草刈りの救世主《メシア》:ある古参冒険者の溜息・前編

 その男が初めて冒険者ギルドに現れたとき、待合室で駄弁っていた俺たちは、さして意識を向けなかった。


 見覚えのない面だが、俺たちにゃ人族の見分けは難しい。全体的に小柄で、素朴な顔立ち。髪もほとんど黒で、たまに茶色がかっている奴がいる程度の差だ。

 そいつのことも、旅をしてきたような恰好を見て、外から来たんだろうと思ったに過ぎない。


 行商団が来たなんて話はなかったが、小さな村からオンボロの馬車一台で物売りに来る奴らもたまにはいる。とんだ命知らずな行動だが、そいつらだってバカでないなら護衛を雇っているだろう。

 今晩はそいつらの誰かを酒場で見かけることになるかもなと話しつつ、後はシャリテイルの後をついてきたことが、気を引いた程度だった。


 だが、ほどなくして受付から聞こえてきた不穏な声に、仕事上がりの穏やかな喧騒は静まっていった。



 なんだ、このガキは――?



 恐らく、俺を含めた全員がそう思ってそいつを見たはずだ。

 実際に子供に見えたわけじゃない。のほほんとした面構えからは、自らが口にしたことの深刻さを理解しているようには全く見えなかったのだ。


 武器など持ったこともなさそうな体つきだが、驚いたことに、そいつは冒険者になろうとしていた。

 冒険者になるために来たのだと、切迫した声を上げてコエダさんに詰め寄ったんだ。


 俺と同時に幾人かが、不穏な空気をはらませ椅子から腰を浮かせる。

 その時、場の全体を見ていたシャリテイルが高い声を響かせた。


「人族って、最弱じゃない!」


 なに言ってんだ!

 俺を含めた全員が、その言葉にドン引きしていたはずだ。


 いつもながらシャリテイルは歯に衣を着せるということをしない。

 しかし、戦争ばっかりしていたせいで邪竜だのといった魔物に付け込まれることになったという過去の反省から、種族差を言及しない社会通念を築いてきたこの国において、それはとんでもない発言だ。


 それまで人族の男を止めようかと立ち上がりかけていたが、止める相手はどちらかと迷う。

 だが舌打ちを堪えて腰を下ろした。他の奴らへも手で動くなと合図する。

 もし牽制のつもりだったなら、なにかあるんだろう。

 だがすぐに、シャリテイルを見て呆然とする人族の顔と言葉に、こちらが困惑することになる。


「最弱って、俺じゃなくて……え、人族?」


 まるで知らなかったというような、ありえない言葉が出てきたのだ。


 だというのに、まだ登録を言い縋っていた。

 それで、やけに真剣な様子だけは伝わったが。

 冒険者になれなければ、命にかかわるとでもいうような焦りは、確かに本物なんだろう。

 ここに来るまでに金を使い果たしたのかもしれない。

 こんな辺境に来るには、何度も馬車を乗り継ぐことになる。よくあることだ。


 登録の確認で呼ばれた男の名は、タロルだとか、ちっと言い辛ぇ名前だった。

 冒険者の証明であるマグタグを窓口から受け取ると、そいつは嬉しそうに掲げて、どこか恭しく首にかけていた。ますますガキじみている。


 コエダさんもランクの刻印についてすら言い出さないなら、続くとは考えていないんだろう。

 表向きは、来る者拒まずの方針を取っているギルドだ。本人が飽きるか諦めるまでは様子を見るといった、苦肉の策なのかもしれない。


「ま、一時の憧れってやつだろ」


 冒険者なんぞに憧れる奴がいるなど理解し難いことだが、たんに強さへの憧れだけならガキの頃に覚える者もいるし、俺だって理解できる。


 とはいえ、ほとんどの奴らには家業がある。自らやばい場所に分け入って魔物を討伐して回ることより、大人になり現実を知れば家業に身を入れていくものだ。

 俺のように兄弟が多く、小さな集落では仕事にありつけずに、あぶれて出てきたのでもなけりゃな。

 ましてや人族なら、街での仕事は幾らでもある。


「どうせ、すぐに辞めるさ」


 向かいの仲間が肩をすくめながら言い、俺も呆れを表しながらも肯いて見せた。


 他の街なら人族の冒険者も珍しくはないが、この冒険者街ガーズは別だ。

 他のどこよりも、魔物に囲まれた街だ。

 特別なんだ。

 冒険者なんかになっちまった俺たちにとっては、上を目指すなら外せねえ場所だってくらいにはな。


 街自体を結界で囲まなきゃならん異常な場所にある。毎日毎日討伐し続けなければ、すぐに埋もれてしまうと思えるほどの魔物が沸き続けるんだ。

 冒険者ごっこすら、できないだろうよ。

 下手すりゃその辺でおっ死んで、二度と見ることもないかもな。


 だが、ここ何年も、そんな事故はない。できれば、死ぬほど怖い目に遭う程度で諦め、辞めてくれるよう願った。

 そうして、その男のことは頭から締めだした。




 翌日の夕方、件の人族冒険者がギルドへ戻って来た。

 名前を聞き間違えていたようで、実際はタヌロというそうだ。

 タヌロは落ち着きなくギルド内を見回すが、何を見ているというのでもなく、小走りに窓口へと一直線に向かう。街なかを歩く姿を見かけたが、いつもそんな風で落ち着きがない。


