155:予兆

 なんの前触れもなく、それは来た。

 スケイルが言った異変。ギルド長の言った、頻発する魔震。

 復活の兆しだ。


 出かける準備を終えたところで、揺れが来た。

 早朝ならタイミングとしてはマシだろうか。

 普段は静かな外から、部屋にもざわめきが届き始める。


 慌てるよりも、諦めの溜息が出ていた。

 こうして落ち着いていられるのは、スケイルがグァグァ鳴いたり髪を引っ張って起こしてくれたからだ。


 寝る前にも伝えてくれたが、目覚めて、その内容が変化したのを知った。

 枕もとのスケイルの首根っこを押さえようとスケイルを見て固まった。夜明け頃のぼんやりと明るい部屋の中で、スケイルの瞳孔が、いつもより青く煌いていた。


《赤きものが目覚めようとしている》


 魔物のことなら、その辺に幾らでも蠢いている。

 けれどスケイルの言い方は、それがある存在によって生み出されたことを思い出させた。

 確かに、あれこそが赤いものそのものだ。


 いつもより早い時間に、いつもよりはそろりと階下へ降りると、おっさんが表に出した看板を室内に戻していた。


「おっさん、状況は」

「おう、タロウか。おはようさん。見ての通り、店を開けてる場合じゃあないな」


 こんな時なのに、おっさんは暢気に思えるような挨拶をするが、顔は強張っている。当たり前だよな。


 意外なことに、湖の上で遭遇した二度目ほど強い揺れではない。

 ただし激しいとまではいえないながら、断続的に地響きが足の下を通り過ぎていく。

 もし地下の魔脈に漂っていたマグが、邪竜というポンプにより規則性を伴う移動を始めたなら、こんな風だろうか。


 通りに出てみれば、人々は不安そうながらも、表に出してある荷物を室内に入れたり縄で縛っていた。

 砦兵が声を張り上げて注意を促している。その合間を、冒険者が走りつつ方々へ走っていった。砦前の方に目を向ければ、すでに出てきていた鉱員らも留められている。

 誰の顔にも、いつもの緩みはない。それもそうだろう。

 ときに人々は動きを止めて山を見上げる。

 それに倣い、俺も北の空を仰いだ。

 たんに揺れているだけではない。



 ジェッテブルク山の先端が、赤く染まって見えるためだ。



「落ち着いてるな」


 隣から声がかかる。おっさんが隣に立って空を見上げた。


「教えてもらった」

「グャア」

「そうだったな」


 鞄から頭を出したスケイルを示すと、おっさんは頷いて、また山を見た。


「シェファと女将さんは?」

「シェファにはウギを小屋まで戻すのに行かせた。母ちゃんには西に話を聞きに行ってもらってる」


 家畜は分かる。西って農地のことだよな?


「ああ、どこかに被害があったら手を貸さないとな」

「いや、疎開せにゃならんだろう。その相談だ」


 思わず隣を見た。

 疎開……そこまでの、ことだよな。


 非常事態だ。非戦闘員なら、そうすべきなんだ。

 口を噤んで、黒い山の天辺を見据える。

 なんともいえない、不安定な空気の流れが胸の内にある。

 それが、どういった気持ちなのかは分からない。


《そう悲嘆に暮れることはなかろう。なにも今日や明日で現れるわけではない》

「えっ、そうなの? 早く言えよ」

《伝わってなかったか》


 確かに、目覚めるとは言い切ってないな。


「いつだ」

《予言者でもあるまいに、はっきりとは言えぬ。ただ、結界石の張り巡らせていた聖魔素が、端から崩れていくのが臭ってくる。それが終わるまでだ》

「端から、崩れている? 大事だろうが!」


 詳細なんか聞いても分からないだろうが、次々と問い詰めたおした。


《現状はそうだ。現状は》

「よくわかった。ありがとう」


 立ち枯れたアホ毛の上から頭をガシガシと撫でると、力が入ってなかったのか首が左右に傾く度に変な音が喉から鳴る。


「グェグェグェ」


 目を回しているスケイルを見ながら、情報をまとめる。

 前に仕組みを聞いていて良かった。

 まずは結界の大元である二つの祠の内、山の上にある邪竜の動きを止めていたものが崩壊しつつあるらしい。それに伴い、フラフィエが言っていた蓋の網目も崩れているという。


 そして効果を強固にしていた麓の祠が崩れる時、邪竜は本来の力を取り戻す……スケイルが言ったのはそういうことだ。


 俺一人が考える問題じゃない。これは伝えなければ。

 ギルドへ走り出していたが、ここまでの非常時だ。既に出払ってるかな。


 しかし山について急ぎ伝えたいことがあると目についた職員を呼び止めれば、意外なことにギルド長室へ案内された。


「緊急とは」


 やはり恰好はフル装備で、出かけるところらしい。さっと目を向け簡潔に問い、手荷物を確認している。ぴりぴりした空気を読んで、俺もスケイルの頭に手を載せて手短に答える。


