第18話 追ってきた男

ユウキは十分注意をしていたつもりだが心のどこかで驕りがあったのだろう。

それは、『ゴーザほどの探索者はいない』という信頼と『逃げる事に関してはゴーザと互角にやり合える』という自信から来るもので、10歳という年齢を考えれば仕方ないとも言えることだった。

確かにゴーザは探索者の頂点と言えるが、それは主に彼の戦闘力と総合的な能力に対するものであって個々の能力すべてが最優秀であることを意味していない。

探索能力や穏行能力に限ればゴーザに匹敵する者も少なからずいるのだが、探索者として活動していないユウキには知りようのない事だった。

それに、ユウキとの追いかけっこはゴーザにとって所詮“遊び”に過ぎず、本気を出したゴーザの実力はユウキが考えているより遙かに上であることもユウキが勘違いする要因になっていた。



「勝手に入ってきて申し訳ない。」

暗がりから現れたダンダールが腕環の魔導具を止めると部屋の中が若干明るさを増した。

巻いたつもりの追手があっさり目の前に現れてユウキの顔つきが変わる。

「囮の痕跡に引っ掛かっていた筈なのにどうして・・・」

「あれは坊主の仕業か。中々見事だったぞ。だがな、やるなら最後の一つだけにしておくべきだったよ。あまり効果のない所で何度も仕掛けてあれば、その後は流石に警戒するからな。これがもうすぐ追いつく場面なら目の前の餌につい飛び付いてしまうのが人間というものだ。それに、策を弄すれば同時に手掛かりを与える事になる。使いどころに注意した方がいい。」

宿題の評価をするようにニヤニヤと余裕のダンダールに対して追い詰められたユウキはロジックサーキットを全開にしてこの場をどうするか考え始めた。


ユウキがドールガーデンを展開すると周囲100シュードの状況が認識領域に形作られる。

通りを行き交う人々、残飯を漁る犬、屋根に泊まる鳥、下水を走るネズミ、家の中で家事をする女の人、寝ている老人、遊んでいる子ども・・・意識を向ければ机の中の財布まで認識できてしまう。


今、部屋の状況に意識を向けると自分を含めた4人の状況が前後左右上下、箱庭の人形を眺めるように理解できる。

更に範囲を広げてもこの家の中にはこの4人以外にはいない。

しかし、家の外、先程ユウキ達が通ってきた水場には変わらず椅子に座っている老婆とそれを取り囲むように立つ男たちが居た。


「お婆さんに何をした!」

あまり良好な出会いとは言えなかったが自分達の所為で知り合いが酷い目に合うのは許せない。

「おいおい、俺たちを何だと思っているんだ。犯罪者じゃないんだから老人をいたぶる様な事はしないぞ。俺たちはそこのお嬢ちゃんに用があって、一緒に来てほしいだけだ。ついでに坊主、悪い事は言わないから一緒に来い。」

