第18話 帰京

 翌日、優一は昼過ぎまで寝ていた。

 実家の自分の部屋は離れて久しいのに、よく眠れる。

 昼過ぎまで一度も目を覚まさなかった。

 部屋に入ってベッドに横になると、いつの間にか寝てしまう。

 たっぷり寝て、スッキリ目が覚めた。

 久しぶりにこんなに寝たなと思う。

 めざまし時計に手を伸ばした。

 時間を見ると、昼近い。

 優一は空腹を覚えた。

 着替えて、一階に下りていく。

「父さん」

 父の姿を探した。

「キッチンだよ」

 健一は応える。

 キッチンで料理を作っていた。

 優一はキッチンに向かう。

 ダイニングテーブルの椅子には天使が座っていた。

 裕二や結衣の姿はない。

「何でそこにいるの?」

 優一は天使に尋ねた。

「昼食が出来上がるのを待っている」

 天使は答える。

「天使って食事をするの?」

 優一は驚いたように問いかけた。

「どんな生物も、栄養を摂取しなければ生きられないだろう?」

 天使は当たり前だと主張する。

「ふーん」

 優一はどうでもいいように頷いた。

「父さん。腹が減った」

 父に訴える。

 子供みたいに甘えた。

 そんな息子に健一は嬉しそうな顔をする。

「すぐ、用意するよ」

 微笑んだ。

 優一はダイニングテーブルの椅子を引く。

 そこに座った。

「結衣ちゃんたちは?」

 姿が見えないことを気にして、尋ねる。

「向こうの家に帰ったよ」

 健一は答えた。

 それを聞いて、優一は意外に思う。

「こっちで一緒に暮らしているんじゃないの?」

 不思議そうな顔をした。

「暮らしているけど……」

 健一は微妙な顔をする。

「昨日は優一もいたからね」

 そう答えた。

「父親が恋人と一緒なのはいろいろ気まずいだろう?」

 苦く笑う。

 気遣われて、優一は困った。

「思春期じゃないんだから、親の恋愛をそんなに気にしないよ」

 そう言う。

「他にもっと気にしなきゃいけないことがありすぎて、それはどうでも良くなった」

 正直に話した。

「ああ。確かにいろいろあったからね」

 健一はちらりと天使の方を見る。

 恨みがましい顔をした。

「私のせいではない」

 天使はキッパリと言い切る。

「発端は二人目を身篭ったことだろう? 自分たちの責任だ」

 健一の腹を見た。

 そう言われると、健一も言い返せない。

「……」

 黙りこんだ。

 優一はちらりと父の腹を見る。

 そこにふくらみはまったくなかった。

 相変わらず、すらりとしている。

 妊娠しているとはとても思えなかった。

「本当に妊娠しているの?」

 疑う。

「ああ」

 健一は頷いた。

 申し訳ない顔をする。

「お腹は大きくならないの?」

 優一は不思議そうに尋ねた。

 人間とは違う生まれ方をする可能性もある。

「いや、ちゃんと大きくなるよ」

 健一は答えた。

「でも、優一の時もあまり目立たなかった。たぶんこの子もそんな大きくはならないと思う」

 優しく腹を撫でる。

 愛おしそうに目を細めた。

「……」

 優一は複雑な顔をする。

 父を取られるような寂しさと、本当に自分がその腹から産まれたのだと言う信じられない気持ちが混在した。

 なんとも微妙な気分になって、ため息を一つ漏らす。

 そんな息子を不安な顔で健一は見た。

 欲張りだとわかっているが、祝福されたい。

 そんな気持ちは優一にも伝わっていた。

「結衣ちゃんのことなんだけど……」

 少し考えて、そう呟く。

「偽装結婚するのは、ちょっと待ってくれ」

 頼んだ。

「いろいろありすぎてちゃんと話しが出来なかったから、今度また改めて相談したい」

 父に訴える。

「偽装結婚はやっぱりいろいろ問題が出てくると思う。他にいい方法がないかオレも一緒に考えるから、もう一度、話し合おう」

 そう言った。

 今は良くてもいつか、偽装結婚したことを結衣は後悔する日が来るかもしれない。

 二度と結婚する気はないと本人は言うが、何が起こるかわからないのが人生だ。

