第43話 眠りの前に、思い出す

 遥か南の海の〈竜の巣〉と呼ばれる魔物の巣窟を、船で目指す一行。


 カッツェの見立てでは、〈竜の巣〉の手前、〈バベルの塔〉に到達するまで、船で一週間ほどかかるということだった。

 今までずっと馬やトナカイを乗り継いで大陸を縦断してきた一行だが、船上ではその移動の必要がなくなった。船の操縦は船長と船乗り達に任せて、ノエル達は逆にのんびりとできていた。


*

 港町で合流した戦士の一人が、ノエル達の身を案じて声を掛けてきた。彼らも見んと街から一緒に船に乗り込んだのだ。


「長旅の疲れも癒えぬところ、いきなり出発してしまったが……。体は大丈夫か?」

「うーん。そういえば、あんまり疲れとか感じたことないよ」


 ノエルは何気なくそう答えた。

 彼らがほとんど疲れを感じることもなく、長期間ぶっ通しで大陸を駆け抜けて来られたのは、白魔導師のヴァイスが毎朝毎晩きっちりと身体強化と回復を皆にかけてくれていたおかげだった。

 それに気付いたノエルは、二年前からずっと隣にいてくれるこの長身の白魔導師に改めて感謝するのだった。


*

「さて、お前はそろそろ寝ろ。あとは俺たちが」

「はーい」


 日も沈んで上弦の月が夜空を薄く照らし始める時刻となり。カッツェがノエルに声をかけた。

 ノエル以外の四人は、他の戦士とともに交代で船の見張りにあたることになった。


 自分だけが休むことに罪悪感を感じるノエルだったが、それは仕方のないことだった。なぜなら彼は、見張りとしてはほとんど役に立つことができないのだ。


 カッツェは、戦士としてずっと一人旅を続けてきた経験から、どんな場所でも即座に寝ることができる。そして短時間の睡眠でも体力を回復できるすべを身に付けていた。危機察知能力も人一倍高く、見張りには適任である。


 エルフ族のヴァイスとレイアは、もともとあまり睡眠をとらなくとも活動することができる。太陽の光や月の光のエネルギーをそのまま糧とできるので、ヒト族のような睡眠は必要ないのだそうだ。

 エルフの聴覚はヒト族の五倍もあり、精霊のざわめきを聴いて危険を察知する力もある。


 獣人猫族ケットシーのカノアに至っては、もともと夜行性なので、むしろ夜の方が元気だ。暗くなってもあまり寝たがらない。獣族特有の聴覚と嗅覚、それに野生の勘で、他の三人と並ぶ危機察知能力を持っていた。


 五人の中でただ一人、ノエルだけは普通のヒト族レベルの身体能力しか持っていない。昼間の体力を温存するためにも、夜は他の四人に見張りを任せてしっかり寝させてもらっていた。


「ふわぁ……。みんな、いつもありがとう。じゃあ僕は、仮眠を取ってくるね」


 ヴァイスが睡眠の魔導術を掛けてくれて、急激に眠気が襲ってきた。

 ノエルはみんなに挨拶し、眠い目をこすりつつ船内の寝室へと向かうのだった。


*

「あ、そういえば。今のうちに皆さんの装備品にも守りのまじないを掛けておきましょう。以前カッツェと約束しましたからね。皆さん、予備の装備に替えてメインを私に預けてください」


 ノエルを見送ったあと、ヴァイスが思い出したように言った。彼はカッツェとともに北の村を出発したあの日、カッツェに掛けた言葉を忘れてはいなかった。エルフ族は決して嘘は付かない。そして約束したことは忘れない。そういう律儀な性格なのだ。


「ヴァイス、お前……。あんな昔の話、まだ覚えていてくれたのか。良い奴だな」

 カッツェが感動した声をあげている。

「昔と言っても、ほんの一ヶ月前のことでしょう。それに我々エルフは、一度交わした約束はきちんと守ります」


 この一ヶ月の間に五人に増えたパーティーは、今やすっかり一致団結していた。五人で様々な課題を一緒に乗り越えてきたのだ。


(北の村で最初にノエルやヴァイスと会ってから、この短い間に色々あったな……)

