137:スケイルとの検証

 目覚めると、すっかり自分の部屋として見慣れてしまった宿の、ムラのある板壁や部屋を突っ切る洗濯物が視界に……入らなかった。ぬっと現れた歪なシルエットが遮っている。


《主よ、我が僕どもが阿鼻叫喚の声をあげておる。覚醒せよ――贄の刻限は来た》


 上掛けを頭まで被りなおした。


《寝ぼけるな主よ。灼熱の光が現世を焼き尽くさんと迫っているのだ!》

「布団を離せ!」


 爽やかな目覚めが台無しだ。目を閉じていてさえ頭がぐるぐる回っている気がする。

 あれ、この感覚には覚えが……。


「クルゥン!」


 飛び起きると、腕がスケイルの顔に当たってしまった。


「あ、悪い。って、なに出てきてんだよ!」

《は、鼻が……》


 スケイルは平べったい前足で鼻面を撫でると、涙目でコントローラーに飛び込んだ。枕の側にあったコントローラーから、むくれた顔が生える。


《なぜそんなに我を厭うかー!》

「ええい拗ねて頭をぐりぐりとくっつけるな鬱陶しい!」


 なんで中途半端に動物らしさもあるんだか。


「だから、なんで出てきてるんだよ。昨日、何度も話したよな。朝に勝手に出てきたらマグ回復石を減らすって」

《主が寝汚いのが悪いのだ。我は何度も呼んだのだからな!》

「嘘だろ」


 さっき、しもべの鳥がどうのと言っていたのを思い出し、窓に目をやると結構明るくなっている。寝過ごしたのか。

 慌てて起き上がると体がふらついた。くそっ、仕方ない。

 椅子に置いてあるベルトに手を伸ばしポーチを探る。

 この具合だと、中サイズだな。ああ、こんなことで千マグの無駄遣いかよ……。




 重い体を引き摺って階下へ降りると、おっさんは俺を見て眉間に皺を寄せた。


「疲れ切ってるな。最近では珍しいじゃないか。若いんだから、覇気を出せよ」


 ほんと、おっさんはよく見てるな。

 どうも風邪引いたくらいの心配までしてくれてるが、そこまで酷いのか?


「慣れないことをしたせいだ。すぐ慣れるよ」

「それならいいが。人族が疲れを引き摺るなんて、よっぽどだからな」


 あー、そうか。人族にとっては、そんなことが心配どころになるんだな。

 また新たな価値観を学べたと、脳内パラメーターのINT値に1を足しつつ食堂の扉を開く。

 今朝も、シャリテイルの姿はない。少し期待していただけに部屋が寒々しく見えた。


 パンを頬張っていると、それも丁度良かったと思える。

 昨日のスケイルとのぐだぐだぶりやらを思い起こせば、まともに話ができたか疑わしい。

 それに……すぐにシャリテイルに会っていたら、頭がはっきりしないのを言い訳に、間違いなく丸投げしていた。自分自身のことなのにな。


 野菜汁を啜って体が温まってくると、凝り固まっていた気持ちもほぐれてくる。


「うむ、やはり飯こそパワー。特に朝飯は大事」

《ほう、そのような植物の屍が力だと言うか。我に対する挑戦状だな?》

「嫌な言い方するなよ。お前にとっての赤いマグみたいなもんだろ」


 敵性は全くないけどな。

 声を聞いて左下を見れば、スケイルは頭を伸ばして顎をテーブルに乗せている。邪魔なんだが……お?