 もしかしたら今後、結衣に本当に好きな人が出来る可能性だってある。

 その時、偽装結婚していたらいろいろと面倒なことになるだろう。

 そのことはもちろん、健一も裕二も気になっていた。

 出来るなら、自分たちの問題に娘を巻き込みたくない。

「そうだね」

 健一は頷いた。

「来週でも来月でも、優一が帰ってこられる時にみんなで話し合おう」

 小さく微笑む。

 優一が家族の一員として問題に向き合おうとしてくれるのが嬉しかった。

 父の嬉しそうな顔を見て、優一は少し照れくさい気持ちになる。

 こんな風に父とゆっくり話をするのはずいぶんと久しぶりだ。

「また直ぐにここに帰ってくるのか?」

 どこか面倒くさそうに、天使は呟く。

 親子の会話に入ってきた。

 天使は遠慮ない。

「一緒に帰ってくれなんて頼んでいない」

 優一は首を横に振った。

「いや、一緒に戻る。優一の側を離れるわけにはいかないからな」

 天使は言い切る。

「だから、昨夜はここに泊ったの?」

 優一は天使に聞いた。

 何故家に泊るのか、優一は不思議に思っていた。

「いや、それはいちいち天界まで戻るのが面倒だからだ」

 天使は答える。

「どうせまた直ぐこっちに来るのに、いちいち上まで戻るのは意味がないと思わないか?」

 小さく笑った。

「東京までついてくる方が面倒だと思うんだけど」

 優一は呟く。

「一回天界に戻って、次に来るときには東京に降り立ったらいいんじゃない?」

 尤もなことを言った。

 一緒に東京に向かうより、その方が便利だろう。

「それは……」

 天使は微妙な顔をした。

「どうせなら電車や新幹線に乗ってみたいからだ」

 答える。

 予想外の言葉が返ってきて、優一は驚いた。

「え?」

 聞き返す。

「そんな理由?」

 苦く笑った。

「なんだ? 文句があるのか?」

 天使は拗ねた顔をする。

 自分でも痛い理由だという自覚はあるようだ。

「別に文句はないけど。正直に言っちゃうんだなと思って」

 天使は嘘をつけないことを優一は思い出す。

「何故、嘘をつかなければいけないんだ?」

 逆に天使は問い返した。

 理由がわからない顔をする。

「人間は自分に都合が悪いことや、言うのが恥ずかしいことは嘘で誤魔化すんだよ」

 優一は教えた。

「そんなことをして何になるんだ?」

 天使は不思議そうに首を傾げる。

「何になるんだろうね?」

 優一にもわからなかった。

「でも人間は少しでも自分を良く見せたい生き物なんだ」

 説明する。

「愚かだな」

 天使は冷たく言い捨てた。

「そうだね」

 優一は頷く。

 愚かだとは思っていた。

「そんな愚かな人間には見切りをつけて、天界に来ればいいのに」

 天使は誘う。

 誘惑するように優一を見た。

 男の姿でも、ドキッとする。

 優一はすっと目を逸らした。

「でもそんな愚かな人間が嫌いじゃないんだよ」

 そう言う。

「優一は面白いな」

 天使は興味を持った。

「これからが楽しみだ」

 優しく微笑む。

 そんな天使を見て、健一は不安な顔をした。

 胸騒ぎがする。

「優一」

 息子を見た。

「本当に連れて帰って、いいのか?」

 心配する。

 ちらりと天使を見た。

「心配しなくても、天界には行かないよ」

 優一は父を安心させるように微笑む。

「いや、心配しているのはそっちじゃなくて……」

 健一は困った顔をした。

「?」

 そんな父を優一は不思議そうに見る。

「……何でもない」

 健一は言いかけて、止めた。

 やぶへびになる気がする。

 余計なことを言って、優一が天使のことを意識しても困る。

 天使と優一が仲良くなりそうな予感がして、嫌だった。

「ところで、今日は何時の電車で帰るんだ?」

 話題を変えるように、健一は尋ねる。

「昼を食べたら、帰るよ」

 優一は答えた。

 あまり遅く家に着きたくない。

「そうか。見送りに行くよ」

 健一は微笑んだ。

「いいよ」

 優一は断る。

「見送りとか今さら恥ずかしい」

 少し照れた。

 年に二回、義務のように帰省しているが、見送られたことなんて一度もない。

 送ろうと言われても、優一は断っていた。

「いや、それが」

 健一はふっと笑う。

「結衣ちゃんがどうしても見送りたいって言うんだ」

 意味深な顔をした。

「結衣ちゃんが? なんで?」

 優一は驚く。

「天使が電車に乗るのが珍しいから、見たいらしい」

 健一は答えた。

「ああ、それは珍しいかもね」

 優一は納得する。

「だから、見送りに行くよ」

 健一は楽しそうに言った。

 息子を見送れて嬉しいらしい。

「……わかった」

 優一は頷いた。

「でも、その姿で電車に乗るわけじゃないでしょ?」

 天使に聞く。

 天使は羽を仕舞っていた。

 だが着ているのは白いローブで、容姿もいかにも天使というゴージャスな金の髪と碧の瞳のままだ。

 とても人間には見えない。

 目立つのはわかりきっていた。

 隣に座りたくない。

「もちろん、人間に化けるよ」

 天使は優一の予想通りの答えを口にした。

 それを聞いて、優一はほっとする。

「どんな姿なの?」

 同時に、興味を持った。

「着替えてこようか?」

 天使は言う。

「着替え?」

 優一は首を傾げた。

「着替えが必要なの? 性別を変えたときのように、一瞬で変わるんじゃないの?」

 問いかける。

「自分の身体は簡単に変えられるが、物理的なものは変えられない」

 天使は答えた。

「物理的?」

 優一は意味がわからない顔をする。

「服とか物とかそういうものは変えられないってことだよ」

 健一が説明した。

「姿は変えられるのに、服は変えられないの?」

 優一は笑う。

 それはとても奇妙に感じた。

「なんか不便だね」

 意外と融通が利かないなと思う。

「天使の力はそんなに便利なものじゃない。変身したり羽をしまったり、体形を変えたりすることは出来るが、着ている服は変わらない。物質的なものは変えられないんだ。錬金術と同じで、無から有は生まれない。何もないところから服を取り出すということは、どこからかそれを奪ってくるということだ。取られた人が、困るだろう?」

 天使は説明した。

 それがわかっているから、基本的に物を出すことはない。

「リアルな話だな」

 優一は呟いた。

「現実だからね」

 健一は笑う。

「じゃあ、着替えはどうするの?」

 優一は天使に聞いた。

「借りる」

 天使は健一を見る。

「何でそこまで私が面倒を見なければならないんだ?」

 健一は文句を言った。

「お前の息子のだめだろ」

 天使は当然だという顔をする。

「……」

 そう言われると、健一も弱かった。

「仕方ない。貸してやる」

 どこか釈然としない顔をしながらも、頷く。

 なんだかんだいって、健一は人が良かった。

「どれがいいか、選べ」

 天使に言う。

 天使は健一と一緒に服を選びに行った。






 駅には結衣だけでなく、裕二も来た。

(あれ?)

 優一は裕二を見て、戸惑った顔をする。

 今まで、裕二とはそれほど親しい関係ではなかった。

 四人で居ても、ほぼ会話したことがない。

 それなのに実の父親だと教えられ、妙に意識してしまう。

 それはただ気まずいだけだった。

 裕二の方も同じらしい。

 なんとも気まずい顔で優一を見た。

「また直ぐに来るとは聞いたんだが……」

 言い訳するようにそう言う。

 離れがたいらしい。

(ああ。この人は昔から、自分に甘かった)

 優一はふと、思い出した。

 裕二は昔から優一には優しい。

 優一のわがままを叶えてくれたのはいつも裕二だった。

 健一は優しいけれど躾けには厳しい。

 駄々を捏ねる時は、裕二のいる時を狙った。

 裕二が自分に甘いことを、幼い自分は知っていたのかもしれない。

 だがそれは他人だから気を遣っているのだと思っていた。

 息子として愛されているなんて、予想もしない。

(なんか変な感じ)

