第5話 天使

 天界は綺麗なところだ。

 全てが白く、輝いている。

 地面は見渡す限り、白い雲に覆われていた。

 雲海の上に立っているのと、感覚としては同じだろう。

 それが本当に雲の上なのか、それとも雲の下には地面が存在すのかは、天使たちにもわからなかった。

 雲の上には白い神殿がいくつも存在し、天使たちはそこで生活している。

 天使は白い羽を持ち、空を飛べた。

 不思議な力も使える。

 その力によって、天使は神の使いとして人間に崇拝された。

 実際、天使は自分たちの力を使って、様々な仕事をしている。

 使える能力によって、住む場所も仕事も分けられた。

 与えられた仕事を粛々とこなす。

 しかし、その力は少しずつ失われつつあった。

 長く続く人間との交配で、天族の血は薄れ、能力は弱体化する。

 天使が生まれる確率も、年々低くなっていた。

 力を持たない天族は、天界に受け入れられない。

 天界の人口の減少する一方だ。

 人間界の過疎化の比ではない。

 そもそも、天界には天使しかいなかった。

 昔は神がいたらしいが、久しく、その姿を誰も見ていない。

 神と言う存在が実在するのか否かさえ、天使たちは知らなかった。

 自分たちが何者であるのか、一番わかっていないのはもしかしたら天使たち自身かもしれない。

 天界も人間界も、社会の仕組みはそれほど大きく変わらなかった。

 仕事をして、自分の役目を果たす。

 仕事をすれば食事が与えられ、交代制なので休日もちゃんと取れた。

 だが娯楽らしい娯楽は天界にはない。

 天界は科学の進歩とは無縁だ。

 科学とは、人間の便利にしたいという欲求から生まれる。

 不便さを感じた時、人は科学を進歩させた。

 それが生活を便利にし、娯楽を生む。

 しかし、特殊な能力を持つ天使たちが不便さを感じることはほとんどない。

 科学が進歩しなくても、自分たちの能力で多くの問題はクリアできた。

 念じればテレパシーで通じるから、携帯電話なんていらない。

 空を飛べるから、飛行機も必要なかった。

 車も、電車も、新幹線も、天使には不必要なものだ。

 それゆえ、人間界と比べると科学はずっと遅れている。

 進歩させなければならない理由が天界にはなかった。

 たまに人間界に足を運ぶと、科学が進化してどんどん便利になっていく世界に天使たちはびっくりする。

 かつては天界の方が人間界より全てにおいて便利だったが、今はどちらが便利なのか判断が難しい。

 人間界の方が便利かもしれないと、当時はまだ天使だった優一の父は思っていた。

 天使だった頃から、優一の父は天使という存在には懐疑的だ。

 人間より優れているなんて、どうしても思えない。

 むしろ、天族は人間より劣っているのではないかと感じた。

 天使は両性具有だ。

 基本的には男性体・女性体と分かれているが、どちらの性器も持ち合わせているので、孕むことも孕ませることも出来る。

 繁殖にはとても適した身体を持っているのに、自分たちだけでは繁殖がままならなかった。

 天使に性欲はない。

 性行為をしようと思う欲求がないのだから、子供が出来るはずがなかった。

 それなら繁殖のために性行為をすればいいと思うが、プライドが高い天使にはそれは受け入れ難いことらしい。

 天使と天使が交わることを何故か禁忌とする慣習が天界には残っていた。

 それはまだ神がいた時代、神が決めたことらしい。

 その古い時代の禁忌を、神がいなくなっても天使たちは頑なに守っていた。

 優一の父から見れば、それは愚かでしかない。

 天界の過疎化は深刻で、そんな禁忌になんて捕らわれている場合ではなかった。

 能力が弱まっているからこそ、天使同士の間に子供を作り、血の濃い、能力の高い天使を作る必要があると思う。

 しかしそんな意見を上司にあげても通らなかった。

 同意はどこからも得られない。

 人間と交わればいいんだからと、却下された。

 天使は人間と天族の間に生まれる。

 そして何故か堕天使からも生まれた。

 堕天使が産む子供は、悪魔の黒い羽ではなく白い天使の羽を持って生まれてくる。

 能力も人間との間に生まれる天使の子供より強かった。

 何より、人間との間に出来た子供は必ず天使になるとは限らないが、堕天使の産む子供は必ず天使として生まれてくる。

 しかし、堕天使が生んだ子供が天界に来ることは滅多になかった。

 たいていは生んだ親が手放さない。

 親が子供を隠すか、共に姿を消した。

 地に墜ちる天使はそう多くなく、天使が身篭る確率も低い。