 シャリテイルが連れてきた上に、今朝には「ちょっと訳ありなのぉ」と宣言したため誰も口出しはしない。シャリテイルは、あれでも相当の実力がある上に、ギルドの使いっ走りだからな。

 そうでなけりゃ、タヌロが自信たっぷりに草の束を抱えて戻って来たときに、野次の一つでも飛ばしてる。


 そいつが種族差を知らなかったような態度の理由は、その時のシャリテイルの話で理解できた。


 シャリテイルが言うには、なんとタヌロは人族の隠れ里からやってきたらしい。

 身体能力の違いから、国が興る前の人族や首羽族などは他種族から隠れ住んでいたというが、魔物が湧きだしてからはそういうわけにもいかず、今や全て近隣の国に併合されている。


 それでも運よく魔物の通り道から外れた集落は、近場の国に属すことにはしたものの、未だ街の外に暮らしていると聞く。ただし昔ながらの生活を守り続けることを選んだだけで、本当に隠れているわけではない。


 何度か、でかい街でそういった隠れ里から出て来た連中に出会ったときの印象は、恐ろしく物を知らないってことだった。だからといって、魔物の恐ろしさを知らないほどではなかったのだが。


 タヌロの場合、あまりに行き過ぎていたから思い浮かびもしなかったが、言われてみりゃそいつらと同じだな。


 きっと運よく魔脈とは隔絶された魔物の出ない村で、暢気に暮らしてきたんだろう。それが、わざわざ冒険者になりに出てくるとは、いったいどんなお伽噺を鵜呑みにしてきたのかと呆れる。


 昔々に邪竜を封じた過去の聖者や英雄の話に、憧れでも抱いたんだろうか。

 だとすれば勘違いも甚だしいことだ。


「というわけなの。ほら、胡散臭い顔してないで。笑顔笑顔!」

「誰が胡散臭いだ」


 精神を肥溜めに突っ込んだように鬱屈とした、この街で笑えだと?

 なんの冗談だ。


 ああ……たしかに笑いでもしなきゃ、やってられねえがな。


 とにかくシャリテイルがわざわざ言ってくるってことは、ちょっかいかけるなということだ。

 そんな経緯を聞かされれば言われるまでもない。

 無事に農地の仕事でも世話するまで、様子見するってこったろう。


 こんな陸の孤島だ。胃袋を掴まれてるからな、俺たちだって後々に農地の奴らと揉めるようなことはしたくない。


「お守りも大変だな」

「みんなが協力的だから、いつも助かってるわよ?」


 白々しい世辞を言って身を翻すシャリテイルの背を、鼻で笑って見送った。


「しばらくは話題に事欠かないかもな」


 仲間が多少の期待を込めて言う。

 俺も曖昧に頷き返したが、話題といえば、同乗してきたはずの行商人や護衛の話を聞かなかったことに思い至り首を傾げた。




 そんな経緯から、タヌロが辞めるまで関わることなどないと考えていた。

 といっても、なんにも面白いことなどない街だ。嫌でも話題には上る。

 ギルドの待合室で仲間と、誰の戻りを待つでなく待っていると、何人かが扉をくぐるや席へと足早に近付く。


「さっそく怪我したらしいぜ」


 それだけで誰のことかピンと来たが、言いながら戻って来た奴らは、なぜか笑っている。怪我は冒険者につきものだ、俺はそんな態度を咎めた。


「おい、さすがに趣味が悪いぞ」

「悪ぃ、でも聞けよ。相手はカピボーだ!」

「んなバカな……」


 聞いた者は唖然とした。

 最も弱い魔物であるカピボーだ。子供でさえ魔物とは思えないと笑う弱さの。

 さすがに人族ですら、大人になれば倒せないなんて話は聞かない。

 もちろんカピボーごときといえど、数が寄せれば油断はできないだろうが、今はそんな時期でもなかったはずだ。


「繁殖期なんて話は、なかったはずだな?」

「ははっ! その辺の草むらに潜んでるやつだとよ!」


 周囲から笑いが起こるが、俺は頭を抱えたくなった。

 この街は危険だ。

 だからこそシャリテイルのようなギルド専属となった冒険者が、日々魔物の分布を見て回り、本来はもっと自由なはずの冒険者の行動を制限して、人数を揃えて現地へ送るよう指示し、自ら調整したりもする。


