第8話 運命

 

 <天使>が結衣と話していると、裕二は目を覚ました。

「んっ……」

 小さく呻く。

 その声を聞いて、<天使>ははっとした。

 内心、しまったと思う。

 裕二が目を覚ます前に姿を消すべきだったことに、気づいた。

 幼い女の子に見られただけなら、いくらでも誤魔化せる。

 天使を見たと女の子が言っても、誰も信じないだろう。

 だが、大人に見つかるのは不味い。

 そのことに、裕二が目を開けて自分を見るまで、<天使>は思い至らなかった。

 <天使>の膝の上で、裕二は身じろぐ。

 自分に膝を貸してくれている<天使>を見上げた。

 白いローブに身を包み、白い羽を持つその人はどこからどう見ても天使だ。

 仮装パーティの帰りとかには見えない。

 何故か本物であることを裕二は確信した。

「……」

 裕二はゆっくりと身を起こし、<天使>を見る。

 <天使>は戸惑った。

 真っ直ぐ自分を見つめる裕二の眼差しに、居心地の悪そうな顔をする。

 だが、何故か裕二から目を逸らせなかった。

 裕二もじっと<天使>を見つめる。

 二人はまるで世界に自分たち二人だけしかいないように、互いを見つめた。

 身体が固まってしまったように、<天使>は動けない。

 裕二の手は吸い寄せられるように、<天使>に伸びた。

 頬に触れようとする。

「パパっ」

 そこに結衣の声が響いた。

 その声を聞いて、結衣がここにいることに裕二は気づく。

 娘の姿さえ、目に入っていなかった。

 それだけ、<天使>に夢中だったのだろう。

「パパっ」

 結衣は裕二に抱きついた。

 腰の辺りに縋りつき、泣き出す。

「結衣……」

 そんな娘を裕二は切ない顔で見つめた。

「心配させて、ごめん」

 謝る。

 ふるっと結衣は首を横に振った。

 父親は何も悪くない。

 裕二は優しく結衣の髪を撫でた。

 泣いている娘を慰める。

 結衣はひっくひっくと嗚咽を洩らした。

 安心して、涙が止まらない。

 そんな娘を愛しそうに裕二は抱きしめた。

 だが結衣を腕に抱きながら、裕二の眼差しは<天使>に向けられる。

 じっと<天使>を見つめた。

 <天使>はドキッとする。

 鼓動の高鳴りに、動揺した。

 ドクドクと心臓は脈打ち、かあっと身体が熱くなる。

 そんな自分の変化に、<天使>は戸惑った。

 逃げ出そうとする。

 このままここにいてはいけないと、本能が告げた。

 <天使>はバサッと翼を広げる。

 飛び去る準備をした。

 そのことに裕二は気づく。

「行かないで」

 <天使>の腕を掴んで、止めた。

「離してっ」

 <天使>は頼む。

 だが、裕二は掴んだ腕を放さなかった。

「逃げないで」

 囁く。

「……」

 静かで優しいその声に、<天使>は裕二を見た。

 二人は再び、見つめ合う。

 お互いに目が離させなかった。

 裕二はただじっと<天使>を見つめ続ける。

 その眼差しに射抜かれて、<天使>は動けなくなった。

(捕らわれる)

