二 松浦の鬼姫



「なんだ、知り合いか?」

松浦まつら家の鬼姫でさぁ」

「鬼姫? あれ、女なの?」

 おれがたずねるより先に、嘉助と彼の担当の三助は、さっさと立ち上がって隅の壁際へ移動してしまう。

「旦那、あっしらも」おれの背後の三助もすっと離れて壁際へ移動してしまった。

 一方、刀掛けに大小をあずけた若侍は、しゅるりと袴の紐をほどき、男物の角帯を解いた。着ている着物は藍染めの刺し子で、よく見れば剣道の稽古着に似ている。丈の短い稽古着を脱ぎ捨てると、あとは男のようなフンドシ一枚だが、それも潔く脱いで篭に放る。

 髪型が、前髪を垂らして髷を後ろで結って下ろした若侍風だが、よく見れば女性のポニーテイルに見えなくもない。そして、服を脱いだ身体は、完全に女。たしかに女だった。

 細く白い肌。明かり取りの窓から斜めに、昼前の日が差す薄暗い室内で、その裸身はまるで光り輝いているかのようだった。

 鬼姫殿は、大手を振って、のっしのっしとこちらに真っすぐ来ると、おれの目の前で仁王立ちした。

「あの刀はおまえのか?」

 きりりと吊り上がった目は、不機嫌な猫を思わせる。濃い眉と赤い唇。美人だが、なんとも剣呑な顔貌だ。

「そうだけど」

 板の間に胡坐をかいたまま、おれはうなずく。

「俺は、松浦直刃まつらすぐは。おまえは?」

「おれは、佐々木虎之介」

 相手がじっと見下ろすので、こちらもじっと見上げた。

 鬼姫は恥ずかしげもなく、裸体をさらしている。丸く上を向いた乳房も、生えそろった陰毛も、すべて全開。しかも仁王立ち。だが、おれは彼女の鍛え上げられた筋肉に目を奪われていた。

 盛り上がった肩と膨らんだ胸筋。腹筋も、女性特有の柔らかい脂肪の下で、見事に割れて波打っている。太腿も脛も鍛えられて発達した筋肉がつき、太く且つ引き締まっている。女の身体も鍛えると、こうなるのか。すっかり感心してしまった。

「おまえ、いずれの家中の者だ? 剣の流儀は?」

 鬼姫は早口に詰問する。

「え?」

 もちろんおれに答えられるはずもない。なにせ記憶喪失なのだから。

「ああ、……えっと」

 おれが口ごもっていると、鬼姫は、ずんっと一歩前に出た。両の乳房がぷるんと揺れる。

 まずい、おれの股間が反応してしまう。

「まあ、答えにくければ、答えずとも良いわ。俺は、いつもこの先にある水月館という新陰流の道場にいる。いつでも訪ねてきてくれ」

「あ、はい」

 下半身にかけていた手拭いが膨らむのを隠すため、ちょっと猫背になってうつむく。

「待っているぞ」

 鬼姫は、機嫌良さそうにおれの脇をすり抜けて、引き締まった尻を晒しながら、石榴口の方へ去ってゆく。ちょうど石榴口から屈んで出て来た男が、鬼姫に気づいて、「ひっ」と悲鳴を上げてよけた。

 隅に避難していた嘉助たちがもどってきて、「だいじょぶでごぜえやすか?」とか、とぼけた声をかけてくる。

 なに、お前ら。おれのことを散々剣客だの強いだの言っておいて、あんな女一人やって来たくらいで、さっさと逃げちゃうのかよ。ま、おれもちょっと怖かったけどさ。

「ああ、なんともない。あれが鬼姫か? こんど道場に乗り込んで、軽くひねってやるよ」

 おれは軽い調子で、ただしあまり周囲には聞こえない声で言ってやった。

「うおっ、さすがはトラの旦那だ!」

 嘉助が感心するが、もちろん道場へ出向くなんてこと、絶対にしない。するわけがない。

 おれは腕を差し出すと、三助に続きをうながした。

 あとで聞いた話だと、松浦直刃すぐはは松浦家の長女で、新陰流道場水月館の師範代をつとめる腕前。鬼姫とこの辺りでは呼ばれて恐れられている。すでに嫁の貰い手がないと噂されているらしい。

 名前の直刃とは、日本刀の波紋の真っすぐなものを言うらしい。ご両親の名づけのセンスを疑う。

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