第11話 妊娠

 優一は父の長い長い昔話を黙って聞いていた。

 健一は一気に、裕二との出会いを語る。

 それが結衣によっても出されたことに、優一は少なからず驚いた。

「それで結局、堕天使になることを選んだの?」

 話が一区切りついたところで、父に尋ねる。

 人間界で暮らしているのだから、そういうことになるだろうと思った。

 堕天使であることを父は最初から優一に告げていた。

「そうだよ」

 健一は頷く。

「天界に戻った私を待っていたのは、懲罰委員会だった。勝手に人間の命を救ったことも、人間に自分が天使であることをばらしたことも、天界には全て筒抜けだった。当然、罪に問われ、罰を受けることになる。私はどんな罰でも受けるつもりでいた。禁忌を破ったのは自分だ。罰を受けるのは当然のことで、逃げるつもりなんてない。多くの禁忌を破った私には厳罰が下されるはずだった。ところが、天界に戻って間もなく私が妊娠していることが判明した。私は裕二と過ごした一週間の間に、裕二の子供を身篭っていたんだ」

 息子の顔をちらりと見た。

 優一はなんとも微妙な顔をする。

「それがオレなの?」

 問いかけた。

「そうだよ」

 健一は頷く。

 優一は気恥ずかしくなった。

 この年で、自分を身篭った時の話を今さら聞くことになるとは思わなかった。

「身篭ったことで、私の罪は全て許された。私は何一つ罰を受けることなく、釈放されたんだ」

 健一は話を続ける。

「天界は天使の妊娠を歓迎する。人間が天使の子を宿すより、天使が生まれる確率が高いからだ。しかし周りから祝福されればされるほど、私は複雑だった。生まれてくるのが天使でも人の子でも、生まれたその瞬間、私の手元から奪われる。天使は家族という単位を持たない。親が子供を育てることはなかった。生まれた子は一箇所に集められ、集団生活の中で育てられる。全寮制の学校に生まれて直ぐに入れられるような感じだ。私に我が子を育てることは出来ない。それでも、生まれて来た子が天使なら、少しは側にいられる。だが人間だったら、最悪だ。天界で人は暮らせない。生まれて直ぐ、天界から追い出される。子供は父親である裕二のところに連れて行かれ、そこで裕二が引き取らないと言えば、別の里親のところに養子に出されるんだ」

 切ない顔をした。

「どちらにしろ、優一をこの手で育てることは出来ない。普通の天使なら、そのことに対して、何も疑問を持たないだろう。天界ではそれが普通だ。わが子を自分の手で育てたいなんて、他の天使は考えたことさえないだろう。親と子という関係性さえ、天界にはないんだから。生まれた子供は天界の子供で、誰の子でもない。みんなが育てて、みんなが責任を持つ。それが天界の子育てだ。それを一概に悪いとは言わない。けれど私は裕二と暮らした一週間で、親と子がどういうものなのか、夫婦が、家族がどういうものなのか、知ってしまった。ママと懐いてくれる結衣ちゃんは可愛くて仕方なかったし、愛してくれる裕二のことを愛しく思った。家族として、生まれてくる子と四人でどうしても暮らしたかった。そのためには、墜ちるしかない」

 訴えるように、優一を見る。

「……」

 優一もじっと、父の顔を見た。

「オレのために墜ちたの?」

 問いかける。

「いいや」

 健一は否定した。

 首を横に振る。

「私は、私自身のために墜ちた。優一を手放したくなかったのも、裕二の妻になりたかったのも、結衣ちゃんの母親になりたかったのも、みんな私の我侭だ。私が多くを望まなかったら、誰も巻き込むことがなかった。私の我侭が多くの人間の人生を狂わせたんだよ」

