第12話 兄弟


 優一が大学進学のために家を出てから、裕二と健一は再び一緒に暮らすようになった。

 裕二の家では結衣が一人で暮らし、裕二は健一の家に引っ越す。

 結衣が食事をするために健一の家に来ることもあるが、基本的には二人きりで過ごした。

 出会った時にはすでに結衣がいたので、自分たち二人きりの生活を裕二と健一は送ったことがない。

 今さらだが、新婚気分を二人は味わった。

 ただでさえバカップルなのに、いつも以上に二人はいちゃいちゃする。

 それは関係を知っている結衣も呆れるほどだ。

 もともと、二人がバカップルであることを結衣は知っている。

 昔から、二人はことある毎にキスしたりハグしたりしていた。

 一緒にいる時は四六時中手を繋いでいる。

 父の膝に健一が座っている姿を見かけたのも一度や二度ではなかった。

 小さな頃からそうなので、結衣はそれが普通なのだと思って育つ。

 幼稚園で友達が出来て、違うということに気づいた。

 友達の家の両親は、自分の家と違ってあんなにいちゃいちゃしていない。

 もっと違うのは、他の家のママは女の人だった。

 自分の家が他の家とはどこか違うことに、幼いながらも結衣は気づいていた。

 初めて会った時、健一の背中に羽があったことを覚えている。

 僅か二歳だったが、あの日のことは今でも鮮明に結衣の中に残っていた。

 父が死にかけていたのだから、インパクトはそうとう強い。

 忘れようと思っても、忘れられなかった。

 父を助けてくれた健一には結衣は今でも感謝している。

 そして自分を育ててくれたことにも。

 他人から見ればどんなに奇妙でも、結衣にとって健一は母親だ。

 そして健一は結衣に弟を産んでくれる。

 優一が生まれた時、結衣はとても喜んだ。

 ずっと兄弟が欲しいと思っていた。

 三つ下の弟は小さくて、可愛い。

 結衣の指を小さな手はぎゅっと握った。

 その瞬間、何があっても自分が弟を守ろうと心に誓う。

 お姉ちゃんなんだから、自分が優一を守るのは当然だと思った。

 パパがいて、ママがいて、弟が生まれて。

 四人家族として、幸せにずっと暮らしていけるのだと幼い結衣は信じて疑わなかった。

 だがそんな家族だけの生活は唐突に終わる。

 最初の切っ掛けは、隣に住むおばの入院だった。

 もともと病弱だったおばは、短期の入退院をよく繰り返していた。

 しかしある日、入院したまま戻れなくなる。

 そんなおばの看護に健一は結衣と優一を連れて毎日のように通った。

 そして、家を空き家には出来ないと、健一だけ連れて隣の家に引っ越す。

 結衣には意味がわからなかった。

 おばの入院が、どうして自分たちの生活に影響を与えるのか、理解できない。

 おばが健一と偽装結婚していたこと。

 優一の実母が戸籍上はおばになっているということは大きくなってから知った。

 入院したままおばは亡くなり、そのまま結衣は母と弟と別れて暮らすことになる。

 幼い結衣は困惑した。

 それでも、昼間は二人と一緒に過ごせる。

 結衣は保育所に行く代わりに健一の家に預けられた。

 夜には仕事を終えた父が迎えに来る。

 父は結衣と二人で自分の家で過ごした。しかし、娘が寝た後、隣の家にいる健一に会いに行っていることに結衣は気づいていた。

 優一が少し大きくなると、二人の逢瀬は父の家に替わる。

 結衣は時々、父と健一がいちゃついている姿を目にすることになった。

 二人は一緒に暮らすことは出来なくなっても、気持ちは変わらないようだ。

 愛し合っている。

 それでも別れて暮らすのは、優一のためだ。

 優一は小さかったせいか、自分の父親が裕二であることも、結衣が姉であることも忘れてしまう。

 外でうっかり事実を口走ってしまわないように、健一は幼い息子に自分は父親であり、母親は亡くなったおばであると写真を見せて教えていた。

