良い夢を5

 半分停止した思考の中でムチャは思った。

(逃げないと……)

 なぜそう思ったのかはわからない。世の大半の男ならこんなに美味しいシチュエーションを逃す手はない。しかし、ムチャの心はなぜか強くこの状況を拒否していた。

 プレグはムチャの唇から指を離すと、それを自らの口元に運ぶ。そして舌なめずりをすると、ベッドで横になっているムチャに跨り、上着のボタンに手をかける。

(ケセラ、いい加減にしろ!)

 ムチャは頭の中で語りかけたが、ケセラからの返事は無かった。


 ぷち……ぷち……


 ムチャの上着のボタンが一つ一つ外されてゆく。服の合間から年齢の割には筋肉質な胸がチラリとのぞいた。その時、保健室のカーテンが静かに揺らいだ。

「……ん?」

 ムチャは視線を感じ、プレグのボディから天井へと視線を移す。

「先輩、みぃつけた」

 そこには目をギラギラと輝かせたニパが、天井に爪を食い込ませて張り付いていた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 ムチャの絶叫を聞いて、プレグも天井を見上げる。すると、プレグの頭上からニパが落下してきた。

「へぶっ」

 ニパに背中にのしかかられて、プレグはムチャに向かって倒れる。危うく頭突ズツキッスになるところを、ムチャは首を動かしてなんとか躱した。プレグの豊満なムニムニが体に押し付けられるが、その感触を楽しむ余裕は無かった。

「ムチャせんぱぁい」

 プレグの背中越しに、半獣と化したニパが満面の笑みを浮かべる。それは最早ホラーそのものであった。

 すると、プレグが勢いよく起き上がり、背中にしがみつくニパを振りほどいた。ニパはくるりと宙返りして、机の上に綺麗に着地する。

「私とムチャ君の補習をじゃまするなんていけない子ね……」

「プレグ先生こそ、生徒といちゃいちゃしようなんてドスケベ教師じゃないですか!」

 対峙した二人の間にバチバチと桃色火花が散る。

「なんなんだよこれは……」

 ムチャからすれば、それはさながら怪獣大決戦の様相であった。プレグはなぜか胸の谷間から杖を取り出しニパに捕縛魔法を放つ。ニパはそれを躱し、プレグへと飛びかかった。

 ムチャはベッドから起き上がり、保健室の扉を開けて脱兎のごとく逃げ出す。それを見て怪獣二人は顔を見合わせた。


「ちくしょう! どいつもこいつも!」

 ムチャはちょっと惜しい事をしたと思いながら、すっかり回復した理性で悪態をつく。すると、背後からドタドタと足音が聞こえてきた。振り返ると、怪獣二人が背後から追いかけてきている。二人は走りながら何か話しており、よくよく聞くと「私は下、あんたは上」といった物騒な内容の会話が聞こえた。

「冗談じゃねぇ!」

 捕まったらただじゃ済まないと確信したムチャは死ぬ気で校内を走った。しかし、二人の追い足は速かった。ニパは相変わらず壁を走るし、プレグは所々床を凍らせて滑るように追いかけてくる。ムチャが感情術を使おうと覚悟した時、前方に開いている大きな扉を見つけた。ムチャは三段跳びで跳躍し、扉の中に滑り込むと、素早く扉を閉じ、鍵をかける。

 次の瞬間、ズドドンと二人が扉に激突する音がした。


 ドンドンドンドンドン


 外からは激しく扉を叩く音が聞こえる。あの二人にかかれば扉が破られるのは時間の問題であろう。

 ムチャはどこからか外に逃れようと、キョロキョロと辺りを見渡す。ムチャが逃げ込んだその部屋は、先程いた保健室や最初にいた教室より何倍も広く、規則的に背の高い棚がズラリと並んでおり、全ての棚には本がビッシリと敷き詰められている。そこはこの学校の図書室であった。ムチャは棚の間をすり抜け、テーブルと椅子が並べられている開けた場所に出た。いつの間にか夕方になっていたらしく、窓からは夕陽が射し込んでおり、テーブルや棚を赤々と染めている。そしてムチャはその中に、椅子に座り本を読んでいるよく見慣れた人物を見つけた。


「ムチャ?」


 オレンジ色の光の中に佇む少女は、本を閉じるとトロンとした目を向けてムチャの名を呼んだ。

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