 反省しているようなニュアンスで呟いた。

 健一は後悔はしていない。

 堕天使になったことも、優一を生んで育てたことも、何一つ悔やんではいなかった。

 だが、そんな自分のために多くの人の人生を狂わせたことは反省している。

「私と出会わなかったら、裕二はとっくに再婚していたかもしれない。結衣ちゃんには新しい母親ができていただろう。それになにより、香奈枝さんには一番迷惑をかけた」

 申し訳なさそうに呟いた。

 健一が最後に口にした香奈枝という名前は、優一がずっと自分の母親だと信じていた戸籍上の母の名前だ。

 優一が物心つく前に、彼女は亡くなっている。

 だがこの家はもともと香奈枝の家だし、田所という姓も父が婿養子なので彼女の姓だ。

 仏壇には位牌も遺影もある。

 記憶の中にはないが、写真で顔は知っていた。

 その名前を聞いて、優一は小さく眉をしかめる。

 もやもやとしたものが胸の中に渦巻いた。

「母さんは、この話にどこから絡むの?」

 優一は尋ねる。

「香奈枝さんは、裕二の奥さんで結衣ちゃんの母親である莉子さんの従姉妹なんだ。莉子さんが結衣ちゃんを生んで直ぐ亡くなってからは、母親代わりに結衣ちゃんを育てていた。堕天使として墜ちた私は裕二の家で一緒に暮らし始めた。だが、戸籍もなければ名前もない私に普通の生活は難しい。裕二は私の存在を周囲には隠していた。私は結衣ちゃんを育てながら、家に引きこもり、裕二の帰りを待つだけの生活を送る。外にはも一歩も出ることなく、ずっと家の中にいた。そんな私の生活に、結衣ちゃんも当然、付き合うことになる。香奈枝さんにはベビーシッターが見つかったから、結衣ちゃんの面倒をもう見てもらわなくても大丈夫だと裕二が伝えていたが、散歩にさえ出てこない結衣ちゃんのことを心配したらしい。ある日、裕二の留守に家へ乗り込んできたんだ」

 健一は説明した。

「そこで見つかったんだ?」

 優一は笑う。

「そう。一週間も経たずに、香奈枝さんには私のことがばれた。彼女は万一の時に備えて、裕二の家の合鍵を持っていたんだよ。それで、裕二が留守にしている昼間も勝手に家に入れた」

 健一は困った顔をした。

「香奈枝さんに見つかった私は問い詰められ、全てを話すしかなかった。本当のことを言わなければ警察に通報すると脅されたから。そんなことをされたら、裕二と一緒に暮らせなくなる。どうせ信じてもらえないと思ったけれど、正直に全てを話すことにした。裕二が死にかけていたのを助けたことも、結衣ちゃんの面倒を母親として見ていることも、お腹の中に裕二の子供がいることも。すると彼女はとても怒った。会社から裕二も呼び戻されて、二人でこんこんと香奈枝さんに説教された」

 どこか楽しそうに笑う。

 とても優しい顔で健一は香奈枝のことを語った。

 裕二とは違う意味で、香奈枝は健一にとって大事な人だ。

 いろんなことを教えて、助けてくれた。

「裕二が仕事で職場に戻らなければならなかったから香奈枝さんの説教は終わったけれど、香奈枝さんはまだ怒っていた。裕二が仕事から帰ったら二人に話しがあると言われて、私も裕二も正直、怯えたよ。まだ怒られるのかと。でも、香奈枝さんの話は違った。彼女は裕二や結衣ちゃんのため、私や生まれてくる優一のために、自分が何を出来るか、何をするべきなのか考えてくれたんだ」