 生まれる天使の数はなかなか増えないのが現状だった。

 そんな人口減少を解消するために、天使は年に何回か、地上に降りる。

 人間と交わり、子供を作るためだ。

 普段は接近を禁じられているのに、その時だけは人間界に行くことを許される。

 優一の父も繁殖のために人間界に降りることになった。

 日本の片田舎を降りる場所として選ぶ。

 世界中、どこでも良かったのにそこに決めたことに特別な理由はなかった。

 たまたま、日本に行ってみたいと思う。

 だがそこで、優一の父は自分の運命と出会った。






 交わる相手を探して、人間に化けた<天使>--優一の父--は適当に街を歩いていた。

 だが田舎なので、夜遅くに出歩いている人がそもそも少ない。

 若い人はさらに少なかった。

 駅前の繁華街と思われる場所でもそれは同じで、<天使>は自分の相手を見つけることが出来なかった。

 困り果てる。

 天使は両性具有だ。

 どちらの性器も持っている。

 だが男性体、女性体に分かれていた。

 成長すると外見は勝手にどちらかの性別に寄る。

 それは本人の意思にはまったく関係なく決まった。

 胸が膨らめば女性として、男性器が大きくなれば男性として生きる。

 天界では性別なんて関係ない。

 男性になろうと女性になろうと、天使たちは気にしなかった。

 だが、繁殖のために地上に降りた時は違う。

 男性体の天使の繁殖相手は女性だ。

 見た目が男なので、寄ってくるのは女が多い。

 自分で身篭ることも出来るが、男と関係を持つのは難しかった。

 繁殖相手として、女を捜すことになる。

 しかし、人間の女を孕ませることにはいろいろとリスクが伴った。

 そういう意味では、女性体の天使の方が繁殖は容易い。

 男を誘って性行為に及ぶのは、そう難しくなかった。

 身篭るのは自分なので、受精に成功すれば後は簡単だ。

 天界で子供を産めばいい。

 しかし、<天使>は男性体だ。

 相手を探すのにはいつも苦労する。

 今まで、繁殖に成功したことはない。

 おそらく、今日も無理だろうと思った。

 半分諦めながら、<天使>は住宅街の方に向かう。

 人が居る場所を探した。

「えーん。えーん」

 どこからか女の子の声が聞こえてくる。

 それは<天使>にだけ聞こえた。

「えーん。えーん」

 女の子は泣いている。

 <天使>は、女の子の気配を探した。

 そして、一軒の家を見つける。

 一つの敷地に二軒の家が並んでいた。

 その家の中に女の子はいるらしい。

 <天使>は少し迷った。

 繁殖のために人間界にいるが、繁殖以外を目的とした人間との接触は禁じられている。

「えーん。えーん」

 だが、女の子は泣き止まなかった。

 助けを求めるその声を聞いて、放っておけなくなる。

 <天使>は自分が優しいなんて、思っていなかった。

 むしろ、冷たいことを知っている。

 自分には、人間が思い描くような天使の慈愛はない。

 けれどどうしても、その女の子の声は無視できなかった。

 <天使>は罰を受ける覚悟で、女の子の家に行く。

 ドアに手をかけると、鍵が掛かっていた。

 入れない。

 仕方なく、<天使>は天使の姿に戻った。

 人の姿のままでは天使は力が使えない。

 ドアをすり抜け、家の中に入った。

「えーん。えーん」

 その間にも、女の子は泣き続けている。

 その子は玄関を入って間もなく、左手に曲がるリビングの入口にしゃがみこんでいた。

「えーん。えーん」

 二つか三つくらいで、本当に幼い。

 ポロポロ。

 ポロポロ。

 大粒の涙が女の子の頬を伝って落ちた。

 見ているだけで、<天使>の胸は痛くなる。

「どうしたの?」

 女の子に声をかけた。

 女の子は<天使>を見る。

 白い羽を生やし、ローブに身を包んだ<天使>は幼い目にも奇妙に映った。

 だが、そんなことを気にしている場合ではない。

「パパが……。パパが……」

 女の子は泣きじゃくった。

 嗚咽で、上手く言葉が紡げない。

「パパはどこ?」

 <天使>は優しく女の子に問いかけた。

「こっち」

 女の子は<天使>の手を掴む。

 自分の父親の元まで連れて行った。

 小さな手にぎゅっと指先を掴まれ、<天使>は戸惑う。

 女の子の手はとても温かかった。

 人の温もりを、<天使>は初めて知る。

 胸の奥が熱くなるのを感じた。

 


 










 










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