 心の中で呟く。

 何故か、泣きたい気分になった。

「貴方が助けてくれたの?」

 裕二は問いかけた。

「……」

 <天使>は答えない。

 答えてはいけない規則だ。

 たが、裕二は自分が目の前の天使に救われたのだと、確信する。

 倒れた瞬間、裕二は死を覚悟した。

 いつものように娘を寝かしつけた後、裕二は遅めの夕食を取る。

 二歳の娘は一人で食事が出来なかった。

 付きっ切りで食べさせることになるので、一緒に食事は取れない。

 仕事で疲れて帰ってきた後、裕二は家で娘の世話に追われた。

 2階の子供部屋に結衣を寝かしつけた後、ようやく自分の時間が取れる。

 それでも、食事をして風呂に入ればもう寝なければいけない時間だ。

 明日も早く起きて、朝食を娘に食べさせなければならない。

 一人で子供を育てるのがどんなに大変か、裕二は思い知った。

 しかし、頼れる親戚はいない。

 亡くなった妻は身内に縁が薄い人だった。

 親戚は同じ敷地の隣の家に住む妻の従姉妹だけで、彼女も病弱なので、あまり迷惑はかけられない。

 昼間、結衣の面倒を見てもらうことが限界だった。

 自分の親族は遠くに住んでいて、頼りにならない。

 もともとこの家は妻の実家だ。

 裕二は妻の希望で、婿としてこの家に入る。

 その時すでに、妻の親戚は隣の家に住む従姉妹だけだった。

 病弱な家系らしく、みんな早くに亡くなっている。

 妻も自分が長くは生きられないことは覚悟していた。

 妊娠・出産も医者には止められる。

 だが、周り中の反対を押し切って、妻は子供を産むことを決めた。

 そして自分の命と引き換えに、結衣を産む。

 乳飲み子を抱えて、裕二は奮闘した。

 しかし、そんな無理が長く続けられるわけがない。

 結衣が二歳の誕生日を迎える頃には、いろんな意味で限界を迎えた。

 体調が悪いことに裕二は気づく。

 周りに黙って、密かに病院で精密検査を受けた。

 最悪の結果が出る。

 ガンの告知を受けた。

 余命を宣告される。

 幼い娘を一人残して死にゆくことに、裕二は怯えた。

 自分が死ぬ現実より、結衣を一人で残していくことに胸を痛める。

 運命は何て残酷なのだろうと思った。

 神に奇跡が起きることを祈りながらも、同時に残酷な運命で自分を翻弄する神を恨む。

 娘が成人するまで生きながらえることが出来るなら、裕二はどんなことだってしただろう。

 悪魔とだって契約するくらい、追い詰められていた。

 しかし、神も悪魔もいるわけがない。

 自分が助かることはないのだと、裕二は心のどこかで諦めていた。

 裕二の身体を蝕んだガンはあっという間に進行する。

 若い身体はガンの進行も早かった。

 ある日突然、その瞬間は来る。

 自分が食べた食器を洗いにキッチンに行くと、突然、めまいがした。

 身体がひどく重い。

 自分で自分の身体を支えることが出来なくなった。

 ドタッ。

 大きな音を立てて、裕二は倒れる。

 そのまま、意識が遠のいた。

 遠くで、娘の声が聞こえる。

 パパ、パパと自分を呼んでいた。

 だがそれが現実なのか、幻聴なのか、もうわからない。

 その声に応えようとしても、指先一つ動かせなかった。

 瞼も重くて開かない。

(こうして死んでいくのか……)

 微かに残っている意識の中で、裕二は死を覚悟した。

 絶望と悔しさと娘の心配と、いろんな感情が裕二の中で渦巻く。

 心も身体も苦しかった。

 微かに意識は残っていたが、もう何も出来ない。

 しかし突然、身体は楽になった。

 温かなものに身体が包まれるのを裕二は感じる。

 息苦しさが消えた。

 何かが身体に注がれているのがわかる。

 目を閉じているのに、白い光が見えた。

 気持ちがとても安らぐ。

 すうっとそのまま裕二は眠りに落ちていった。

 ずいぶん久しぶりに、気持ち良く眠る。

 優しい手の温もりを感じた。

 誰かが頭を撫でてくれている。

 幸せすぎて、目を覚ましたくないと裕二は思った。

 だがその耳に、娘の声が聞こえる。

 誰かと話をしていた。

「んっ……」

 裕二は小さく呻く。

 ゆっくりと目を開けた。

 自分が誰かに膝枕されていることに気づく。

 膝を貸してくれている相手が誰なのか、裕二は確かめた。

 上を見る。

 白い羽が目に飛び込んできた。

(天使だ)

 咄嗟に、そう思う。

 白いローブに身を包んだその人は、明らかに人間とは異なっていた。

 きらきらと輝いて見える。

 その顔がもっとよく見たくて、裕二は身を起した。

 目の前で見ると、その顔はますます煌いている。

 裕二は見惚れた。

 可笑しな話だが、恋に落ちる。

 結衣がそこにいたことさえ、天使に夢中で気づかなかった。

 その姿以外、何も目に入らない。

「答えられないなら、答えなくていい」

 裕二は<天使>に囁いた。

「その代わり、ここにいてくれ」

 頼みこむ。

「……」

 <天使>は困った。

 ふるっと首を横に振る。

「それは出来ない」

 断った。

「何故?」

 裕二は尋ねる。

「貴方が何者でもオレは構わない。天使でも、悪魔だったとしても気にしない。オレの魂をあげるから、どうかオレの側にいて欲しい」

 熱烈な愛の告白のような言葉を口にした。

「何故、そんなことを……」

 魂を差し出すとまで言われて<天使>は困惑する。

「貴方はオレの運命だ」

 裕二は断言した。

「運命?」

 <天使>は動揺する。

 天使でありながら、<天使>は運命なんて信じていなかった。

 それを決める神はとっくの昔に姿を消している。

 だとしたら、いったい誰が人間の運命を決めているというのだろう。

 天使の気まぐれに、人間たちが翻弄されているとしか<天使>には思えなかった。

「運命なんて、信じない?」

 うろたえる<天使>を見て、裕二は笑う。

 こくり。

 <天使>は頷いた。

「オレを見て、何も感じなかった?」

 裕二はさらに問いかける。

「それは……」

 <天使>は言葉に詰まった。

 鼓動が高鳴り、身体が熱くなったことを思い出す。

「何か感じたんだね」

 <天使>の反応を見て、裕二は確信した。

 ほっとしたような顔をする。

「……」

 <天使>は困った。

 裕二はそんな天使を見て、楽しそうに笑う。

「お嫁においで」

 掴んだ<天使>の手を持ち上げ、ちゅっと手の甲にキスをした。

「~~~」

 <天使>は驚く。

 そんなことされたのは、初めてだった。





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