「ちょうどいい肘置きだな」

《頭が重いのである。いやそのような貧弱な腕などに怯みはしない》


 我慢大会しなくていいぞ。

 文句を言いつつ物欲しそうに盆を見ていたから、小さい石をテーブルに載せてやった。舌で慎重に転がしながら巻き取って飲み込み、満足そうにアホ羽を揺らす。


 スケイルといえば、見せたときのおっさんの反応を思い出していた。

 心底驚いていたようだが、それから態度が変わったなんてことはない。思えば迂闊だったが、大通り沿いの店員や倉庫管理人やらと会っても何も言われなかった。

 ということは、誰にも話してないのかな。

 きっと、それくらいのもんなんだ。


 シャリテイルにはコントローラーの存在を知られたこともあって動揺したから、全部がごちゃっと圧し掛かってしまったように思えたんだ。

 聖獣に限るなら、堂々としてればいいだろう。スケイルが規格外の性能だから、俺でも契約できたようなもんだ。

 多分、その辺の詳細を知る者は少ないと思うんだよな。


 そこそこ長く住んでそうなシャリテイルが、実物は見たことがないと言っていたくらいだ。子供のときに図鑑で見ただけというし、周囲に持ってる奴などいそうもない。


 なるようにしか、ならないんだ。

 どうせなら自分で確認できることはしておこう。




 朝は大人しく草刈りや草むしりに励み、昼時を過ぎた頃に道具屋へ寄ってみた。

 メインの仕事のついでらしい俺の注文分が出来てるとは思わないし、別件だ。

 別とはいっても、さっそく使ってしまった中回復の補充と買い足しだけどな。


 店頭用の在庫まで買い占めるようで気が引けたが、フラフィエは興味津々で目を輝かせている。どんな想像したんだよ。


「わぁ、師匠が試してることって、大量にマグ回復が必要なんですねー。どんなお片付け魔技を開発中なんでしょう? 私、楽しみです!」

「そんな魔技はない。夢を見ず、日々小まめに取り組むように。まずは商品の作成後に、後回しにせず道具を片づけることからやろうな」

「うぅ、見透かされてましたか……」


 まったく。角材に埋もれておいて、まだ懲りないのか。

 懲りないといえば、俺もだ。中サイズのみ幾つか買い足してすぐに店を出た。


《我が弁当のにおいである。しかも、これはやや強いな?》


 無駄に鼻がいい。マグソムリエかよ。

 泥沼を調べたときの感じからすると、魔素専用の受容体でもありそうだよな。


「そうだ。中サイズを買った」

《少量で様子を見るのではなかったか》

「様子を見るも何も、お前が出て来たから数が合わなくなったんだよ」

《鳥どもが高らかに贄乞いの囀りをあげているにも関わらず、主が目覚めぬから、これは緊急事態と判断したのだ。我が目覚めの儀式を執り行わねば誰がやるのだ。我は悪くない》


 腹というか顎で移動できるくせに抜け出す必要はあったか?


「……それだけ疲労が溜まってたってことだよ。俺のせいも少しはあるから、弁当は朝一つに変更するのは待ってやる」

《なんと、主も寛大になれるではないか!》

「明日は予定を守れよ」

《相分かった》


 でも、いきなり朝から浪費したからこそ、俺は予定を考え直すことにしたんだ。




 南の森にやってくると、スケイルと共にカピボーらの掃除をしつつ、中ほどまで進んだ。標の方までは片付けずに、ほんの少し開けた場所で立ち止まると、スケイルに考えを告げる。


「まず初めに、俺たちがやろうとしていることが、どれほど困難なことか感覚を掴んでおきたい」

《大仰な、我の力をもってすれば》

「今は出来ねえだろ。出来たも同然とか言うなよ」

《成功したも同然と言おうとしたのだ》


 ぎろりと睨むと、スケイルはそっぽを向いて口をすぼめた。


「クピュー、クピュヘー」


 口笛吹いて誤魔化すとか無駄な仕草まで学びやがって。しかも下手だし。空気漏れてんぞ。


「スケイルだけ頑張ってもしょうがないだろ。確かに、このままだと、先に俺の体の方にガタがきそうだもんな」

《では!》

「試しに外に出てもらいたい。今のところ、どれくらい動けるもんか互いに把握しよう」


 なんで固まってんだ?

 俺は今後の目標立てるのに必要だから、辛いのは我慢するつもりだが、スケイルは喜んで良さそうなもんなのに……怪しいな。


「言ったろ、大きな負荷をかけた方がいいって」

《あれは言葉の綾であったが……い、いや真実には相違ないぞ》

「……見栄を張らずに言ってくれ、真剣に」

《我は見栄は張れども嘘は言わぬ。だが予測に過ぎぬとも伝えたはずだ》

「その予測は、どれだけ考えた結果なんだ?」


 スケイルは、じっと見上げてくる。多少は真剣みがある時の顔つきだ。


《考えるだけの時ならば、長すぎるほどにあった》


 暗い地下で水晶の中に浮かんだ姿を思い浮かべた。思えば、こんなうるさい奴が、よくも長いこと眠っていられたな。

 下手したら数百年か……俺が、そこに疑義を挟むことはできない。


 まあ、思い付きよりはマシだろう。だったら一度くらい試してもいい。

 自分一人の検証じゃないから躊躇していたが、いつもの俺ならやるはずだ。

 俺は信頼を込めて頷いて見せた。スケイルの緊張は意欲に変わる。


「行け、スケイル!」

《承知!》


「クアアァォォ!」


 スケイルは気炎を上げて飛び出した。透過した膜のようなものが空中に浮かび、ふわっと銀色の鱗に塗り替えられる。落ち葉や折れた枝なども散る地面に着地したというのに、音もなくそこに居た。全身を顕現させ振り返ったスケイルの鱗羽が、木漏れ日を受けて虹色に輝いた。

