雌伏の時
彼女を送ってから部屋に戻るとベッドに転がった。
「うっぷ……食べ過ぎた」
恐ろしいおやつどもを成敗しつくして、重い腹を撫でながら浮かんだのは、彼女の笑顔――の後にコントローラーだ。
棚から持ってきたそいつを持ち上げる。
こんなの親に見られたら火遊びでもしてたのかと問い詰められそうだと思ったのもあるが、つい目が行ってあれこれ考えてしまうから、戻ってきてからゲームの陰に置いたままだった。
意を決して指を伸ばす。アクセスランプが光るか確かめようと触れると、やはり青が点った。
それ以上のことは何もないが、まさか戻ってきてまで聖魔素が見えるなんて。
――魂に傷がついた。
不意に邪神に言われたことを思い出した。
傷を負ったというか、こいつこそ聖魔素の通り易い質に変化してしまったのではないか。
だから聖魔素が触れると反応するんだろう。
どうなるか分からないから経過を見たいと言われたが……それはあの空間でのことだと考えていた。
すべては、あの空間から、向こうの世界に及ぼす影響なんだと思いこんでいた。
邪神がこっちで扱えるのは邪神故であって俺には関係ないのだと。
これが、そうなんだろう。
思えば戻った時からおかしなことはあった。
まずはコントローラー。
一つのものが、二つの世界に跨って歪な存在となっていたらしいもの。俺と一緒に戻ったはずだが、このぼろぼろの状態だ。
俺も邪竜との戦いの最後らへんは周囲のことなど見えてなかったから、コントローラーの状態は知らない。壊れないと思ってたから、手の中にある感触だけは逃すまいと必死に掴んでいただけだ。
邪神から、俺の宿っていた肉体は崩れてコントローラーも消えたと聞いている。
俺が無事に戻ったというのに、コントローラーがこの状態だったなら……邪竜との戦いの傷を持ち帰ったということになる。
本当なら、元の状態であるべきだったはずだ。
だって俺がそのままなんだから。
まさか、身代わり――。
ぞっとした。
俺が魂の欠片でも、向こうの世界にくっついてしまったなら、あのひどい状態が、こちらの肉体に反映された可能性もあったんだ。
聖魔素の影響を強く受けていたのはコントローラーだったから、これに流れたのかもしれない。
戻ってきた時を除けば、こいつに触れたのは棚に置く時と今回くらいのもんだが、こんな反応はなかった。
過剰反応してしまうほどなのに、光ったら気付かないとは思えない。
違いといえば、意識して触れたことくらいか……。
そうなると、これで俺も、邪神が言ったことが真実なのだと目の当たりにしたことになる。
ただ俺自身では、あの空間に干渉することはできない、はずだ。
念じれば邪神に届いているらしいが、通知が来るわけではない。寝てる間に連れて行かれて初めて、届いたんだろうと知るだけだ。
それは俺の持つ聖魔素が伝えるからで……あいつ、何て言ってた?
「体の内に手を伸ばすように、だったか……」
胸に手を当てた途端に馬鹿馬鹿しくなる。
こんなオカルトめいたこと、小学生の頃だって信じたことなかった。
そんな思いとは裏腹に指先には力がこもり、しっかりと記憶されている、あの世界を思い浮かべていた。
そして青が、指の先に灯った。胸の奥で――――。
体の内側だ。実際に指が埋まったのでも光ったのが見えたわけでもない。
体の奥底の暗闇に、光によって道が開かれたような、そんな感覚だった。
あまりのことに体は強張るが、ああやっぱりと頭は冷静にも捉えている。
邪神の身に起きたことを辿ってしまったなら、十分ありえることだ。
となると、念じたことが聖魔素によって邪神に伝えられるという意味は、こうしてできた道を繋いでいるということになる。
距離を捻じ曲げて……青い空間で見せられた、マイセロへの移動のようなものが行われている。
――これこそ、あいつが神化したのだと思った理由。
どんなおかしな能力が身につくとしても、時という概念だけは別次元の問題だと思うんだ。
限定的だろうと時空を操ることができるなんて、それこそ神様くらいでしかありえないというか、それが俺の考える神様像だ。
複雑な気持ちになる。
この世の、俺たちの神様ではないんだろうが……超越した存在を目の当たりにするというのは、感動だとか良い気持ちばかりだけをもたらすのではなかった。
それでも、俺は今日も夢の中で旅立つ。
◇
邪神は、人の住まない領域を探索したいと話していた。
それで王都マイセロの、ジェッテブルク山とは反対側へと踏み出していた。
拠点へと移動する他は短縮せず、地道に辿っている。それでも地上を歩くよりは随分と速い。
「ほんと、何もないんだな」
「人の住みやすい環境は、多くないようだよ」
どこかで見聞きしたような気がする。ああギルド書庫にあった本だ。
人類の元が始祖人族という種で、そいつらが住みやすい場所を探して各地に散ったから今の種族差があるといったものだ。
他の地はよっぽど大変な場所だったんだろうかという答えを見ることになった。
