第34話 騒乱の炎Ⅱ

『余所の子供を見殺しにしようとしたから自分たちが被害にあったと自分の子供に胸を張って言えるのか!』


ゴーザがその場に着いた時、一人の男が騒ぐ群衆に向かって吠えている所だった。

その眼が向けられると見たものを石に変えると言う魔物ゴーゴンの魔力にさらされたかの様に声を上げる人々が動きを止める。

全身で怒りを露わにして群衆を圧倒していた男だが、ゴーザには何故か泣き出しそうに思えてならなかった。


モルドが呼吸を荒げながら見回すと周囲の人々は俯いて視線を逸らす。

もうこの場に騒ぎ出す者はいないかと思われたがそこに一人の男が一歩前に出た。


「なあ、助けなかった奴も敵と同じなら俺たちとそのガキはもう敵同士ってことだな。じゃあ今度は俺たちがそいつに報復しても何も問題ないわけだ。そしてそいつの味方をしている以上、お前も俺たちの敵って事でいいんだよな。」



その静かな殺気を向けられただけでモルドは現実のナイフを突き付けられたかの様に動けなくなってしまった。

それまで怒りにまかせて周囲を圧倒していた気持ちが氷の様に冷えていく。


『暴力の徒』


彼らの価値観の中では自分を含めた命の優先度がかなり低い。

モルドの様に戦う力のない者にとって、その考え方は異質過ぎて恐怖でしかない。


当の男も自分たちがその様に考えられている事は自覚があり、むしろ積極的に利用しているので威圧する様に細めた眼で睨みながら更に一歩前に出る。


「俺たちは敵には容赦しない。偉そうな事を言う以上あんたもその覚悟があるんだな。」


答え次第で直ぐに刺し殺すと言う様に更に殺気を漲らせていく。


モルドはそれまでの高ぶった気持ちが急速に恐怖に変わっていのが解った。

だが、だからと言ってどうすることも出来ない。



「素人相手に止さねぇか。」

端然と佇む老人が静かに声を掛けた。


「ですが、あのガキの所為で一時いっときでも全員の目が見えなくなってしまいました。この隙に親分を狙う奴がいたらと思うとタダで済ます事はできません。」


「お前たちの気持ちは嬉しいが子供がちょっと悪戯した位で大人が本気になっちゃあ格好悪いと思わんか。」


「しかし・・・」


「それに、お前たちも見ていたら解るだろう。あの子は剣を振り回す相手に一切怯むことなく女の子を守りきった。漢なら見習いたいものだ。つい助けもせずに見惚れてたんだ。ちょっと眩しかった位の事は見物料だと思って笑って済まそうじゃないか。」


この一言でこの場の状況は決した。

モルドに言い込められて反発していた者もこの老人の言葉には納得するしかなかった。

それに、本心ではどうあれこの老人に逆らうなどできる物ではない。

この街の裏社会をまとめる総元締め、一言『気に入らない』と言えばそれだけで人が一人いなくなる、そんな存在なのだ。


ゴーザは静かに老人の前に進んでいった。

警護と思われる周りにいた者達が睨みつけながら立ち塞がるが、当の老人が下がらせる。


「孫が迷惑を掛けた様で申し訳ない。それに先程は庇ってくれた事に礼を言う。」

「なぁに、あんな事で英雄ゴーザに貸しが作れるなら安いものだよ。」

深い皺の刻まれた顔が強欲そうに歪むとすぅーと細められた目がゴーザをひたと見据える。

『さて、この貸しは何で返してくれるのかな』と半ば脅す様に近づいてゆく。


だが不意に表情を緩めると、「ふぉふぉふぉ」と笑い出した。

「とは言え儂の方もゴーさんには山ほど借りがあるから気にする必要はないよ。」

おそらく親しい者にだけ見せる顔なのだろう。

先程までとうって変わり、笑った老人は意外にも優しげにさえ見えた。

「実際の所、あの男が言った通り助けもせずに見ていた訳だからあんたが借りに思ってくれるのか微妙な所だがね。」

「いや、とても助かった。あのままでは多くの人間がユウキに敵意を抱いたままになる所だ。その後の話次第ではずっと長引く可能性もあったがエリグマ・ファミリアの親分にあそこまで言われれば表だって反対できる者もいないだろう。」


「ふふっ、儂は本心を話しただけだよ。それより、あんたの孫は随分見事に仕上がっているじゃないか。あんな子供が凶刃を前に微塵も恐怖に曇らないとはね。さすが英雄の孫だ。」


恐怖を乗り越えた心の強さを褒められているがユウキの場合は単に恐怖を感じないだけだ。理由を知っているゴーザはズルを誤魔化す様に苦笑いを浮かべていた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