「信じられる訳ないじゃないか。あんた、あのアリオって奴の仲間だろう。殺そうとした奴らに大人しく付いて行く馬鹿はいない。」

「あ~・・・まぁそうなんだろうけどよ。色々と手違いがあったみたいでそれについては謝る。」


ユウキはダンダールと会話をしていると同時に後ろに回した手の平を開き、鈍色の丸いエリアルをマリーンに見せた。

先程服から外したボタン型のエリアルだ。

少しだけ手からセレーマを注ぐとエリアルが淡く光り出す。


『マリーンは気づいてくれるかな。』

今からやろうとしていることにマリーンが合わせられなければ効果は薄くなる。

果たして光るエリアルを見つめていたマリーンが微かに肯いた。

再びエリアルを握ると一本だけ伸ばした指をマリーンに向けて、次いで通りに出る入口を指す。

マリーンがこれにも肯いたのを確認して最後に指を三本立て一本づつ折っていく。





3系統のロジックサーキットからセレーマを注いだエリアルを目の前の男めがけて投げる。

前回5系統を使った時程の大きな効果はいらないし、一時的にせよ後ろにいるアンナが被害を受けるのであまり強すぎる反応ははばかられた。


ボッと強い閃光が弾け、一瞬だけ周囲が白く塗りつぶされる。

ユウキは顔を背け、光りから視力を守る。

後ろではマリーンも同じようにしているのがドールガーデンを通して確認できる。

アンナはまともに光りを見たらしく、体を強張らせて立ち尽くしている。

マリーンが扉に向かって走り出す。

ユウキは男に体当たりすべく足に力を込めて飛び出そうとした。


ところが目の前には煙が集まった様な黒い塊があり男の姿は見えない。

驚いたことに、ドールガーデンではその黒い塊すら確認できず、全てが幻だったかの様に何も無い事になっている。


『あいつはどこに行った!』

当てが外れて踏鞴たたらを踏んだユウキに向かって、黒い塊から腕が伸びてくる。

腕を掴もうと仕掛けて来た所を辛うじて振り払ったが今度はもう一方の腕が首筋を打付けてくる。

右腕を上げてこちらも防ぐことには成功するが、斬られた傷にズシンと響き思わず顔を顰める。

しかし相手の攻撃は止まらない。

二本の腕は上下左右を途切れることなく襲い、ある時は槍の様に突き、ある時は剣の様に薙ぎ、ある時は鞭の様に絡みついてくる。


『やり難い!』


攻撃を奇跡的に防いではいるが、黒い塊から突然出てくる攻撃を反射的に捌く事しかできない。

普段、ドールガーデンとロジックサーキットを組み合わせた戦い方をするユウキにはこの黒い塊は非常に相性が悪かった。

止む事のない攻撃に翻弄され、ユウキの体にはダメージが蓄積されていく。

唯でさえウェイトとリーチで劣っている上に拳打を受ける度に体軸を揺らされて、まとも戦わせてもらえない。

それでも何とか攻撃を防ぎ続けているのはゴーザの訓練の成果とロジックサーキットで体の各所を正確にコントロールしているからに他ならない。

しかし、痛みと疲労に徐々に集中力を削られ、それ程長くは持たないだろう。


『何とか流れを変えないと・・・』

しかし挽回しようにも使える手札がない。

いつもの様にタルタロス・サーキットが使えれば痛みも疲労も無視して、大人に引けを取らない動きをする事が出来る。

だが、ドールガーデンで相手が観えない状況では右目を閉じてしまったら、視覚からの情報を減らしてしまったら瞬く間に追い詰められてしまうだろう。



「ユウキ!」

扉にたどり着いたマリーンが振り向いて叫ぶ。

助けに戻ろうとしたがユウキとダンダールの攻防が激しすぎて迂闊に近寄れない。


『何か・・・何か私にできる事は・・・』


力で劣るマリーンには考え、工夫するしかない。

こんな時、焦りは判断を誤らせ往々にして目も前にある見せかけの希望に飛び付いて事態を悪化させる。

もしマリーンがユウキの横に並ぼうと飛び出していたら、辛うじて保たれていた均衡を崩し、二人そろって呆気なく打倒されていた事だろう。

だが、マリーンはこの緊迫した場面ではありえない事に両目を閉じて焦る気持ちを沈めていく。

直ぐ傍で仲間が殴られ、もしかしたら自分の運命が決まってしまうかもしれない中、これほど冷静に対処する事は一軍を率いる将であっても難しかっただろう。

そして即座に気持ちを切り替えると打開策を求めて猛烈に思考が加速していった。


“ここにおいてマリーンの隠された才能が開花した”・・・訳ではもちろんない。

シュプリントの家系、幼いころから生活の中で刷り込まれた探索者の家の習慣の結果が経験もないマリーンにこの行動を採らせていた。


シュプリント家はフェンネル家に劣らぬ有数の探索者の一族だ。

マリーンの父、ジョージこそゴーザの人柄に惚れ込んで副官に甘んじているが、家系図を遡れば、それこそ書物にも残る名前が幾つもあるし、マリーンの曽祖父も自らのキャラバンを率いて勇名を轟かせていた。

