八 江戸時代の鏡は金属製



 嘉助と砂絵さんが、お湯を張った桶だとか、白い手ぬぐいだとかを持ってもどってきた。おれの頭の傷の具合を見てくれるらしい。 

「すまないな、いろいろと世話になって」

 おれが言うと、嘉助がてへへと笑う。

「いや、実は、うちの小若旦那には、小若旦那の目論見もあるんでさぁ。小若旦那は、虎の旦那に、ここにしばらく逗留してもらいたいんで。この屋敷には金倉もありますし、他にいろいろと大事な物が置いてありやしてね。押し込み強盗なんかがいつへえってきてもおかしくねえ。が、虎の旦那みたいに、いかにも腕が立ちそうなお侍がいらっしゃれば、強盗も盗人も、二の足を踏むってもんでしょ。このご時世、なかなか腕の立つ剣客というは、探しても見つかるもんでもねえ。まあ、そういった事情でごぜえやす」

「いやいや。おれは別に腕は立たないよ」苦笑するしかなかった。剣客どころか、刀の差し方もろくに知らない自分である。過去に剣道とか習っていたという感じも全くしない。

「またまたぁ。かなりの遣い手だってことぁ、あっしでも一目見てわかりやすよ」

「いや、ほんと。それは誤解だって」

 などといっているおれの頭の包帯を、砂絵さんが手際よく外してくれる。布を取りのぞき、傷口を覗き込んで、「額の傷はもうだいぶ治っていますね。あとは頭の後ろの傷ですが」

 元結もとゆいを解いて、おれの髪を掻きわけ、傷口を探る。

「こちらもほとんど塞がっておりますね」

 が、ずきずきとくる痛みがある。気になって手を伸ばし、後頭部の傷を触ってみた。

 長さ五センチほどの裂いたような傷口が指に触れた。背後から撃たれたときの傷だが、頭骨に当たって跳弾し、頭に沿って皮膚を裂いたのだと推測できた。

 そのあとで、額の傷に触れてみる。

 額の皮膚は、ぴんと張っているため、案外ぱっくり裂けて派手な流血をするものだ。ボクシングの試合でもたまに見る光景だが、逆に止血の仕方を知っていればすぐに流血は止まる。ボクシングのセコンドには、必ず止血の達人が控えていると聞いたことがある。われながら、つまらない事ばかり覚えていた。

 額の方の傷は、あの夢の中の記憶ではかなりの出血に感じられたが、こうして触れてみると大したことない怪我だったと分かる。

「額を割られるのは、武士にとっては恥辱でございますから」砂絵さんが気を利かせて手鏡を差し出してくる。体面を気にして傷口を探ったのだと思われたようだ。そんなこと全然気にしてないのに。

 なぜなら、おれは武士ではないから。

 苦笑を隠して鏡を受け取った。

 江戸時代にも鏡があるんだと感心しながら、手に取ると、なんと鏡面は金属。ぴかぴかに磨かれた金属の鏡だった。なるほど平成時代のガラスの鏡ではなく、この時代は金属の鏡なのか。しかも、ガラス製の鏡とまったく遜色なく物を映す。感心しつつ、自分の額を映してみた。が……。

 おれはぎょっとし、全身の肌が粟立った。

 この鏡に映った男。

 だれだ、これは! こんなやつ、おれは全く知らない! 鏡の中から、おれの全く知らない自分が覗き返している。

 これが、おれ?

 嘘だ! 絶対にちがう。おれは、こんな顔はしていない。記憶をまったく失ってしまったおれだが、これがおれ自身の顔でないことは、天地神明に誓って間違いない。

 子猫のように大きな目。赤い唇と優し気な口元。憂いを含んで吊り上がった目尻は、一見鋭い目つきに見えるが、柔らかそうな頬と、柔和な表情から、まるで女の子のように可愛らしい童顔に見える。テレビに出てくる美少年アイドルとか年若いイケメン俳優の誰かのようだった。

 しかも、どう見ても、二十歳そこそこ。下手すれば、十代かもしれない。

 誰だ、この可愛らしい少年は! 絶対にこれはおれではない。だれだ、こいつは!

 くそっ。おれは一体誰なんだ! どうしてここにいる? なぜ二十歳そこそこの若い男になっている? ……おれは、一体……、何者なんだ!






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