には香川先生が立っていました。今でも覚えています」

「夜中に呼び出されて、わたくしは向かいました。そこで最後の脅迫を受けました。彼は聞きました。わたくしが図書棟で何をしているのか、と。甲斐くんでしたら、図書棟の秘密をしゃべってしまいますか?」

 甲斐はすぐに首を振る。

「わたくしも同じです。それよりも、わたくしに秘密があるように、彼にも秘密があるということが分かりました。学園に戻ったら調べようかしらと思いましたが」

「おそらくその秘密はすでに分かっています」

「そうよね。聞かせていただけますか?」

「十年前の失踪事件をご存知ですか?」

「お話程度には」

純清香すみきよか。当時十七歳の彼女が、この学園から失踪しました。けれど、外に逃げられるはずがない。実際に外に出ようとすれば、黒服集団に拉致される」

「何ですか、それ?」

「あれ、そう聞きましたけど?」

「そんなこといたしませんわ。ただ、警報は鳴りますし、カメラも設置されています」

 ちっ、と甲斐は唇を噛む。どうやら神田隆志かんだたかしに騙されたようだ。

「とにかく、彼女はいなくなった。学園から出ていない。けれど、敷地内を探しても、見つからない」

「彼女は図書棟にいた、と」

「そうです」

「桃花の部屋に?」

「いいえ、別の部屋です」

「そうですよね。桃花の部屋だとしたら、香川先生がいつあそこに現れてもおかしくなかった。でも、別の部屋なんて、あの図書棟にあるのかしら」

「以前は屋上に出られるようになっていました。ちょうどその高さのところに、時計塔へと続く階段から抜けられるようになっています。もっとも、ずっと壁で覆われていましたし、本棚に隠されていました」

「よく見つけましたね」

「ももがね」

 ふふふと芹沢は笑う。

「それで、とにかく純清香はそこにいたましたが、すでに死んでいました。香川先生と彼女は恋中にあった。けれど、二人はその恋を決して表に出すことができなかった。彼女をそこに閉じ込める行為は、心中や駆け落ちと同じような感覚だったのだと思います。ですが、警察の捜索もあり、香川先生も頻繁に彼女のもとへ通うことができなかった。彼女は、信じていた香川先生に、いつしか、裏切られたのでは、と考えるようになったのだと思います。そして、自ら命を絶った」

「あるいは、信じているうちに、かもしれませんわ」

 甲斐とは正反対の解釈を芹沢はする。

「あれもかわいそうな男ね」

「香川先生が、ですか? 僕はそうは思いません」

「そう? 哀れで、悲しいお話ですわ」

「自分を殺そうとした相手ですよ」

「わたくしは生きています。本気で殺そうと思っていたのでしたら、わたくしを殺すことなど、たやすかったでしょう」

「そうかもしれませんが」

「それよりも甲斐くん。あなた、桃花のことをどう思ってくれているの?」

「どうって」

「わたくしにだけ教えてくださいよ」

「筒抜けじゃないですか」

 小首を軽く傾ける。相変わらず反則な仕草だ。けれど、二度と見られないことよりはるかにましだ。

「幼いお子様、かな」

「ふふふ。そのお子様にキスをしておいて?」

 芹沢がおでこを触りながら言う。

「な、んで、知ってるんですか。あれから彼女と会う機会はなかったはずです」

「だって手紙に書いてありましたすもの。あの子ってば、結構大胆なのよね。甲斐くんの貞操が心配だわ、なんて思っていたのに。むしろ甲斐くんのほうからキスをしてきた、て書いてありますわ」

「それは、その、挨拶、というか、流れで」

「どうぞ、心配なさらないで。そのことを桃花は怒っていませんわ。存外よいものだ、なんて書いてありますのよ」

「芹沢さんにとってももは?」

「それは秘密です。そのうちあの子の口から聞ける機会があるかもしれませんわ」

「そうですか」

「もう一度お聞きします。桃花のことをどう思っていますか?」

「……変な奴です。でも、天才です」

「まだ逃げますの?」

「正直、まだ何とも思ってないです。好きになるかもしないし、友達になるかもしれない。むしろ妹のような。そんなことを言うと怒りそうですが」

「そうね。わたくしもそう思いますわ」

「筒抜けなのですよね」

 ふふふと彼女はほほ笑んだ。

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