そして長い年月の間に洗練された一族は生活の場においても至る所に研ぎ澄まされた合理性が秘められており、生活する事、規則に従う事が即ち磨き上げられた真髄を学ぶ場に他ならなかった。

もちろん、“観るべき者が観れば”という条件はあるし、子どものマリーンがその観るべき者に該当する筈はない。

だが、子供であるからこそこの緊迫した場で普段の習慣に基づいた行動を自然と採ることができていた。


マリーンは考える。

今、ユウキの問題は体格差、ユウキの怪我、武器がない事、場所の狭さ、そしてあの黒い塊から突然繰り出される手足。

特に黒い塊の所為で相手の居場所が解らないので、打ち込んだユウキの攻撃が空回りしている事が何度もあった。

『相手の場所を明確にして、できれば動きを抑制する方法は・・・。』

氷の様な視線が部屋の中を観察する。

そして作業机にあった粘着ツタを手に取ると先端を机に張り付けて黒い塊目がけて投げつけた。


判断は良かった。

粘着ツタは強力で、濡らさなければ剥がせないし素手では簡単に切る事は出来ない。

身体のどこかに付けば動きを制限する事になる上、あの黒い塊の中で大よその位置を教えてくれるだろう。

狂いがあったのは、10歳の女の子のコントロールでは狙った所には飛ばなかった事。

黒い塊に向けて投げられた粘着ツタはコースを外れユウキに向かって飛んで行った。


「ユウキー」

名を叫んでも祈っても一度放たれてしまった物が目標を変える事はなかった。


一方ユウキにはドールガーデンを通してマリーンのしている事は判っていたがダンダールの相手をしている状況では避ける余裕はない。

それでも当たれば事態を決定づけてしまう為、無理やり後退を試みる。

しかしこのあまりに不自然な動きを見逃すはずもなくユウキはまともに殴られて後ろに転がって行った。


相手にとっては運が悪い事に殴りつけた直後の、身体が伸びた状態でユウキが立っていた場所まで飛び出してしまった。


「ぅわっ!何だこりゃ。くそ、とれねーぞ。」

黒い塊に伸びた粘着ツタがブンブンと右に左に振られる。


マリーンは机に付けた一端を外すと黒い塊を遠巻きに回り始めた。

「や、やめろ!動けなくなる。」

もちろん止める道理はない。

「こうなったら、お前らも一緒にくっ付きやがれ!」

自棄になってマリーンに体当たりをしようと動き出す。

しかし既に動きが大分鈍い。

ユウキは起き上がって黒い塊に迫る。

動く方向とツタの向きで中にいる人間の位置が大よそ判る。

「場所さえ判れば今度こそ!」

すかさず右目を閉じてタルタロス・サーキットを開くと身体を回転させながら腹と思われる所を目掛けて肘を打込んだ。

「ガハッ」

確かな手ごたえがありダンダールが崩れ落ちる気配がした。



通常であればこれで勝負は決まるのだが、生憎と目の前の探索者は粘り強い。

ギリギリで踏み止まったダンダールはユウキの腕を掴んで引き寄せた。

「ガキ共が舐めんな!」

決めたと思って油断していたユウキは逆に体勢を崩されてしまう。

暗闇の中でダンダールが頭を後に反らした。

粘着ツタに絡め捕られてもはや頭突きしか攻撃手段がないからだが、この状態でも諦めない強さは称賛に値するだろう。

だが、


「人の家で勝手なことをしてるんじゃないわよ!」

アンナが振り回した棒が黒い塊に吸い込まれると、『うげっ』という叫びをあげて今度こそ動かなくなった。




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