「今日明日で目覚めることはないそうです」


 杖を手に扉へ向かいかけていたギルド長は、足を止めた。


「それは、どれほど正確に」


 さっき確かめたことを伝えると、目を細めたギルド長はわずかに間を置く。


「そうか……監視を頼みたい。経過を伝えてくれるか」

「もちろん」

「では砦前の天幕に連絡を。取次の必要はないようにしておく」


 頷くと、共に部屋を出た。

 さっそくギルド長は階下の職員用事務室で、同じくフル装備で出かけようとしていたお付きの岩腕族職員を呼ぶと指示を伝える。つられて俺も立ち止まってしまった。


「ジェネレション領へ連絡を。こちらの方針に決めたと添えろ」


 ああ、昨日この人が南に走っていったのは伝令のためか。

 まだギルド長は以前に失敗した例が頭にあるようだから、急いで援軍をよこす必要はないと訂正するのかもな。猶予があると分かれば住人の避難を先に済ませておける。向こうだって受け入れ態勢を整えるのに人手が要るだろう。


「戦闘員はいつでも動けるように待機と」


 おい。

 聞き間違いじゃないよな?

 なんでだよと心でツッコミつつ、走り出ていく職員の後を足早に歩くギルド長を追う。意図を確かめたかった。


「なんでまた、気の早いことを」

「一々面白い顔をするな。復活が確実だと知らせた当人ではないか」


 この街の中では一応、脳筋枠じゃなかったはずだろ?


「ですが正確には分からない。十日後か、このまま冬季を超えるかも俺には判断できないんですよ」

「待つに足る」


 顔付きが違う。

 いつもどこかとぼけたような態度はない。


「最上級の聖獣が知らせたならば、疑う余地などなかろう」

「……それを理由にする気か」


 ギルド長の鋭い視線は山を見据えていたが、その口元は不敵に歪む。

 それが答えなんだろう。今回の報告で相手を迅速に動かすには、俺は都合の良い存在だろうよ。

 まったく、また一年くらい何もなかったらどうする。


「確実に来る。多少は時期が前後しようが、それが知れただけで十分だ。他がどう動くかなど把握できようもないのだから。それよりもこれで動ける。そちらの方が重要なことだ」


 これで動く理由ができた、の間違いだろ。

 なにか変なスイッチでも入ったのか?

 どうも不穏だな……実は他の勢力と揉めてて相当恨んでるとか?

 もう他は当てにしないと思う気持ちは分かるが、さすがに手勢だけでの防衛は無理すぎる。


「さっきは、ジェネレション領に兵を出すよう要請したじゃないですか」


 ギルド長は笑いを引っ込めた。いつもの雰囲気に戻る。


「あれは、そういう役回りだからな」


 首をひねる。あれ?


「デイアは長兄の部下だ」

「職員ではないんですか」

「厳密には」


 あの職員、デイアと言う奴が、偉い立場に見えるのに陰で動いてる感じだった理由は分かったが、ただの縁故採用の響きではないよな。お目付け役ってことだ。

 ギルド長に貴族っぽい印象はないが、やっぱりそういったもんは兄弟間で勢力争いとかあったり?

 こんな場所にまで監視を置くとは……監視。

 それって、とっくの昔に俺の存在は公的に筒抜け?

 い、いやいや、そこはもう自分で言いふらしたんだから今さらだ。


 それはともかく想像するだけで胃が痛むな。

 ギルド長は何か悪いことでもして、こんな利権を巡ってどろっどろの陰謀渦巻く水面下の戦いが繰り広げられてそうな気がしないでもない場所に飛ばされたのか?


「なぜいつも人の頭ばかり見る」


 やべ。


「あーその、随分と心配性のお兄さんですね!」

「それはそうだ。当主だからな」

「へぇ、そうだったんで……とうしゅ」


 投手ではないだろう。

 領主ですよね。

 ギルド長のような、なんちゃって領主ではない本物の。


「てっきり、父親かと」


 ギルド長は歩く方向を変えた。

 砦前の狭い広場を挟んだ鉱山用の荷物置場の一角には既に、そう大きくはない天幕が設置されている。その出入り口の前に立つ武装したギルド職員と冒険者が、砦兵と向かい合って言葉を交わしていた。だが、すぐに兵は砦へと引き返し、冒険者も北西の道へと走っていく。

 連携が取りやすいからここに設置してるんだろう。


「父は名を上げたよ……問題が起きたようだ」


 ギルド長が言いかけた話は途切れた。

 天幕に戻ろうとしていた職員は、こちらに気付くと頭の尻尾を揺らして駆け寄ってくる。金髪ポニテの森葉族といえばユウさんだ。


「ギルド長! 岩場拠点から報告が」


 ああ、あの小屋がある危険な方面から連絡しやすい位置でもあるな。

 ユウさんは表情こそ落ち着いて見えたが、声音には焦りが滲んでいる。言いかけて開いた口は固まり、視線は俺を一瞬捉える。


「構わん。タロウにも協力を頼んだ」

「川の地下に位置する空洞部が、崩落しているそうです」

「……川が!」


 ギルド長に代わって叫んだのは俺だ。

 ナガラー川は街の生活用水を賄っている唯一の場所、のはず。

 大変どころじゃない!

