第十二章 アクセル・ロズ⑤

 通りに出て、最初に右を見たのは幸運だった。

 金色の髪が、通りの角に消えて行く。

 ジャックの姿を認めて、駆けだしたように見えた。


 慌てて後を追い、走る。

 

 人混みが彼女に味方していた。

 ロズが、通りがかる先々で道を譲られるのに対し、ジャックは当然、そんな気遣いをされる身分では無い。

 どころか、足を三度もひっかけられる始末だ。

 

 呼びとめればいいのは分かっていた。

 だが、ただ走っている今でさえ、すれ違う人間全員に顔をしかめられているのだ。

 おおっぴらにロズを呼びとめるのは、彼女の守護者を人込みから召喚するのと同じだった。

 

 それでも、


「待って!」

 

 意を決し、ジャックは声を張り上げた。

 フウではないが、今なら魔王さえ張り倒して進んでやるつもりだった。

 

 ロズが、脇道に逸れた。

 

 ジャックは、しめた、と思った。

 人の目がある場所でも躊躇の無いことをアピールしたのが、功を奏した。

 

 ジャックも続いて、人気のない路地に転がり込む。

 

 ようやく、人混みを気にせず全力疾走できそうだと気合いを入れなおしたジャックは何とか、待ち構えていたロズの二歩前で静止することに成功した。

 

 息が、つっかえる。

 先程まで同じ空間にいたとはいえ、やはり突然目に入れるには心臓に悪すぎる美貌だった。


「だっさ……またナンパ?」

 

 ホールでの悪口雑言から一転、分かりやすい侮蔑を込めてロズが言った。

 ジャックに背を向け、歩き始める。

 彼女の向かう先、小さく見える路地の出口から、埃一つ浮かべない光が、一歩分、差し込んでいる。

 

 ロズが遠くに行ってしまう。

 ジャックは、自分の後ろからも同じ光が差し込んでいるとはとても思えなかった。


「そうだよ、ナンパだ!」

 

 叫んだ。

 ロズの向かう先にある光を、音圧で吹き飛ばすように。


 路地の両端から、通行人達の笑い声が聞こえてくる。

「意気地の無い男がどこかの女に食い下がっていたぞ」と、ジャックは今夜、この辺りの家々の食卓で笑い話に上るだろう。

 無論、物珍しがった誰か一人にでも路地を覗きこまれたら、笑い話どころでは済まない。

 

 だが、ジャックは怯まなかった。

 

 男を見せる、時だった。


「聞いてよ! 何も強制しない! 僕の考えていることを、聞いてくれるだけでいい!」

 

 ロズは、苦虫を噛み潰した顔を、傍の塀に向けていた。

 何とか振り向かせたくて、ジャックは、彼女から汚らしいと言われた身体で、ジェスチャーを駆使し、会話に勢いを付けていく。


「論理的に考えると……本当は、君、フランケンズ・ディストに入りたかったんだろう? みんなに君が言ったことなんて、全部嘘だ。ステージで歌った君から、確かに感じたんだ。期待と……希望。僕なんかが、君みたいなボーカルにこんなこというのはおこがましいかもしれないけど……歌を歌うっていうのはつまり、何かを伝える為に、声を出すってことだろう? 君の歌は最高だった。だから、その……とにかく伝わったんだ!」

 

 ロズの舌打ち。

 大声を出すなという命令。

 勝手に窄まりそうになる喉と唇を、気合いで押し広げる。


「君は、本気じゃ無かったって言ってたけど……ただの遊びに、君がわざわざこんな手間かけるわけない。そんな、ただ僕らをからかうためだけになんて」

 

 ロズは指先でピアスを弄ぶ。

 退屈を感じているのか、それとも七連ピアスから何かしらの音楽を炸裂させて、人を呼ぶつもりなのか。

 手短に話さなければという本能の警告と、この機会に全て話さなければという強迫観念に襲われ、ジャックは、もうどうにかなってしまいそうだった。


「もし、フランケンズ・ディストに入りたいなら、今からだってみんなを説得できる。ジョニーから、チーム名の由来、聞いてない? このチームの出会いが運命的だったからって、ジョニーは言ってた。けど君だって、その運命に一枚噛んでる」

 

