第八章 シンガーの品格⑤
「前いた世界で、俺も音楽をやってた。この街でも続けていきたい。でも、俺のいた世界と、この街の音楽……お前達のやってることは、まるっきり、何もかも違う。だからまずは勉強したいんだ」
ジャックは、ジョニーがどれだけ、音楽を続けたがっていたか知っている。
そして、ジョニーが勉強嫌いであることも。
二つの情報を足し合わせれば、今のジョニーがいかに真摯であるかを導き出せる。
その気持ちに、より答えてやれるのが自分ではなく、ステラボウルズであると今更ながらに気付いて、ジャックは悔しさに息を呑む。
隣に居るリンダの口から、全く同じ音がした。
シュリセ達は仲間同士、顔を見合わせている。
それを見たジョニーは、あたふたと、手にしている革鞄をあさり始めた。
「言いたいことはわかる……確かに、容姿は釣り合わないもんな。だがこいつを見てくれ。ソーセージに針金を通してある。耳に取り付ければ―――」
「とんでもございません!」
ジョニーが、あんぐりと口を開けた。徹夜のアイデアだったのだろう。
しかし、シュリセの口から続いて出た言葉は、ジョニーにとって、限りなく喜ばしいものだった。
「シールズ家と、ステラボウルズの総力でもって、働きかけましょう。我が師も必ず、お喜びになる。これまで異界生まれ様の技能や知識は、どうしても医療やインフラ技術系の塔に独占されがちでしたが……シャンディーノ塔の歴史ある研究に異界の音楽が加われば、私達の代でエルヴェリンの芸術、向こう百年の礎を築くことも出来る。もうこの際、学徒からなどと言わず、準一等教授から始められてはいかがでしょう? こちらこそ、ぜひ我々に異界の音楽を広めていただきたい……いや失礼、今のは多分に、私の希望が過ぎました」
シュリセの希望、と言いつつも、他のメンバーも賛同している様子だ。
落とし穴にジョニーと一緒に落ちた三人の少女は、あの一瞬で何があったのか、赤らめた顔まで見せていた。
「同じく音楽を志すもの。力添えは惜しみません」
「本当か! 助かるぜ!」
ジャックと姉妹は、顔を伏せた。
揃って、裏切られた気分になっていた。
ジョニーが邪念なく、自分の道を突っ走っているだけだと言うことは、分かっていた。
だが、仕方の無いこととは言え、シュリセ達と手を組んだからと言って、ジャック達と縁をきることになるわけないと思っているジョニーが、どうしようもなく浅慮に思えて、八つ当たりがしたくて堪らなかった。
シュリセが、ジョニーに親しげに語りかける。
「あなたの子孫は幸福だ。やはり始祖が、種族の格を意識しないことには始まらない……音楽を司る権利を得たいのなら、なおさら」
「音楽を司る権利?」
ジョニーが、いまやただの串焼きと化した両手の小道具に齧りつきながら、胡乱気な表情を浮かべた。
「そんなものがあるのか」
「勿論です」
シュリセは、自分と仲間に対する誇りを込めて頷き、異邦人に常識を伝導する。
「我が師の『幻想音楽論』を、ぜひご一読ください。序文に、こうあります。『詩と歌は、現世を生きるもの全ての命を足しても辿りつけぬ歴史の始点から、今に至るまでを記録した物の内、今を生きる人間に最も密に迫ることのできる、力である。その一篇ですら、流水を、とめどなさはそのままに結晶化させたがごとき偉業であることを忘れてはならない。我々は、自身の血が歌に添うものか、常に自問しなければならない』」
ジョニーの目の焦点は、シュリセの話に熱がこもるのに比例して、合わなくなっていった。
感銘を受けているわけではないことは、ジャック達から見ても明らかだった。
シュリセは、自分の教科書的な言い回しにジョニーが付いていけないのだと判断したようだった。
だが恐らくその解釈は、ジョニーの心の半分までにしか及んでいなかった。
