127:地下迷宮の隠し部屋
二、三のハリスンを、シャリテイルは立ち止まることなく殴り潰して、後ろを歩く俺に声をかけてきた。
「ほんと高ランクってすごいわね。もっと北の方を片付けてもらったのに、この辺まで静かなんだもの。これなら落ち着いて討伐できそうじゃない?」
「討伐は遠慮しておく」
「山の方も歩きやすくなってるから、戦い易い場所もあると思うけど」
「山はちょっと……」
「ジェッテブルク山じゃないわよ?」
「当たり前だ!」
雪崩後のような土砂の坂道を見上げる。
細い木々ごと薙ぎ倒してできた道は、傾斜のゆるい山腹まで続いていた。
シャリテイルに引きずられるままに、のこのことやってきた俺は、その崩れた道の脇を歩いている。来たばかりの頃、シャリテイルに危険だと言わしめた北東側の森にある、俺も唯一情報として知っている洞穴面。現在向かっている行き先は、その辺りだろうと思う。
いきなり、木々と共に急な斜面が途切れた。
眼前には、森の半ばにぽっかりと開いた空と、視界を邪魔していただろう小山の成れの果てらしき、崩れ落ちた岩の欠片に埋まった地面が広がる。
「こりゃまた、派手に崩れてるな……」
山がへこんでると思ったのは気のせいじゃなかった。
下から見て違和感ある位だ。間近に見れば凄まじいものがある。
「ね、大変でしょ?」
シャリテイルの問いかけに言葉を返すこともできず、こくこくと頷いて周辺を見渡す。
「というわけで、今回の大問題は魔震の方。実は、繁殖期の方は思ったほどじゃなかったというか……崩落箇所が悪くて魔物が増えたものか判断がつかないのよね」
言いながらもシャリテイルは、折り重なった岩の破片の上に足を乗せた。
え、そこ歩いちゃうの?
俺も、そろそろと足を進める。
足元から耳に届く、みしみしパラパラとした音に、ハラハラが止まらない。
「安心していいわよ。魔物の気配はないわ」
心配はそっちじゃねえよ。
実際に、ここまで来る間に見た魔物は、麓らへんで出くわしたハリスン数匹が最後だ。どういうわけか、それ以降はぱたりと、なんの気配もなくなった。
元はシャリテイルさえ眉間を寄せるほどの危険地帯。そのシャリテイルの情報を交えた愚痴によると、カイエンたちはまあまあ楽に歩けるらしいくらいの危険度を誇る場所だ。強固体が出るには街に近すぎるし、数が多いと思うんだ。なのに、ケダマ一匹現れない。
幾ら大元の魔物を広範囲に殲滅したからと、ここまで出ないもんか? シャリテイルだってカピボーらが出てくるのは仕方ないと言っていたように、範囲外に残ってたやつが流れてきてもおかしくない。
静かすぎて落ち着かないから、気になるのかな。
高ランクのお散歩コースを、安心して見学できる貴重な機会ではある。そう考えて連れてきてくれたのかもしれないし、できれば素直に楽しみたいところだ。
余計なことに気を取られてると危ないな。周囲のことは忘れて足元に集中だ。
大きな破片とはいえ、一見不安定に積み重なって見える。その上をシャリテイルはひょいひょいと歩くが、真っ直ぐ進まないということは一応選んでるのか?
「よく崩れないな」
「ふわふわしてそうな場所は見ればなんとなく分かるから」
「器用だよな」
さすが耳にアンテナを持つ種族。いや見て分かる?
まあいいか。なるべく後に続こう。
「でも、タロウだってなかなかしっかり歩くようになったんじゃない?」
「人族に満足にできることなんか、歩くことくらいだろ」
「違うの。んぅー、うまく言えないけれど、前より足がぺったり地面についてる感じ。ちょっと岩腕族みたいよ」
「……へー」
森葉族はコウモリの仲間に違いないから確かなんだろうけど、岩腕族か。
言われてみれば体型的に最も足腰がしっかりしてそうな種族のはずなのに、その印象が薄れてしまっていた。
ああ、ウィズーのせいだな。
そう広い場所でもない。ほどなくして崩れの中心にたどり着く。
崩れ気味の土や岩の隙間に、暗い穴が見えた。
まさか、入るの?
