第七章 ミクシア祭の夜は凍る⑦

「あれに勝てる?」

 

 鼓動を、胸で感じている。

 リンダは、窓から身を乗り出すジョニーの背中を、強く抱きしめた。

 そうしなければ、彼の中の何かが弾け飛んでしまうのではないかと、危惧したからだった。

 

 安宿は、期せずして特等席と化していた。

 氷の城もよく見えたし、ステラボウルズの歌も、はっきりと聞き取れた。

 窓の下にひしめく人波の中にいたなら、ジョニーはさぞ、歯痒い想いをすることになっていただろう。


 リンダが、今しがた自分のした質問の無用を悟るのに、時間はかからなかった。

 この街一番の学の無い身だ。

 リンダは、歴讃歌だか武勇集だかの壮大なありがたみになんて、欠片も心揺さぶられない。

 路地でジョニーに教えて貰った歌の方が、よほどクールだ。

 日常的な言葉を、リズムに乗りながら繰り返し口にするだけで、この身体が切なさでいっぱいになることを、教えてくれた。

 ステラボウルズを何百万人が認めようが、リンダの中では、ジョニーが勝っているのだから。

 

 後ろからしがみつくリンダは、僅かに身を乗り出し、シャンディーノ塔を一心に見詰めるジョニーの表情を盗み見る。

 惚れ直したくなるような表情を浮かべている癖に、背中に張り付く、ついさっきまで時を忘れるほど夢中になっていたはずの女の裸に、見向きもしない男に対し、いかような天罰を与えるべきか。

 

 リンダは真剣に、考え始める。


 …     …     …


 ステラボウルズのライブを見たのは、初めてだった。

 レイラもそうだったに違いない。

 シュリセと、その取り巻き達、それからロズが、シャンディーノ塔の幹部生であることは知っていたし、ステラボウルズの評判くらいは、音に聞いていたが、ジャックはこれまで、ニューアリア民が口をそろえて放つ彼らに対する讃美に、常に冷やかな視線を送っていた。

 

 路地の外が、ステラボウルズの登場に浮かれ始めた時も、自分だけはレイラと向かい合って、ステラボウルズとは全く関係の無い話に花を咲かせ続けてやろうと、興味の無い振りをしていた。

 シュリセ達は、ジャックが魂を込めたフランケンに、ゴミを食わせようとした。

 なれば、彼らの練習の成果に無関心を当てつければ、多少は憂さも晴れようものだと思ったのだ。

 

 しかし不可能だった。

 

 合唱が始まった段階から、酒を喉が受け付けなくなった。

 嚥下の音が聴覚を妨げるのを、神経が煩わしがっていた。

 ジャックとレイラは、細流が大河に吸収されるように、大通りへ、密集する観客の中へ、飲みこまれていった。

 そして、世界の全てが、ステラボウルズに捧げられているのを見たのだった。

 

 歌声、そして、ロズとシュリセを筆頭とするエルフ達の外見美もさることながら、ジャックを魅了したのは、彼らのパフォーマンスを成立させる裏にある、背景のボリュームであった。

 

 シャンディーノは、近代エルヴェリン芸術統合活動における権威である。

 特に、彼が半生を費やしたとされる、歌集編纂活動では、エルヴェリン国王から、準一等文化勲章を賜わっていた。

 エルヴェリン在来種族達がまだ分裂していた頃に、それぞれ独自に発展させた種族歌を纏めた『紀行楽全集』では、歌科を、歴讃、武勇、表象、自然、龍祀に分類し、多種族共生のために不可欠な、種族ごとの文化の相互理解、その新たな礎を築いた。

 以来、エルヴェリンにおける歌唱芸術は、シャンディーノが体系を作り纏めあげた、エルヴェリンの各地方に古くから伝わる詩篇について、表現者たちがどのように解釈するのか、新たな知見を見出すのか、という点に重きが置かれている。

 そう言った意味で今宵のパフォーマンスは、サラマンダー達の炎術発表に劣らぬ勢いで、ニューアリア芸術の進歩を見せつけていた。

 

 冬払の御子と姫樹氷の物語は、花頭人アルラウネ達の、源生息地、トラウドリー植園圏の自然歌。

 春を呼び込む使命を負った花頭人の狩人と、酷冬が生んだ美しき樹氷の精霊が恋をする物語。

 ジャックは、緑の肌を理由に芸術系塔からは遠ざけられているので、近代解釈を学ぶ機会は無かったが、これまでの伝統解釈では、恋人を捨て種族への献身を選んだ青年の勇気を称える詩、とされていたはずだ。

 だがステラボウルズの公演は、その既存解釈を大きく裏切っている。

 彼らが表現したのは、氷の呪縛から姫を解き放ち、永遠を手に入れた御子の雄姿だ。

 

 オーロラのような輝きを放つ氷の円盤の上で、他のメンバーが退散してなお、シュリセとロズは、もうずいぶん長い間、寄り添い続けている。

 カーテンコールさえ演出に加え、恋の永遠を表現する発想力。

 否、「演出に加え」、というなら、今この瞬間、ステラボウルズの演出に加えられていないものなど、存在しているだろうか。

 ジャックは、髪の毛の間から、氷のキノコを沸かせる霜を払いながら思う。

 観客達も、熱狂の対価に、御子と姫の子孫である樹氷の一族の役を無邪気に賜っている。

 後ろを振り返れば、人波の向こう、吹雪の届かなかった地区に、いまだ屋根から炎酒を吹かす家々並んでいる。

 ミクシア祭が、炎の祭りであることさえ、ステラボウルズは演出の味方にしたのだ。

 ここは今、烈火と凍土の境目であり、陽炎と薄氷の両方が目に入る。

『炎でさえ、氷の花を侵犯しない。春はきっと、貴方の恵みになる』―――冬払の御子の心の内が、伝わってくるようではないか。

 