「心卑しきものの歌う愛に、何の意味があるでしょう。ものの価値のわからないものが、何を称えることが出来るでしょうか。愚か者が、先人の知徳を請け負うのは、余りに分不相応だとは思いませんか? 罪を犯した者に、清らかさを口にする権利を与えてはならないのです」
「自分達には資格がある、と」
「当然です。我らエルフに勝る、歌の担い手としての種族はいないでしょう。心は、外見に表れるもの。私達に特別な価値がないと言うならば、それは私達に金の髪と、白い肌を与えた神の偉業と矛盾することになります。私達は生まれながらに、不浄を排されている」
『圧』が、メグラチカを抜けて行った。
それはシュリセの言葉に対する、後ろに控えた頼もしい団員達の無言の肯定が束となった、余りに世俗と乖離した自尊心の集合が形而上における気圧のルールに従い巻き起こした一陣の突風であった。
「私達には使命がある。常に、歌を、芸術を、純化し続けなければならない」
シュリセは胸に手を当て、自らを取り巻く高貴な現実に、感じ入っていた。
「歌は、平等ではない。平等であってはならない。研鑽を怠るもの、暴力的な種族の遺伝子を保有するもの、弱者、自身で金を稼げず地べたを転がるもの、犯罪に手を染めた者、醜いもの。そのような者達の歌などは、技法を授けられようと、たかが知れている。歌は、守られた場所に位置しなければならない。限られたものしか、触れられぬ場所に……この街には、まだ、恥知らずも大勢いる。私達は彼らに、羞恥心を取り戻させたいのです」
ジャックの脳裏に、ミクシア祭の時に、ジョニーの呟いた一言が浮かんだ。『楽しくて仕方がない。歌が聞こえないのが、不自然なくらいだ』。
それを聞いたジャックとレイラは困り切って顔を見合わせたのだった。
リンダだけがすかさず、なら私が歌ってやると名乗りをあげたのだった。
ジョニーは、怪訝そうな顔をしていた。
きっとジョニーは、ジャックとレイラがあの時、リンダに追随しなかったことを、ずっと疑問に思っていたはずだった。
あの一言がきっかけとなり、ジャックは、ジョニーのいた世界における音楽と、エルヴェリンにおける音楽との、一番の相違に気がついた。
串焼き屋丸焼き事件の日にジャックが歌ったのは、ロズに失望し、人生がどうなってもいいと思えていたからこその蛮勇を発揮したからに過ぎないのに、その気持ちを、ジョニーは微塵も慮ることができなかったのだ。
「共に、頂点に立ちましょう。ただ今からあなたを、ステラボウルズ始まって以来の、名誉会員として」
「断る」
「……今なんと?」
ジョニーは、エルヴェリンでも音楽を続けたい、と言っていた。
ジャックは、それを難しいことだと、考えていた。
『ぎたー』の問題などもあったが、根本的な部分は、シュリセの説明したことが全てだった。
恐らく、ジョニーのいた世界ではエルヴェリンと違い、歌というものが、ずっと大衆的な存在だったのだろう。
「俺は、誰かの資格に感動したことは一度もない」
だから、そんな台詞も出てくる。
「この街に着いた日は、そりゃ絶望したもんさ。俺の知ってる楽器は無い。音楽は続けられないし、女と思える外見の女もいない。周りはみんな、唸り声で会話しそうな奴らばかりで、歌なんて歌えっこなさそうだってな。でも違った。俺が今日まで会ってきたやつらは、みんな、俺の予想を裏切って、俺の望みに答えてくれた。化物だからだとか、そんなのは関係なかった。俺には、はっきり分かるよ。あらゆる資格は、誰にだって備わってる。少なくとも、音楽にそんなものがあるわけない……まあ、つまり、俺とお前らじゃ、やり方が全然違うってことだ。だから」