 乾いた口の中で生き残っていた生唾が、まとめて喉に吸い込まれていく。

 ジャックは、大きく息を吸う。

 

 ここからが、本番だった。


「僕にナンパされた日のこと、覚えてくれてたんだね。僕としては忘れててほしかったんだけど……よかった。説明の手間が省けるから。そう、あの日さ。君はフランケンを、僕の目の前で放り投げて、鳥に食わせようとした。僕は、最低のやり方で君に傷つけられたって、あの日は悲しんだ。でも、日が経つにつれて、あの時の君の行動には、もしかすると別の意図があったんじゃないかって、思い始めたんだ。その考えを抑え込もうと、僕はずっと必死だった。勝手に信じていた君に、勝手に絶望して、もう二度と、希望は持たないようにしようって、決心してたから。でも、今日の君の態度を見て、確信した。あの時君は……僕を助けようとしてくれてたんだ」

 

 苦しんでまで言葉を絞りだすのは、過去に縋るためだけでなく、未来を信じるからだ。

 もし、自分の考えた事が正しいならば、ロズの入団試験が、あんな結果で終わっていいはずがないのだ。

 それは、フランケンズ・ディストにとっても、ロズにとっても、最悪の不利益以外の何でもない。

 

 ジャックの頭の中には今、全ての人間の命運がかかっている。

 しくじるわけにはいかなかった。


「最初に違和感を持ったのは、それこそ、僕が君を間違ってナンパした時だ。あの時君は、僕の後ろの方を、信じられないって顔で見詰めてた。僕の後ろにはジョニーがいた。けど、おかしいよ。どう考えたところで、あの日エルヴェリンに来たばかりのジョニーと君に、接点があったはずはない。つまり、あの時君がジョニーを見詰める動機なんてあるわけない」

 

 リンダのように一目ぼれが働いた可能性もあるが、ロズに限っては、そんな確率、無視しても構わないだろう。

 

 ならば最も、合理的な解釈は。


「君はあの時、ジョニーの頭の上の、フランケンを見ていたんだ」

 

 それしか、考えられなかった。


「君もあの時、フランケンを探していたんだ。そうだろう? 賑やかな時計塔広場を、一人で歩く君じゃない……でもそうなると、おかしいってことになる。君が僕を裏切ったままだと、矛盾が生まれる。痛めつけた相手に気を遣う人間なんていないから、どうしても山高帽を、君が探すわけないってことになる。けど、矛盾は簡単に解くことが出来る。あの日、君は僕を傷つけようとはしていなかったんだ。ゴミ箱に飛びこみそうになっていたフランケンを、君は庇って、キャッチした。でもそのままだとまずい。ステラボウルズの一員である君が、いじめに加担しないなんてことが、あっちゃいけない。そして、帽子をキャッチした後、僕に向かって、ゆっくり距離を詰める間に、君はいいアイデアを思いついた。君は、僕の目の前で、フランケンを上空に放り投げる。『ロズがオークを助ける振りして、からかった』っていうのは、エルフ達にとっては、ただ帽子がゴミ箱に突っ込まれるより、よっぽど気の利いた終わり方だ。そして僕にとっても、ゴミ箱の中で帽子が汚されるより、ずっとマシだったろうね。この方法なら、損をするのは…………君だけで済む。馬鹿な僕は、君のアイデアが全て上手く行った所で、君に守られたことすら理解せず、心の中で君を責めたかもしれないから。けど実際、君の作戦は成功しなかった。僕を一番傷つけてしまう結果となった。君は、そのことを後悔してくれてたんだ。だから、フランケンを探した。まさかあんな」


「あんなタイミングで鳥が飛んでくるなんて思わなかった」

 

 ロズが言った。

 

 か細い呟きは、力説に夢中になっていたジャックを容易に静めた。


「どうして、そんな風に考えられるの」

 

 ジャックは、衝撃を受けた。

 同族から、種族の誇りと称えられているロズの尖った耳が、斜め下にうなだれていたのだ。


「森で…………あんたのこと見捨てたのに」

 

 ロズの言葉の意味を噛みしめる。


 ジャックは、美しさという概念の、ある種の終着に見入っていた。


 そこにいるのは、悲しみの似合う人間など、この世のどこにもいやしないのだということの体現者だった。

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