第19話 日常

 東京に戻ると、当たり前の毎日が優一を待っていた。

 月曜日から、いつもと同じように優一は満員電車に乗り込む。

 それはなんとも奇妙な感じがした。

 週末の土日、優一は自分のアイデンティティが根こそぎ変えられるほどの衝撃を受ける。

 父親が天使だったことを知り、その父親から自分が生まれたことを教えられた。

 ごくごく平凡だと思っていた自分の人生は、全く平凡でなんかなかったらしい。

 しかも、実の父は隣のおじさんだと思っていた、結衣の父だ。

 結衣が異母姉であることを知る。

 それだけでも十分なのに、さらに秘密は続いた。

 父が妊娠していることを聞く。

 今さら兄弟が出来るなんて話、どう対応すればいいのかわからなかった。

 27歳も離れた兄弟なんて、もう兄弟という感じではない。

 だがそんな優一の困惑には関係なく、月曜日の朝はやってくる。

 自分にどんなに大きな出来事が起こったって、世間は何も変わらなかった。

 満員電車に揺られて、仕事に通う日々がまた始まる。

 だが、全くいつもどおりではなかった。

 天使が優一の家に居つく。

 優一にくっついて東京にやってきた天使は、当然のように優一の家にもくっついて来た。

 一緒に住むと言う。

 優一は驚かなかった。

 おそらく、そうなるだろうなと予想していた。

 他に天使の暮らす場所はない。

 単身用の安アパートに二人は狭かったが、暮らせないことはなかった。

 そして天使が意外と器用なことを知る。

 天使は料理が上手かった。

 日曜日の夜、東京に着いてそのままアパートに帰ると、天使はありあわせの材料で手早く食事を作ってくれる。

 手際のよさに、驚いた。

 食材なんてほとんどなかったのに、ちゃんとした料理が出てきたことにもびっくりする。

 天使は朝食も作ってくれた。

 朝も起こしてくれる。

 あれこれと優一の世話をやいてくれた。

 優一はそれに甘える。

 いつもと同じ朝だが、いつもよりずっと快適な朝を迎えた。

 満員電車はいつもと同じなのに、ちゃんと朝食を食べているせいか、いつもほど苦痛ではない。

 電車の窓に映る自分の顔も、心なしか顔色がいい気がした。

 そんな自分の顔を見ながら、優一は笑い出しそうになる。

 自分が天使の息子で、天界に来いと誘われているなんて、この車両に乗っている乗客は誰一人、想像もしないだろう。

 優一自身、信じられなかった。

 だが現実に天使はいて、自分のアパートで一緒に寝起きしている。

 なんとも奇妙な感じがした。

 そんなことを考えている間に、降りる駅に電車は着く。

 優一は人の流れに乗って、電車を降りた。

 会社に向かう。

 いつものように仕事をした。

 だが、帰りはいつもより早い。

 家で天使が待っていると思うと、早く帰らなければと思った。

 そんな優一に会社の同僚や交配は不思議そうな顔をする。

 早く帰りたがる優一を不思議がった。

 そんな物言いたげな眼差しを無視して、優一は会社を出る。

 電車に乗って、アパートのある駅で降りた。

 真っ直ぐ、コンビニに寄らずに家に向かう。

 アパートが近づくと、自分の部屋に明かりがついているのが見えた。

 自分の帰りを待つ人がいるのは不思議な気分になる。

 だが、悪くは無かった。

 初めてペットを飼った飼い主はこんな気持ちかもしれない。

 優一は自分の部屋のドアを鍵で開けた。

「ただいま」

 家の中に入る。

「お帰り」

 人間の姿に化けたままの天使が出迎えてくれた。

「夕食、出来ているよ」

 そう言う。

 小さなテーブルの上には料理が並んでいた。

「買い物、ちゃんとできたんだな」

 それを見て、優一はほっとする。

 自炊をしない優一の家には食材はほとんどなかった。

 なので自分が留守にしている昼間に買い物に行ってくれるように、天使に頼む。

 一人で買い物に行かせるのは、初めてのお使いに幼い子供を行かせるような不安があった。

 だが天使は一人で買い物出来ると言い張る。

 むしろ、スーパーで買い物をしてみたいようだった。

 人間界の暮らしにいろいろ興味があるらしい。

「だから出来ると言っただろう」

 天使は胸を張る。

 誉められたいという顔をした。

 そんな姿が可愛くて、優一はくすっと笑う。

「ああ。偉い、偉い」

 子供を誉めるように誉めた。

 天使は満足な顔をする。

「飯にしよう」

 優一を促した。

「ああ」

 優一は頷く。

 スーツを脱いで、部屋着に着替えた。

 天使と二人で、食卓を囲む。

 自宅でまともな料理が食べられることに、優一はちょっと感動した。

 料理は普通に美味しい。

「買い物に行く以外は、何をしていたの?」

 世間話のような感じで、食べながら問いかけた。

「TVを見ていた」

 天使は答える。

「TV?」

