84話 託された想い

「えっぐ・・・えっぐ・・・」


マリーンが泣いている。

聖堂と聖火台を繋ぐ通路でベショベショと涙を流し、ごしごしと手の甲で拭っても涙がまた流れて行く。


「ユ、ユウキ・・・」


しゃくりあげる合間を縫って息を吸い込む。


「ユウキのバカーーーーー!」



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



少し前の事


トードリリーを追って通路に入ったユウキとマリーンは大勢の背中に行く手を阻まれるこ事となった。

子供の小さな背丈では跳び上がっても奥がどうなっているのか見る事はできなかったが、足元から覗くと立ち並ぶ足が芦原の様に視界を埋め尽くしていた。

どう見ても『少し先で途切れているかもしれない』などと気楽に考えられる状況ではなかった。

実際にドルガーデンで観れば通路の奥まで隙間なく人が押し寄せている。

ただ、集まった人たちは身動ぎもしないで立ち止まっているので、これほどの集団だと言うのに辺りはシーンと静まり返っていた。


「静かだね。」

「うん。」

「どうしてもやるの?」

「うん。」

「無理しなくても・・・」

「私も役に立ちたいの。ユウキの心の火は消せたんだもの他の人だってきっと正気に戻せるはずよ。」


半ば自分に言い聞かせる様に呟くとマリーンは大きく息を吸い込んで歌い始めた。



―――♬ねぇ笑って

   一緒に歩こう

   ゆっくり

   ゆっくり

   手を繋いで―――


浪々と紡がれた歌声は子供らしい幼さが混じるものの伸びやかに響き、静まり返った通路に反響して遠くの者にまで届けられた。

ここが大劇場の舞台であれば、一心に歌う姿はマリーンの容貌も相まってきっと人気の歌姫と称えられた事だろう。


そうして最後まで歌い終えたマリーンが目を開けると・・・

変わらず立ち塞がる人の背中。

炎が消えた者も少しでも正気に戻った者も一人としていなかった。


「・・・ダメ・・・みたいだね。」

「な、何で・・・私、一生懸命に歌ったのに。」

「僕の時は偶々だったんじゃないの。」

「そんな・・・も、もう一回・・・」

「無理しなくても良いよ。」

「一生懸命に歌えばきっと届く筈だから・・・もう一回。」

「みんな止まっている今なら肩に乗って向こうに行けると思うから大丈夫だよ。」

「でも、いつまでもこのままとは限らないのだから危ないよ。」

「僕は大丈夫だよ。火が着いても自分で消せるんだから。」

「そんな事言っても・・・」


「(ボソッ)もう面倒くさいなぁ。」


執拗に食い下がるマリーンに、ユウキも焦っていたのだろう。

つい不満が口をついて漏れてしまった。

ただそれもマリーンに聞かせるつもりではなく口の中で転がす程度の小さな呟きだったのだが、不幸なことにこの静けさ中に在っては見事に相手の耳に届いてしまった。


「ひ、酷い。ユウキ酷いよーーー。私だって一生懸命にやっているのにそんな言い方をするなんて。うぇーーーん。」


泣き始めたマリーンを宥めるのは今まで以上に面倒くさい事になったが、さすがにそれ以上の愚痴は言わなかった。


『自分にとってはマリーンが特別だった』とか

『マリーンが歌に込めた想いは自分の時にはもっと強く感じた』とか、

あと5年もたてば恥ずかしくて口にできない言葉を並べて何とかマリーンを泣き止ませる事にができた。

その後、ゴーザの様子を見ていてほしい事、ゴーザが目覚めたらユウキが何処へいたのかを伝えてほしい事を頼むと、妙に顔を赤くしたマリーンは後を何度も振り返りながら聖火台の所まで戻って行った。



