第14話 再会

 いろいろと話をしているうちに、時間は思ったより過ぎていた。

 結局、一晩泊ることにする。

 とんぼ返りで引き返すことは諦めた。

 逃げ続けても、結衣にも裕二にもいつかは会わなければいけない。

 気まずい思いをするなら、一度に全部終わらせた方がいいのではないかという気になった。

 優一は軽くテーブルに並んだ料理を摘むと、ソファにごろりと横たわる。

「疲れた」

 一言、そう呟いた。

 クッションを枕にして、目を閉じる。

 そのまま不貞寝をした。

 一度にいろいろと知りすぎて、頭の中はショート寸前だ。

 とりあえず、眠りたい。

 ここ数日満足に寝ていないこともあって、満腹になったら睡魔が襲ってきた。

「こんなところで寝たら、風邪を引くよ」

 健一は声を掛ける。

「構わない」

 優一は呟いた。

 子供みたいに拗ねる。

 そんな息子を見て、健一は微笑んだ。

 仕方ないと言う顔をする。

 黙って、タオルケットを持ってきた。

 優一の上に掛けてやる。

 ふわりと温かさに包まれて、優一はちらっと父を見た。

 健一は優しく微笑んでいる。

 まさしく、その顔は天使だった。

 元・天使だとすれば、いろんな意味で納得できる気がする。

 そもそも、父はどこか浮世離れしていた。

 世間の常識を知らないことも多い。

 天使だったとしたら、それも当然だろう。

 父の話を信じられないと言うのは簡単だったが、父が嘘をついているとは思えなかった。

「……ありがとう」

 小声で、優一はタオルケットを掛けてくれた礼を言う。

 優しい父を嫌うなんて、優一には出来そうにない。

 自分がファザコンであることは十分に自覚していた。






 少しだけ眠るつもりだったのに、いつの間にか優一は爆睡していた。

 夕方になっても、目を覚まさない。

 夕食の時間が近づき、隣の家から健一の家に裕二と結衣がやってくる。

 二人はインターホンを鳴らさず、自分の家のように健一の家に入ってきた。

「ママ。そろそろご飯じゃない?」

 キッチンで料理を作っている健一のところに結衣は真っ直ぐ向かう。

「もう直ぐ出来るよ」

 健一は答えた。

 すでにダイニングのテーブルの上には出来上がった料理が並んでいる。

「何か手伝う?」

 結衣は尋ねた。

「大丈夫」

 健一は断る。

 頼むことは何も無かった。

「優ちゃんは?」

 結衣はリビングの方を覗いて、問いかける。

 ソファで寝ている優一の姿は背もたれに隠れて見えなかった。

「ソファで寝ている」

 健一は答える。

「そう」

 結衣は返事をすると、リビングに向かった。

 入れ代わるように、裕二がキッチンに入る。

「お疲れ様」

 健一に声を掛けた。

 健一の身体を後ろから抱きしめ、振り返った健一にキスをする。

 それはいつもの挨拶だった。

「料理の邪魔だよ」

 健一は苦く笑う。

 だが、嫌ではなかった。

 言葉とは裏腹に、嬉しそうな顔をする。

 仕事が出来るエリートサラリーマンも、プライベートでは寡黙な方だった。

 饒舌に語る代わりに、裕二は態度で愛情を示す。

 挨拶の代わりにキスをして、健一を抱きしめた。

 そんなわかりやすい愛情表現は、人間の感情の機微に疎い元・天使にも簡単に伝わる。

 裕二と一緒にいて、健一が不安を感じることは一度もなかった。

 愛されていることをいつも実感している。

 料理の邪魔だといいながら、健一は裕二のキスに応えた。

 触れるだけのキスで十分なのに、そのまま二人は舌を絡める。

 キスを深めた。

 たっぷりとディープなキスを楽しむ。

 娘からその姿を見えることを、二人は全く気にしなかった。

 結衣も慣れているので、今さらなんとも思わない。

(相変わらず、仲いいな)

 せいぜい、そう思うくらいだ。

 だが優一が見たら、ショックを受けるだろう。

(寝ていて良かった)

 ソファで眠っている優一の姿を見ながら、結衣は微笑む。

 いちゃつく父たちの姿を見ていないことに、安堵した。

 いろんな話を一度に聞いて疲れたのか、優一はぐっすりと眠っている。

(大物だな)

