第十一章 フランケンシュタインが生まれた日④
午後の授業を抜け出して、キヅタ・サロンの近くまで来ていた。
あの夜、フューシャ・スライが消えていった街角を曲がる。
メグラチカで誘拐された恨みを晴らしてやろうなどという気持ちから捜索しているわけでは無かった。
私の事だから、一生に一回くらいはそんな目にも会うだろうとは、以前から思っていた。
かといって彼に、別の特別な関心があるかと言われれば、決してそうでもないのだった。
恋人以外の腕に自分を抱かせたのは初めてだったが、嫌悪も興奮も感じなかった。
人一人の身体を抱えながら、息をまったく切らさず駆けるフューシャの腕の中は、上手くは言えないのだが、そう、人の匂いがしなかったのだ。川のせせらぎや、あるいは揺り籠のような、人の演出しえない柔らかさの中で、あの日、私は眠ったのだった。
今となっては、いたるところに張られた彼の指名手配書を見ても、「街中から憎まれるなんて可哀そうに」と、ぼんやり浮かぶだけである。
当の被害者の中で、ここまで他人事じみていたとしても、はたして犯罪とは成立するものだろうか。
それでも私が彼のことを気にかけてしまうのは……そう、彼が非常に、タイミングの良い男だからだ。
ミクシア祭の、オーロラ・ステージ。
私の手に口づけた後、彼は私にしか聞こえない声で―――そう、シュリセが傍にいたにも関わらず、私は、その言葉が私にしか聞こえなかったと確信している―――こう言ったのだ。
『騎士の名を呼んだであろう』
あの時だけで彼との接点が消えていれば、私も自覚しなかったかもしれない。
だが、メグラチカと、それから先日のキヅタ・サロンでの登場により、私の心の中に、ある疑念が浮かんでいた。
もしかすると、彼が私の前に現れているのではなく、彼の言う通り、私の方が彼を呼んでいるのではないか。
彼が三度にわたり登場した際、私の心が、どうにも特定の波長を発していたように思えてならないのだった。
私は、それを掴みたかった。
角を曲がった先の人込みの中にいた人物に、目を奪われる。
それは、私の予期していなかった影だった。
しかし、私の求めていた影に酷似した姿をしていた。
ジョニー、だ。
棺桶じみた黒いケースを背負っていた。
鍔広の山高帽は、最初、彼に会ったときに比べ、随分その頭の上で安定しているように見えた。
謎に包まれたフューシャの、同族……かもしれない男。
私は、フューシャの手掛かり欲しさに、後を付けた。
気を抜くと、別な動機が心に滑りこもうとするので、私は滅多に引き締めない心に、緊張を走らせた。
ジョニーは、黒石材のみで立てられた、気取った建物の中に消えて行った。
すぐに、後を追おうとしたが、彼に続いて入り口からお邪魔したのでは、当然尾行はバレてしまう。
私は、とりあえず敷地に侵入し、建物の外周に沿って周った。
それにしても、潔癖なまでに窓がないものだと感心しながら裏手まで周ったところで、一つだけ、発見することが出来た。
やはり世界は私に都合よく出来ているのだという落胆を感じながら窓枠に手をかけると、当然のように鍵がかけられていた。
私は、さしたる不都合も感じることなく、通りに戻ると、最初に目についた店のドアを、店名も確認せず潜った。
客のケンタウロスに対し、
「十五フィノン銀貨!」「いくらなんでも高すぎる。幼児用馬蹄の相場なんて、せいぜい三フィノンだ」「御冗談を! 名匠による一点もの。素材はトルトレアル産洋鉄。八段調節で、従来品の五倍以上の年月、使い続けられることも考えれば、もう目一杯、勉強させて頂きました。……ええい、銀貨十四枚!」「五枚だ!」「銀貨十二枚でなんとか……」
私は、入口脇の樽を見遣った。
束にされた杖が飛び出している。
樽に、説明が書いてあった。
「折れたら返品! 破壊衝動期の巨身種のお子さん、もしくは大抵の老人向き」。
私はその中から一本引きぬいて、店員に差しだした。
「値札、取ってよ」
今さら、私と同じ空間にいることに気付いた二人は、飛び上がった。
店員が慌てて、値札を剥がそうとする。
これくらいは流石に、自分でやってもよかったのだが、瞳と同じ色に塗った今日の爪があまりにも綺麗で、私に、他者を労働させることを選ばせたのだった。
剥がし残りの無いことを確認した後、私は店を出た。
ドアが閉まりきるまで、値切り交渉を再開した二人の声が、後をつけてきた。
「銀貨六枚と銅貨八枚!」「銀貨十一枚と銅貨八枚!」「銀貨七枚と銅貨八枚!」「銀貨九枚! それから銅貨八枚!」
黒石材の建物。
窓のある場所に、私は返ってきた。
私は躊躇なく、窓の端を杖で叩き割った。
指を切らないよう細心の注意を払いつつ、内側の閂を外して、窓を完全に開け放つ。
杖を足元に捨てた後、土足のまま、部屋の中に降り立った。
ボリュームのある建物全体の外観と比べると、随分小ぢんまりとした部屋だった。
シングルベッドが部屋の三分の一を占め、床には、規則正しい細かい横線の引かれた紙が、散らばっていた。
ポール・タイプの帽子掛けに、例の山高帽が鎮座していた。
息などしないだろうに、律儀にも、傍から見てきちんと眠っているのだと分かる呼吸のリズムで、身体を揺らしている。
まったく、よくできた番犬だった。
ポールの横には、通りでジョニーが担いでいた黒のケース。
その中身と思しき物体が、ケースの隣の三脚スタンドに立てかけられている。
一見して用途の分からない代物であったため、関心はすぐに逸れた。
恐らく異界の品だろうが、男子じゃあるまいし、それだけで興味をそそられるはずもない。
ベッドの脇の床には、空いた酒瓶が並べられ、咄嗟に不潔と感じたものの、「俺たちはインテリアなんだ! ゴミには出さないでくれ!」と主張しているかのようなその姿に、私は何故か、奇妙な愛らしさを覚えた。
私はシングルベッドに、うつ伏せになって寝転ぶ。
シーツからまず、男の匂いを感じ取る。
そしてすぐにそこに混じる、女も探し当てた。
私は急に、シュリセと寄り添っている時のような感覚に襲われた。
シーツは洗いたてのようだったが、それでも、私の知る男女の匂いよりも遥かに濃い何かを含んでいた。
私は、当初の目的も忘れ、どきどきするような午睡へ、誘われようとしていた。
部屋のドアが開いた。
ジョニーが入ってきた。
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