 戸籍上はそうなっている。

 優一はそれを信じ込んだ。

 裕二のことは隣の家のおじさんだと思う。

 結衣のことはただの幼馴染だと理解していた。

 そう思っていた方が、生きていき易いことを結衣は知っている。

 健一が堕天使であることも、父の奥さんであることも、結衣は誰にも言えず、秘密にしていた。

 言えるはずがない。

 言ったらどんな騒ぎになるのか、年相応より賢い結衣は知っていた。

 大騒ぎになったら、側にいることさえ出来なくなるだろう。

 優一自身にさえ、本当のことは言わないと決めた。

 だが、愛し合っている二人が一緒に暮らせないのは可哀想だと思う。

 そんな二人が、優一の大学進学を機に再び一緒に暮らすつもりでいることを、10年ほど前に結衣は知った。

 優一は進学のために家を出る予定になっている。

 優一が家を出たら、裕二が健一の家に移るらしい。

 二人が再び一緒に暮らせることを結衣は喜んだ。

 話を聞いて、嬉しくて健一に抱きつく。

 結衣は父にも健一にも幸せになって欲しかった。

 二人は一緒にいることが、幸せなのだと思う。

 そんな自分と健一が抱き合う姿を、優一が見ていたなんて気づかなかった。

 優一は進学のために上京し、健一と裕二の二人での新しい生活が始まる。

 結衣は二人の邪魔をしないように、自分の家で寝起きした。

 食事だけ、健一の家で三人で取る。

 初めて二人きりで健一と暮らす父は、とても幸せそうだった。

 よりいっそう、いちゃつく。

 料理を食べさせあったり、手を繋いで互いを側から離さなかったり、かつて一緒に暮らした時よりも二人はもっとラブラブになっていた。

 二十歳を超えてそういう父親たちを見るのはなんとも気まずかったが、思春期は終わっていたので、素直に祝福はできる。

 今まで離れていた分を取り戻して欲しいと思った。

 結衣は実家から大学に通う。

 卒業後の就職先も地元で探した。

 結婚するまで、家を出るつもりはない。

 だが本人の予想より早く、結婚が決まった。

 とんとん拍子で結婚話が進んで、嫁ぐ。

 しかし、僅か二年で離婚して家に戻った。

 夫にもいえない秘密が結衣にはたくさんある。

 そんな秘密を抱えて、上手くいくわけがなかった。

 付き合っている時は大丈夫だったが、結婚して家族になると、様々な問題が噴出する。

 結局、それを解消できずに結衣は夫と別れた。

 実家に戻る。

 父と健一と三人での穏やかな毎日が始まった。

 相変わらず、結衣は食事だけ健一の家で取る。

 ご飯を作ってくれる健一に甘えた。

 健一はますます母親っぽくなる。

 二人の会話は母と娘みたいで、結衣は健一に料理を教わった。

 優一が生まれる前、自分が健一を独占していた時のことを結衣は思い出す。

 結衣に実の母の記憶はない。

 母の思い出は全部、健一との思い出だ。

 甘やかされて、抱きしめられて、健一の腕の中で眠る。

 そんな穏やかで優しい毎日がまた始まるのだと、結衣は歓喜した。

 しかし、そんな毎日にまた異変が起きる。

 最初に健一の様子が可笑しいことに気づいたのは、結衣だ。

 健一がだるそうにしている。

 熱を計ると、微熱だった。

 結衣は健一を寝かせ、家事を引き受ける。

 2~3日、健一は寝て過ごした。

 しかし、微熱は引かない。

 その内、健一は吐き気を催した。

 それが悪阻であることに、結衣は気づく。

 優一を身篭った時も、こんな風に健一が体調を崩したことを結衣は覚えていた。

 健一も裕二もまさかと笑う。

 だが、心当たりはたくさんあった。

 結衣は市販の妊娠検査薬を買ってくる。

 健一にそれを渡した。

 健一は検査してみる。

 陽性の印がばっちりと出た。

 確かに裕二の子供を身篭っている。

 三人は緊急家族会議を開いた。