 微笑む。

 香奈枝は懐が広い、心の優しい人だった。

「彼女はまず、私に名前をつけてくれた。健一と言う名前は香奈枝さんがつけてくれたんだ。健康第一で長生きして欲しいから、健一らしい」

 へらっと笑いながらそう言われて、優一は苦笑する。

「そんなだじゃれみたいなところから……」

 微妙な顔をした。

「そう? 健康第一ってステキだよ。私は名前をつけてもらったのが初めてだから、とても嬉しかった」

 にこにこと健一は笑う。

「ちなみに優一って名前は優しい子にって意味だと教えてきたけど、本当は『ユウジ』と『ケンイチ』の息子だから、ユウイチなんだよ」

 自分の名前の由来を唐突に教えられて、優一は苦笑いするしかなかった。

 そんな優一には一つ、気になることがある。

「天使に名前がないって、それまではどうしていたの? 天界ではともかく、その前にもおじさんのところで一緒に暮らしていたんでしょ?」

 父に尋ねた。

「結衣ちゃんにはママって呼ばれていたし、裕二には奥さんって呼ばれていたから……」

 名前は無くても困らなかったのだと、健一はちょっと照れた顔をする。

「ああ。ラブラブだったのね」

 優一はちょっと冷めた目で父を見た。

 親のラブラブエピソードほど、息子にとって居たたまれない気分になることはない。

「今でもラブラブだよ」

 健一は気にせず、そう言った。

 裕二と出会って30年近く経つが、いまだに仲良しなのは我ながら凄いと思っている。

 愛し合っていた。

 裕二が浮気をしたことは一度もない。

「はいはい」

 優一は軽く流した。

「母さんの話に戻って」

 父を促す。

 相手をしてもらえなくて、健一は拗ねた。

 だが、話の続きに戻る。

「香奈枝さんにはずっと隠れて暮らすことなんて出来ないんだから、戸籍や名前の件はなんとかするべきだと言われた。生まれてくる子供にも戸籍は必要だろうと。確かにその通りなので、三人でいろいろ相談した。その時、一番問題になったのはこれから生まれてくる優一のことだ。優一の戸籍をどうするのか、誰が産んだことにするのか、私たちは頭を悩ませる。私の見た目は男性だから、自分の戸籍がなんとかなっても、優一を私が産んだことには出来ない。男が子供を生んだら、大騒ぎになるだろう? いろいろ調べた結果、香奈枝さんは自分が産んだことにすると言い出した。私が婿養子として香奈枝さんの戸籍に入り、香奈枝さんが母子手帳を申請して、生まれた子は香奈枝さんの子供として届けると。それが一番、すんなりと優一の戸籍を作れる方法だった」

 説明されて、優一はなるほどと思った。

「偽装結婚だったんだ」

 呟く。

「ああ」

 健一は頷いた。

「香奈枝さんはたぶん、自分が長くは生きられないことを知っていた。自分が結婚し、子供を産むことはないだろうと。だが彼女は、唯一の肉親である結衣ちゃんに血のつながりがある相手を残してあげたかったんだ。自分が産んであげられないなら、せめて生まれてくる結衣ちゃんの兄弟のために何かしようと思ったらしい」

 香奈枝の気持ちを代弁する。

「全部、結衣ちゃんのため?」

 優一は確認した。

「結衣ちゃんと優一のためだよ」

 健一は微笑む。

「彼女はたった一人の肉親である結衣ちゃんをとても愛していた。そして新しく生まれてくる優一のことも」

 囁いた。

「それで父さんは母さんと結婚して、この家に住むことになったんだ」

 優一は納得する。

「それは少し違う」

 だが、健一は首を横に振った。

「この家に父さんと優一が住むようになったのは、香奈枝さんが亡くなる数ヶ月前、彼女が入院してからだ。それまでは、昼間はこの家に優一と結衣ちゃんを連れて通っていたけど、基本的には裕二の家で暮らしていた。優一は覚えていないだろうけど、三歳くらいまでは家族四人で生活していたんだよ」

 昔を懐かしむ。

 遠い彼方を見た。

「覚えていない」

 優一は複雑な顔をする。

「そうだろうね」

 父は笑った。

「結衣ちゃんは……」

 優一は問いかけて、躊躇う。

 途中で、口を噤んだ。

 気まずい顔をする。

 健一はそれだけで、優一が何を聞きたいのか察した。

「結衣ちゃんは覚えているよ」

 答える。

「優一より三つ年上だからね。六歳なら、私と裕二の関係も、私が母親として自分を育てていることも、理解していたと思う。だから、私と優一がこの家で暮らすことになった時は泣かれた。どうして別々に暮らさなければいけないんだと責められた。突然、母と弟と別に生活することになったんだから、戸惑うのは当然だけどね」