これまでは大して高い山も谷もなく、どこまでもなだらかな大地が広がっているように見えていた。
だが、かつて邪神が聖魔素探しの旅に出たというルートを辿る内に、その印象は消えていく。
どんどんと越えるのが難しそうな高低差が増えていた。
王都マイセロを囲む魔脈による山並みの外側には、倍ほど高い岩の山脈が連なっていた。それは魔脈とは無関係の天然のものだそうだが、その外側の探索へと踏み出して間もなくのこと。
とある日本最大級のダムくらいの高さはありそうな深い渓谷が見えてくる。その上空に立つと、腹の奥がぞわぞわした。
よく見れば崖沿いには螺旋状の線が走っている。
高度を落としていくと、壁の線は道なのだと分かった。
そして邪神が指さす先に、黒い横穴の入り口。
「ここが、私の育った隠れ里だ」
「人が住んでんの!?」
この辺りの山は魔脈と無関係だそうだから、そりゃ魔物が入り込むのも厳しいだろう。滑落の方がよっぽど怖いわ。
さすがに引っ越しただろうと思いつつ、そっと覗いていると人の動きがあった。
「……まだ住んでるのか」
「長い事、こうして暮らして来たからね。外が安全になったと聞かされようと、すぐには考えを変えるのも難しいだろう」
最も近いマイセロからも隔絶した場所だ。
よくもまあ、こんな場所見つけたな。住んでる人族もだが、ここを見つけ出したマイセロの奴らも。
邪神は、じっと見つめていた。
名残惜しそうに、どこか泣き出しそうな雰囲気を振り払い、高度を上げていく。
「育った家だとか、見なくていいのか」
「暮らしぶりに重い空気は見えなかったからね。平穏なら、それでいいんだ」
それより目的は外だといって、邪神は険しい渓谷を越えた。
しばらくはまだ見知った場所のようで、邪神は辺りを探るようにしながら、たまに解説を入れる。
その頃にはすっかり重い空気もほぐれていた。
「そういえば最近、どこか機嫌がいいね。何か良いことでもあったのかな」
「えへへぇ分かりますぅ? 実は彼女ができましてぇ」
あー今の俺は最高に気持ち悪いんだろうなあ。
少し自重しよう。せめて取り繕おう。
そう試みずとも水を被せられたようなことを言われた。
「将来を共にできる相手だといいね。私が妻に出会えたように」
「え!? えぇ、そうすね……」
うっ、そういやこの人はその道の成功者だったな。
さすがにまだそこまで考えるのは気が早いというかなんというか……。
「君と同じ年頃の娘がいるから、最近は私も考えるんだ。大学でおかしな虫がついたらと思うと気をもんでしまってね」
「は、はい、ご心配はごもっともです……」
おかしいな。別に彼女の父親というわけでもないのに、言われること全てが全身に刺さるようで変な緊張してしまう。
こいつがその虫を想像したせいか攻撃的な気配を出したからかな。
気のせいじゃねえ。
青い火花をバチバチと散らすのやめて!
心配を超えて害虫に止めを刺しそうな勢いじゃねえか。
この空間では心穏やかにいてくれ頼むから。
「君も楽しい時期だろうが、その娘の親御さんの気持ちを少しだけ心に留めておいてくれると嬉しいな」
「もももちろんそんないい加減なことはしませんとも……!」
「悪いね、どうも歳のせいか説教臭くなってしまうようだ」
「いや親にも言われてるんで。親は子に嫌われてなんぼだって言って……」
母さんと膝を突き合わせて話したことがある。
すげえ気まずい気持ちで頭は一杯だったが、それまでにない真剣さに逃げることもできず。
雰囲気に呑まれてあまり内容は覚えてないと思ったが、ふとしたときに湧き上がってくるんだよな。
「それは耳が痛いな」
「あんたは娘に甘そうだもんな」
「ははは、その通りだよ……想像つくかな。娘が私の、こちらへの執着を和らげ、現実へと繋ぎ止めてくれたんだ。そう思えば強く出られず……恥ずかしながら、その辺りは妻に任せているよ」
尻に敷かれているらしい。
少しだけ言いづらそうに出た言葉に、俺も考えさせられることがあった。
もし、こっちの世界から自宅に戻った日に、彼女に会えなければと。
ここまで、すぐに気持ちを切り替えられただろうか。
俺も、同じなんだろう。
しかしこんな何気ない話題で致命的なジェネレーションギャップを感じるとは……そ、そうだ話を変えよう。
こいつの感覚が伝わりやすいといえば、この空間についてだ。
邪神の興味が世界の探索の方に行ってるせいか、話に出ることがない。
「そ、そう! 俺も自宅で聖魔素が感じられたんですよ、不思議だなあ!」
ぱっと邪神は振り返った。
「ほう」
その反応は、意外だったってことだよな。
で、何か言われるかと思えば顎に手を添えて俯いた。何かを考え込んでいるようだ。
「どういった状況でか、聞いていいかい?」
「もちろん」
あ、俺の心の平穏の為に彼女と自宅デート中だったことは黙っておこう。
触るとアクセスランプが点ったというだけだし、それを伝える。
「ふむ、コントローラー自体に何かが起こったけではないようだ。ちょっと調べてもいいかな」
「え、いいけど」
どうやって?
