森葉族の戦士・前編

 枝がしなり、葉が散る。

 一人の首に羽を持つ男が木を蹴り、地上に降り立った。

 地面に接する幹から捻じれながら生え、枝が互いに絡み合う木々の密集している地域だ。しばしば地上と樹上の道なき道を切り替えて進まねばならない。

 見たところ、その表情には焦りが滲んでいる。普段以上の音を立ててしまったのは、そのせいだろう。


 改めて地上を走り始めると同時に、周囲の警戒の為に首の翼を広げる。

 羽が受けた風の流れが頭に送られ、情報を選別すれば周囲には二つの風。

 一つの風の陰に紛れるようにして、別の風が沿うように流れている――息を呑み、振り返ろうとした体は吹き飛んでいた。


 直後、背中に衝撃を受け、顎が軋む。

 しかし倒れてはいないというのに、足は空を掻く。木に叩きつけられたまま、吊り上げられているのだ。

 一瞬、ちらついた視界が色を取り戻し、己の体を縫い付けている者を映す。

 怒りを乗せて睨めば、耳に葉を持つ男が、にやりと口の端を吊り上げた。


 ――やはりか。


 羽が捉えた異様な風の正体は、葉を持つ者の特徴だ。

 彼らは静かに森の中を歩く術を持つが、その実態は、音を消すといったものではない。

 森を吹き抜ける風や動物が繁みを揺らす音などに、己の音を紛れ込ませるように動くというものだった。

 いつもならば羽が読む風の動きで事前に避けることができるが、自らが立てた音を利用されたのだ。

 悔しさに歯を食いしばりながらも、首を圧迫している腕を振り払おうともがくが、焦りが息苦しさを後押しする。


「こっちは、おれらの縄張りだって、知ってるよなぁ?」


 葉の男は片手で人一人吊り上げていながら苦し気なそぶりもなく、話しながらで羽の男の動きを封じるべく、幹へと二度三度と打ち付ける。

 足を上げていた羽の男の身体から力が抜けていく。さらには息の根を止めようと力を込められれば、葉の男の腕がこれ以上食い込まないよう、両手を少しも動かすことはできなくなった。

 冷たい汗が噴き出す。


 樹上を行くには難しい捻じれた木々は、耳に葉を持つ者の闊歩する大森林内部との境界のようなものだ。

 あえてこの道を選んだのには、それだけ急ぐ理由があった。常であれば、こんな雑な動きはしないのだが、それが仇となった。

 さらには運も悪い。境というだけあって、葉を持つ者達も、そうそう近付くことはないはずだったというのに。


 枯れ木のような体の羽を持つ者と比べて、葉を持つ者らは一回り大きい。

 普段通りの狩りとなれば、簡単に負けることはないが、こうして掴まってしまえば別だ。肉体の差は歴然としている。

 嬲るような言葉は続く。


「外で木登りしてるやつが、なんでここにいるんだ、あ? なんでかって聞いてんだよ、どこも怪我してねぇだろ、おら、なんか言えよ」


 口を開こうにも、首を締めあげられている。

 それを分かっていて急かすように腕を揺らす男に怒りが湧き、屈辱に頭が沸騰する。

 羽の男の心中など構うことなく、ふと言葉を止めた葉の男は、目を細めて嫌な笑いを浮かべた。

 視線は、首の羽に向いている。


 ――しまった。


 声が出ないため、無意識に羽の言葉で訴えていたのだ。

 当然ながら、人の言葉すら理解できているのか怪しい葉を持つ者などに、高度な羽音による伝達内容が理解できるはずもない。

 それどころか、余計な気を引いてしまった。

 羽を持つ者達が、森の外縁部に隠れ住むようになったのは、元はと言えば、葉を持つ者らの蛮行による。

 面白半分に掴みかかられ、羽を散らされた仲間は数多い。

 羽を畳み、必死に頭を仰け反らせて隠そうとするも、空いた手が伸びてくる。


 ――蛮族め……!


 羽の男には、急ぎ持ち帰らなければならない任がある。

 長へと、報告しなければならないのだ。

 葉の男が羽に気を取られたことで腕を払う隙ができた。怒りとともに力を振り絞る。

 魔の手から逃れ地面を転がって距離を取り、毅然と頭を上げた羽の男は、ようやく解放された声帯を目一杯振るわせた。


「こんなことをしている場合だとでも思っているのか!」


 ほぼ集落の外では声帯を使わず過ごす羽を持つ者には、珍しいことだった。

 思わぬ羽の男の剣幕に驚いたのか、葉の男は口を開けて目を瞬かせた。



 ***



 一人、外縁部との境を歩いていた耳に葉を持つ男。

 羽の男が考えたように、それは偶然のことではあった。

 狩りのため仲間と出向いていたのだが、獲物の後を追っている内に、この近くまで来ていた。

 どこかで引っ掛けたのだろう、得物の滑り止めの紐が解けかけていたのに気づいた男は、仲間には先に行くよう告げてその場に留まった。


 ちょうど良い枯れ具合の蔦草などを探りながら歩き、千切ると器用にも立ったまま素早く紐を編んでいく。狩りの途中であるから臨時の処置だが、十分に保つだろう。

 こういった不測の事態はままあることで、その際の応急処置の術も彼らは身に着けている。一流の戦士ならば、どのような場所や状況であれ、戦えるようでなければならない。


 ついでに生理現象によって、物陰ばかりとなる捻じれた木の壁沿いまでやってきたのだ。

 大きなものが着地する音を拾ったのは、ちょうど用を済ませたところだった。

 つい反射的に追ってしまったものの、一人で大物と相対するなど愚かなことだ。

 衝動を堪えて引こうとしたとき、木々の隙間に、小さな翼が見えた。

 それが何か認識するわずかな間が風を気取らせることになったが、相手が羽を持つ者であると知れたならば、躊躇は消えていた。

 全身の力を引き絞り――葉の戦士は、羽の男を捕まえていた。


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