第26話 感情

 裕二は碧と優一の関係を疑っていた。

 どう考えても、何もないとは思えない。

 肉体関係を疑っていた。

「何もない」

 優一は首を横に振る。

 同じやり取りを何度も繰り返して、いい加減うんざりする。

 それを聞かれるのは三度目だ。

「何でみんな何かあると勘ぐるの?」

 三人に尋ねる。

「何もないのに、天使が協力してくれるわけがないからだよ」

 健一は答えた。

 天使がそんなに親切ではないことは良く知っている。

「何もないなら、何故彼は協力してくれるんだ?」

 裕二は尋ねた。

 天界を裏切ることになるかも知れない協力を何の理由もなくするはずがない。

「取引をしたんだ」

 優一は正直に話した。

 嘘をついても仕方がない。

 碧は嘘をつけないから、聞かれたら全てばれるのはわかっていた。それなら、自分から話すほうがいい。

「どんな取引をしたんだ?」

 健一は不安そうに尋ねた。

 優一が何を犠牲にしたのか心配する。

「碧が今後も人間界で暮らすために協力するのが条件です」

 優一は答えた。

「人間界で暮らしたいのか?」

 健一は碧を見る。

「……」

 碧は返事をしなかった。

 だが、碧が人間界に強い興味を示していたことを健一は昔から知っている。

 おそらく、自分の存在がいろんな意味でその障害になったことも。

「優一が困ることはないのか?」

 健一は確認する。

「別にない」

 優一は答えた。

「だが、彼が人間界で暮らすということは、お前がずっと面倒を見るということだろう?」

 健一は尋ねる。

「……そうだね」

 優一は頷いた。

 碧を一人には出来ない。

 側にいた方が安心だ。

「それはいろいろ困ることになるんじゃないか?」

 健一は心配する。

「いろいろって何が?」

 優一は問いかけた。

「何がって……」

 健一は言葉に詰まる。

 ちらりと裕二を見た。

「優一に彼女が出来たり、結婚したりする時に困るだろう?」

 裕二が健一に代わって説明する。

「彼女はいまのところ必要ないし、結婚の予定も無いから、とりあえず困らない」

 優一は答えた。

「そういう問題?」

 結衣は首を傾げる。

「じゃあ、どういう問題?」

 優一は逆に聞いた。

「それは聞かれても困るけど……」

 結衣は言葉に詰まる。

 拗ねたように口を尖らせた。

「でもまあ、最悪、困ったら彼をこの家で引き取るってことも可能ね」

 ふと、思いつく。

 優一のところではなく、ここで一緒に暮らすと言う選択肢もあることに気づいた。

「それはどういう意味だ?」

 碧は尋ねる。

「優一に彼女が出来た時は一緒にここで暮らしましょうって意味よ」

 結衣は説明した。

「ここで?」

 碧は眉をしかめる。

「何か不満なの?」

 結衣は問いかけた。

 嫌な顔をされて、気分を害す。

「不満だ」

 碧はきっぱりと言う。

「都会の方が面白い。一緒に暮らすなら優一がいい」

 優一を見た。

「……」

「……」

「……」

 それを聞いて、健一、裕二、結衣の視線は優一に注がれる。

 疑いは嫌でも深まった。

「本当に何もないんだよな?」

 裕二はもう一度、聞いてしまう。

「本当に無いから!!」

 優一は大きく頷いた。

「でも、優ちゃんがいいって言っているんだけど」

 結衣は碧を指差す。

「今現在は肉体関係はないけど、そろそろ出来ちゃいそうというか、いつ関係を持ってもおかしくない感じだとか、そういうことじゃないんだよね?」

 念を押した。

「本当にそういうんじゃない」

 優一は困る。

 どう言っても、信じてもらえそうにない。

「あえて言うなら、家族みたいな感じだ」

 説明する。

「一緒にいると楽だし、料理も作れるし、掃除も洗濯も出来るし、朝は起こしてくれるし……」

 碧が自分の身の回りのことをいろいろやってくれることを話した。

 だが話を聞けば聞くほど、結衣たちは顔をしかめる。

「付き合ってもいないのにそれは、逆に問題がある気がするんだけど……」

 裕二は苦く笑った。

「それに、優ちゃんにとっては恋人より家族が大事でしょ? 家族の方がいろいろ不味いと思うんだけど」

 結衣は不安な顔をする。

「えっ……」

 優一は戸惑った。

 そんな反応が返ってくるとは思わなかった。

「いっそ、付き合っているから同棲している彼女がいろいろしてくれるんですって言われた方がすっきりするよね?」

 結衣は健一や裕二を見る。

 二人はうんうんと頷いた。

「そう言われても……」

 優一は言葉に詰まる。

「優ちゃんがそれでいいなら反対はしないけど、ある日突然、”家族になりました”なんて写真入りの年賀状とか送って寄こすような真似は止めてね。心臓に悪いから」

 自分たちが似たようなことをしたことは棚に上げて、結衣は言った。

「それはこっちのセリフだよ」

 優一はため息をつく。

「まあ、それはそうなんだけど」

 結衣は笑った。

「弟まで天使に取られるのは私は嫌よ」

