第4話 帰郷

 週末、優一は田舎に帰った。

 父親に自分が天使だと告げられたら、たいていの息子は父親の顔を見に帰るだろう。

 それが父の妄想でも怖いし、事実ならもっと怖い。

 電話で済む内容では確かになかった。

 新幹線と在来線を乗り継いで、田舎の駅に向かう。

 年に二回は帰るから、別にいつもと変わったことはなかった。

 一つ違うとすれば、電車の窓に映る自分の顔はいつも以上に疲れている。

 父に電話をもらって以来、優一はあまり眠れていなかった。

 さすがに、普段どおりではいられない。

 不安なことがあると優一は眠れなくなった。

 大人になったつもりでいたが、実は18歳のあの頃から何も変わっていないのかもしれないと思うと、少しがっかりする。

 自分で自分に失望した。

 だが、そんな萎えかけている自分の心を優一は鼓舞する。

 凹んでいる場合ではなかった。

 父とちゃんと話をしようと思う。

 地元の駅で電車を降り、歩いて自宅に向かった。

 駅まで迎えに行くと父に言われたが、あえてそれは断る。

 歩きながら、気持ちを落ち着けようと思った。

 20分ほどの道のりは、ざわつく心を落ち着かせるのにちょうどいい。

 それでも、家が近づいてくると足取りは重くなった。

 自分の家と、その隣の結衣たちの家が見える。

 二軒はごくごく普通の一軒家だ。

 亡くなった母方の祖父たちが建てた家で、母が生まれ育った実家だ。それをリフォームしている。

 家は隣だが、敷地は一緒だった。

 優一の父も結衣の父・裕二も入り婿らしい。

 だが、親戚が居ないので詳しいことは知らなかった。

 親族に縁が薄い人で、母たちは互いが最後の血縁者だったらしい。

 家系的にみんな病弱で、早世した人が多かった。

 そういう話を聞いて育ったから、互いの家族が仲がいいのは親戚だから普通なのだと優一は思う。

 だが考えてみれば、同じ父子家庭とはいえ小さな子供をずっと預かるというのは普通のことではないだろう。

 一人も二人も面倒を見るのは一緒だと父は言っていたが、付き合っているからその子供の面倒も見ていたのかもしれない。

 物心ついた頃には、優一は結衣といつも一緒にいた。

 遊園地に遊びに行くのも、動物園や水族館に行くのも、いつも結衣と手を繋いでいた記憶がある。

 周りから見れば、仲の良い姉と弟に見えただろう。

 結衣はいつも優しかった。

(結衣はいつから知っていたのだろう?)

 ふと、優一は気になる。

 自分より前に結衣は父親同士の関係を知っている気がした。

 周りが見ていた通り、本人は本当に姉のつもりだったのかもしれない。

 そう考えると、優一は居たたまれない気持ちになった。

 自分だけが何も気づかず、一人でぐるぐる空回りしていたことが今さらだが恥ずかしい。

(帰りたくない)

 そう思った。

 いっそ、ここから消えていなくなりたい。

 だが、それが出来ないことは27歳の大人として知っていた。

「はあ……」

 深いため息を洩らしながら、玄関の前に立つ。

 ピンポーン。

 自分の家のインターホンを鳴らした。

 ただいま、と入っていく度胸はない。

「はーい」

 中から機嫌が良さそうな声が聞こえた。

 父がドアを開ける。

「優一?」

 息子の顔を見て、父は驚いた。

「何でインターホン鳴らしたの? 普通に入ってくればいいのに」

 笑う。

「だって、誰か居るかもしれないから……」

 優一はごにょごにょと言葉を濁した。

 結衣の父親が居るかもしれないと思ったとは言い難い。

 さすがに、自分の父親の彼氏と顔を合わせるのは気まずかった。

「裕二のこと?」

 父は笑う。

 結衣の父親を呼び捨てにした。

 醸し出される付き合っています感に、優一は打ちのめされる。

 予想以上にショックを受けた。

「……」

 胸を押さえる。

「ふふっ。困った顔をしている」

 父は楽しそうに笑った。

 優しい目で優一を見つめる。

 年を取っても、相変わらず父はイケメンだ。

 端整な顔立ちは衰えない。

 年のわりには若々しいと思った。

「来ていないよ」

 父は呟く。

「最初に二人で話した方がいいと言われて、裕二たちは向こうの家にいる」

 そう説明した。

「……そう」

 優一は頷くしか出来ない。

「とにかく、入って」

 父に促され、家に入った。

 リビングに向かう。

 リビングのテーブルには優一のための手料理が並んでいた。

 父は料理が得意で、何でも作る。

 優一の好きなものばかりが作ってあって、父の愛を感じた。

 昔から、父は愛情がこまやかな人だ。

 優一には、愛されて大切に育てられた記憶しかない。

 母親が居なくて寂しいと思ったことはほとんどなかった。

 父は母の役割もこなす。

 時折、そこに後妻を狙う女性が加わった。

 父は上手に女性たちを利用する。

 優一が母親という存在を理解するように、女性とも触れ合わせた。

(でも、本当はおじさんと出来ていたんだよな)

 そう思うと、なかなか複雑な気持ちになる。

 それでも、父が幸せならそれでいいかという気分にはなってきていた。

 父の幸せに、息子とはいえ口を出すのは違うとも思う。

 普段は一緒に暮らしていないことも、何も言えないなと思う理由の一つだった。

 優一は料理が乗ったテーブルの前に座る。

「何か飲むか?」

 父は優一に聞いた。

 気を遣う。

 少し気まずい顔をした。

「いい」

 優一は断る。

「それより、座って」

 自分の前に座るように促した。

 料理が乗ったテーブルを挟んで、優一と父は向かい合う。

「話を聞きたい」

 優一はそう言った。

「何から話そうかな……」

 父は考え込む。

「最初から順序だてて話した方がいい? それとも、必要なところから話し出して、遡った方がいい?」

 優一に尋ねた。

「とりあえず、オレに関係のあるところから」

 優一は答える。

「そうだね」

 父は頷いた。

「驚かずに最後まで聞いて欲しいんだけど、オレね、優一の『父親』ではないんだ」

 静かに囁く。

「……」

 優一は戸惑った。

 ショックが大きすぎて、逆に冷静になる。

 父が自分の親ではない可能性なんて、今まで、一ミリも考えたことがなかった。

 確かに父には似ていない。

 だが、他人だと疑ったことはなかった。

 優一の顔は青ざめる。

 それを見て、父は慌てた。

「ああ、違う。違う」

 否定する。

 優一が誤解したことに気づいた。

「血が繋がっていないという意味じゃない」

 首を横に振る。

「……じゃあ、どういう意味?」

 優一は問いかけた。

「父親ではないという意味」

 父は言い直す。

「……」

 優一は眉をしかめた。

 父が何を言っているのか、理解できない。

「ますます、意味がわからない」

 首を横に振った。

「うん、まあ。そうだよね」

 父は苦く笑う。

「つまり、お父さんはね、優一の父親でなく、優一を生んだ人ーーつまりはお母さんーーなんだよ」

 説明した。

「……」

 優一は黙りこむ。

 くらっと眩暈がした。

 何もかも、夢だったらいいのにと願う。

「ちょっと待って」

 手を前に突き出す。

 父にこれ以上喋らないように頼んだ。

 情報を整理したい。

 そうしないと、理解できなかった。

「つまり、父さんは実は女性だったの?」

 確認する。

 父の言葉を信じるなら、そうなった。

「いや、女性と言うわけでもないんだ」

 父は否定する。

「天使は両性具有なんだよ」

 囁いた。

「父さんの場合、基本的には男性体だけど、子宮もあるから子供を生もうと思えば、産むことも出来るんだ」

 詳しく話す。

「天使って……」

 優一は苦く笑った。

「まず、そこを認めるところからはじめないといけないの?」

 ため息をつく。

「そうだね」

 父は頷いた。

「そこを前提にしないと、話が進まない」

 困った顔をする。

「……」

 優一も困った。

「そんなこと言われても、天使が存在することを信じろっていうことが無理難題だよ。ハードルが高すぎる」

 もう一度、ため息をこぼす。

「いろいろごめん」

 父は謝った。

 申し訳ない顔をする。

 そんな父の顔を見ると、優一の胸は痛んだ。

 悲しい顔はさせたくない。

「正直、天使だと言い出した時は頭が可笑しくなったと思った」

 ぼそっと優一は独り言のように呟く。

「そうだろうね」

 父は頷いた。

 簡単に信じてもらえるとは思っていない。

 天使がいるということを認めてくれというのはクリスチャンでも難しいだろう。

「そんなファンタジー、本当にあるの?」

 優一は改めて問いかけた。

「ああ」

 父は頷く。

「現実は案外、ファンタジーなんだよ」

 苦く笑った。

「信じる信じないは別にして、天使はいる。それが本当はどういう存在なのかは、私自身にもわからない。だが、人間が『天使』と呼ぶ私たちは確かに存在する。神様だって、本当はどこかにいるのかもしれない。私は天使の時も会ったことはないけどね」

 小さく微笑む。

「天使って、地上にずっと居ていいの?」

 優一は尋ねた。

 とりあえず、父が天使だということを認める。

 その上で、疑問をぶつけた。

「もちろん、ダメだよ」

 父は笑う。

 首を横に振った。

「天使は人間に必要以上に接触してはいけないし、地上で暮らすことも基本的には禁止されている。ただし、私がそう聞かされているだけで、本当は違うのかもしれない。天使であっても、天使のことはよくわからないんだ」

 苦笑する。

「でも、父さんはずっと地上にいるよね?」

 優一は首を傾げた。

「ああ」

 父は悲しげな顔をする。

「私は墜ちたんだ」

 そう呟いた。

「全てを捨て、堕天使になったんだよ」

 説明する。

「堕天使……」

 優一はその言葉を繰り返した。

 クリスチャンでなくても、その言葉にはなかなかインパクトがある。

 優一の目は気まずく泳いだ。

 優一の家はキリスト教徒ではない。

 正月は神社に初詣に行くし、お盆にはお寺に墓参りに行った。

 神道でも仏教でもないごくごく一般的な緩い宗教観を持っている。

 だから天使についてはそんなに詳しくなかった。

 だが、堕天使が何を意味するかぐらいは、一般常識の範囲で知っている。

「堕天使って悪魔じゃないの?」

 聞きにくそうに、尋ねた。

「そうだよ」

 父は頷く。

「じゃあ、角が生えていたり、黒い羽を持っていたりするの?」

 優一は問いかけた。

「ああ」

 父は困ったように笑う。

「見たいかい?」

 優一に尋ねた。

「いや、それはちょっと……」

 優一は首を振る。

「天使もショックだけど、悪魔と言われるともっときつい。今はいっぱいいっぱいだから、後にして」

 頼んだ。

 そんなに一度にいろんなことは受け入れられない。

「そうだな」

 父は納得した。

 だが一つ、優一にはどうしても気になることがある。

「父さんが堕天使だったら、オレは悪魔の息子ってこと?」

 不安な顔で父を見た。

「いや、それがそんなに単純な話ではないんだ」

 父は否定する。

「何故か堕天使からは必ず天使が生まれる」

 苦く笑った。

 皮肉な話だと思う。

「天使は両性具有だ。男でもあり、女でもある。だが天使は性欲を持たず、性行為に興味がない。だから、天使同士の間に子供は生まれることは滅多にない。禁止されてもいる。堕天使として墜ちて初めて、天使は性欲を持つんだ。そして、子供を産む。天使とは自力では繁殖できない、終わった種族なんだよ」

 悲しげに語った。

「じゃあ、どうやって子孫を残すの?」

 優一は興味を持つ。

 あまりに現実離れした話はまるで物語を聞いているかのようだ。

 子供の頃、父が絵本を読み聞かせてくれたことを思い出す。

 優一は好奇心が旺盛な子供だった。

 父にいろいろ質問して、困らせたことを覚えている。

 今もそんな気分だ。

「そのために人間が必要なんだ。天使は年に数回、地上に降りることを許される。その時、人間とまぐわい、子供を作るんだ。人間と天使の間に生まれた子供は、天使として生まれてくる確率が高い。天使として生まれたものだけが天界に受け入れられ、天使として生きるんだよ」

 父は答えた。

 なるほどーーと、優一は納得する。

 だが、引っ掛かりも覚えた。

「それって、人間を利用しているの?」

 眉をしかめる。

 天使はずるいと思った。

「そうだよ」

 父は頷く。

「天使は人間を利用している」

 認めた。

「それって、酷くない?」

 優一は不愉快な顔をする。

「酷いね」

 父は頷いた。

 だが、天使とはそもそもそういう生き物だ。

「人間はいろいろ勘違いしているけど、神や天使は優しい生き物では決してない。無償の愛を注いだりしないし、人間ために奇跡なんて起さない。そんなことをする理由がないだろう? 神や天使にとって人間は足元を這う蟻のようなものだ。優一は道を歩く時、蟻を踏み潰してしまうかもしれないなんて、気にしながら歩いたりするかい?」

 問いかける。

「しない」

 優一は答えた。

「そうだろう」

 父は頷く。

「神や天使も同じだ。足元にいる人間のことなど、気にはしない。わざわざ踏み潰そうともしないが、踏み潰さないように気を遣ったりすることもない。神や天使にとって、人間はその程度の存在なんだ」

 その言葉を聞いて、優一は複雑な顔をした。

「オレ、キリスト教徒だったら、今、もの凄いショックを受けていると思う」

 独り言のように呟く。

「だから家はクリスチャンではないんだよ」

 父にそう言われて、妙に納得した。

「ああ、なるほど」

 腑に落ちる。

 そんな優一を見て、父は静かに笑った。

「尤も、神様というのはどこの神様でも残酷なものだ。天使たちが特別冷酷なわけではない。日本にだって、水不足の時や川の氾濫を押さえるために、人柱を捧げたなんて昔話が残っているだろう? それは作り話ではない。神様に生贄を差し出し、自分の頼みを聞いてもらおうとする慣習は世界各地にある。それが神が望んだものなのか、人間が勝手に押し付けたことなのかはわからないけれど。少なくとも、昔の人々は神というのは恐ろしくて残酷な生き物だと知っていた。願いをただで叶えてくれるとは思わなかったから、生贄を差し出したんだろう。それで、許してもらおうとする。怖いものは祭って、祟らないようにお願いするのは、日本人の賢い知恵だと私は思うよ」

 真面目な顔でそう言う。

「なんかいろいろ厳しい話だね」

 優一はため息をついた。

「現実なんてそんなものだよ」

 父は仕方ないという顔をする。

「夢も希望もない」

 優一はぼやいた。

「いや、私にはあったよ」

 父は首を横に振る。

「地に墜ちて、私は夢と希望を見つけた。私にとっては、優一が夢であり希望だった」

 息子の顔を見つめた。

「……」

 優一は照れる。

 少し恥ずかしくなった。

「一つ、聞いてもいい?」

 父に問う。

「いいよ」

 父は頷いた。

「母親が父さんなら、父親はおじさん?」

 優一は結衣の父親を思い浮かべる。

 長身でイケメンだ。

 仕事が出来るエリートで、最寄の地方都市で仕事をしている。

 通勤時間は1時間弱だが、地方では長距離通勤の方だ。

 だが、引っ越さずにずっと隣に住んでいる。

「うん、そうだよ」

 父は微笑んだ。

「今から、その話をしようと思っていた」

 そう続ける。

「少し長くなるけど、優一が生まれる前。私が地に墜ちることになった切っ掛けから聞いてくれるかい?」

 優一を見た。

「うん」

 優一は子供みたいに頷く。

 昔、絵本を読んでもらった時のように少しドキドキしながら、父が話し出すのを待った。



 












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