ジョニーの右半身を覆っていたジャムの内側から、気泡が浮き上がっていた。やがて、足先まで覆っていたジャムは、ジョニーの長い足を通って、右頬を伝い登り、頭の上でまとまり始める。
厚い布地に、無数のツギハギとジッパーを走らせた山高帽へと、その姿を変貌させた。
フランケンが強く吠えると、シュリセ以外のエルフ達が、後ずさった。
「お前らと、バンドは組めない」
バンド。エルヴェリンには存在し無い単語に、エルフ達は困惑の色を浮かべた。
「その帽子は……」
シュリセが、侮蔑の眼差しをフランケンに浴びせながら、呟いた。
シュリセの目の前にいるジョニーはもう、汚れに塗れてはおらず、見違えるようだった。
異界の意匠の服には、染み一つ無く、たった今家を出てきたかのようだ。
ジョニーは、ジャムを二階からぶっかけられたと言っていた。
つまり、こういうことだったのだ。
ジョニーは今回の用事に、フランケンも散歩がてら付き合わせていた。
そこに、頭上から樽がひっくり返された。
フランケンはジャムを防ぎきったが、不用心にも開けっ放しにしていたどこかのジッパーから、ジャムを呑んでしまったのだろう。
彼の半身にまとわりついていたジャムは全て、フランケンの変化した姿だったのだ。
ジョニーの目には、静かな光が湛えられていた。
活気を宿しているのが常である彼の表情を彩るのに、その寒色は余りにも際立っていた。
その目を唯一、まっすぐに捉えていたシュリセが言った。
「あなたは愚かだ」
先程までの、礼儀を含んだ声音ではない。
シュリセの中で、ジョニーとの間に、何か決定的な線引きがなされたことを示していた。
「種族には、それぞれが背負ってきた、歴史と文化がある。異界生まれは嫌が応にも、種族の歴史の第一動者とならなければならない。今、この瞬間に、全てが決まる。あなたの一挙手一投足に、百年、二百年後、あなたの種族がどのような扱いを受けるのかが、かかっているというのに。高貴な血との交わりを捨て、よりによって蛮族と親交を持つなど」
シュリセが、仲間達に向かって振り返る。
「行こう、みんな。異界生まれ様を我らが塔に、と思ったが、話を聞く限り、このお方はどうにも、音楽の貧しい世界から来られたようだ」
「なんだと?」
「絶滅した、と、あなたは仰った」
会話の冒頭で、ジョニーが自分の世界の音楽について、僅かに述べた台詞からの引用だった。
「それが何よりの証明でしょう。あなたの世界の音楽を束にしたところで、星々の結束の、足元にも届きはしない」
シュリセは歩き始めた。
ステラボウルズも、まばらに続いた。
路地から隠れて窺っていたジャック達三人は、にわかに肝を冷やすことになった。
当初の計画通りにスペーノ塔へ逃げ込むわけにもいかず、このままだと、こちらに歩いて来たエルフ達に、姿を晒すことになってしまう。
と、思ったが。
エルフ達の足音は、再び停止した。
ジョニーの傍で、立ち止まっているようだ。
ジャックは、一瞬前とは違った理由で焦燥に駆られた。
最後にシュリセがジョニーにくれた一瞥は、日頃ジャックを虐げる時のそれと、同じものだったから。
まさか、腹いせにジョニーを酷い目に合わせるつもりか。
デッキブラシの柄を、祈るように堅く握りしめながらジャックは、神経を研ぎ澄ませる。
シュリセの呟きを、とぎれとぎれに、何とか聞きとることができた。
「まさか……いや、それにしても……似すぎている……」
驚きと、仄かな敵意が含まれた声だった。
しかし、袋にしてやろうと突っかかっているようには、思えない。
「最後に一つ、よろしいでしょうか」
シュリセがジョニーに詰問する。
「なんだ」
「ニンジャについてお聞きしたいことがあります」
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