第27話 小さな約束

 先ほどまで大人に混ざって配膳を手伝っていたカノアが、ぴょこん、とノエル達の傍に近寄ってきた。満面の笑みで、上目づかいに問いかけてくる。


「ニャ。この村の宴は、気に入ってもらえたかニャ?」

「うん! どの食べ物もすごく美味しいし、歌と踊りも素敵だね!」

「それは良かったニャ!」


 ノエルも笑顔で答えると、カノアは安心したように笑った。

 それから何かを考えるように、くりくりとした大きな猫目を下に伏せる。何か言いたいことがあるのに、言い出せない――そんな雰囲気だった。

 カノアの様子に気付き、ノエルが声を掛ける。


「どうかしたの?」

「実は……」

「うん」

「ボクが森で迷子になっていたのは、家出をしようとしたからなのニャ」

「えっ?!」


 ノエルが思わず大きな声を出したので、カッツェ達も何事かとこちらを振り向いた。


 森の中で迷子になっていたカノア。彼女を発見した場所は、確かに村からかなり離れた森の奥深くだった。普通なら獣しか通らないような場所。幼い子供が一人でそんな場所に行くとは考えづらい。


 どうやら彼女は家出のために村を抜け出て、一人で森の中を彷徨さまよっていたようだ。そこで獣用の罠に掛かってしまった。ノエル達がたまたま通りかかって気付かなければ、命の危険に晒されていたのかもしれない。偶然とは言え、それは不幸中の幸いだった。


 だが、なぜ――? ノエルの頭に疑問が浮かぶ。なぜカノアのように明るく前向きな娘が、家出などしたのだろう。獣人村の住人はみんな優しくて、カノアが「師匠」と呼んでいた老師も、いなくなったカノアのことを心から心配していた。


 ノエル達の視線を集めて、カノアがうつむく。体の前でちょんちょんと指を合わせながら、ぽつりぽつりと語り始めた。


「ボクのお父さんとお母さんは、別の町に住んでいるニャ。ボクは八人兄弟の末っ子で、うちはとっても貧乏なのニャ……。だからボク達兄弟は、色んなところに養子に出されているニャ」


 カノアは薬師である師匠の元で修行すべく、成人するまで養子に出されているらしい。立派な薬師になったら、両親や兄弟の元に戻って、一緒に住めるのだと、彼女は健気けなげに笑って見せた。


「もしかして、家出してお父さんとお母さんに会いに行こうと思ったの?」

「そうじゃないニャ」


 ノエルの問いかけに、カノアは首を横に振った。


「ボクはこの村も師匠のことも好きだけど……もっと早くオトナになりたくて、森で一人で生きていこうと思ったニャ」


 どうやら「早く一人前にならなければ」という焦りが、彼女を危険な行動に駆り立ててしまったようだ。森の中で一人で生きる力を身に付ければ、一人前として認めてもらえると思ったのかも知れない。


 あまりに無謀だが、思い立ったらすぐに行動してしまうのが彼女らしいところでもあった。だが彼女も今回の家出が大変な騒動になったことに、後から気付いたようだ。宴会の準備が進められている間、老師にこってりしぼられていた。


 反省した様子で、カノアは続けた。


「でも森はけっこう怖いことがわかったニャ。強い魔物もいるし……」

「うん、森は危ないよ。カノアはこの村にいるのが一番だよ」


 暗き森は、彼女のような幼い子供が歩くには危険すぎる。カノアの武器は、猫族特有の鋭い爪だけ。その自慢の爪すらも、若さゆえにまだ充分な硬さではなく、魔物や魔獣には対抗できない。もちろんノエルのように魔導術が使える訳でもないのだ。