一人になったユウキは大人達の背中を見上げて思案していた。


「どうやって登ればいいかな。」


肩を踏んで歩いて行くにしても一度は上に登らなければならないのだが、ここには足場にするものが何も無かった。

動かないのだからと立っている人の服を掴んでよじ登る事はできるだろうが、そうするには手にしている刀―――抜き身の水切りが邪魔になる。

だからと言ってこの先の事を考えれば武器を手放す事は到底できなかった。

鞘ごと持って来ていれば下げ緒を解いて引き上げる事ができたのだが、今更それを言っても仕方のない事。


「諦めてまた足元を行った方が良いのかな。」


足の隙間から覗いた先は程々ほどほどに隙間があるので這い進む事くらいは出来そうだったが、ここから突き当りまで這って行くには時間が掛かり過ぎる。


何か良い方法はないかと辺りを見回したユウキの目に有る物が目に留まった。


「すいません。ちょっと借りて行きます。」


最後列にいた数人の男のズボンから帯紐を抜いてゆく。

引っ掛かりを失くしたズボンが足元まで下がり、かなり情けない格好になってしまったがこの祭許してもらうしかない。

抜き出した帯紐を結んで一本にすると水切りの鍔に結びつけて壁に立てかける。

壁際の男の身体に手を添えて水切りの鍔に足を掛けると一気に男の肩まで飛び上がる。

その後は紐を手繰り寄せて水切りを引き上げると不安定な肩を踏んで前に進んで行った。




抜き身の刃で下の人を傷つけない様に重い刀を持ち上げていなければならないのでどうしても不自然な格好を取らざるを得なかった。

刀の重さが加わって下になる人の負担も増している事だろう。

だが街中で人の上を逃げていた時は蠢く人を躱しながらだったのに対して今は身じろぎもしない人たちの上だ。

更に壁に手を添えて進めるのでかなり楽に―――その分早く進む事ができていた。


道行みちゆきも半ばまでは何の問題もなく過ぎて行った。

ところが何の切っ掛けがあったのかそこに居る人達が突然足踏みを始め、更に壁に面した人達は腕を振り上げて壁も叩き始めている。

油断していた訳ではないが静まり返っていた通路が突然に音と振動で溢れ返った事でユウキは足場が崩れた様な錯覚に襲われてバランスを崩してしまった。

よろめいても急いで足を踏みかえる事はできたが、一度勢いが付いてしまうと今度はそれを打ち消すこともできない。

走る跳ぶを繰り返せば持て余す程にスピードが上がって行く。

ゴーザに鍛えられた体術はそんな状態にも良く耐えて前に進んでいたが、ついに肩を踏み外してしまった。


「!」


落ちる先は込み合って隙間もない状態にある人混みの中、自分が怪我をする事は覚悟したが手にした抜き身の刀は前の人を傷つけてしまう。

それどころか斬撃に特化した水切りであれば相手を縦に両断しかねなかった。


「せめて刃を上に向ければ・・・」


しかし体勢を崩した中では満足に動くこともできず、扱いなれない刀は瞬時に峰を返す事もままならない。

もう惨劇は避けられないかと思われたが足踏みをする集団が僅かに位置を変えた為にユウキの前方に小さな隙間が生まれていた。


辛うじて刀を滑り込ませる事に成功してユウキはほっと胸をなでおろした。

落ちた時に刃の下になったユウキの腕があわや切り落とされる所だったが、ユウキにとっては些細な事だ。

あとはどうやってもう一度上に登るのか、いやその前に激しい踏み潰しスクワッシュを耐えて体制を立て直す隙を見つけなければならない。

踏まれて刀が跳ねない様に刃を寝かせ、身体を丸めて両手と膝で抱え込んでこれから襲ってくる暴力に身構える。

時間が惜しいがしばらくは治癒の魔導具に全力を注いで耐えるしかなかった。


―――ザッ!ザッ!ザッ!―――


だが耳元で足音はなり続けているが予想した痛みはやってこない。

恐る々々顔を上げると周りの人達が僅かに身体の向きを変えてユウキの周りに小さな隙間を作ってくれていた。

それだけではない。

前方でも同じように角度を変えた人が並び、そうして絞り出された隙間は細い道となって突き当りの扉まで伸びていた。


「ボ、ボウズ・・・ダイジョウブカ・・・」


事態について行けずに呆然としていたユウキに、周囲からくぐもった声が掛けられた。

それは凍えて碌に開かない口から無理やり出した声の様に、小さく聞き取り難かったが確かな労りいたわりを含んでいた。

周囲を見回しても誰も彼もが背を向けて足踏みを繰り返している。


「誰?」


「・・・俺達ハズットオ前ヲ見テイタ。逃ゲテイル時モ、誰カヲ護ッテイル時モ、アノ化ケ物ト戦ッテイル時モ、誰カノ目ヲ通シテズット見テイタンダ。今ハ『足ヲ踏ミ鳴ラセ』ト言ウ命令ダケナノデコウシテ話ス事ガデキタガ、コレ以上ハ自由ニデキナイ。頼ム。アノ女ヲ倒シテクレ。アノ女ノ所為デ何十人モ犠牲二ナッテイルンダ。悔シイ。・・・頼ム・・・頼ム・・・。」


それは周り中から発せられていたのか、大勢の人間から出された声だった。

頼むと言って声は消えたが背中を向けて開けられた道は閉じる事無く続いている。

その向けられた背中の意味は十分にユウキに伝わっている。


「行ってきます。」


託された想いと共に身をすり合う程狭い道をユウキは走り出した。


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