 優一は照れくさい気持ちになった。

 何を言えばいいのかわからなくて、黙りこむ。

 そんな優一を見て、裕二も困った顔をした。

 二人とも不自然に黙る。

 気まずそうに、視線を足元に落した。

 そんな姿は傍から見ると、よく似ている。

 少し離れたところにいた結衣はそんな二人を見て、笑った。

(親子だな~)

 心の中で呟く。

 優一は健一に似ていないことを小さい頃から残念がっていた。

 だが結衣に言わせれば、優一は裕二に似ている。

 時折、仕草や表情がドキッとするほどそっくりだ。

 そのことに優一だけが気づいていない。

 裕二と血が繋がっているなんて、夢にも思っていないのだから当然かもしれない。

「何、照れているの?」

 結衣は優一と裕二に声をかけた。

「別に」

 優一はぼそっと答える。

 そっぽを向いた。

 そんな弟を結衣は優しい眼差しで見つめる。

 くすくすと笑った。

「ところで、本当にアレは昨夜の天使なの?」

 優一の耳元に口を寄せ、こそっと尋ねる。

 人間の姿になった天使を見た。

 人間に化けた天使は金の髪でも碧の瞳でもない。

 黒髪に茶色の瞳で、髪の毛は短くなっていた。

 整った顔立ちは変わらないが、あまりキラキラしていない。

 わりと普通に見えた。

 中肉中背で、背もそんなに高くはない。

 体形は健一と似ていた。

 天使の時はとてもキラキラしていたので、人間になってもキラキラしているのだろうと勝手に期待していた結衣は、そんな地味な天使を見てがっかりする。

 きらきらな天使が田舎の電車に乗るというギッャプを楽しみにしていたのに、目論見が外れた。

「全然、キラキラしていない」

 文句を言う。

 それを聞いて、優一は笑った。

「キラキラ度は抑え目にしてもらったんだ」

 こそっと教える。

 最初に人間に化けた時、天使はもっときらきらしていた。

 端整な顔立ちで、背も高い。

 どこにいても人目を引きそうだ。

 しかし、それでは優一が困る。

 一緒にいて、目立つのは嫌だ。

 もっとキラキラを押さえて欲しいとリクエストする。

 それを聞いて、天使は今の姿に自分の姿を変えた。

 体形は服を借りる健一に合わせる。

 顔立ちも出来るだけ派手じゃないようにしてもらった。

 それでもよく見れば端整な顔立ちをしているので、見る人が見れば目を引くだろう。

「そうなの?」

 結衣はがっかりした。

「キラキラの天使が電車に乗る姿を笑ってやろうと思ったのに」

 残念そうに呟く。

 優一は苦く笑った。

「でもこんなに普通な感じに化けられるなら、電車で隣に座っていてもわからないね。意外とたくさん、実は人間界に天使は紛れて生きていたりして……」

 冗談のように、結衣は言う。

「まさか」

 優一は笑い飛ばした。

 だが、可能性はゼロではない。

 想像すると、怖くなった。

「怖い話は止めてくれ」

 嫌がる。

 そんなにあちこちに天使がいたら、何が真実なのかわからなくなるだろう。

「確かに怖い話ね」

 結衣は頷いた。

「でも、目に見える現実が、全て正しいとは限らないのよ」

 小声で囁く。

「確かに」

 優一は苦く笑った。

 今回の帰郷で、27年間信じていものは全て崩れ去る。

 自分が信じていた現実は、偽りに彩られていた。

「いろいろ言いたいことはあると思うけど、一つだけ信じてあげてね」

 結衣は頼む。

「何を?」

 優一は尋ねた。

「私たちはみんな、優ちゃんを愛している。優ちゃんは私にとって、とても大切な弟なの」

 結衣は囁く。

「……わかっている」

 優一は頷いた。

 胸の奥がちくりと痛む。

 それは優一が欲しかった愛ではなかった。

 しかしもうそれを求めることは出来ない。

 自分たちは兄弟で、家族だ。

 離れることができない絆は出来たが、本当の意味で初恋は終る。

 結衣と優一がそんなことを話していると、電車がホームに入ってきた。

 ドアが開く。

 天使と優一は電車に乗り込んだ。

 ホームでは健一が手を振る。

 その後ろに裕二と結衣がいた。

 これが自分の家族なのだと、ふと、優一は思う。

 悪い気はしなかった。


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