 健一は戸籍上男性だ。

 当然、子供を産むことは公には出来ない。

 大騒ぎになることはわかっていた。

 生まれてくる子のために、どうするのが一番いいのか話し合う。

 優一にどう伝えるかも頭を悩ませた。

 とりあえず、結衣は自分が産んだことにしようと提案する。

 産める可能性があるのは三人の中では結衣しかいなかった。

 他に選択肢はない。

 結衣は戸籍上は未婚の母になろうと決意した。

 子供は三人で育てれぱいい。

 しかし、離婚してシングルマザーになるのと、未婚でシングルマザーになるのでは、いろんなことが大きく違うことを調べて知った。

 離婚したシングルーマザーには補助もいろいろあるが、未婚の場合はそれがまったくない。

 勝手に子供を産んだという扱いのようだ。

 子供のためには、一度結婚して離婚した方が良いと気づく。

 それがわかった時、三人の脳裏に”偽装結婚”の四文字が浮かんだ。

 かつておばが自分と優一のためにしてくれたように、今度は自分が生まれてくる子のためにそうしようと結衣は決める。

 しかし、さすがにそれは裕二にも健一にも反対された。

 二人とも、娘の将来を犠牲にするつもりなんてない。

 しかし、結衣も譲らなかった。

 他に方法はないだろうと訴える。

 結衣は一度結婚し、離婚していた。

 もう二度と、結婚するつもりはない。

 結婚はイベントではなく、生活だ。

 それがどんなに大変なことか、身に染みる。

 生まれも育ちも考え方も違う他人と家族になるのは、とても難しいことだった。

 結衣は戸籍上は他人である健一と自分が結婚するのが一番いいと提案する。

 結衣が婿を取る形で健一と結婚し養子縁組すれば、健一は裕二の籍に入ることが出来た。

 それは裕二と健一にとっては結婚に等しい。

 そのことに気づいて、三人は妙に盛り上がった。

 一石二鳥だと思う。

 しかし、問題もあった。

 さすがに兄弟が出来ることは優一に隠し切れない。

 全てを話すしかなかった。

 しかしこんな話、普通に話しても信じてもらえないだろう。

 自分たちでも、どこの世界のファンタジーだよと突っ込みたくなった。

 しかし、現実は意外とファンタジーらしい。

 本当の不思議は物語の中にではなく、現実の中にこそあった。

 とにもかくにも、一度、優一に帰ってきてもらうしかない。

 顔を見て、ちゃんと話したいと健一は思った。

 打ち明ける秘密はたくさんありすぎる。

 しかし呼んだところで、優一が素直に帰ってくるとは思えなかった。

 大学進学を機に上京してから、優一は田舎に帰るのを避けている。

 そのことにはもちろん、健一も気づいていた。

 帰りたくない理由が、結衣絡みだということにもなんとなくわかっている。

 結衣が姉であることを知らない優一は結衣に対する愛情を恋だと勘違いしていた。

 それを否定することは健一にも結衣にも出来ない。

 結衣はなんとか、告白されるという状況だけは避けようと逃げた。

 それが二人の関係を気まずくさせる。

 優一は避けられていることに気づいていた。

 秘密を抱えるのは、今も昔も辛い。

 これ以上の嘘を結衣は優一につきたくなかった。

 結衣にとって、優一は可愛い可愛い弟だ。

 なんとか優一を帰ってこさせるため、三人は一計を案じる。

 いかにも意味深な写真を撮って、優一に送ることにした。

 さすがにその写真を見たら、優一は驚くだろう。

 そこに電話をかけ、実は健一が付き合っているのが裕二だと知れば、優一も話を聞きに帰ってきてくれるかもしれない。

 それがダメでも、秘密はいろいろあった。

 打ち明けるネタには困らない。

 優一にはどうしても帰ってきてもらわなければならなかった。

 

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