三 大吉和尚



 上り湯で身体を流して着替えると、嘉助が「上で一服しましょうや」と二階へ誘う。ちょっと袴の紐の結びが怪しかったが、ついて行くことにした。

 二階には休憩室があるらしい。刀掛けもあるとのことで、大小の刀を持参した。盗まれたら嫌だし。

 階段をあがると、畳敷きの広間。何人かの暇そうな男たちが、茶を飲んだり煙管をふかしたりしている。将棋を指している連中もいた。

 嘉助はまっすぐ階段脇のスペースに陣取る坊主頭の男のところへいく。

 男は頭を丸めた上に、黒い法衣を着ている。歳は六十手前くらいか。一見して仏僧なのだが、なぜ湯屋の二階で、名主みたいな顔して一隅を占拠しているのか?

 男の背後の壁には刀掛け。脇の壁には棚があり、いくつかの茶碗。脇には風呂釜が湯気を立て、そばに柄杓が置かれている。

「和尚、紹介いたしやす。ただいまうちにご逗留なさっております佐々木虎之介さま。あっしらはトラの旦那と呼んでおりやす」

 嘉助に紹介されて、おれは和尚のまえに正座した。

「これはこれは、佐々木どの。わたくしは大吉と申します。みなさん大吉和尚と呼びます。なかなか目出度い呼び名でございますな。佐々木さまもどうぞ、そうお呼び下さい。佐々木さま、いや、トラの旦那。ここは初めてですかな?」

「はい」

「では、お茶をどうぞ。嘉助さんはいつも来るね。ではお茶をどうぞ」和尚はにこやかに言って畳に指をつく。「おや、その前にトラの旦那、お腰の物をお預かりいたしましょうか?」

 おれは、脇に置いていた大刀を大吉和尚に手渡した。和尚は両手でうやうやしく受け取り、「おお?」と目を瞠る。

「これはまた、大した業物ですね。いかようなお刀でございますかな?」

「さあ」おれは首を傾げた。大刀の来歴は知らない。それどころか、抜いたことすらない。

「トラの旦那は頭に怪我をされやして」嘉助がすかさずフォローを入れてくれる。「いろんなことを忘れちまってるんでさぁ」

「なるほど、それはご不便でございますな」大吉和尚はうなずき、大刀に一礼する。刀に礼する刀礼というやつだ。「拝見仕ってもよろしいかな?」

「どうぞ」おれは即答。

「では」と大吉和尚は鞘の鍔元を握り、鯉口を緩めた。慣れた手つきで、手を持ちかえ、するりと刀身から鞘を抜き取る。

 白刃がするりと姿を現す。

 銀色の刃。霜が降りたように白くけぶる刀身。優美に弧を描き、鍔元から切っ先へかけて、一筆勢いよく刷いたような反り。

 大吉和尚は、下弦の月のようなその刃に光を反射させて、ずずっと視線を上下させた。

「ふむ。同田貫どうたぬきですね」

「はあ」おれは首をかしげる。「名刀ですか?」

「いいえ」和尚はにこやかに首を横に振る。「実用本位の剛刀です。名刀というものは、気品と美しさを兼ね備えていなければならない。が、この同田貫は、あ、同田貫というのは肥後の国の地名なんですが──、この刀は、ただ斬り合うことしか考えずに鍛えられた戦の道具です」

「はあ」おれはなんとなく、落胆した。ただ斬り合うだけ道具。過去のおれは、そんな刀を所持するような人間だったのだろうか? だとしたら、ちょっと人として、寂しいやつであったようだ。

「いや、良いものを見せていただきました」和尚はおれの刀を慎重に鞘に納める。正座した状態から、つと魔法のように中腰に立ちあがり、背後の刀掛けにおれの大刀を納めた。「ささ、お茶をどうぞ」

 棚から茶碗をふたつ取り出すと、棗から煤竹の茶杓ちゃしゃくで抹茶のパウダーをすくい、茶碗の中に落としてゆく。

「良い刀です」しみじみと呟きながら、柄杓で茶釜から湯を掬い取った。「一切の華美を排し、実用一点張り。人に媚びず、己が斬る筋のみを通す。同田貫は、じつに潔い」

「人に媚びず、ですか?」おれはふと口を開く「面白い表現ですね。刀が媚びるのですか」

 大吉和尚は、静かな笑みを湛えた面を伏せて、茶筅ちゃせんを振る。

「刀はですね、人よりずっと長生きです。あなたが死ねば、次はまた別の人がこの刀を所持することでしょう。そして刀とは、おのれの持ち主を自ら選ぶものなのです。この、いっさい人に媚びぬ刀は、あなたを選んだ。その意味を考えてみるのも、面白いでしょう。はい、これ」

 大吉和尚は畳の上で、すっと茶碗を差し出す。

 茶道の世界でよく見るタイプの茶碗だった。粘土を捏ねてつくったような不定形の黒い茶碗。表面がごつごつとしており、激しい波頭に削られた海岸の岩のような茶碗だった。

らく茶碗といいます。わたしのお気に入りのひとつです。銘を『月』としました」

 和尚は楽しそうだ。

 ごつごつした茶碗の底で、ふんわりと泡立った抹茶が柔らかい湯気を立てている。深山の奥にある苔のような緑色だ。両手で取り上げ、ゆっくりと三度回すと、茶碗の姿ががらりと変わる。ごつごつしていた岩石のようだった茶碗が、半回転させると、やわらかい質感のなかに釉薬の粒粒がメタリックに光り輝き、まるで空一面に星が降っているかのような姿を見せた。

 おれは驚いて、大吉和尚を見る。

 和尚はにっこりと満月のように笑い、かすかにうなずく。

 おれは和尚の点ててくれたお茶をずっと、啜った。

 このときおれは、おれ自身の過去を探しにいこうと、肚を決めた。






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