空間に穴が開いて邪神が手を伸ばすと、その手にはコントローラーがあった。
ど、どろぼー!
開いた口から声が出ない。
ほんとこいつ無意識に恐ろしいことをさらっとやってのける。
さらに驚いたのは、邪神の手の上でコントローラーのアクセスランプが点っているのだが……。
「壊れてない!?」
なんと元通りになっている。
「君と来たときに変質してしまったから、こうしてこちらにいた時の姿を取れるというだけだろう」
いやいや簡単にいうけどさぁ、それをなんで持ち主でもない奴が再現できるんだって……さすが邪神だよ。
ただし気付いてないポンコツ神様だ。
調べているのだろう、コントローラーをスキャニングするように青い光の線が移動している。
そして邪神から、苦虫を噛み潰したようなためらいを感じた。
「君の魂――聖魔素と、繋がったままのようだ」
静かに告げられたのは、そんなことだ。
でもそれでは、これまでと何も変わらないんじゃないか?
「以前、ここでの君の存在を聖獣との関係にたとえて伝えたが、実はもう少し深い繋がりがあってね……私がこの空間と強く結びついてしまったようなことが、小規模ながら起きているということだよ」
少しはこの空間のことに自覚があったのか。
「ふーん……ということは、俺も望めば自在に聖魔素を操れるとか?」
「試してみるといい」
渡されたコントローラーは、しっかりと手で掴める物体になっている。
スライドスイッチをオンオフすると点滅で機能変更を知らせる。
他のボタンを押してもなんにも起こらないのは変わらず。
本当は元からなんの機能もなかったのを、邪神が手を加えてくれたものだしな。
電光掲示板はどうなったのかとアクセスランプに指を添える。
「お、まだ文字が出てくる……」
最後に得たマグ量を考えたら、ちんたら横に流れる数字が表示し終えるのに何日かかるか分からない。
そう思ったのだが――。
『ラストシャソラシュバル:邪竜を葬りし救世の英雄』
なんだよこの恥ずかしい称号はぁ!
「もう数字は意味がないだろう? だからといって、ただ無に帰すのも寂しいものがある。それで相応しい称号が必要だと思ってね」
邪神は、やってやったって感じの照れくさそうに笑いながら言った。
なんでちょっとサービスしちゃったといった風に自信ありげなんだよ。
俺は喜んでねえからな!
「これなら無に帰した方が……そんなこと、できるのか?」
「ああ、もし憂いがあるなら消すのを考えよう。でもね、それは君の魂と結びついている。そこが少し、気がかりではあるんだ」
「一見関係なさそうでも、影響がないとは言い切れないと」
邪神は頷いたが、消してもいいと言うくらいだから大きな心配はないんだろう。
どうも口にしないことがたくさんあるような感じは受けるんだ。
大変なことはそう言うのだから、俺には把握できない邪神パワーで無意識に判別してそうな気がする。
……俺が、ここで唯一自由にできるものなんだよな。
そう考えると消すのは惜しくなってくる。
「取っておくよ」
まあ、寂しい場所だ。玩具の一つくらい持っていてもいいだろう。
しまうため腰の鞄を開こうとして手が止まる。
スケイルの祠ではない、道具袋に戻っていたことを忘れていた。
「どうした?」
「いや、開けるの面倒だと思って」
「それなら指示すればいい」
「へ」
指示って……コントローラーだぞ。
『袋で待機!』
『ワン!』
だとかやり取りすんの? シュール。
「ぶあっ!」
待機と念じたところで異変が起きていた。
コントローラーは俺と同じく薄くなると袋に吸い込まれていく。
なななんだこれ。自分でこんな超常現象起こせるとか心臓バクバクもんだ。
「慣れればもっとスムーズになるよ」
そこが不満なんじゃねーよ。
よくこいつは、ぽんぽんと奇跡起こして平気でいられるな。
こっちの世界で日本では考えられない環境にいたせいで、肝が据わってるんだろうとは思うが……日常生活がまともに送れてるのか不安になるほどだ。
「それが、コントローラーの魂が持つ聖魔素を扱うということだ」
コントローラーに魂があってたまるか!
「これじゃまるで邪し……」
「じゃし?」
おっといけね。
邪神て言いかけた。
「ゴホン。これじゃあ、まるであんたみたいだなあと……あ、小規模ながらってこういうことか」
「そうだな、こういった現象なのだろう。君と私の違いは、魂に結びついた聖魔素の割合だろうか」
小難しいことはいい。
俺はミニ邪神になってたのかよ……。
「……俺も、確かめることが増えちまったな」
「楽しみが増えていいだろう?」
試すたって、もう何かを倒して貯め込めるかなんて知ることは出来ないけどな。
笑いながら歩き出した邪神と並んで、俺は溜息を吐きながら歩き出すのだった。
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