 結衣は心の中で突っ込んだ。

 だが、目の前の現実は何があっても変わらないのなら受け入れるしかないと開き直っただけかもしれない。

 優一は子供の頃から、開き直ると強かった。

 本人は自分のことを普通だと思っているようだが、結衣から見ると全然、普通じゃない。

 思い切りが良く、決断すると驚くようなリーダーシップを発揮した。

 だが常日頃は、先頭に立って何かをやるタイプではない。

 誰かがやってくれるなら、それでいいという少し後ろ向きな性格だ。

 そんな優一が結衣は心配で、つい何かと世話をやいてしまう。

 今にして思えば、それが失敗だった。

 優一はすっかり、誰かに世話してもらう癖がつく。

 自分から積極的にアクションを起すことは少なかった。

(甘やかし、過ぎたかな)

 結衣は心の中で反省している。

 可愛くてついつい構ってしまったことは、優一のためにはよくなかった。

 そんなことを考えながら、結衣は寝ている優一の頬をつんつんと突く。

 夕食の時間なので、起そうとした。

 さっきキスしていた父たちも、満足したのかもう離れている。

 裕二はダイニングテーブルの椅子に座っていた。

 つんつん。

 つんつん。

 結衣は何度も優一の頬を突いた。

「んっ」

 優一は小さく呻いて、身じろぐ。

「?」

 不思議そうに目を開けた。

「おはよう」

 結衣は囁く。

 ソファの背もたれから身を乗り出して、優一の顔を覗き込んだ。

「……」

 優一はその顔をまじまじと見返す。

 結衣だと気づいた。

 年は取っているが、面影は残っている。

「結衣ちゃん?」

 優一は尋ねた。

「そうよ」

 結衣は頷く。

 優一を見て、にこにこと笑った。

「目が覚めた?」

 きょとんとしている顔の優一に、結衣は問いかける。

 こくり。

 優一は黙って、頷いた。

 静かに身を起す。

「おはよう」

 結衣はもう一度、囁いた。

 10年近く会っていないのに、まるで昨日も会ったように当たり前の顔で挨拶する。

 ソファの背もたれをぐるっと回り込んで、起き上がった優一の隣に座った。

 ニッと笑う。

 優一の記憶の中で、結衣は髪が長くまだ少女の面影を残していた。

 だが目の前の結衣は大人で、髪も肩より短くなっている。

 月日が流れたことを優一は感じた。

 送られてきた写真の中で結衣の顔を見ているはずだが、あの時はすぐに写真から目を逸らしたので髪が短くなっていることに意識がいかなかった。

 不思議なことに、結衣の顔を見た瞬間、優一は子供の頃の気持ちに戻ってしまう。

 ドキドキした。

「……おはよう」

 律儀に挨拶を返す。

「はははっ」

 結衣は笑った。

「優ちゃんらしいね」

 そう言う。

「10年近く会っていないのに何も変わらない」

 優しい目で優一を見つめた。

 結衣の目は大きくまん丸で二重だ。

 とても印象的で、人の記憶に残る。

 昔は、自分を見つめるその瞳の中に好意があると優一は思っていた。

 自分に恋をしているのだと、誤解する。

 だが、今ならわかる。

 それは家族への愛情だ。

 結衣はずっと、弟として自分を愛してくれていたのだろう。

「それは結衣ちゃんもだよ」

 優一は同じ言葉を返した。

「そう?」

 結衣は驚いた顔をする。

「私は変わったと思うわよ」

 自嘲気味に口の端を上げた。

「もう30だし。結婚して、離婚して、戻ってきた」

 自分の半生を振り返る。

 だが言葉とは裏腹に、そのことに傷ついている様子も自棄になっている感じも受け取れなかった。

 むしろ、スッキリしているように見える。

「後悔しているの?」

 優一は問いかけた。

「それが、全然」

 結衣は笑う。

「結婚も離婚も、いい経験だったと思っている」

 強がりではなく、本気でそう思っていた。

「結婚したなんて、知らなかった」

 優一は正直に言う。

「そうでしょうね」

 結衣は頷いた。

「優ちゃん、ほとんど帰ってこなかったから」

 責めるように優一を見る。

「その理由、もう聞いてもいい?」

 問いかけた。

 ふるっと優一は首を横に振る。

 言いたくなかった。

「ダメなの?」

 結衣は笑う。

 それ以上は追及しなかった。

 聞くのは止めたらしい。

「これからはもっと帰ってきてくれるなら、それでいいけどね」

 優一を許した。

「……考えておく」

 適当な相槌を打てなくて、優一は正直に答える。

 返事を保留にした。

 それを聞いて、結衣は微笑む。

「本当に、優ちゃんは変わらない」

 よしよしと優一の頭を手で撫でた。