 優一は小さく笑った。

 天使は何故か、TVが好きらしい。

 昨日、家に帰ってきて何気なくTVをつけるととても興味を示した。

 四角い箱の中に電波で遠くの映像が映るのが、面白いらしい。

 人間界の様子がいろいろ見て取れるのも興味深いようだ。

 時間があれば、TVを見ている。

「面白い番組、やっていたの?」

 優一は何気なく問いかけた。

「ああ。昼過ぎにやっていたドラマが、凄かった」

 そう言って、天使は詳しく昼ドラの内容を話す。

 それはかなりドロドロしていた。

「人間界は凄いことになっているんだな」

 天使は妙な感心をする。

「いや、それは昼ドラだから。人間界もそこまでドロドロはしていないから!!」

 突っ込んだ。

「そうなのか?」

 何故か天使は残念そうな顔をする。

「それにしても、昼ドラに嵌まるなんて、主婦みたいだな」

 優一は天使をからかった。

「主婦ってなんだ?」

 天使は尋ねる。

「結婚して、家で掃除をしたり、洗濯をしたり、料理を作ったり、買い物したりする人のことだよ」

 優一は教えた。

「じゃあ、私は主婦だな」

 天使はにこっと笑う。

 楽しそうな顔をした。

「いや、主婦はたいていの場合女の人だから」

 優一は否定する。

「女でなければダメなのか?」

 天使は問いかけた。

「では、女になろう」

 そう囁く。

 優一の目の前で、性別を変えた。

 身体が小さくなり、着ている服がぶかぶかになる。

 丸みを帯びたその身体のラインはどこから見ても女性のものにしか見えなかった。

 ふくよかな胸がある。

「これでいいのか?」

 天使は聞いた。

 体形がほとんど同じなので、着替えを持っていない天使は優一の服を着ている。

 それが彼シャツみたいで生々しかった。

「……」

 優一は眉をしかめる。

 ドキッとしてしまった自分が、いろんな意味で痛々しかった。

「頼むから、男に戻ってくれ」

 天使にお願いする。

 女の姿で居られると、間違いを起してしまいそうで怖かった。

 ドキドキしてしまうのは、気のせいだということにしたい。

 優一には結婚願望はない。

 自分一人が生きて行くのに精一杯なのに、とても他人の人生まで背負えるとは思えなかった。

 そこに子供も加わると思うと、身震いさえする。

 一人の方が気楽でいい。

 しかし、天使といると結婚したい人の気持ちが理解出来た。

 家に帰って、待っていてくれる人がいるというのは嬉しい。

 暖かい夕食が作ってあるならなおさら結構だ。

 そんな生活がこれから続くのかと思うと、楽しい。

 うっかり、幸せだと思ってしまいそうな自分に戸惑った。

「優一は変わっているな」

 天使はそう言う。

「どこが?」

 優一は問い返した。

「たいていの男は、私が女になると喜ぶぞ」

 天使は胸を張る。

 それを聞くと、優一は眉をしかめた。

「女に化けて、男を誘うのか?」

 嫌な顔をする。

「その方が簡単だからな」

 天使は頷いた。

 繁殖相手は女を捜すより、男を誘うほうがずっと簡単だ。

 天使のように性別を変えられる力を持つものは、女の姿で相手を探す。

 それは当たり前のことだった。

「ふーん」

 優一は食べながら、頷く。

 だが、その顔は明らかに怒っていた。

 そんな優一を天使は不思議そうに見る。

「何で怒るんだ?」

 首を傾げた。

「怒ってなんていない」

 優一は訂正する。

「……」

 天使は納得しなかった。

 その眼差しが痛い。

「……でも、面白くは無い」

 優一は渋々、認めた。

 自分でもどうしてそんな気持ちになるのかわからない。

「私が女の姿で、人間の男とSEXするのが嫌なのか?」

 天使は尋ねた。

「嫌だ」

 優一は頷く。

 不愉快な顔をした。

「そうか。わかった」

 天使は頷く。

「もうしない」

 約束した。

 優一が何に拘っているか正直、天使には理解できない。

 だが、優一が嫌がることはしたくなかった。

 自分の機嫌を取るようにそう言った天使に、優一は意外な顔をする。

「オレのために、そんな約束をしていいの?」

 問いかけた。

「?」

 問われて、天使は不思議そうな顔をする。

「何か問題があるのか?」

 逆に尋ねた。

「男の姿で女を探すのは大変なんだろ? オレとそんな約束をしたら、繁殖の時に困るんじゃないのか?」

 優一は心配する。

「そんなの、優一が天界に来れば問題ない。繁殖のために人間界に降りる必要もなくなるからな」

 天使は答えた。

「えっ? オレ、そんなに期待されているの? 天界の未来を一人で支えるほど子作りなんてできない」

 優一は怯える。

 ますます、天界になんて行けないと思った。

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