 家出など考えずに、村で平和に暮らして欲しい。話を聞いた誰もがそう思っていた。


「違うニャ! 一人だと危ないけど、みんなと一緒なら怖くないニャ!」

「えっ?」

「だから、ボクもみんなと一緒に行きたいニャ!」

「僕達と一緒に?!」

「もう師匠には話したのニャ! そうしたら『ちゃんと皆さんに聞いてきなさい』って……」


 思わず振り返ると、カノアの後ろには老師の姿があった。少し離れたところで聞いていた様子の彼が、ゆっくりと近付いてくる。


「申し訳ニャい。この子がどうしてもと聞かなくてのぅ……」


 本当に困った顏で、ぺこぺこと何度も頭を下げている。額の汗を拭きつつ、何度もカノアとノエル達を見比べる。なんとかカノアを止めようと努力したが、無理だったようだ。


「私は、ご両親から大事なカノアをお預かりしている身。本来なら行かせるべきではないのじゃが……」


 ちらり、と老師がカノアの後ろ頭を見つめる。そのカノアは老師の方を不安そうに見たあと、再び懇願する瞳でノエル達に視線を戻した。


「しかし、この子の強い意志も尊重してやりたいのですにゃ」

「カノアの強い意思……」

「もちろん、無理にとは申しませぬ。ご無理でしたら、どうぞ断ってくだされ」


 両手で持った杖に額をつけるように、老師が深々と頭を垂れた。彼の心の中では、ノエル達が止めてくれるのを願っているのかもしれない。

 ノエル達が向かっているのは、魔物を倒す危険な旅。そこに巻き込むことはできないと説得すれば、カノアも納得して諦めてくれるかもしれない。


「……ダメにゃ?」


 カノアが祈るように両手を合わせ、ウルウルとした瞳でノエル達を見つめた。


 *

 彼女の生い立ちと決意を聞いたノエルは、すっかり心を打たれていた。


「カノアがそこまで言うのなら……僕はいいと思う!」


 一人で家出をして危険な目に合うよりも、ノエル達と一緒にいた方が安心かもしれない。カノアの瞳を見れば、その本気さは充分に伝わってきた。道中でふざけていた時とは違う、真剣な眼差し。もしノエル達が断れば、彼女は酷く落胆するだろう。


 それに。ノエル自身もカノアともう少しだけ一緒に旅を続けたいと思っていた。彼女と他愛もない会話をしていると、どんな山道も苦ではなくなる。楽しいとかふざけ合っているだけでなく、彼らはお互いに知らないことを教え合える良い友人にもなっていた。


「……私も構わない。森で生きる力ならば、私が教えてやろう」


 またしても珍しく、レイアがはっきりとした声で自分の意見を述べた。

 幼い頃から養子に出されているカノアの境遇を、両親のいない自分と重ね合わせたのかもしれない。

 カノアと話しているときの彼女の目は、これまでになく優しかった。姉が妹を守るような、母親が子供を守るような、そんな優しさを、カノアにだけは向けていた。


 判断を委ねられたカッツェとヴァイスが、難しい顔で顔を見合わせた。


「……私は、ノエル様の意見に従いますよ」


 少し迷った様子を見せたあと、ヴァイスがカッツェに伝えた。二年間ノエルと行動を共にしているヴァイスは、ノエルの直感には素直に従った方が大抵はうまくいく、という一つの行動方針を持っている。


「はーー、わかった。みんなが言うなら仕方ない」


 ついにカッツェが折れた。結果は四:一。多数決の原則には従わざるを得ない。

 ただし、と彼は条件を付けた。自由奔放すぎるカノアに、パーティーとして行動するための決まりを約束させるためだ。


「ただしカノア。これだけは約束してくれ。勝手に一人でどこかに行かないこと! わかったか?」

「わかったニャ! ボクも、もう罠にかかるのはこりごりニャ」

「ぷっ」


 ぱっ、と両手を上げてカノアが飛び上がった。本当に嬉しそうに小躍りする姿に、思わずノエルが噴き出す。同時に一同も笑に包まれた。


 こうして交わされた「小さな約束」とともに。獣人猫族の薬師見習い少女・カノアが新たにパーティーに加わったのだった。



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◆冒険図鑑 No.27-1: カノアの師匠(獣人猫族)

 獣人村に住む住民の中で最年長の老師。薬の扱いに長けており、薬学の達人である。カノアの師匠として彼女の面倒を見るべく、両親から預かっていた。


◆冒険図鑑 No.27-2: 獣人猫族

 獣人猫族は手先が器用で鼻が良いため、薬師になる者も多い。薬の調合比率を、匂いで覚えているらしい。

 また損得勘定にシビアな者が多く、大商人として一代で財を成す者もいる。ただし気まぐれで労働は嫌いなため、本当に「一代限り」で終わってしまうことが多い。刹那的に「今」を生きるのもまた、彼らの特徴と言える。

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