 子供扱いされて、優一は複雑な顔をする。

「ごはんだよ」

 そんな二人に、キッチンから健一が声を掛けた。

「はーい」

 結衣は返事をする。

 優一はちらりとダイニングを振り返った。

 テーブルの上には夕食が並んでいるのが見える。

 父が腕を振るっているのがわかった。

 そういえば、子供の頃から食事だけはやたらと手が込んでいたことを優一は思い出す。

 父子家庭なのに、珍しいと子供心に感じていた。

 たぶんそれは結衣のためでもあったのだろう。

 子供の頃の結衣はよく風邪を引いていた。

 病弱で食が細く、寝込むことも多い。

 幼稚園にもほとんど通えていなかった。

 そんな結衣のために父はいろいろ気を遣っていた。

「行こう」

 結衣は優一を促す。

 結衣に誘われて、優一は立ち上がった。

 ダイニングに向かう。

 ダイニングの椅子にはすでに結衣の父・裕二が座っていた。

 優一をちらりと見る。

「……」

 だが、何て声をかけたらいいのかわからないようだった。

 言葉に詰まる。

 優一も気まずいのは同じだ。

 三十年近く、隣の家のおじさんだと思っていた相手だ。

 今さら自分の実の父親だと聞かされても、実感なんて湧くはずがない。

 ただただ、気まずかった。

 裕二の向かいの席につくが、顔がまともに見れない。

「……」

「……」

 沈黙が続いた。

 もともと裕二は無口な方だ。

 一緒にいても、会話した記憶はほとんどない。

 もしかしたら余計なことを言わないように、彼はずっと口を噤んでいたのかもしれない。

 自分は何も知らなかったが、周りはずっと秘密を抱えていた。

 それは大変な苦労だろう。

 秘密は守り続けるより、打ち明けるほうがずっと楽で簡単だ。

 だがそれは相手にも重荷を背負わせることになる。

 知らない方が楽なことが、世の中にはたくさんあった。

(オレはずっと守られていたんだな)

 優一は心の中で呟く。

 そのことに今、気づいた。

 だがだからといって、父親として接してくれと言われても、今さら困る。

 大人になった今、態度を変えるのは簡単なことではなかった。

 今さら、隣のおじさんを父とは呼べない。

 気持ちの切り替えは難しかった。

 優一がテーブルに就くと、夕食が始まる。

 いただきますと手を合わせて、食べ始めた。

 結衣と健一は何もなかったように普通に会話をしている。

 いつもどおりに振舞った。

 意味もない世間話に花を咲かせる。

 だが、無理があった。

 優一がこの場に居る時点で、普段どおりではない。

 優一と裕二は互いに相手の顔を見られず、下を向いたままだった。

 黙々と食事をする。

 早く時間が過ぎてくれと優一は願った。

 義理の父と一緒に食事をしなければならない婿みたいな微妙な気分を味わう。

 いっそ、そういう状況の方がマシかもしれない。

(リアルが一番ファンタジーってなんなの?)

 心の中で優一はぼやいた。

 数日前まで、優一は自分のことをどこにでもいる平凡なサラリーマンだと思っていた。

 満員電車に毎日揺られ、適当に誰かと結婚し、ローンを組んでマンションを買うような人生を送ることを信じて疑わない。

 自分の人生に、変わったことなど何一つ起こるはずがなかった。

 それが父が再婚するだけではなく、今さら兄弟が生まれるらしい。

 それも生むのは父だ。

 実は堕天使だとか、意味がわからない。

 自分が天使かもしれないというのも、衝撃だった。

 そもそも天使なんて見たことがないからよくわからない。

 実在するなんて、思わなかった。

 今でも騙されているような気がする。

 実はドッキリでした--と種明かしされるのを優一はひそかに待っていた。

 だがもちろん、そんな希望は優一の現実逃避でしかない。

 食事が終わっても、誰も嘘だとは言ってくれなかった。

「本当に本当なの?」

 優一はぼそっと問いかける。

 何をかは言わなかった。

 言う必要はないだろう。

 みんなわかっている。

「本当なんだ。ごめんね」

 健一は謝った。

 食卓は重い空気に包まれる。

 優一は居たたまれなくなった。

「何でそんなに暗い顔をしているんだ?」

 そこにそんな声が響く。

 唐突に発せられた言葉に、誰もが驚いた。

 それは自分の声でも、父の声でも、結衣や裕二の声でもない。

「え?」

 優一は驚いて、声を主を見た。

 リビングに天使が立っている。

 白い羽を窮屈そうにたたんで、ダイニングにいる優一たちを見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます