86話 神の怒り

瞬く間に位階を撥ね上げた・・・

格下だった存在に対する嫉妬でアストレイアはギリギリと奥歯を噛みしめた。

その度にパキン、パキンと幾つもの亀裂が走り、ユグド派の影響を受けたと思しきおぼしき精緻な彫像の顔は今では恐ろしい魔物の如く変わり果ててしまっていた。

それが女神の威厳を損ないかねない事や間に合わせの顕現体が物理的に崩れ落ちる事も思いつかない程までに脅威を読み間違えた事を後悔していたのだ。


『精々が疫病レベル』と思っていた。

確かに都市の一つは掌握せしめたが、人の移動速度を考えれば次の都市まで伝染するのに数日、更に幾つかの都市にまで支配を広げるには数か月は要すると考えていた。

しかもその間にアストレイアの神威『調整力』が働けば人属スキンティーラが対応を取り始めて影響は徐々に収束していく筈、であった。


ところが・・・


『あれは危険だ。最初は数万人程の支配が瞬く間に数十万人を手中に収めた。新たに支配した所で同じことが出来るのなら次は百万を超え、その次は千万・・・。数日と置かずにこの星のスキンティーラ火花=人間は全て奴に奪わかねない。』


実の所、この状況を覆す手段がアストレイアにはまだ残っている。

神威『調和崩壊』アルモニア・カタストロフ

かつて背徳都市ソドムとゴモラを滅し、邪神崇拝が蔓延したアトランティス島を海中に引き摺り込んだ天変地異を起こす神威だ。

これを使えばトードリリーが支配した8つの都市を即座に全滅させて力の供給を断つ事ができる。

だが、その為には片腕を切り落とすに等しい苦痛を耐えて自ら第4天秤を破壊し、更に多方面に対して複雑なバランスを取るために神威を使い続けなければならなくなる。

これでは如何にアストレイアといえども気軽に取れる手段ではなかった。


『顕現して警告しようなどと考えなければ第五天秤だけで済んだものを・・・。だが、このまま破滅を受け入れる訳にはいかない。』


意を決したアストレイアが天秤に手を伸ばした。




「リューイ!」


息を切らしたユウキが駆け込んできたのはアストレイアが天秤を破壊しようとした、正にその時だった。

子供が一人乱入したからと言って状況が変わるとは思えなかったが、僅かに眉をひそめたトードリリーに気づき、アストレイアは天秤に掛けた手を戻した。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「お兄ちゃん!」

「ユウキ?」


ユウキを見て喜色満面の笑みを浮かべたリューイとユウキが持つ刀を見て僅かに口を引き結んだエリス。

エリスがその背後に目をやっても続く人影はない。


(・・・大丈夫。あの人はいつだって私の想いを越えているのだから。)

エリスの中でさざ波の様に何かが動いていた。




「お前、どうやって私の炎を消したのだ。」


一方で駆け込んできたユウキを見たトードリリーは眉を吊り上げて睨みつけた。

その声には驚きの中にわずかな苛立ちが混ざっている。

以前の使い走りの様な役割しかなかったトードリリートリキルティスであればともかく、今の神威は唯の人間が解放できるものではない。


「何度も何度も・・・よくも私の神威をすり抜けてくれる!」


トードリリーにしてみれば、目の前の子供は街中を巻き込んだ包囲網で何度も追い詰めたと言うのにそれを紙一重でくぐり抜け、アグリオスによる調伏を仕掛ければこれを返り討ちにし、遂に追い詰めて自らの神威である炎に絡め取ったと言うのにそれすらも打ち消して何事も無かった様にこうして追いついて来た。

急に権力を手にした者にありがちな事だが、あざ笑うかのように立ち塞がるユウキに対して激しい苛立ちを覚えていた。

神々の頂点に手を伸ばそうとしていたトードリリーにとって見過ごす事など出来なかった。


「今度こそ二度と意識を取り戻せない程念入りに私の炎で焼き尽くしてくれる。」


トードリリーの怒りと共に8つの蛇頭が残らずユウキに向けられ、恐ろしい炎の吐息が舌なめずりする様に吐き出される。

万人が竦み上がる様な状況だが、ユウキにしてみれば妹に向けられていた敵意が逸れて胸を撫で下ろたにすぎない。


「さあ、後悔する意識も残らないでしょうけどこの一瞬だけでも絶望に打ちひしがれなさい!」


8流の炎がユウキに向かって襲い掛かって行った。


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