 地下が穴だらけなら、幾つかある井戸だって出所は同じじゃないのか。よく今まで無事だったな……明確に川の地下と把握してるんだから、今までもそういった場所を確認して回ってるんだろうけど。


 あ、つい声を出してしまった。

 口を閉じて周囲を見る。人はまばらだが、天幕の設置で移動した荷物を整頓している少しの人族や、慌ただしく連絡に走りまわってる冒険者くらいのものだ。


「もう一つ、急ぐ理由が出来たな」


 ギルド長は特に気にするでなく、入り口の分厚い布を開いて天幕の中へ声をかける。


「どうだ」


 入るのは躊躇われて、立ち止まり中を覗く。


「お疲れ様です、ドリム。川へ調査班を出すよう手配しましタ。すでに北東側国境沿い拠点には、全員が戻るように連絡してありますから、岩場方面から人を移すことで増加する魔物の対応は間に合うでしょウ。ただし、少々東が厳しいことになりまス」


 一人、立ったまま紙を見比べていたのはコエダさんだ。壁沿いには備蓄らしい箱が並び、真ん中には簡素なテーブルを置いてあるだけだ。その上は、報告書らしき紙束や地図が乱雑に広げてある。

 紙から顔を上げた大枝嬢と目が合った。


「おや、タロウさん」

「入りなさい」


 お邪魔します。

 俺の後にユウさんも続いた。

 許可を得て天幕に入ると、ギルド長はスケイルを目で示して言った。


「聖獣が復活を予言した」

「グゲレェ」

《予言などではない》


 ガサッと音を立てて書類が置かれた。

 大枝嬢にしては大雑把な動きだ。動揺が大きかったのだろうが、いつものウロのように目と口を開きはしなかった。枝葉のような髪も萎れてない。


「では、そのように切り替えましょウ」


 いつものように穏やかだ。努めて、感情を抑えてるのかもしれない。


「ジェネレションには準備を伝えた」

「まずは住人の避難のため、西方面から随伴する人員を動かしまス。半日は持ちこたえるでしょうが畑まで侵食されることを考え、防衛線を結界柵まで下げるよう伝えまス。ウギは囲いまでは戻していただき、放牧地は放棄――」


 え、なんか物凄い勢いで、すごい決断がされていってる……?


「あの、すでに農地も疎開の準備してるそうです。ウギも移動させてると聞きました」

「そうか」


 置いてきぼり気分だった。一応は伝えてみたが、きっと農地にもまとめ役みたいな奴がいて何かあればそうするよう伝えてあるんだろう。

 茫然と聞き入ってると、外から声がかけられた。


「ユウさん居るか! 街周辺の報告だ!」


 さっとユウさんが入り口の布を横に引く。冒険者が口を開けたまま固まった。もちろん視線は俺に釘付け! そいつはギルド長が促すと捲し立て始めた。


「昨夜と同様だ。森から溢れてる。ただ遮る物がないからか固まって止まってる。互いを藪にでも見立ててるようだな」


 ケダマたちが根性なしで良かったとホッとしたのは俺だけだった。


「予想以上だ」

「それほど増えたとなれば、分布も変わってきますネ……」


 そうだった。奥地に居る奴らは大丈夫なんだろうか……。


「なにか遮蔽物を用意したらどうですか」


 嫌な緊張が高まってきたこともあり、黙っていられなかった。


「おお! タロウ、それだ! ギルド長、タロウの貯めた干し草がバカみたいにある。持ち出していいか」

「まだ倉庫に待機中の連絡係がいるな? 彼らの手を使え」

「了解! タロウの功績がここで活きるとは。大地を覇する芽吹き、その魂を刈りし者よ――またな!」


 連絡係冒険者はすっ飛んで行った。またなんかテンションのおかしい奴だったな。

 冗談で馬防柵みたいとかなんとか思った気がするが、本当にそうなるとは……。

 振り返ると、大枝嬢らは真剣な空気を醸していた。


「ドリム、先ほどの行動計画を一部修正しまス」

「北か、手前に人員が必要か」

「北西拠点下が、ちょうど良いでしょウ」

「そこへは俺が向かう。他はそのままで」

「現在、高ランクの待機組はいません。東に溢れるようなら私が代わりを務めまス」


 それに驚いたが、ギルド長が大枝嬢に返したのは別の言葉だ。


「狼煙を上げろ」

「緊急連絡ですネ」


 大枝嬢が頷き返すと、ユウさんは険しさを増した顔付きで木箱の蓋を開けた。取り出した麻紐で編んだような袋三つ。口を縛った紐は黄色い。中から取り出したのは、くしゃくしゃの紙に包まれた卵大のもの。黄色の煙が上がる団子だ。


「砦に伝えます」


 確認のために取り出した団子を袋に戻したユウさんは、それを持って出て行った。





 周囲の山並みを見渡せば、北、東、西の空に黄色い煙が昇っている。

 緊急時の狼煙だ。

 それを見ても、まだどう考えていいのか、受け止めきれず、じっと見入っていた。


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