第33話 騒乱の炎Ⅰ

モルドの視界を幾つもの影が通り過ぎてゆく。


それは細長い人の足であったり丸い形をした頭であったり、空を飛ぶ鳥のモノなのだろうか、他の影を貫いて時折小さな塊が一直線に横切って行ったりする。


顔を上げれば一枚の絵画の様に、人々が織りなす様々な情景を眺める事が出来たであろうが俯いて歩くモルドには地面に映る影の濃淡だけしか解らない。


先程感じた、重い異物が入っている様な感覚は依然として残っており、それが耐え難い異臭を放ちながら身体の奥を徐々に汚染していく様な気がした。

それが何なのかはおぼろげながら解っているのだがそれを認めてしまえば自分の全てを否定されてしまうような気がした。

自分が自分でなくなってしまう様で恐ろしかったが気づいてしまった以上無視することもできない。

モルドの思考は水に飛び込むのを躊躇う子供の様にギリギリの所で立ち止まったままいつもでも踏み出せずにいた。



魔導具を造ることは自分の閃きを形にすることに他ならなかった。

昔から人と違う奇抜な考え方をする事を密かな自慢にしており、人と異なることを是とし、凡人と距離を置くことは自分の才能を伸ばすことになると思っていた。

新しいアイデアを盛り込んだ魔導具は他に類がない以上、価値が判る人間が挙って買いに訪れる、そんな風に考えていた時期もあった。


だが、奇抜なモノであればある程欲しいと言う人はいなかった。


使い勝手が悪いのだ。


道具とはそれ自体が主役とはならない。

人が何かを成す為の手助けをするものであって、そこには使う人間の目的があり、思いがあり、状況がある。

道具を造る職人はわが子を慈み育てる様に造る物の行く末を思い、人の役に立つ様に・人に必要とされるようにと願って工夫を凝らすべきであるのに、モルドは自分のアイデアを形にする事ばかりに興味が向いてしまって『どんな人間』が『どの様に使うのか』という“道具本来の意味”を考える事がなかったのだ。