その頃、少し離れたところでモルドは膨れ上がる感情を必死に抑えていた。


あの泣き崩れた探索者に会ってからモルドの良心は深く傷ついていた。


『知らなければ良かった』


心底そう思う。

もう無責任に好きな事だけをしている自分ではいられない。

無理に戻ろうとすれば、起きている時も寝ている時もあの声が自分を責め続ける事だろう。


だから僅かな自己満足の為にあの子供を助けたかった。

自分が店番を押し付けた為に子供が非難されることに耐えられなかった。


しかし怒りにまかせて普通の人々は言い負かすことが出来ても、暴力の気配がした途端に身がすくみ何もすることが出来なくなってしまった。

その為、更に深く罪の意識が刻み込まれることになる。


最早、膨れ上がる嫌悪感にこの身が爆ぜてしまいそうだった。


『随分と自分の気持ちを押し殺してしまっているのですね。』

およそ場違いな優しい声に振り向くと清楚な教会の服を纏った女が立っていた。

つい先ほどまでこの場に教会関係者などいなかったのだがモルドが気づく事はなかった。


女は倒れている人たちを見回して、その内の一人に目を止める。


『美味しそうな気配に来てみれば随分と面白い事になっているわ。あそこで倒れている者には私の種火が灯っているから教会からの帰りかしら。そう・・・あの娘はこんなところにいたのね。ふふふ・・・なんだか楽しくなりそう。』