 宿でのぞんざいな現れ方とは、随分と違う。


《クァクァクァ、我の荘厳な姿に見惚れているようだな!》


 動きが止まったのは、見とれてしまったからではない。ふらついて、手が背後の木を探っていたからだ。スケイルが抜けだした途端に、頭に霞がかったように目が眩んでいた。起き抜けは横になっているし、眠さもあって気が付きにくいらしい。

 急だと、ここまで気が抜けるようだとは……。


《主よ、気は確かか?》


 少しは心配してくれる素振りを見せてくれるのはありがたいが、舌で腕を支えようとするな。

 木に貼りついていれば、もう少しは我慢できそうだ。


「まだ、大丈夫だ。この先の魔物は残しただろ。そいつらを倒してみてくれるか」

《そのような思惑であったか。任せるがよい》


 舌を引っ込めさえすれば、キリッとして恰好いい感じもするのにな。歩き出した姿を背後から見ると、ライオンの体の動きを思い出す。歩き方は違うのに、のっそりしつつも力強さが見えるからだろう。

 やや息を詰めて見守った。この辺の魔物など尾羽で払うだけで一掃できそうだが、初めての試みは、なんだかんだで緊張する。


 先の藪が揺れ、敵の接近を知らせる。

 いよいよだという時、スケイルは足を止めた。迎え撃つつもりか、と思ったのも束の間、今度は地面に寝そべる。

 なにするつもりだ。あんま舐めプすんなよ……。


「相手に不足なのは分かるが、気は抜かないでくれ。今は俺も無防備だ。こっちに魔物が来たら頼むぞ」


 今さらカピボーに取り付かれるくらい、なんてことはない。装備のお陰だが。

 ただ、倒れてしまえば別だ。顔を庇うことが難しくなるのは困る。


《主も、我が元に小さき魔物が来たらば、助けを請いたし》

「は? 何を言って……おい、なんで、ぐったりしてるんだよ……」


 スケイルは、相手を舐めて横たわっているのではないらしい。寝るというより、力なく横たわっているというか、腹這いになっていた。伸びた舌も、地面に張りついている。


《ふぅ……元気に動き回れるのも一瞬か》

「おい、ふざけるのもいい加減に、って、カピボー来てるぞ!」


 スケイルの鼻面にカピボーが取り付こうとし、舌で牽制しているが、いつもの軽快さがない。


《ぬうぅ、小賢しい!》

「あっ、ケダマが頭のアホ毛に!」

《アホ毛とは何事ぞ! クピァーッ! 我が冠が!》


 スケイルが、弱々しく頭を左右に振りながら、舌をブンッ、ブンッと力なく振り回している。さらなる増援が、スケイルに取り付いた。

 ケダマのたてがみで、もこもこの蜥蜴。


 やばい、面白い。

 じゃなくて、危ない。


「おい、反撃しないのか」


 あれ、なんか俺の方もさらに眩暈がしてきたな……。


《あ、主よ、弁当だ。お弁当を持って、こい……》

「……スケイル、スケーイルーーーー!」


 そして俺の頭上からもカサカサと葉擦れの音が響き、次には、頭に柔らかな重みがのしかかった。


「お前に用はない」

「ホケムュ!」


 ホカムリで良かった。

 けど、もう限界。膝から力が抜けていき、今にも倒れそうだ。


 ふざけんな……低ランクの森で死ぬとかマジかって!


 あらかじめ口を開けておいた、魔技石用ポーチに手を突っ込んだ。石が砕ける感触と共に体はふっと軽くなり、スケイルが立ち上がる。するとスケイルが頭を振った様子もないのにケダマたちが弾け飛んだ。そしてまた、俺も頭が重くなり……。


「無駄に技を使ってんじゃねえよ! もういい、戻れ」

「クルゥ……」


 スケイルは動きにキレがないまま、でろりと崩れコントローラーに吸い込まれた。

 ほんと、気色悪いやつだ。

 それから改めて、もう一つマグ回復中サイズを割った。


《プゥ、なかなか刺激的な体験であったな》

「刺激で済むか!」

《クォ! あらぶるな、主!》

「様子見だって言ってるそばから浪費しやがって!」

《これでも、抑えたのだ! クカァー!》


 だめだめじゃん。

 いつもの俺の検証大会と、なんの変りもなかったな!

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