その点では目を引く所がなくともごく普通のブラシや駆け出しの鍛冶屋が造る包丁の方が淘汰され尽くした合理性にあふれている分だけ優れていると言えた。


今回、人の命が失われた事については客観的に見てもモルドの責任と糾弾される事はない。

だが、魔導具がちゃんと使える物であれば死ななくていい人間がいたはずだった。


「オレは何をしてきたんだろう。」


魔導具職人モルドは初めて自分の在り方を考え始めた。





元々の性格故なのだろう、自分の想いに沈み込んでしまうと『どこに向かって歩いているのか』も意識していなかった。

そんな状態だったので地面を行き交っていた影達が急に向きを変えて長く長く伸びて行った時も、直ぐには異常な事だとは気づかなかった。

だが周囲がざわざわと騒ぎ始めると流石に意識が戻って来る。

はっとして顔を上げると建物の向こうに眩い光の残滓が音もなく消えて行った。


「うわぁ、目がチカチカするよ。」


「あの光は何だ。」


「何か悪い事の前触れじゃなければいいけど・・・」


それは自分が帰ろうとしていた方向だった。


悪い予感がする。


何かに駆り立てられる様にモルドは走り始めた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


店を出していた通りに着くと野戦病院かと思わせる程混乱していた。

男、女、子ども、老人など雑多な人々が、あるいは座り込み、あるは横になって呻いている。

その中に青地に金の刺繍のある服を着た治癒院の治療師が10人程、あちらこちらで治療の為に魔導具を操作しているのが見えた。

休む間もなく忙しく動き続けていたが呻き声を上げている人の中に混じってその数はあまりにも少ない。

その為、治療の順番を待つ人々は痛みと不安から苛立ちを募らせていた。



何とか自分の店までたどり着いたものの、状況は更に酷かった。

他に比べて倒れている人が多く、その分治療師の人数も多い。

店も支柱が倒され、雨除けの幌は裂けているし、商品を並べていた台はひっくり返り当然のことながら上に乗っていた物は散乱して中には明らかに壊れている物もある。

あまり売れていなかったとは言え、これを造るのにかかった費用と時間を思えば泣きたくなってしまう。


「何があったんだよ。」

誰に言う訳でもなく呟きが漏れた。


「その声はモルドさんか?あんたは無事だったのか。いや、半分はあんたの責任か?」

声を聞きつけて隣りで店を開いていた男が話しかけてきた。

その男も被害にあったのだろう、目に手を当てて横になっている。


隣りあって店を開いていたのにモルドは相手の名前を知らなかった。

「おい、ここで何があったんだ。それに何でオレの店だけがこんな状態になっているんだ。」

『責任』と言われて少し前に言われた事が頭をよぎる。

動けない相手に殴り掛かるほどではないが気持ちが強張って言い方が鋭くなってしまう。

「あんたのところで店番をしていた子供が爆弾を使ったんだよ。酷いもんさ。私は直ぐ側にいたからまともに浴びてこの様だ。」

『爆弾』と聞いて無差別に人を死傷させる残忍なイメージが浮かんだが、自分が出会った子供にそんなことが出来るとは思えない。


「最初から話してくれ。オレが出てから何があったんだ。」


「あんたがいなくなった後、店番をしていた子供の所に知り合いらしい女の子が来て楽しそうにしていたんだが、そこに若い男が来て何か怒鳴り始めた。三角関係と言うには男と子供たちの年が離れている様に感じたが綺麗な娘だったからそんなこともあるのかと思っていた。だが男が剣を抜いて暴れはじめてね、あんたの店を滅茶苦茶にしたのはそいつだよ。その後店番をしていた子供は何とか逃げようとしたんだが女の子を庇っていたからそれも出来なくなって、到頭斬られるかと思ったら何かを投げつけてボン!だよ。私は直ぐ近くにいたから目をやられてしまって何も見えなくなってしまった。このまま視力が戻らなかったらどうやって暮せばいいんだ・・・」


男は今にも泣き出しそうな声で話していた。

モルドは言う事が見つからなかったがその代りに自分に話しかけられたと勘違いをした治癒師の一人が嘆きに答えた。


「いえ、皆さんの症状は、強い光を見て一時的に神経が混乱しているだけですよ。程度は重いのですがエリアル光による典型的な眩惑症ですから後遺症の心配もありません。」


「そんなことはさっき聞いたよ!だけど、聞いたこともない魔導具の光が本当にそれだけなんて保障できるのかよ。こんな騒ぎを起こした奴に責任をとらせるべきだろう!」

興奮したその声は被害にあった大勢の人間に届き、『そうだ!そうだ!』と言い始める者達があちこちで増えて行く。

被害の軽かった者の中には『あのガキを探し出して責任を取らせろ!』と早くも駆け出そうとする者さえいた。


個々の人間性に関係なく、一つの集団と化した時点でそれは別の生物の様に動き始める。あと少し、共感して叫ぶ声が多くなれば、あるいは具体的な動きが大きくなれば臨界を超えて暴徒と化した集団がユウキに襲い掛からんと動き出すことは確実だった。


「いい加減にしやがれ!」

共感に小さなノイズが走る。


その声は隅々にまで響き渡る程大きくはなかったが、言葉を聞いて気持ちを乱した人たちの雰囲気は共感状態にあった集団に伝わった。

微風に揺れていた稲穂を瞬く間になぎ倒す突風の様にその場の空気が静寂に変わった。


怒りに突き動かされてモルドが吠える。

「お前ら恥ずかしくはないのか!小さな子供が殺されようとしていたのに誰も助けようとしなかったのか?必死に足掻いて活路を開いたと言うのに眺めていただけの奴が『責任を取らせる』だとっ!ふざけんじゃねえよ。殺されかけたあいつにとってお前らは殺そうとした奴と同じじゃねえか。だったら反撃して何が悪い。なぁ、子供に抵抗せずに死ねとそう言うつもりか。」


言い返す言葉を失くした人々の中で子供を抱えた母親が震えながら声を絞り出した。

「わ、私の子供も被害を受けているのよ。その子の事が可哀そうだと言うならうちの子だって可哀そうだと思わないの!」


何人かがはっと顔を上げた。

それは消えかかっている焚火に枯草をくべる行為の様に、小さな炎が盛り返そうとしていた。

「そうだよ。子供だからって関係ない子供に危害を加えていい事にはならないぞ。」

『そうだ、そうだ』と声が上がる。


だがモルドの怒りはその程度の事で揺らぎはしなかった。

「大人として、人間として、あんたらは自分の子供に言えるのかよ!余所の子供を見殺しにしようとしたから自分たちが被害にあったと自分の子供に胸を張って言えるのか!言えないとしたら守っているべきあんたらの所為じゃないのか!」

『どうなんだ!』と声の上がった辺りに向けてモルドが問いかけると、突き出した指から水が出ているかのように燃え上がりかけた炎は再び小さくなって行った。



モルドには群衆の仕打ちが許せなかったのだ。

その怒りがユウキに対する同情なのか、あるいは無責任な群衆に“かつての自分”を見たからなのかは本人にも解らないが黙っている事はどうしてもできなかった。


理屈ではないのだ。

その分言っていること自体は多分に感情的で暴論とさえ言えるものであり、もし冷静な論者がいれば1シュードと掛からず論破する事も容易かったに違いない。

だがこの場でそんな事ができる者は一人も存在せず、皆俯いて気まずい思いを噛みしめている。

それはこの場に居合わせた誰もがユウキに対して多少なりとも後ろめたい気持ちを誤魔化していたからに他ならない。

モルドが言う様な『子供が殺されればいい』などと考えていた者はほとんど存在せず、むしろ『助けたい』願っていた者も多かったのだ。

ただ、剣を振り回す者に敵対する勇気がなかっただけなのだ。


最早、騒乱の炎を燃え上がらせようとする者は誰もいなかった。

誰もが小さな罪悪感抱き、この場から去った子供の事を案じ始めていた。




だが、燻る熾火に敢えて風を送る者も確かに存在した。

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