第一学習棟一階の教室、甲斐雪人かいゆきとは再びその教室にいた。今度は自分の意思で。日比野ひびの加藤かとうが先ほどと同じように甲斐の前にいる。二人とも待っていましたと言わんばかりの態度で甲斐を迎え入れた。

「思ったよりも早く、こちらに来ていただけましたね」

「そろそろ検証が終わるころだろうと思いましたので」

 甲斐は適当なことを言う。

「検証するまでもなく、嘘だということは分かりました。管理室のモニターには時計塔の様子も写っていましたから。つまり、藤枝百合子がモニターを確認したとき、誰もいなかった。やはり甲斐くん、あなたが図書棟にいたことはありえない、という結論になります」

「動機は分かりましたか?」

「今調べているところです。犯人の口から直接聞いたほうが早いでしょう」

「誰が犯人か分かったのですか?」

「甲斐くん。あなたがもっとも怪しい立場にあるのですよ。もう一度聞きます。昨夜、あなたはどこにいましたか?」

「今は黙秘します」

「加藤、彼のためにコーヒーを買ってきてくれ。宿舎で売っています」

 加藤は驚いた表情をする。

「すぐに行け!」

 たたみかけるように日比野が怒鳴り、加藤ははいっ、と返事をすると走って教室を出て行った。走って行ったとなると、そう時間はかからないだろう。

「昨夜どこにいましたか?」

「図書棟です」

「ですから……」

「今夜証明します。僕は今夜も図書棟にいます。ですが、誰も僕が図書棟にいたと証言しないはずです」

「いいでしょう。確かにいぶかしげな点は多い。初めてあなたが図書棟を訪れたとき、あなたはそこにいた係の者と話しています。彼女は覚えていました。が、あなたが出て行くところを見た記憶はないと言っている。もちろんただ見逃しただけかもしれません。彼女に気づかれずに出て行くことは簡単ですからね。それに、昨日もそうです。数名があなたを図書棟で見たと証言していますが、そこから後の足取りが分かりません」

「今すぐには説明ができません。ですが、僕は自分が犯人でないことを、一番よく分かっています」

「わたしもあなたが犯人ではないと確信しています」

「ありがとうございます」

「いえ。あなたが犯人だとしたら、あまりにも稚拙すぎる。自分の首を締めすぎている。きっとあなたなら、もっと完璧な犯罪を考えるでしょう」

 日比野の眼鏡の奥の目が、鋭く甲斐を睨む。あるいは、甲斐があえてそう偽装している可能性を睨んでいるのかもしれない。

「以前にも話しましたが、この事件の本質はおそらく動機にあるとわたしは睨んでいます。あなたが犯人だとしたら、この学園にあなたの意思で来たことになります。ですが、あなたがこの学園に来たのには、多分にあなたの意思ではない」

 甲斐は答えずに唇を噛む。まだ日比野が来てから半日ほどしか経っていないというのに、どうしてそこまで彼は断言できるのか。そして、甲斐としては隠しているわけだが、その通りである。

「もちろん、この学園に来てから彼女を憎むようなことが起きている可能性もありますが、おそらく動機はもっと深い所にある。だが、わたしはまだその動機を見つけられない。甲斐くん、あなたは見つけましたか?」

「まだ分かりません。ですが、可能性を一つ、見つけました」

「では、お互いに一つずつ、ネタを明かしてゆきませんか?」

「いくつ秘密を持っていますか?」

「それは言えません。もしかしたら、すでにあなたはご存知かもしれない」

「こちらも同じです」

 そこに加藤が戻ってきた。息を切らせているが、一度の深呼吸でそれは治まった。手には三つの缶コーヒーが握られていて、それを机に置く。

「ありがとうございます」

「まずは言い出したわたしから」

 日比野はコーヒーを開ける。

「芹沢家について、です。芹沢蘇芳、芹沢鴇、芹沢菫、芹沢浅葱、芹沢茜、芹沢雅。六人兄弟の一番下に彼女はあたるわけですが、彼女は養子のようです。この学園には秘密にしてあるようですが、浅葱さまがそう証言して下さいました。彼らは今全員病院に行っていますが、養子だからといって、非常に大切に扱われているようです」

「本当の兄弟ではないことは分かっていました」

「確証はなかったはずです。ですが、芹沢家が六人兄弟であることは確かです。一番下に母親だけが別の妹がいました」

「一番下? 上の、間違いではないですか?」

「なぜ?」

「いえ……もしかしたら、と思っただけです……」

 歯切れの悪い答えを甲斐はする。

「ですが、その妹の所在は分かりません。その点については、誰も証言をして下さいませんでした」

 日比野はコーヒーを一口飲んでから続ける。

「次はそちらの話です」

「十年ほど前、この学園で失踪事件が起きています」

「存じ上げています」

「この学園のセキュリティーは非常に優れたものです。なのに、どうやってその人はこの学園のセキュリティーを突破したのでしょうか?」

「いきなり質問ですか? まぁ、今よりもセキュリティーが弱かったのは確かのようですが、学園から抜け出そうと思えば可能です。それが自分の意思であれ、誘拐であったとしても」

「抜け出そうとすると、黒服の集団に連れ戻されるという話を聞きました」

 日比野の目が大きくなる。それから、珍しく感情のある笑い声を上げる。

「まさか」

「実際にそういう目にあった人がいると」

「冗談でしょう。それはない……と、思いますが、確かに分かりませんね。確かめなければならないでしょう」

「さっきは、彼女がもしかしたら兄弟の一人なのかと思いましたが……」

 それはないと、甲斐は改めて思う。六人兄弟という日比野の言葉に、甲斐は一瞬篠塚桃花しのづかもものことを忘れていた。母親が違う妹というのは、彼女のことだ。日比野は失踪事件について補足する。

「彼女の名前は純清香。当時十七歳の、高校二年のときのことです」

「幽霊?」

「幽霊? 何がですか?」

「失踪?」

「どうされましたか?」

「だとしたら、動機に、なりうる?」

「甲斐くん?」

 甲斐の頭が激しく明滅する。

 可能性は、ある。

 幽霊の噂を流して……

 篠塚桃花に確かめなければならない。

 けれど、脅すのは、何のためなのか。

 あるいは、別の?

 そうか、別の場所なのだ。

「明日には、すべてが、分かりそうです」

 心配そう甲斐の肩に手をかけた日比野に、甲斐はそう答えた。

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