至福の時
来客を知らせるブザーが鳴り、そわそわと玄関前に待機していた俺はすかさず扉を開く。
目が合った人物は、俺を見るなり顔をほころばせた。
「こんにちは、太郎君」
俺の目の前には、かわいい花柄の大きな鞄を抱えた彼女が立っていた。
彼女――ガールフレンドなるものだ。
イマジナリーではない本物の!
少しひんやりした、ずしりと重い荷物を受け取って階段を上る。
部屋に彼女が遊びに来る……そんな異世界に迷い込むより現実感のない夢のような出来事は実在したのです。
昔、ギャルゲーなどで声優に名前を読んでもらえるという売りのものがあった。
一般的な名前のほとんどを収録するという力技のもので、当然のように俺の名前は必ずあったわけだが、いまいちその嬉しさは理解できなかった。
今は、よく分かる。
ソファだとか立派なもんはないから、ラグの上に座布団代わりのクッションを差し出す。
「太郎君、ありがと」
聞いたか、この特別感。
なんでもない名前のはずが、ものすごく尊いもののように聞こえるではないか。
俺も床に座って二人の間に鞄を置くと、彼女が中身を取り出す。銀色の内側が見えた。やはり保冷バッグだったらしい。
「たっくさんおやつ買ってきちゃった」
「そうだと思った。じゃあ飲み物を」
「あっ、飲み物も! 珍しいもの見つけたの。はいこれ」
「へ、へぇ、フカヒレガラナサイダーかぁ……」
今どき珍しい瓶入りのジュースだ。赤みの強い暗褐色の濁った液体は赤味噌のようでもあるが、ぶよっとした物体が浮いて見える。
「タオル、膝に置いた方がいいかも」
そう言いながらも彼女は既に取り出したタオルを、さっと広げて膝に掛けてくれた。青いスライムドットプリント柄だ。
至れり尽くせり。
えへへぇ。嫌でも顔面崩壊するってもんよ。
顔の緩みを誤魔化すように、口へと瓶を傾ける。
「ぐぼっ……まっず! げろまず!」
「ねー、すごいでしょ?」
ちょっと噴いてしまった。本当にタオル置いていて正解だ。
なんて気の利く娘だろう。俺にはもったいなすぎる。こんな幸せでいいんだろうか。
「じゃーん。メインは、これ。どれ食べる?」
「う、うぅん……じゃあ、この……カツ丼イチゴショートケーキで……」
「わーチャレンジャーだね。じゃあ、私はブルーベリージャムウナギバーガー」
え、チャレンジャーまで言う?
チョイスを失敗したかもしれん。
とはいえ他を見ればメンチカツバナナスムージーとかだし諦めよう……。
「はいフォーク」
「あ、ありがとう」
プラスチックフォークを渡され、恐る恐る手にした物体を睨む。
一見ただのショートケーキ。
しかし生クリームの盛られた表面に目立つ大粒の苺。そこに添えられた緑の葉っぱはミントではなく、三つ葉だ。
フォークを刺すとふわっとした生クリームとスポンジケーキ層を通り、微かな弾力の底で、ザクッとした感触が手に伝わる。普通なら砕いたグラハムクラッカーを敷いてあると考えるところだが、まるで揚げたてのように見事なとんかつの衣が横たわっている。途中に弾力を感じたのは粒々とした中層が御飯のためだろう。合間に萎びた茶色い玉ねぎが絡まり合っていて一層グロさを引き立てている。
この一連のゲテ飯シリーズの売り文句は『がっつりメインからデザートまで、超時短飯!』とのことだ。
余計な気を利かしてんじゃねえよ。しかも無駄に手間かけてるし。
これらの品々を考えたお調子者どもを問い詰めたい。首を掴んで揺さぶりたい。
こういうものは考えすぎるほどダメージはでかくなる。
大きく切り取ると、えいやと口に放った。
「ぶぐっ……お、面白い味だね」
「そっかー。一口、交換する?」
「しゅる!」
舌噛んだ。
俺が食ったフォークで、生クリームカツ丼が彼女の口に吸い込まれていく。
俺も、彼女が食べかけのジャム乗せウナギの蒲焼を齧る。
なんというドキドキの行為。
やばい感じに胸が鳴るのは、決して舌から襲い来る味の不調和に胃がざわついているためではないはずだ。
額の脂汗を拭って彼女を見る。
にっこりと笑顔を向けられた。
え、えへへぇ。もうなんでも食べちゃう!
