103話 壊れた英雄 8
重苦しい気持ちを抱えながら1ザードほど歩き続けた。
来る時に掛かった時間を考えればそろそろ空白地帯に着く頃なのだが、距離が倍に伸びたかの様に一向に辿り着く様子はない。
沈んだ気持ちに比例してセレーマの収束が弱まっていた。
その為にドールガーデンの情報量が下がってルートの選定から降ろす足元のの状況判断にも時間が掛かった。
それでもロジックサーキットの副次的効果でこんな気持ちの時であっても多方面に対する注意は問題なく行う事ができてしまう。
(人に護られた上に、自分の身だけは護る事が出来るなんて・・・何てわがままなんだ)
このチグハグな状態が自分でも不自然に思えてユウキの気持ちは更に沈んで行った。
重い足を動かしていると、それまで黙ってついて来ていたアスミが堪りかねた様に声を掛けた。
「ユウキくん、これでは日が暮れてしまいますよ。」
溜め息をつきながら横に並び、降りてきた
アスミにとっては浅層を進むのに意識しなければならない事など何もない。
ユウキの前で先導すると進行速度は上がり、程なくして神素の空白地帯に辿り着いた。
「ユウキくんがあそこで何を観て何を考えたのかは聞きませんが、今日の私は見習いを指導する立場なのであえて言わせてもらいます。もしユウキくんがゴーザさんの事を気に病んでいるのなら、はっきり言ってそれは『厚かましい』事だと思います。」
「家族を心配するのがどうして『厚かましい』事なんですか!ましてその原因が自分だと言うのに平気な顔なんてしていられる訳がないでしょう!」
アスミの言葉を聞いて悲しみで凍り付いていたユウキの顔に怒りが浮かんだ。
「私たち探索者は理不尽な運命、不条理な変転に会う可能性を常に考えています。ですがそれをふまえた上で尚、決断し結果を受け入れる覚悟を持たなければコルドランを進む事はできないのです。ゴーザさん程の人であれば自分の決断した結果について他人に心配される事など矜持が許さないでしょう。全てを受け止め、思い悩む権利はゴーザさん本人にしかないのです。それなのにユウキくんはゴーザさんの気持ちを勝手に想像して勝手に思い悩んでいる。これを『厚かましい』と言わずに何と言えばいいのですか。」
「そんな・・・」
「探索者の覚悟はそれ程重いのですよ。それに、ゴーザさんはユウキくんに心配される程脆くはないはずです。目の前の状況を全て受け入れて尚、目標に向けて進めなければ一流の探索者とは言えないのですから、きっと何か前に進む方法を考えています。それに、ユウキくんはゴーザさんと話をするべきだと思いますよ。たぶん『見くびるな』と怒られると思いますけど。」
ユウキが顔を上げると立ち止まったアスミが振り向いていた。
そこには自分の言葉に確信を持つ者の迷いのない眼差しがあった。
アスミは聖者の盾で情報の収集と分析を担っている。
その中には他の探索者の動向も含まれており、ゴーザの身に起こった事もカイルが掴んでいる程度の事は把握していた。
ゴーザが『何をしようとしているのか』までは分からないが、聞こえてくる話は少なくとも引退を考えている人間の行動ではない。
「・・・『見くびるな』ですか。」
「ええ。ユウキくんに心配をされていると知ったらゴーザさんの方が思い悩んでしまうでしょうね。」
「あれ以来、おじいちゃんの何かが変わってしまったとしても?」
「変化は常にあり、それを受け入れた上で自分の目指す所に向けて工夫するのが探索者です。ユウキくんの知っているゴーザさんはそんな方ではなかったですか?」
「おじいちゃんは・・・失敗を恐れずにいつも前を向いて努力する強い人です。」
「それが解ったならそんな顔をしないで帰った時の事を考えなさい。それにここはまだコルドランです。神素の空白地帯とはいえ、気を抜いていると死にますよ。」
「・・・アスミさん、ありがとう。でも大丈夫ですよ。フェンネルの特性で周囲の警戒はちゃんとしていますから。ほら、ここにある吸血ツタの事もちゃんと見えていますよ。」
そう言って足元の吸血葉を靴で踏んだ。
今までの沈んだ顔が少し明るさを取り戻していた。
吸血ツタは吸盤の着いた葉で生き物の血液を吸う魔物だ。
しかし転倒蔓の様に動くわけでもなく、地面に吸血葉を広げてその上を動物が通るのをひたすら待っているだけの大人しい魔物だ。
直接肌に触れられなければ血を吸われる事はないので靴を履いた人間にはほとんど無害な存在だった。
だからユウキの対応も間違いではない。
通常であれば・・・
「待って!ここはもう空白地帯なのに吸血ツタがなぜここに・・・」
神素の無い所で魔物は生まれない。
普通の動植物がエリアルを得て変化するのが魔物である以上、神素の無いこの場所に魔物が移動して来る事はあっても動かない植物が吸血ツタになる事はあり得なかった。
アスミの警告にユウキが反応するよりその変化は速かった。
ユウキの足元で吸血ツタが太く長く変わって行き蛇の様にうねり出す。
蠢くツタが他の下草を蹂躙する様子が遙か先まで続いている。
ユウキの足下で鎌首を上げたそれが、踏まれた仕返しをするように足を絡め捕ってあっと言う間に木々の奥へと引き摺って行った。
「ユウキくん!」
慌てて追いかけたアスミが見たのは、ユウキを逆さまに吊り上げた状態で幾本ものツタが捻じれながら立ち上がり、固く太い一本の幹へと変わる所だった。
「吸精樹!こんな浅層になぜ急にこんな魔物が・・・」
それはステージⅢの魔物、吸精樹。
被害を受けても掠り傷程度の血を吸われるだけの吸血ツタが第二のエリアルを生成して強力な捕食肢を持つ吸精ツタになり、更に進化して第三のエリアルを持つ吸精樹に変わる。
その討伐難度はC。
アスミでも対処できる相手だが単独での撃破は難しいレベルだ。
しかし捕らわれたユウキを早く助けなければ、生気を吸われて死んでしまう。
焦ったアスミが剣を構えて飛び出そうとしたとき、
「見ぃーつけた。」
場違いな子供の声が森を震わせた。
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