第九章 フューシャ・スライと世界が廻る②

 フューシャ・スライが存在していた。

 

 ミクシア祭の夜同様、いつ現れたとも知れないうちに、風景に溶け込んでいた。

 シュリセに肩を抱かれたロズの前に跪き、いつの間にかその右手を取っている。

 

 ステラボウルズ達はおろか、手の甲を親指の腹でさすられている当のロズでさえ、たった今気がついたらしい。

 エルフ達は一様に、飛び上がる代わりに長い耳を逆立てる。

 スペーノ塔の影で、人のひっくり返る音が三人分ほど聞こえた気もした。

 

 ロズはフューシャの手を、振りほどかなかった。

 しかしそれは決して、フューシャが力に任せてロズの手首を押さえつけているせいだというわけでも、なさそうだった。

 

 このフューシャとかいう男は、只者じゃない。


 ジョニーはそう思った。


 少なくとも、不作法な変質者では有り得なかった。

 ロズは、オーロラ・ステージの上でも、フューシャの接触を許している。

 警察の翼種隊にフューシャが取り押さえられるまで、ロズの方からは碌な抵抗をした様子がなかったのはこういうわけだったのかと、ジョニーは納得した。

 フューシャの仕草は堂に入ったもので、人の目を憚らず常識を破るにあたり、常人ならば必ず生じさせるはずである知性の欠如の露呈を、感じさせなかったのだ。

 二度にわたる心臓に悪い登場の仕方も、ステージを汚す振る舞いも、他人には理解できない、彼の内なる品位に則ったものなのでは、という発想を、間近で見ている者達に抱かせるのだった。

 フューシャ・スライの行動を突拍子の無い物に感じてしまうのは、自分達が歌姫への謁見を前にした真摯な礼を見逃したからではないか、自分達がぼんやりしていたせいではないか……そんなことを、思わされてしまうのだ。

 

 理屈の通らない相手であると同時に、余りにも濃い紳士の気配を纏った存在。


 それを、気味が悪いと断ずることが出来た所で、すぐに突き離せるかといえば、確かに別問題だろう。

 

 殆ど会話したことの無い相手を、自らの感性を全く疑わずに、一切無価値だと断ずることが出来る人間であれば、話は別だが。


「またこれか!」

 

 ニューアリア一の「話は別」な男、シュリセ・シールズが、ロズをフューシャから引き離そうと割って入る。

 その間も、シュリセはなお油断なく、ジョニーを見詰めていた。

 ジョニーには相変わらず、それが理不尽に感じられていた。

 

 シュリセという障害は、フューシャにとって何事でもないようだった。

 フューシャは、膝をついた姿勢のままで器用に、シュリセを避けてロズの左側に回り込み、今度はその左手を取るのだった。

 反応したシュリセも回り込んで、ロズを庇い直す。

 すると、フューシャがまた、ロズの右手側に戻り、その白い手に口づけようとする。

 シュリセが再びロズの右手に飛びつこうとすれば、フューシャはまた、ロズの左へ。

 それに反応したシュリセが、一拍遅れて、やはり左へ。右へ、左へ、右へ、左へ、右左右左右……。


 ロズを中心とした、惑星系の完成だった。

 

 ジョニーにとっては、この隙にトンズラするというのが、最も賢明な判断なのは分かっていたが、これはこれで面白い見世物だった。


 ミクシア祭の夜。

 オーロラ・ステージ上での逮捕劇の間中、女の観客達からの激しいブーイングが、フューシャに浴びせられていたのを思い出す。

 もし、あの恨み節の大合唱が、シュリセにとって、慰め程度にしかなっていなかったとするならば、今、目の前で起こっている騒ぎのツケは、まさしくステラボウルズにふさわしい、天文学的な数字となること間違いなしだった。

 

 ロズの周囲を、より大きい円周で回っているのはフューシャの方である。

 にも拘わらず、膝をついたままの回転……膝回転ニー・ターンだけで、シュリセを翻弄するのは見事なものだった。

 二つの高速移動する衛星の中心に閉じ込められているロズが、全く動揺せず、気だるげにしている様子も、どこか滑稽で笑いを誘う。

 

 ジョニーは、今なら逆に―――それこそ、一周回って―――彼女とゆっくり会話が出来るのでは、と思った。

 しかし、話しかけようとしたジョニーに向かって、ロズは唇に人差し指を当てるジェスチャーをする。

 恐るべきことに、ジョニーの唇が、意図せず絞られ、何も言えなくなってしまう。

 何の魔法か、それとも、彼女の美しさが、ジョニーの神経に直接、働きかけたのか。


 ジョニーとロズがそんなやりとりをしているうちに、ステラボウルズの面々が続々、シュリセの援護に回り始める。

 ロズのガードを固めるのと同時に、フューシャを拿捕せんと、陣形を組んで囲み始めた。

 エルフ達は、どうやらジョニーのことも警戒しているようだったが、膝立ちを止め、百パーセントの身のこなしを披露し始めたフューシャが手に負えなさすぎたのが幸いした。

 ジョニーに別働隊を放てば、その隙を付かれ、たちどころにフューシャがロズを奪うだろう。

 

 まだ高みの見物を決め込んでいても問題はなさそうだと、ジョニーは思った。


 …     …     …


 ジョニーは気付かない。


 この時、ステラボウルズのエルフ達全員がシュリセの助けになろうと奮闘していたわけでは無かったのだ。

 ステラボウルズ自体にならまだしも、シュリセとロズ個人に対しては、それほど深く忠誠を誓っていない者達が、この状況を好機と捉え、行動を開始した。

 先程から、ジョニーとお近づきになりたいと思っていた彼女達にとって、他のメンバーの注意が余所に向けられており、かつ、ジョニーを捕えておくためという大義名分のある今が、絶好のチャンスだったのだ。

 

 ジョニーと落とし穴に落ちた、三人の少女エルフである。

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