 ぼそっと呟く。

「優ちゃんには優しくて、可愛くて、性格が良くて、家族を大事にしてくれるお嫁さんを貰って欲しいの」

 願いを口にした。

「そんな人、いるの?」

 健一は思わず、尋ねる。

「……いないと思うけど」

 結衣はため息をついた。

「でも、弟のお嫁さんに姉として夢を持つくらいいいじゃない」

 口を尖らす。

「勝手に夢を持たないで」

 優一は嫌がった。

「そういう人がいるとしたら、とっくに他の誰かのものになっているよ」

 冷静にそう言う。

「まあ、それはそうね」

 結衣は納得した。

 だが、残念そうな表情は変わらない。

「可愛いお嫁さんと仲良くするのを夢見ていたのに」

 そう呟いた。






 その夜、優一は実家に泊った。

 碧ももちろん、一緒に泊る。

 優一は自分の部屋で寝た。

 碧には客間が用意される。

 和室に布団が敷いてあった。

 風呂から上がった碧は眠ろうとする。

 そこに健一がやってきた。

「少し、話をしてもいいか?」

 そう問われる。

「いいぞ」

 碧は返事をした。

 健一は客間の中に入る。

 布団の側に座った。

 しかし、なかなか話を切り出そうとしない。

「……」

 不自然な沈黙が部屋の中に流れた。

「話があるんじゃないのか?」

 碧は尋ねる。

「ああ」

 健一は頷いた。

「私は、お前の夢を邪魔したのだろうか?」

 問いかける。

 気まずい顔をした。

「夢?」

 その言葉に、碧は不思議そうな顔をする。

「昔から、人間界に興味があったんだろう? よく、天界から覗いていた。本当はもっと早く、人間界に降りて、暮らしてみたかったんじゃないのか?」

 健一は尋ねた。

「それが私の夢だと、お前は言うのか?」

 碧は笑う。

「ああ」

 健一は頷いた。

「そんなこと、考えたこともない」

 碧は否定する。

「天使が人間界で暮らせるなんて、あの時は考えもしなかった」

 正直に話した。

「人間界で暮らしてみたいと思ったのは、上からお前たちの暮らしを眺めていたからだ。あんな風に自分も暮らすことが出来るかもしれないと思うと、わくわくした」

 小さく笑う。

 それは天使には縁遠い感情だ。

 天使は冷徹なのが普通だ。

 感情に流されないように育てられる。

「お前が墜ちたことが私の人生に影響を与えたとしたら、そういうことだ」

 独り言のように呟いた。

「お前のせいで天界ではいろんなことが厳しくなって、人間界に簡単に降りることは出来なくなったがな」

 健一のことは恨んでいない。

「……すまない」

 健一は謝った。

「だが大義名分が出来て、私は人間の生活を思う存分眺めることが出来た。それには少しだけ感謝している」

 碧はそう続ける。

「私はずっとお前に迷惑を掛けるな」

 健一は反省した。

 巻き込んだことをすまなく思う。

「迷惑をかけられたことは……、まあ……、否定は出来ないな」

 嘘がつけない天使は正直に認めた。

 まさか生まれてくる子のために協力させられることになるとは思わなかった。

「だが別にいい。この三十年弱、人間界を眺めて、優一の成長を見守って、私もそれなりに楽しかった。小さな赤子が成長し、子供になり、少年になり、青年になり、大人になった。それには少し感動もしたよ。人間は愚かでどうしようもない生き物だが、愛おしい。長い間優一の成長を見てきたせいか、優一のためなら何でもしてやりたくなる。不思議なものだな」

 ため息をつきつつ、笑う。

「それは親子の情なのか? それとも……」

 健一は言葉を濁した。

 心配する。

「そんなの、私にわかると思うのか?」

 碧は逆に尋ねた。

「わかるわけがないな」

 健一は頷く。

 天使には家族も兄弟も恋人も存在しない。

 自分の感情に名前をつけることなんて、出来るわけがなかった。

「私は天使に生まれたことを後悔はしていない」

 碧は言い切る。

「姿かたちや性別を変えられるのは便利だし、自分の特別な力も都合よく使っている。だが、何も持たない人間の方が何故か楽しそうに見える。何もかも持っているというのは、何も持っていないのと同じなんだろうな。人間は何も持たないから、科学を進歩させて、いろんなものを得た。そんな人間の世界で、私も暮らしてみたくなった。心配しなくても、気が済んだら天界に戻るよ。そのお腹の子のことをちゃんと手配してから」

 健一の腹を指差した。

「……」

 健一はなんとも複雑な顔をする。

 そっと自分の腹を撫でた。

「もし本当に、長く人間界で暮らしたくなったら。この家に来てもいいんだよ」

 囁く。

「それは嫌だ」

 碧は断った。

「ここで暮らしてお前の生活の邪魔をするつもりはない」

 きっぱりと言う。

「そうか。わかった」

 健一は頷いた。

「でももし私に出来ることがあれば。今度は私に協力させてくれ」

 碧に頼む。

「ああ」

 碧は頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます