第7話 奇跡


 女の子に連れられ、<天使>は倒れている男を見つけた。

 慌てて駆け寄り、その身体を揺らす。

 だが、男から反応はなかった。

 意識がない。

 だが、息はしていた。

 <天使>は男の口元に手を翳し、それを確かめる。

 掌を男の息がくすぐり、ほっとした。

 しかし、その呼吸はあまりにか弱い。

 程なく、男の命が尽きようとしていることがわかった。

 今から救急車を呼んでも、間に合わないだろう。

 それがわかっている<天使>は表情を曇らせた。

 そんな自分を女の子はじっと見つめている。

 突き刺さるような視線を感じた。

「……」

 その視線に、<天使>は居たたまれない気持ちになる。

 自分には彼を救える力があった。

 だがもちろん、その力を使うことは禁じられている。

 人間界に深く関わることは禁忌とされていた。

 繁殖のために人間を利用していながら勝手な話だが、人間との接触は最低限しか許されていない。

 奇跡など起してはならなかった。

 そもそも、天使に人間を助ける理由は何もない。

 しかし、<天使>は縋るような目で自分を見つめる女の子を捨て置けなかった。

 父親が死んだら、女の子は一人になるだろう。

 彼女の母親がすでにいないことは、<天使>には視えていた。

 気まずそうに女の子を見る。

「パパを助けたい?」

 問いかけた。

「うん」

 女の子はこくりと頷く。

 潤んだ瞳が<天使>を見つめた。

「助けて」

 頼む。

「……」

 <天使>は迷った。

 禁忌を犯せば、当然、罰が下る。

 すでに一つ、<天使>は規則は破っていた。

 人間界で天使の姿に戻り、力を使っている。

 鍵がかかったままの家の中に入った。

 女の子に天使のままの自分の姿を見せたのも、不味いだろう。

 これ以上、罪を重ねたら天界から追放されるかもしれない。

 それでも、この女の子がこれから先一人ぼっちで生きて行くことに比べたら、マシだと思った。

 <天使>は覚悟を決める。

 女の子の父親を助けることにした。

 男の身体を抱き起こし、手を翳す。

 その手は柔らかな光を放った。

 優しい光が父親に降り注ぐのを女の子はじっと見ている。

 それは不思議な光景だった。

 綺麗だとも、女の子は思う。

 青白かった父の顔に血の気が戻った。

 呼吸が穏やかに、規則正しくなる。

 女の子はほっとした。

 父が助かったことを知る。

 気づくと、その人の手はもう光っていなかった。

「大丈夫だよ」

 <天使>は女の子に囁く。

 安心させようとした。

 男の身体を静かに横たえ、その頭を自分の膝の上に乗せる。

 膝枕した。

「ありがとう」

 女の子は微笑む。

 初めて、笑みを見せた。

 とても可愛い子だと、<天使>は気づく。

「お名前は?」

 女の子に尋ねた。

「ゆい」

 女の子は答える。

「パパはゆうじ」

 父親の名前も教えてくれた。

 <天使>の膝枕で眠る父親の顔を覗きこむ。

 裕二はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。

 そうとう疲れているらしい。

 病は取り除いたが、疲労を回復させたわけではない。

 それは裕二自身の回復力に任せていた。

「裕二ね」

 <天使>はその名前を口にする。

 優しく裕二の髪を撫でた。

 彼のことがいろいろ見える。

 妻を亡くし、生まれたばかりの娘を抱え、彼は奮闘していた。

 彼はとても娘を愛しているが、一人で幼子を育てるのは並大抵の苦労ではない。

 それは裕二も身に染みて感じていた。

 しかし、娘を預ける先もないらしい。

 自分が一時助けても、彼と娘の生活は何も変わらないことに<天使>は気づいた。

 救えてはいない。

 またいつか同じように限界が来て、裕二は倒れるだろう。

 そしてその時はもう、自分はここにいない。

 <天使>は自分の無力さを感じた。

 天使だと人から崇められても、結局は人一人、自分は救えない。

 優しく、自分の膝の上にある裕二の頭を撫でながら、申し訳なさが募った。

「ごめんね」

 独り言のように呟く。

 謝った。

「どうしてごめんするの?」

 結衣は不思議そうに<天使>を見る。

「何もしてあげられないから」

 <天使>は答えた。

「?」

 結衣は首を傾げる。

「パパを助けてくれたよ?」

 澄んだ瞳が<天使>を真っ直ぐ見つめた。

「でも、それは今だけのことだから。ずっとは側に居られない」

 <天使>は首を横に振る。

「ずっとここにいて」

 結衣はお願いした。

「ゆいのママになって」

 微笑む。

 そうすればずっと一緒に居られるのだと、結衣は思った。

「それはできない」

 <天使>は断る。

「どうして?」

 結衣は<天使>を見つめた。

「天使だから」

 <天使>は答える。

「てんし?」

 結衣はその言葉を知らなかった。




 


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