「崩れないよう、入り口に木の棒を固定してもらってるから、頭に気を付けてね」
棒ね……。
その辺の倒木がそのまま、つっかえ棒のように斜めに刺さっているようにしか見えない。力任せの大ざっぱな奴らばかりだし間違ってなさそう。余計に破壊したんじゃないかこれ。
倒木が刺さり亀裂の入っている辺りの破片を避けつつ声を掛けた
「灯りつけるから待ってくれ」
ランタンを手に、壁に手を添えて穴をくぐる。手触りの感じでは、土の壁ではなく、全部が硬い岩の壁のようだ。そのせいかは分からないが、入り口のようなひび割れもなく、これまで見た洞穴と大差は感じない。
なんということだ。ありがたいことに、苔草も見当たらないじゃないか。
問題は、ゆるい下り坂になっていることかな。
深く地下へ行くほどに、魔泉とやらにも近付いて魔物のランクも上がるよな?
いつもなら絶対に近付きたくない場所だろう。こんな難度の高いらしい場所に来れるとは思ってなかった。
怖くはあるが好奇心が消えることはない。
「こんな場所に来れるとは思ってなかったよ。あれこれと決まりがあると思ってたし」
「タロウも同じ冒険者じゃない。それに中ランクの私が引率してるんだから、規約違反でもないわよ」
やっぱり、それを言い訳に使ってたか。
ちらと振り返ったシャリテイルは、困ったように微笑む。
「正直ね、今回はいっぱいいっぱいよ。みんな手が取られて、いつもの仕事は後回しになってる。普段通りの決まりを守るどころじゃないの。こんなことは、私が来てからは初めてね」
どこまで本心か、俺への気遣いか、大げさな雑談のつもりなのか。俺には、シャリテイルの本音は分からない。でも、今回の状況がどれだけ大変なのかは目にした通りだ。
「そういえば、前の繁殖期のときはカイエンに連れていかれたけど、今回は何も言われなかったもんな」
「あっ! そういえば、なんの指示もなかった? みたいね……本当なら誰かとまとまってもらうのだけど、みんな移動続きで人も足りなくって……ごめんなさい」
「シャリテイルのせいじゃないだろ。俺も変な場所には行ってないよ」
……ないよな?
「ただ、さっき言ったように繁殖期より魔震の問題とされたんなら、また別の決まりがあるんじゃないのかと思っただけだから」
「ううん緊急時は同じかな。臨機応変に行動してもらって、いつもよりギルドの指示に従ってもらうくらいかしら……ふぅ、私もまだまだね」
後ろからでもシャリテイルの耳が垂れたのが分かる。元気に見せていても、疲労は溜まってるだろう。そんな時は落ち込みやすくなるよな。余計なこと言って悪かった。
「何も気配はなくても、一応周囲の警戒は頼むよ。俺は、頼るしかないから」
ぴょんと耳が伸びた。獣成分はないはずだが、意外と動くな。
「そこは任せなさい!」
満面の笑みで振り返ったシャリテイルは、勢いよく歩き始める。元気よく腕を振り上げたせいで杖を天井にぶつけていた。ぱらぱらと砂粒が俺の顔に降りかかる。
「ふんふーん、お邪魔物ふーん」
ええと、気を取り直してくれて良かったのかな……。
後は堅く口を閉じてシャリテイルの後を追うことにした。
ひたひた。
さっさっ。
ひたひたひた……。
さっさっさっ……。
静まり返った狭い洞窟内に、俺の足音だけが響き渡る。
シャリテイルのはケープが揺れる音だ。どうやったらそんな歩き方ができるんだよ。
それにしても、やけに長いな。分かれ道も多いし複雑な道のりだ。
今まで、こんなに長く魔物が出なかったことはなかったから、ついそわそわしてしまう。辺りを見回したって暗くてよく分からんし、灯りの届く範囲では特に被害も見当たらないんだが。
何か言われるまで口を開くまいと思ったが、早々に諦めた。
「あのぅ、シャリテイル、どこまで行くんだ?」
「あっと、伝えるの忘れていたわね。そこそこ深い場所になるの。だから今しかないと思って!」
「そ、そうか……」
「あともう少しよ。わっくわくー」
調子はずれの鼻歌が再び始まった。不安になるからやめてほしい。
まあ、こんなに音を立てるなら本当に魔物の気配はないんだろう。
というか、本当に他の気配がない。今朝の奴らはどこへ行ったんだ?
