第十三章 初恋の森⑨
「今日会ったら……絶対……キスするって、決めてたの」
彼女の言葉が、頭の中でこだまする。
再び唇を重ねてきた。
二度目のキスは、一度目とは何もかもが違っていた。
舌を、積極的に絡ませてきた。
しかし、三度も瞬きをしないうちに、ロズは慌てて、唇を放してしまう。
先程とは比較にならない快楽に、理性が一瞬で火傷を負ってしまったのだろう。
己の恥じらいに火かき棒を押し付けながらも、ロズは繰り返し、求める事を止めなかった。
やがて、一方的に責められるがままの状態に耐えかねたジャックの舌が動いた時、ロズは我に返ったのか、密着させていた身体を、僅かに浮かせて距離をとった。
ロズは立ち上がると、髪をかき上げ、熱を逃がした。
恐らく、乱れ切っていたという事実すら、風に流してしまいたかったに違いない。
ロズは自分の鞄を手に取り、大切り株の中央に歩いていく。
鞄の中から、綿毛を先端に付けた茎の束を取り出すのを、ジャックは上体を起こした体勢で、見ていることしかできなかった。
ロズの口づけはジャックの両足に、長時間敷いて座った後のような、強烈な痺れを残していた。
ロズの手が、綿毛を千切って零す。
綿毛は、切り株の表面に着地すると、大きさを増していく。
綿毛の塊が、ジョニーの部屋のベッドよりも大きくなった。
そう認識した瞬間、ジャックは、ロズがこれから何をするつもりなのかを、理解した。
全ての準備を終えたロズがこちらに歩いてくるまでの間、ジャックは、自身の中の下品な焦りを静めようと、ひたすら躍起になっていた。
ロズの歩みも、まるでジャックと同じ葛藤を抱えているかのように遅かったため、彼女が傍にくるまでに、なんとか、ジャックの頭は最低限の回復を見せた。
ジャックは、努めて冷静に、自分の現状を訴える。
「痺れて、立てないんだ」
ロズが、ジャックの足に蹴りをくれた。
それで何と、痺れが飛んでしまったというのだから恐ろしいもので、ジャックの身体の支配権は、どうやら生理的な範囲まで、ロズに侵略されてしまっているようだった。
ジャックは犬のように、彼女の後をついていく。
そして、綿製ベッドの脇まで来たところで、二人して見詰めあい、立ったまま動けなくなってしまった。
ジャックは、この場を支配するロズから先に、綿のベッドに腰掛けるのを待っていた。
だがロズは、ジャックが男として、彼女を思いきらせるためのアクションを起こしてくれるはずだと、期待していたのだと思う。
互いの視線と、鼓動、そして、純粋な欲望に急かされる二人。
先に口を開くことができたのは、やはりロズだった。
「愛人は地位が低いんだよ? 絶対服従……分かるよね」
ほとんど独りでに、ジャックの視界が縦に揺れた。
「主人の前で服を着ることなんて……許されてないんだよ……?」
ロズは、恥じらいの責任その全てを、ジャックにとらせようとしていた。
彼女らしく無かった。
まるで、ジャックが自分の命令に従わないかもしれないと、恐れているかのようだった。
ジャックに、逡巡は無かった。
彼女の前に跪き、一枚一枚、言われた通りに、脱ぎ始めた。
動きが緩慢に陥ったのは、本意ではない。
目を逸らせばジャックを操っている糸が切れるかもしれないと神経質になっているロズを、刺激したくなかったからだった。
上半身を曝け出した。
街中の男を虜にする少女が、緑の裸を眺めているという現実。
興奮が、高まっていく。
ジャックは、バッグルを外しながら立ち上がる。
そして、細い身体を全て隠さず、彼女の眼前に、差し出す。
「寝て」
命令されるがまま、ジャックは綿のベッドに転がった。
仰向けになったジャックの腰へ、ロズがおもむろに、跨った。
