第三話 鳥獣戯画

一 たぶん総選挙一位



「ねえ、おキョウちゃん。お茶のおかわりくれる?」

 離れた場所で、男が茶碗を上げている。

「はぁーい」

 猫を撫でていた娘はおキョウというのだろう。よく澄んだ声で、鈴が転がるように答えて立ち上がる。

「じゃ、お侍さん、煎茶と玄米茶ね。すぐお持ちします」と、悪戯っぽい目をおれの目に合わせると、声に出さず唇だけで「まっててね」と言って去って行く。

 おれの懐で、子猫が小っちゃい前足を伸ばして、去って行くおキョウを捕まえようとしていた。しまった。この猫、あの娘にあげてしまえば良かった。

「お侍様、うまいことやるねえ」隣の太って脂ぎった男が低く声をかけてきた。「そうかぁ、おキョウちゃんは、猫が好きなのか。よし、おいらも明日はどこかで猫を拾って来よう」

「え?」おれは相手の顔をまじまじと見た。ああ、こいつ、あの娘に惚れているのかと、しばらくして気づく。「ああ、あの娘、美人だものな」

 そんなに美人とは思わなかったが、とりあえず話を合わせる。

「秋葉のお狂といえば、いまやお江戸三大美人の一人だけど、彼女が一番だと推す人が多いね。その名前の通り、世の中のすべての男を狂わす傾城の美女だよ」

 ああ、いわゆる看板娘か。そう思って周囲を見回すと、床几に腰かけているのは男ばかり。全員が忙し気に立ち働くお狂ちゃんの姿を目で追っている。江戸時代のアイドルとか、メイド喫茶の店員とかそういう感じか。で、彼女が総選挙一位なわけね。

「え? 秋葉? 秋葉原か、ここ!」

 おれは男を振り返る。

「いやアキハバラとは言わないけど、秋葉神社が近くにあるから秋葉のお狂ちゃん」男は立ち上がり、茶碗を床几の上に置く。「じゃ、お狂ちゃん、また来るから」

 手を振って去って行く。向こうの方で、お狂が気さくに手を振り返している。

 周囲で何人かの男たちが立ち上がる。うち一人が「あっしも猫を探しまさぁ」とおれに笑いかけて去って行く。上手くやりやがってこの野郎という笑顔だが、おれにそんな気はなかった。やつらが去ってしまってから、しまったこの猫をあげちまえば良かったと気づいたが、もう遅い。

 客の回転はいいようで、空いた席にはすぐに別の客がやってきて腰をおろす。ただし、みんな男。

 お狂はつぎつぎと挨拶して注文を取りながら、合間を縫っておれのところにお茶を運んできた。茶盆にのせた二つの茶碗をおれの脇の床几の上に置いて、猫には目もくれず、小さく舌を出して肩をすくめる。

 最初意味がわからなかったが、どうも、さきほど猫を過剰に可愛がったのは、周囲にいた男たちを動かすためだと気づいた。小悪魔だなぁ、この娘。さすが総選挙一位は、ひと味ちがう。

 と思ったら、一周回ってきて、おれのそばにしゃがみ込み、子猫とひとしきり遊んで去って行く。どうも猫は好きらしい。が、女の考えることはわからん。それは永遠に、男にとっての謎だ。

 なんにしろ、ここが秋葉原と分かったからには長居は無用。二杯目の玄米茶を、おれはいっきに呷った。

 そのとき、おれの向かい側の床几に、一人の男が腰かけた。

 羽織り袴をつけない黒い着流し姿。朱の帯に、白い柄巻の大小を差し、赤い鼻緒の漆塗りの下駄をつっかけた浪人風のサムライ。異様にお洒落なやつだった。顔は編み笠を被っていて見えない。編み笠とは、あの時代劇に出てくる、藁で編んだ、お茶碗をひっくり返したようなデザインの被り物だ。実物は結構でかくて、威圧感がある。今度おれも、これを買おうと思った。

 が、この編み笠の男がこのあと吐く言葉に、おれは全身が凍り付いた。

 男はこう言ったのだ。

「久しぶりだな、佐々木虎之介殿」


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