「なあ、この辺で、聖獣は見つからなかったのか?」
「っくわー? ええ、派手に崩れた中でも、特に足元まで割れて下層まで広がっちゃったところに集中していたの」
え、立体的に崩れちゃってるのかよ。
「こ、ここは大丈夫なんだろうな。随分と深くまで割れたってことだろ?」
「ほんと驚きよね! まっさか何年も前に掘り尽くされたといわれていた理由が、深さが足りなかっただけなんだもの。まだまだ、こんな近くに埋まっていたなんて、誰も予想してなかったと思うわ」
そっちが気になるんじゃないって……もういいか。
しかし人間の手には余る地下まで魔物の素が広がってると考えると、もっと念入りに掘り返した方がいいような、そっとしておきたいような。
どっちにしても気が重くなるな。自然に対して人間は小さすぎる。
「そうそう行き先は、そんな酷い場所の手前よ」
「危ないじゃねぇか!」
「下り坂になってたりして分かり辛いけど、ずうっと奥地の魔泉がある辺りまで進むと、別の区域に進んじゃうの。手前と言っても近くはないわ。あくまでも、入ってきた山の範囲よ。連なる隣の山との狭間辺りの地下になるかしら」
まあ、たんに真っ直ぐ下りてるわけじゃないもんな。曲がりくねっているから距離感は掴めないが、地下駐車場のように渦を巻きながら潜ってるんだろう。
幾つかあった分かれ道らしき入り口も、半端な形だったり石筍に阻まれるようだったりして、俺には絶対に抜け出せない迷路に思える。
「どちらにしろ、この辺りは中ランクでも高難度指定の場所でしょ? だから聖獣も埋まるのは難しいんじゃないかしら」
「どういう理屈だ」
「魔泉のある活きた魔脈が折り重なっている層なんて、他より壁が薄いと思うのよね。魔物のほうも聖魔素の気配が近くにあるのは嫌なはずでしょ。だとしたら、こんなに長いこと聖獣が同じ位置で安定していられるかしら?」
「なるほど……」
分かったような分からんような。
シャリテイルの推測らしいが、長いこと見つからなかった期間や、場所によって発見数の密度が違うらしい理由づけとしては納得できる気がする。
「そのルートの変化があったから、湧いて出てきちゃったんじゃないかなって」
空っぽの魔脈周辺を中心に、地面が引っくり返されたような状態ってことか。
「そうすると、まだ崩れる危険もあるんじゃないのか」
「その把握も必要ね。でも山ごと崩れるとなったら人間にはどうしようもできないもの。生き埋めになるのはしょうがないわよ、あはは!」
ははは、じゃねえよ! 笑ってる場合か!
「そりゃあ、危ないからって潜らないわけにはいかないんだろうけどさ……その期間くらい、魔物を倒すのは洞窟の出入り口辺りでとかできないもんなのか?」
「その出入り口の数が多すぎるの。本当に底の底まで行ったら、どこに繋がっているか分かったものではないし」
「待ちぼうけってことになり得るのか……うーん、難しいもんだな」
そうだった。ウィズーたちに聞いたんだっけ。魔泉から湧いた魔物は、気分であちこちを彷徨うらしいから、必ず同じ位置に現れるわけではないとか。
「あ、ついたわよ」
「おお、広い?」
急に壁が広がり、わずかながら天井も高くなったため、ランタンの灯りでは端まで届かず薄暗い。声まで反響するようだ。なんとなく壁らしきものを認識できるのは、湿っていてちらちらと反射してるせいだろうか。
「これは、ひどいな……」
端に寄るようにして周囲を確かめながら慎重に歩く。
支柱があるわけでもないし、広さのせいで集中してダメージを受けたように思えた。崩れかけた壁は次第に酷くなり、誰かがショベルでごっそりと掻き出したまま放置したようになっている。
「これを上まで運び出すって、相当だぞ……」
先に奥へと進んでいたシャリテイルの背が浮かび上がり、俺の背中には冷たい汗が流れる。通路だったろう出入り口は、ボロボロの破片を詰めるだけ詰めたように埋まっていた。
そして、あろうことかシャリテイルは、ぺたぺたと手でその破片の壁を触った。
「なっ、なにしてるんだよ! くずれたらどうする!」
大声出して崩れたら大変だ。叫びたいのをこらえつつ必死に呼びかけた。
はっとしてシャリテイルは手を止めたが、振り返って言った言葉はさらに不安を掻き立てるものだった。
「おかしいわ。初めの確認では道を塞いではいなかったのだけど、その後に崩れたのね。でも、おかしいのはそうじゃなくて……」
またシャリテイルは壁に耳を澄ましたりと、何かを確かめつつぐるりと歩き始めた。
何がおかしいのかと聞きたいのをぐっとこらえて、シャリテイルの邪魔にならないよう、できる限り音を立てないようにと後をついていく。
窪みのある壁の前で、シャリテイルは足を止めた。暗い岩壁の溝をよく見れば、通路のようだ。いや通路と呼ぶには整ってない。ただ崩れたようだ。地面は破片で埋まっているが、暗い奥が見える。ランタンを掲げて見れば、うっすらと反射するからすぐに壁らしいが、ちょっとした空間がありそうだ。崩れた破片が、こっち側と向こう側に溢れたから、隙間ができたんだろう。
横穴か行き止まりか。
手を延ばせば届きそうな距離ではあるが、乗り越えるとなると厄介だ。
「うーん広さがありそう。ちょっと覗いてくるわ」
どういうことだ?