 結衣の気持ちを健一は理解した。

 優一は自分だけが何も知らず、空回りしていたことにショックを受ける。

 自分が結衣のことを初恋の相手だと思ってどきどきしていた時、結衣は自分を弟として見ていたのだ。

 そう思うと、居たたまれない。

「消えてなくなりたい」

 優一はぼそっと呟いた。

 テーブルの上に突っ伏する。

「せめて、結衣ちゃんが姉だってことくらい、教えてくれたら良かったのに」

 恨みがましく、父に言った。

「でもそれを言ったら、私と裕二の関係も説明するしかないだろ?」

 健一は申し訳なさそうに息子を見る。

「男なのに子供を産めた理由を、どうやっても説明が出来なかった」

 言い訳した。

「別れて暮らすようになってもおじさんとの関係は続いていたの?」

 優一は確認する。

「ああ」

 健一は素直に頷いた。

「続いていたというか、切れたことが一度も無い。優一が小さい頃は子供たちが寝た後にこっちの家に来て貰ったけど、ある程度優一が大きくなってからは、私が裕二の家に行くようになった。優一が私たちの関係に気づかないように。優一が大学進学で家を出てからはこの家で一緒に暮らしていたけどね」

 ぼそっと呟く。

「えっ? オレが大学の頃からここで一緒に暮らしていたの?」

 優一は驚いた。

「うん。実は」

 健一は頷く。

「もともと、優一が家を出たらまた一緒に暮らそうと約束していたんだ」

 少し照れくさそうな顔をした。

 自分の親がバカップルであることを優一は知る。

「そんなに一緒に暮らしたかったのなら、なんでオレに本当のことを打ち明けなかったの? そうすればもっと早く一緒に暮らせたのに」

 疑問に思った。

「言われたら、信じるかい?」

 健一は尋ねる。

「父親が元天使で、実は自分を生んだ人で。隣の家のおじさんだと思っていた裕二が本当は自分の父親で。結衣ちゃんが実の姉だなんて。……そんなこと、受け入れられるかい?」

 苦く笑った。

「……」

 優一は考え込む。

「いろいろ、無理」

 首を横に振ったる

 白旗を揚げる。

 そんな話を子供の頃に聞かされても、信じられなかっただろう。

「そうだろうね」

 健一は大きく頷いた。

「小さい頃は私と裕二の関係は特殊すぎると思って、説明できなかった。受け入れていた結衣ちゃんが、友達に秘密にしたり、私のことを外ではママと呼べないことでいろいろジレンマを抱えていたから。優一にもそういう苦労をさせるのは、忍びなかった。成長して全てを理解してくれそうな年の頃には優一は思春期に入っていて。だだでさえ難しい息子との関係を、さらにややこしくする気にはなれなかったんだよ」

 ため息をつく。

「だから裕二と相談して、優一には隠し通すことに決めた。優一は何も疑っていなかったし。実際、今までばれなかったしね。裕二は溺愛している息子に実の父親と名乗れないことをとても残念がっていたけれど」

 健一はふふっと笑った。

「なのになんで今さら、話す気になったの?」

 優一は尋ねる。

 とても不思議に思った。

 年に二回しか帰らない自分に隠し通すことは、今後も難しくはないだろう。

 あえて今、それを話す理由がわからなかった。

「それなんだけど……」

 健一はなんとも言いにくそうな顔をする。

 これ以上、まだ何があるのかと優一は密かに怯えた。

「状況が変わったんだ」

 健一は俯き加減に、視線を落す。

 優一を見れなかった。

「何があったの?」

 優一はドキドキする。

 胸騒ぎがした。

「実は……」

 健一は一つ深呼吸してから、口を開く。

「妊娠したんだ」

 そっと自分の腹に手を当てた。

「……えっ?」

 優一はきょとんとする。

 自分が聞いた言葉を、理解できなかった。

 理性が、それを受け入れることを拒否している。

「優一に、弟か妹が出来るんだ」

 健一は恥ずかしそうに伝えた。

 だが、嬉しそうな顔をする。

「ええ~っ!!」

 優一は思わず、大きな声を上げた。

 今日はいろいろと信じられないような話を聞いたが、さすがに父の妊娠は想定外過ぎた。



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