 などとカッツェは柄にもなくこの旅を振り返り、一人感慨にふけるのだった。


*

 その頃ノエルは、船の仮眠室に到着していた。

 船内の仮眠室には、一つの部屋にいくつもの簡易な二段ベッドが並んでいる。

 誰がどのベッドかは決まっていない。戦士達は交代でそのベッドを使って休んでいた。


 ノエルもその中の一つに潜り込み、体を休めようと目を瞑った。

 船は波に揺られているが、ヴァイスのかけてくれた魔導術のお陰で船酔いはしない。暗い森の中や冷たい洞窟で野宿するのに比べれば、充分に快適な寝床だった。


 ベッドの中で、ノエルはこの一ヶ月余りの旅のことを思い出していた。


 北の荒野でカッツェと初めて出会ったときのこと。

 暗き森でレイアやカノアと出会ったこと。

 獣人村のこと――それから。

*

 ノエルは、巨人の谷での出来事を思い出していた。


 全員で協力し、カノアを大鳥ガルーアに乗せたこと。

 そのカノアがガルーアから落ちた時、レイアが必死に彼女を救ったこと。

 そして魔力を取り戻したレイアとヴァイスの力で、まるで奇跡のように巨人の谷の緑を復活させたこと――。


 巨人の谷では、五人のうち誰が欠けてもあの奇跡には辿り着けなかった。

 ノエル達だけでは巨人の谷を通してもらえなかっただろうし、ノエルやヴァイスがいなければ精霊の声を知ることはできなかった。

 カッツェの弓がなければカノアを大鳥に乗せることはできなかったし、カノアがいなければあの作戦は成り立たなかった。

 そして、あのときレイアの魔力が蘇らなければ、山は救えなかった――。


 きっと、全てのことには意味があるのだ。

 ノエルがカッツェと出会い、ヴァイスとともに旅を始めたことにも。

 レイアやカノアと出会い、旅を続けてきたことにも。


 その裏には、ノエルの思いもよらないような真理が隠されているのだ――「運命」という名の真理が。


*

 ふとノエルは、レイアが最初に語っていた言葉を思い出した。


 彼女はエルフの老人から「正しく清らかな聖杯の力を見つけることができれば、罪のしるしは消える」と言われていたのではなかっただろうか?


 だが、ノエル達はまだ聖杯を見つけていない。レイアは聖杯を見つける前に、自分の力であの呪いを解くことができた。

 あのとき巨人の谷で。ヴァイスはレイアに何と語っていただろうか?


――あなたがカノアを想い、助けたその心。それこそが、あなたの能力ちからの封印を解き、真の力をよみがえらせたのです――


 そう考えると、結局、聖杯の力は無くてもレイアの望みは叶った。

 そこには、何か重大な意味が隠されているような気がした……だが、眠気に頭がぼんやりしたノエルには、それが何なのかははっきりと突き止めることはできなかった。


*

 ぼんやりとした頭のまま、ノエルの思考はレイアとカノアのことに移った。


 レイアの封印が解け、紋様が消えて本来の力を取り戻すことができた今。本来であれば彼女はこの旅に同行しなくても良いはずだ。彼女の目的は、既に叶ったのだから。

 それでも彼女はノエル達と一緒に来てくれた。「自分の力が戻ったのは、カノアやみんなのお陰だから」と言って、この旅の最後まで同行することを約束してくれたのだ。


 カノアもそうだ。薬師修行中の彼女は、こんな危険な旅に同行する必要はない。だが、カノアも自分が一緒に行くと言って譲らなかった。


 この船に乗っている者達は皆、命の危険を覚悟している。

 南の地に近付くほど凶悪さを増す魔物。その根源たる〈竜の巣〉には、さらに恐ろしい魔物がいるであろうことは、想像に難くない。


 だが、逃げ出す者は一人もいない。乗組員全員が、使命感をもってその役割を果たそうとしている。

 たとえ命を賭けてでも、誰かがやらなければならないことがある。

 ノエルは自分の持てる全ての力をって、この使命にあたるつもりだった。


 徐々に曖昧になる意識の中で、様々な思考が浮かんでは消える。ここに至るまでの大切な思い出を振り返りながら、ノエルは深い眠りへと落ちていった――。



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◆冒険図鑑 No.43: 大型帆船

 ノエル達の乗る巨大な船。魔物用の装甲も施されている。

 南の港町でカッツェが大富豪の協力を取り付け、借り受けることができた。

 船の乗組員を合わせて、70名ほどが乗り込むことができる。


 ちなみに持ち主の大富豪は、あの〈闘技大会〉のスポンサーでもある。

 カッツェが優勝して広告塔となることを条件に、この船を貸し与えてくれた。(カッツェ達が魔物討伐に成功した際には、「世界を救った勇者に船を貸した大富豪」として名を売れる……と考えていたらしい、というのは余談である)

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