ただ確認するという意味か、見たことのない場所がありそうという意味なのか。
シャリテイルが破片の上を慎重に進んだ。ぐらついたから、俺が乗ると傾くな。
通路の向こうへと乗り越えたシャリテイルの、息をのむ横顔が目に入る。
その姿が視界から消えた。
「お、おい、どこに行くんだよ……」
壁の端から破片を足で押しのけるようにして、隙間をつくって入り込む。
あ、またげば良かった。
二、三歩で最後の破片を乗り越えると、今来た洞窟と変わりない壁に手を付く。
シャリテイルが進んだ方に灯りを向けると、佇んでいる姿が浮かび上がった。周囲は暗い。自然にできた空間だろうか、さっきの場所と似た広さがある。
どうしたのかと横に並んで、ようやく俺も異様さに気付いた。
視線の先は壁に阻まれている。
しかしその壁は、細かくひび割れたガラスのようだ。本当に透過してる?
「これって、もしかして」
「マグ水晶の鉱床ね……まだ、こんな場所があったなんて」
まだらな赤い光が返るのは、ランタンの火のせいではなかった。
うっすらとした赤が石の中で霧のように滲んでいるが、魔物から得るものと比べて精彩さを欠いているようにも見える。
「知られてない場所ってことだよな?」
シャリテイルは頷くも、何かを感じるのか、杖を握る手に力がこもっている。
困惑?
魔物なら、こんな迷うような様子は見せないはずだ。
俺も、一応ナイフを取り出しておこう。
そろそろと奥の壁に近付くが、障害物が多い。地面、壁、天井から生えた水晶の柱が、通路を狭く入り組んだものへと変えていく。水晶のダンジョンの行き止まりは、半分天井が落ちたようだった。ひび割れた壁は、その下敷きになるように広がるマグ水晶だ。
その中心が、ごくごく淡い、場に不似合いな色を端々に伝える。
ランタンを翳せば、火の色にかき消されるほど弱々しい色。
でも、俺はそれに見覚えがある。
「青い、色」
水に溶いた絵の具のような青色の筋をたどる。
その先は、暗い水晶壁の中心から流れているようだった。
中心の暗さは、灯りが届かないせいではない。
乱反射した灯りが、シルエットを浮かび上がらせているんだ。
「タロウ、もしかして、なにか分かる?」
「聖獣、じゃないのか」
「やっぱり、そうなのかしら」
はっきりとした形は分からないが、まるで水槽のようだと思った。
「掘り出すしかないんだろ?」
「これだけ分厚いと大変ね……後回しにするしかないわ」
一カ所ずつ確実に片づけていかないとまずいよな。
「そうだ、どこから魔物が出てくるのか分からないなら、幾つかの出入り口を塞いでおくのもいいんじゃないか?」
「それがね、どこかで溜まって気付かないでいると、後から倒すのは余計に大変なことになっちゃうこともあるそうよ」
「そうか……」
そのくらい考えるよな。
「でも一時的ならいいかも。今回は仕方ないわよね。ごめんなさい、戻りましょうか」
魔物ではない何かの気配を読み取ったシャリテイルは、原因が判明したのに浮かない顔だ。
俺には分からない、別の感覚でもあるんだろうか。
戻ろうとするシャリテイルの後を歩こうとしたとき、どこか甲高い音が耳を掠めた気がした。
足を止めると、なぜか背後を振り返る。
青みが、増した?
「タロウ、急ぎましょう……」
そう言いかけたシャリテイルの声も途中で掠れる。
水晶の壁に、亀裂が生じた。
見えない拳が殴ったように、蜘蛛の巣のような丸いへこみが現れた。
甲高い音の正体はこれだ。
その糸は、瞬きを繰り返すごとに範囲を広げていく。
やばい。
そう思いつつ、眺めているしかなかった。
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