この女は教会に居たはずのトードリリー

隠してはいるがれっきとした神族だ。

人の心にある欲望に火をつけ、その炎を通して操ったり見聞きしたことを知ることが出来る。

トードリリーはこの祭典に紛れ、教会の聖火を自分の支配下にある炎にすり替えると聖紙を投げ込んだ者に種火を付けていたのだ。


今、倒れている男の胸にチロチロと揺れる小さな炎が見えている。

この場には他にも炎が灯っている者や炎はないが消し炭の様に黒い物を溜め込んでいる者が大勢おり、トードリリーにとっては大火を起こす絶好の条件が揃っていた。

中でも目の前にいる男は漆黒と言える程の濃い塊が今にも溢れそうになっており、その奥には風を送れば炎を上げそうな熾火が脈打つ様に明滅している。

『折角ですし頂いてしまおうかしら。』

柔和な顔が一瞬だけ娼婦の様に歪んで見えた。




「そんなに狂おしい程の想いを押し殺さなくても良いのではないですか。人は自分の心にもっと素直になるべきだと思いますよ。」


モルドはこんな場面だと言うのに微笑む女から目が離せなかった。

いや、こんな場面でなければ襲い掛かっていたことだろう。

思わず生唾を飲み込んだモルドが気づいた時には、女のぬめりとした赤い唇が近づいてモルドの口に重ねられていた。


背中を駆け上がる衝動におののいていると蠢く舌が差し込まれ、口内を刺激する。

そして恍惚としたモルドに通常ではありえない程熱い吐息が吹き込まれた。



不意に感じた高濃度の神素の気配にゴーザが振り向くと先ほど叫んでいた男と教会の制服に身を包んだ女が口づけをしている所だった。


『何と場違いな』


などとはゴーザは考えない。

神素の気配は明らかにあの女からしており、それは間違いようもなく神族である事を示している。

余分な事を考える余裕などあるわけがない。


余韻を楽しむかの様にゆっくりと女が離れると男は胸を掻き毟って苦しみだした。

そして


ウォォォォォォォォ


一声叫んだ男の胸には赤黒い炎が灯っていた。

だが不可解な事に身体が燃えていると言うのに男に苦しそうな気配はなく、むしろ先程まで浮かべていた苦悶の表情が嘘の様に消えている。


「あら、思い通り良い炎が熾せたわね。あの娘もこの辺りに居るみたいだし皆さんにも手伝って頂くことにしましょう。」


トードリリーはモルドの胸に手を伸ばすと掌で炎を掬い揚げ、まるで水掛け遊びをするように炎をまき散らした。


赤黒い炎が三日月状に広がって行く。


ゴーザは刀の束頭にある飾りを捻ると鞘ごと振り抜いた。


周囲に黒い靄の様な物を纏った刀に触れるとその部分の炎は音もなく消滅した。

だが刀の届かなかったところでは赤黒い炎は飛び続け、そこにいた人々を次々に通り抜けて行った。


「貴様、何を企んでいる!」

「あら、私の炎を消すことが出来るなんてすごい方なんですね。でも他の方はそうもいかないみたいですよ。」


炎に触れた人達が一斉に苦しみだし、やがてそれぞれの胸に赤黒い炎が灯る。

「さあ、押し込められた想いを解き放つのです。今、思い浮かべた子供達を私の前に連れて来てください。」


ウォォォォォォォォ


炎を灯した人々が叫びをあげると何処かへ向かって一斉に動き始めた。

まるで伝説に語られる砂漠をさまよう死せる一族のように、虚ろな表情で動き出す集団は見た者に根源的な恐怖を感じさせた。

だがこれだけであれば何ということもなかったのだが、その集団が呪文のように呟く言葉を耳にした時、焦ったゴーザは近くにいた者の胸倉を掴んでしまった。

妖しい炎が灯っているにもかかわらずに・・・。


伸ばした手が炎に触れると激し痛みと共にゴーザの手にも炎が灯っていた。

焼け爛れる気配はないが激痛は実際の火傷を上回る。

しかも苦痛に耐えるゴーザの頭にどこからか流れ込んでくる声があり、そのことが更にゴーザを苦しめていた。


『許せない・・・あの子供を・・・フェンネルの子供を・・・探せ・・・探せ・・』


恐ろしい事にこの声に従いたいと思う自分が確かに居るのだ。

『身を委ねてしまいたい、他人と同じでありたい』

甘美な誘惑は耐え難い程高まり続ける。


これが赤の他人の事であれば例えゴーザといえども耐える事は出来なかっただろう。

だが『ユウキを護りたい』という想いは何物にも勝る。

最後の所で辛うじて踏み止まると燃える手を刀から立ち上る黒い靄に押し付けた。


ジュッと言う音と共に跡形もなく炎は消えたがゴーザの手は一瞬で傷つきポタポタと血が滴っている。


「人間でそこまで耐えられるなんて本当にすごい方すね。ですが表面の炎は消えてもあなたの内側に入った炎までは消すことができませんよ。それは熾火の様に静かに燃え続け、あなたが押えようとすればするほど力を増してゆくものですから。」


「貴様は孫をどうするつもりだ!」


「さあ?あなたのお孫さんには興味がないので私には解りませんわ。無事だといいですね。」


「待て、ではお前の狙いは何だと言うのだ。」


ゴーザの叫びも虚しく女は虚空に溶けるように消え失せてしまった。



「ゴーさん、今のは何だ?」

声に振り替えると老人がゴーザをヒタと見据えていた。

先程までの親しげな態度は影を潜め、『いい加減な答えは許さない』と怒気すら漂わせている。

だがゴーザの目はその向こう、異常な集団が叫びながら走って行くのを見つめていた。


「ユウキを探さなければ・・・。」


「ゴーさん!」


再度呼ばれてにらむ目に気づく。

「無事だったようだな。」

「儂はゴーさんの影にいたからな。だが手下の何人かはあの炎に取り憑かれたようだ。」

確かに老人の取り巻きは3人に減っていた。

皆一様に顔色が悪い。


「詳しい事はわからん。だが、あの神族の女が何かを企み、それに孫が巻き込まれているらしい。直ぐにユウキを探して助けたいが厄介な事にあの炎は際限なく伝染して下手をすれば街中が敵に回る可能性がある。いっそ元凶の女を倒した方が早いか・・・」


「この街でエリグマ・ファミリア相手になめた真似をしてくれる。ゴーさんの孫についてはこちらで人手を出そう。優秀とは言い難いが集団には集団で当たる方がいいだろう。それよりあの女の居場所に心当たりがあるのか。」

「あの服は祭典の時に教会の関係者が着るもの。しかも金糸の縁取りは司教の側近であることを示している。普段ならともかく今日に限ってはあの格好でいられる場所は中央の教会本部しかない。」

老人の眼光がギンとひかる。

襲い掛かる猛獣さながらに、殺気を振りまく老人は先程までの柔和な様子と同じ人物とは思えない程恐ろしいものに変わっていた。

エリグマ老人は3人の手下に振り向いて、吠える。

「お前ら、エリグマの名ですべてのファミリアに通達しろ。第一に英雄ゴーザの孫と一緒にいる女の子の確保、邪魔する奴は排除してかまわないが暴徒の火は直接触ると引き込まれると伝えろ。そして戦闘部隊を中央教会に集めろ。ふざけた神族の女に落とし前をつけさせてやる。」

「親分はどうなさるんで。」

「儂はゴーさんと行く。」

「危険です。せめて護衛の者が集まるまでどこかで待っていてください。」

「ぐだぐだ言ってんじゃねぇ! 儂はまだ現役だ。さっさと行け。」

一喝すると手下の3人は走り去った。


ゴーザは黙って頭を下げると何処かにいる孫を信じて走り出した。


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