「楽しいー」
「うん楽しい!」
そんな風におやつをつまみながらゲームを始めるべく画面に向かう。肩を並べてゲームするなんてのも、憧れたシチュエーションだった。
ちょっぴり大人向けのタイトルを手に取る。暴力系のレーティング的に。
グランド・セウト・カート、二画面に分割されて対戦できるレースゲームだ。持ってて良かった。
彼女はプレイが有利になるアイテムを拾って嬉しそうな声を上げる。
「やったバナナ拾えた」
バナナを投げられた俺は滑って転んだところをタンクローリーに轢かれて大炎上してしまった。
復活すると、近くに停車したカートを強奪して再戦。
「あっ、カルガモ親子は撥ねちゃ駄目だよー」
「ごめん、つい」
素直に喜んだりぷくっと膨れたりする。新鮮だ。かわいいなあ。でへへぇ。
「また勝っちゃった。手を抜いてない?」
「いやぁ久々だから操作忘れて」
「太郎君……優しい」
横で小さな頭が揺れるのに、ちらちらと目がいってしまう。
気になって気になって、まともに操作などできるはずもなく、その後もふらふらプレイで遊んだ。
「はい口直しの飴。ハバネロサルミアッキとジンギスカンレモネード味があるよ」
「……ハバネロで」
得も言われぬ薬臭い風味の後に襲い来る猛烈な辛さが鼻腔を突き抜ける。
これも幸福の妙味。で、でへへぇ。
何戦かすると、棚を物色してもらうことになった。
俺の恥ずかしいだけと思っていたコレクションと呼ぶのも烏滸がましい、ただ買っては置いてあるだけのものだ。しかも偏ってるしマニアと呼ぶほど多くもない。
なのに、それを目を輝かせて見てくれる。
「すごい。こんな古いのも持ってるんだ」
「再版されなきゃ終わりだし、思い切れなくて」
最近はなんでもダウンロードだから、逆に半端に古いのが残り気味だ。
「わっ、なにこれ。どうしたの?」
彼女が一つ手に取った棚の奥に目を向ける。
こんな場所に夜のプライベートなもんは隠してないぞ?
隠していたつもりはないが見つかったのは……ぼろぼろのコントローラーだ。
「あーそれ……漏電したらしくて」
「えー大変。気を付けてね?」
焼けて溶けかけたように歪なそれを彼女は指でつついて、俺を心配そうに見上げると、眼鏡の端が青くちらついたようだった。
そんな顔をしてくれるのが嬉しいし、おまけにいえばかわいい。
もう一つ言えばせっかくかわいいのに、ちらつきが目障りだ。気になって見てしまうだろうが。
……あ?
もしかして、コントローラーのアクセスランプ?
まさか、まだ生きてんのかお前。
仕方なく彼女から視線を外してコントローラーを見れば、確かに光ったのが見えた。
コントローラーにケーブルを巻いた状態で置いてある。すぐに消えてしまったけど光るのを見られたかと、俺の視線の先を追った彼女の様子を伺う。
「こんなになっても取ってるなんて、思い入れがあるんだね」
そう言って振り返ったとき、眼鏡がちらついた。
まただ。
「うん……一緒に戦った、相棒みたいなもんだから」
この様子だと、やっぱり聖魔素は見えないんだろう。
俺の魂に紐づいたから見えるというなら当然か。
「それって格ゲー?」
彼女はくすくすと笑う。
あ、そう取るよな。恥ずかしくなってきた。
「真剣に遊ぶのって大事だよね」
フォローありがとう。
「ところで、その、眼鏡がたまに青く光る気がするんだけど……」
「やっぱりわかる? モニター見てること多いからブルーライトカットコーティングっていうのしてるの」
「あ、ああ、聞いたことある」
やっぱり、それなのか。
考えすぎだな。世の中に溢れた色なんだ。
夢であっちの世界を見るようになって、逆にしっかり頭を切り替えられるようになったと思ってたんだが……。
ただ、コントローラーに光を見たのは間違いない。後で確かめよう。
「あ、これも二人で遊べるね。次、これやろうよ」
彼女が手に取ったのは、平安京を守るために罠として穴を掘ると宇宙から攻めて来たネズミが集団自殺していくゲームだ。
昔のゲームは時代のせいか、交代で遊んだりできるやつ多いよな。
「それにしようか」
「やったー。じゃ早く」
指に柔らかな感触。
なんと彼女は早速ゲーム機の前に戻るついでに、俺の手を引いた。
「うへへー楽しみだー」
そうだよ、今は過去の相棒などより、この至福の時間を大切にしなければ!
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