第28話 車中

 普通の妊婦とは違うので、健一は産んだその日に退院した。

 天使の出産を多く手がけている産院はそういう妊婦に慣れている。

 いろいろと融通も利いた。

 裕二の車で健一と赤ん坊は家に帰る。

 家族だけでお祝いすると共に、赤ん坊が裕二と健一の養子として籍に入れるように碧はあちこち手配した。

 碧が具体的に何をどうしたのかは誰も知らない。

 確かなのは、碧が養子縁組に必要な書類をあっという間に揃えたことだけだ。

 それを持って、裕二は役所に行く。

 養子縁組の手続きをさっさと済ませた。

 すでに健一は養子として裕二の籍に入っている。

 全ての手続きが無事に完了したのを見届けてから、優一は碧と共に東京に帰る。

 優一が車を運転した。

 途中、高速道路のサービスエリアで休憩を取る。

「優一」

 再び出発する前、助手席の碧は優一に呼びかけた。

「何?」

 優一はシートベルトを締めながら答える。

「そろそろ帰ろうと思う」

 碧は呟いた。

「どこに?」

 優一は尋ねる。

 軽く聞き流した。

「天界に」

 碧は答える。

「えっ?」

 優一は驚いた。

「この半年あまりで、人間界を十分に堪能した。思い残すことは何もない。だから、天界に帰ろうと思う」

 碧は小さく微笑む。

 優一も賛成してくれるだろうと思った。

「何で?」

 だが、優一は怒った顔をする。

「何でって……」

 碧は困る。

「健一が無事に子供を生み、その子の籍もちゃんと出来た。そろそろ私も天界に帰らないと不味い」

 説明した。

「……嫌だ」

 しかし、優一はそう言う。

「え?」

 碧は驚いた。

「帰らなくていい。ずっと人間界にいろよ。一緒に暮らすのは、楽しいだろ? コンビニのバイトだって、慣れてきた頃のはずだ。今辞められたら店だって迷惑する。誰も帰って欲しいなんて望んでいない」

 優一は首を横に振る。

「そんな風に言ってもらえるのは嬉しいけど。私が人間界に居るのはそう簡単なことじゃないんだ」

 碧は苦く笑った。

「本当はもうとっくに天界に戻らなければならないのに、健一の子供が生まれるまではと天界の催促をのらりくらりとかわしてきた。だが、いつまでも誤魔化せない。帰らないとならないんだ」

 仕方のないことなのだと優一に告げる。

 しかし、優一はそんなことで納得しなかった。

「人間界で暮らせる方法が何かあるんだろ?」

 碧に問いかける。

「方法と言われても……」

 碧は困った。

「私は健一のように墜ちることは出来ない」

 首を横に振る。

「それは知っている」

 優一は頷いた。

「碧はなんだかんだいって、天界を嫌いではないんだろう?」

 小さく笑う。

「ああ」

 碧は頷いた。

「嫌いではないんだ」

 認める。

 人間界に比べたら、天界は何の刺激も無い場所だ。科学も発達していなければ、便利な機械は何のない。尤もそれは必要ないからだ。天使たちは自分たちが持っている特殊能力で何でもこなす。科学を進歩される必要なんてなかった。

 何もない場所だが、自分にとっては故郷だ。

 捨てることは出来ない。

「ねえ」

 優一は碧に呼びかけた。

「妊娠すれば人間界に居られるって言わなかった?」

 前にチラッとそんな話を聞いた覚えが優一にはある。

 それが碧からなのか、健一からなのかは覚えていなかった。

 だが確かにそんな会話を交わす。

「……」

 碧は眉をしかめた。

「人間界にいるために妊娠しろっていうのか?」

 優一を軽蔑する。

 怒った。

「違う」

 優一はムッとする。

「オレは碧にオレの子を産ませたいし、側にいて欲しいだけだ」

 主張した。

「……」

 碧はなんとも微妙な顔をする。

「それ、最低なことを言っていないか?」

 苦く笑った。

「それは……。自分でもそう思う」

 優一は素直に認める。

「でもそれでも、オレは碧を天界に帰したくない」

 きっぱりと言った。

「優一は勘違いしているんだよ」

 優しく、説得するように碧は囁く。

「私との暮らしが快適なのは当然だ。私は優一のためなら、何でもするからな。恋人とは違って、何も求めず、ただ尽くすだけの相手といるのは楽だろう? だがこのままの生活を続けてはダメなのは、優一もわかっているはずだ。人と人の生活は、ギブアンドテイクだ。互いに相手に譲り合い、与え合い、50=50でなければいけない。今みたいな100=0では優一がだめになる」

 密かに案じていた。

 自分との暮らしに慣れることは、優一にとっては良いことだとは思えない。

「私は優一が生まれる前から、その命を見守ってきた。天界から、成長する姿をずっと見ていたよ。だから優一のことは可愛い。親みたいな気持ちになる。でもそれは恋愛感情とは違うだろ?」

 優一に尋ねる。

「嘘つきだね」

 優一は小さく笑った。

「オレが何の確証も無く、碧を口説くと思うの?」

 問いかける。

「どういう意味だ?」

 碧は首を傾げた。

「碧がオレで欲情するかどうかはもう試した」

 優一はそんなことを言う。

「……」

 碧は困惑した。

「ここ三ヶ月ほど一緒にベッドで寝ているけど、それに何も意味がないと思っていたの?」

 優一は尋ねる。

「もしかして、わざとなのか?」

 碧は呆れた。

 優一が何を言いたいのか、心当たりがある。

 一緒に寝るようになってから、優一はよく寝ぼけて抱きついてきた。

 碧の身体をあちこち触る。

 そのままキスをされたこともあった。

 だが翌朝、優一は何も覚えていない。

 寝ぼけているのだと、碧は思っていた。

「わざとだよ」

 優一は頷く。

「抱きついたり、キスをしたり。碧の股間を揉んでみたりもした。男の身体は欲情しているのがわかりやすいから、便利だね」

 いやらしく笑った。

「最低だな」

 碧は怒る。

「優一がそんなヤツだとは思わなかった」

 がっかりした。

「じゃあ、どんなヤツだと思ったの?」

 優一は問いかける。

「父親が男だと思ったら男じゃなくて。自分の母親で、自分の兄弟を身篭っていて。初恋の人は実の姉で、隣のおじさんが本当は父親で。自分が天使らしいとか、天界行って子作りしろとか無茶なこと言われて。それを全部受け入れて、何もなかったかのように普通の顔で生活するヤツ? そんな聖人君子みたいやつ、いるわけないね」

 やさぐれた。

「優一……」

 碧は言葉に詰まる。

 同情するところは多々あった。

「オレが可哀想に見える?」

 優一は問いかける。

「それなら、オレの子を産んで。オレの家族になって、ずっと側にいてよ」

 強請った。

「でも、私の外見は男だ。優一の妻にはなれないだろう? それに、本当にそれが優一のためになるとは思えない」

 碧は首を横に振る。

 二人の話し合いはどこまで行っても交わることがなく、平行線のままだった。

「わかった」

 優一は呟く。

「とりあえず、どこかのホテルに入ろう」

 唐突にそう言った。

「何のために?」

 碧は眉をしかめる。

「車の中で話しても、埒があかないから」

 優一は答えた。

「場所を変えよう」

 提案する。

「……確かに」

 碧は頷いた。

 車の中でする話ではない。

「じゃあとりあえず、高速降りてホテルを探すよ」

 優一が囁き、車はゆっくりと走り出した。


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