ジャックの陰部は、ロズの広がったスカートの中で、肉圧による容赦のない激痛を与えられた。
耐えきれず、激しい呻き声をあげてしまう。
首に、ロズの指先がかけられる。
「……ヤなの?」
潤んだ青の瞳が、苦痛を与えるつもりなど微塵も無かったことを証明していた。
ロズを愛しく思った途端、例の足の痺れが、つま先から蘇ってきた。
全身を這い上がり、脳髄にまで達し、腰の芯まで響いていたはずの鈍痛が、快感に塗り替えられた。
今、この時。
ジャックはオークでなく、ロズはエルフでは無かった。
自分は、彼女に捕えられた名もなき単種の蛮族であり、彼女は自分だけの女王だった。
ジャックは言った。
「ここで、殺して」
ロズの背後には、葉の隙間を埋める、点々とした夕空が見えていた。
「うん、分かった」
このまま夜が来なければいいと思った。
星は葉の下に、こうもくっきりと見えているのだ。
同時に、永遠に終わることの無いほど濃い夜が、訪れることを願った。
ロズの身体が、ジャックの裸を覆う。
柔らかく抱きしめられながら、ジャックは手の平を、彼女の背中に這わせた。
朝の光が、止まっていた時間の流れを溶かしてなお、二人の中に、とんでもないことをやらかしたという危機感が、すぐに訪れることはなかった。
当事者二人に全くその意識が無くとも、世間から見て、この一夜に起こったことは、『ロズ・マロースピアーズ、人生二度目の誘拐』に他ならない。
ロズの家は、娘の無断外泊に、今頃大騒ぎだろう。
その百分の一ぐらいのスケールで、ジャックの両親も困惑しているはずだった。
夜が明けたとなれば、いよいよ噂の蓋も利かなくなり、街中に知れ渡ることになる。
事の重大さを頭の片隅で考えながらも、ジャックは、裸の彼女を腕の中から離しはしなかった。
長く夜闇に包まれたせいで、二人の精神は、スムゥ・スラグに包まれていた時の状態へ、甘い退化を遂げてしまっていた。
ロズは今、ジャックの腕の中で、鎖骨に歯を立てている。
「私だけ不公平。誰から見ても犯されたって分かる印を、あんたにも残してあげる」
夜の入り口にそう言ったきり、ロズはそれ以上、人語を話さなかった。
爪で、歯で、ジャックの全身に傷を付け、舌先で血を拭い、男を奥に導いては、ひたすらに嬌声を上げ続けた。
唇を重ね、吐息に愛を含ませる。
指に破瓜の涙を纏わせて、ジャックに味わわせた。
持ってきていた飲み水は全て、果てるたびに気を失うジャックを覚醒させるために使い切られた。
最早、汗の一滴も、二人の身体の中には残っていなかった。
渇ききってなお、森の夜の魔性を、二人はしぶとく体内にとどめようとした。
それが無駄な抵抗であることを無視できなくなった時、どちらともなく、ロズの持っていた発火液で、綿のベッドを燃やし始めた。
愛し合った痕跡を、自分達の手で隠滅しなければならないことに、彼女も虚しさを覚えただろうか。
しかし、アンニュイはそこで途絶えた。
「え、僕の服!?」
綿のベッドを完全に燃やしつくすため、その上に被せられた枯れ枝の中で、半分ほど焦げたジャックの服のシルエット達が揺らめいていた。
切り株の上に視線を走らせても、もはや下着一枚落ちてはいない。
ロズの姿を確認すると、彼女はいつの間にか、自分だけちゃっかりと着替えを済ませていた。
裸のジャックに近寄り、腕をからめてくる。
そして、ジャックから抜け落ちたアンニュイを引き継いで、言うのだった。
「あんたなんて、一生森に住んでればいいんだよ」
… … …
その後、森に一人残された全裸のジャックが、いかにして夕方、自分の家のドアノブまで辿り着いたのかは、誰も知らない。
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