 怪我は付きものと言ったが、このやり方に落ち着いてからは、死ぬまでのことは起こっていないんだ。


 俺は、この街の冒険者の中でも古参に入る。

 ただ出て行き時を見失って無駄に長く居るだけだが、それでもちっとは死人を出してないことに誇りみたいなもんを感じているんだ。

 タヌロが、つまらないことで記録を破るんじゃないかと、溜息をつきたくなるのをこらえた。


 やれやれ、どうなることやら……。




 その後、本当に訪れた繁殖期の後始末や、高ランクや上位者が遠征で抜けた穴埋め、それにお偉方がやって来たため普段より長い討伐を依頼されたりなどと続き、しばらくタヌロのことは忘れていた。

 だが気が付けば、随分と長いこと話題に上っている。

 皆の予想を裏切り、タヌロは地道に出かけているようだ。


 おっと、せっかく訂正した名前も覚え間違えていたんだった。

 正しい発音を確かめたところタンロ、じゃないな……タル?

 そうだタロウだ。


 久々にギルドの待合室でのんびりしていると、戻った奴らがさっそく仕入れたタロウの噂話を始める。


「あいつ、また草刈ってるってよ」


 それが何故か加速し、防壁が築けそうなほど刈り尽したらしいとも聞いていた。

 しかも飽きることなく、未だに街の周辺を丸ごと刈る勢いらしい。

 おいおい、一体何が起こってんだ?


 ふと実際に、持ち場へ向かいがてら南の森側を通りかかってみたが、綺麗さっぱりしていた。

 ここが、こんなに見晴らしのいいときを見たことがない。

 さすがは人族お得意の仕事だ。俺たちだけなら何週間かかるだろうな。


 いや農地の人族だって畑仕事の合間にとはいえ、手分けして少しずつ進めていたが、ここまでではなかった……何かの修行なのか?




 他の街とは違い、ここの冒険者ギルドに暗黙の決まりごとが多いのは確かだが、討伐さえしてくれるなら、どこへ行こうが構わないといった自由はある。

 あるのだが、それが厳しいというのは来てすぐに知ることだ。


 交代要員もなく一パーティーで活動できるような場所ではない。半ば組織的な行動になってしまうのは、仕方がないことだろう。

 そんな生活がどうしても息苦しくなれば、出て行けばいいことだ。


 冒険者にとって過ごしやすいような街にしようと、試行錯誤してきた歴史は話に聞いている。

 だが、冒険者とそれ以外の立場の者を分ける、やや厳しい規定がある。


 それは土地が狭いために、農地として設けられた場所は全住人の食料を確保するだけで精一杯ということによる。

 食堂だってあるが、好きな食材を欲しいだけ仕入れられるということはない。

 後は、各種族の郷土料理などで個性を出している程度だ。


 冒険者街と言いつつも、街を興したときにはすでに鉱脈が見つかっていたため、整地が済み次第、鉱山の働き手として呼び寄せた人族の区画も増えて長い。

 国にとってはマグ水晶の鉱脈も、優先度は高いだろう。

 俺たちだって利用するものだから、それが外せないのも理解できる。


 ともかく、他の街なら役割分担として荷物の運び手として雇っていたように、気軽に人族を雇うことができないのだ。

 それはお互い様で、ちょっとした力仕事で稼ごうといった炎天族の冒険者を、人族が雇うこともできない。

 互いの仕事に融通を利かせすぎて、均衡が崩れては困るからだ。


 だから、それが当たり前だった大きな街から出て来た奴らも、人族の冒険者が存在しないということで納得し、合間に雑用をこなさねばならないことにも、きっぱりと線引きしてきたのだ。


 しかし、タロウの困惑するような成果のせいもあるが、思ったより続いているせいか、俺たちの間にある空気にも徐々に影響を及ぼしていたのだろうか。



 その線引きに、変化が起こった。



 低ランクのバカどもが勝手な行動を取った。

 タロウをそそのかして、西の森へ入り込んだということだ。

 よりによって、休憩中に。


 その話題は、誰にとっても寝耳に水だった。

 歓迎されないながらも、知らせねばならないことだった。

 緊張を伴いつつ、細心の注意を払って出来事は伝えられる。

 こういうことがあったからといって、同じことを考えるなよ――という含みを込めてだ。




 苛立ちを隠せず、俺は話を聞くとギルドを出てから舌打ちした。

 西の森方面は俺の持ち場でもある。勝手なことをやられて、東側の奴らに何を言われるか。


 ここじゃ言葉は風よりも早く、軽く街を吹き抜ける。

 明日、いや今晩には散々っぱらに言われるに違いない。

 何かあれば絡んでくる、折り合いの悪い奴らがいる。

 そいつらが西側方面を持ち場にする冒険者たちの酒場へ、わざわざ足を運び、俺たちを嘲る声がありありと浮かぶようだった。

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