 まさしく、今夜の為だけのショウだ。

 何という斬新さだろう。

 そしてこの斬新な発想を現実のものにするために、どれほどの労力が使われただろう。

 偉大なるシャンディーノの教育。緻密な采配。民衆に情報が漏れない為の情報管理。氷の城のような、大規模なセットを出現させるためには、他の塔群にも協力を仰がなければならなかっただろう。

 そして、それら全ての成果を、最後に観衆に向かい体現する役目を背負う人間は、どれほどの存在なのだろう。

 

 ステラボウルズは、本物のパフォーマーだった。

 

 ちっぽけなプライドだけを持った者に、無関心でいることを許すような、生温い存在ではなかった。

 自分には何もないのだ、ということを、ジャックは改めて思い知らされた。

 ロズは、幻想の中においてさえ、自分ごときが愛してはならない存在だったのだ。

 シュリセがジャックを虐げるのは、当然の権利なのではないか。


「あれに勝てる?」

 

 レイラが言った。

 膝から、力が抜けそうになった。

 レイラはジャックに寄り添い、肩に頭を預けてくる。

 あんな化物達に立ち向かえる存在なんて、いるわけない。

 ジャックは堪らず、レイラのつむじに頬を寄せた。


 


 ここからもう一幕やるつもりか。

 ジャックはそう思った。

 他の観衆達も皆、きっと同じことを考えたはずだった。

 ステラボウルズの登場、街の凍結に続く第三の異変は、またもや突然に始まった。


「運命に万謝! 我はついに辿り着いた!」


 オーロラの円盤の上に、万衆の目を盗み、いつの間にか一人の男が立っていた。

 ロズとシュリセの真後ろ。五歩も離れていない。

 

 シュリセが咄嗟に、ロズを庇うのが見えた。

 

 頭のおかしいファンが、ステージに上がってきてしまったのか。

 ステラボウルズのステージに闖入者が現れるのは、シャンディーノがまだ現役だった頃に、一度あったきりだと聞く。

 ステージ裏に取り付けられた配管の中に隠れていた液態人スライムが、汚水と一緒に、シャンディーノに飛びかかっていったのだ。その「非常識な」スライムは、「健全な」ファン達の手で、一月以上もの間、トイレに流され続けたそうだ。その末路は今なお、中々寝ない子をベッドに向かわせたり、夜尿の治らない子を脅しつけるため、夜な夜なニューアリアの母達によって語り継がれている。

 今ではもう、翼種でさえ二の舞を恐れ、飛んで自分達だけ空に陣取るようなことはせず、他の種族達と同じ場所で、お行儀よく観賞するというのに。

 

 しかし今回の闖入者の様子はどうにも、熱狂的なロズ信者、というわけでもなさそうに見えた。


「同胞常民の諸君! 魔王との死闘は、すぐそこまで迫っている! 己の異相、神秘に目覚めし者たちよ! 我の歩む荊棘けいきょくの道に、今こそ続くのだ!」

 

 男の叫びは、眼下の者たちに向けられていた。

 どうやら、ステラボウルズの声を響かせる為の魔法陣が、まだステージに残っているようである。


 台詞は、観衆全員の耳に、はっきりと届いていた。

 そして、観衆の大半が、「もしかしてまだ舞台が続くのか」という期待を、より確かにしたに違いなかった。

 男の口調の、現実と乖離した大仰さは、まさに芝居がかっていたから。

 それに加え男の外見が、殆どの人間に、その男の種族を誤解させていたことも大きい。

『なんだ、よく見ればあの男も、ステラボウルズのお仲間みたいじゃないか。吃驚させやがって』

 殆どの人間、とは、ジャック・バステッド以外の人間である。

 

 現時点で、その男の種族の正体にいち早く気付く……とまではいかなくとも、いち早く近づくことができていたのは、ジャックだけであった。

 レイラはそれに、数瞬遅れて続くことになる。

 

 違う! あの男は、エルフじゃない、だって、そんな馬鹿な……!

 

 ジャックは、心の中で叫んだ。

 

 そして、戸惑うジャックの心境などどこ吹く風、男はとんでもない行動に出た。

 男は、シュリセの方へ歩みを進め、そして。

 

 シュリセの隣を、素通りした。

 

 シュリセが、女を背にした男の放つ台詞模範集のレパートリーを披露していたにもかかわらず、まるで耳に入らないかのように。

 ショウで主演を張れば、これほどの人間を呼び寄せるシュリセという男を、取るに足らぬ衆愚と同列に扱うかのように。

 

 そして、ロズの前に膝をついた。

 

 街一番の美女に対し、その恋人が傍にいるにも関わらず、跪いたのだ。


「いざ、我と終末に立ち向かわん。清らかなる森の乙女よ!」

 

 男はロズの手をとり、その甲から、男自身の評した清らかさを、唇でもって奪って見せた。


「我が名はフューシャ・スライ! 従容しょうようとして、この世の余殃よおうに挑みし者なり!」

 

 全ての人間が、沈黙していた。

 

 ジャックも、ただ、フューシャと名乗った男の姿を見詰め続けていた。

 

 フューシャの姿は一言で現わすなら、異形であった。

 金髪と長い耳を捨て、僅かに日に焼けたエルフ。

 若しくは、肌の白いオーク。

 二手二足系に、このような種族が確かに登録されていることは、ジャックもよく知っている。

 だからこそ、フューシャという存在の歪さも、誰より正確に掴むことが出来る。

 

 フューシャ・スライ。

 その姿。

 

 まぎれもなく、異界生まれジョニーの同族だった。

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