第90話 阿国
さすがの女も、心を動かされたに見えた。
もう
花
持つが大事な
と、そのとき、あれほどごった返していた鼠木戸の辺りから、さっと
踊りこんできたのは抜き身を引っさげた、十数人の男たちだった。
「鎮まれい!
その中の一人が怒鳴ると、辺りの者は総立ちになって、しんと静まり返った。鳴り物もばらばらと止んだ。
だが『阿国』だけは、知らん顔をして踊り続けている。
ふいに何処からか、笑い声が上がった。
「だっ、誰だ、前へ出ろっ!」
「ふん、
観客に同意を求めると、そうだそうだとの声が、後ろのほうからぱらぱらと
「何を、
「一体全体、何が起こったのかわかれば皆、大人しく解散すると思うけど、な。」
又も同意を求めると、拍手が涌いた。
「あいつ、なかなか人を乗せるのが
振り返ると、いつの間にかすぐ後ろに、猿若が来ていた。
慶次郎は
そして二人同時に、菊の
「我らは今、都を騒がせている盗賊を追っている。恐れ多くも関白殿下にたてついて、その臣下を
話を聞いた男は、そうか、と納得した。
「それは
「何っ?」
「生憎っていうのはな、そいつが俺だってことよ。」
言うが早いか、
刀を握ったままの腕が
人々は
役人たちは逃げる男の後を追った。
男は
対する役人たちは、気の狂った牛の群れのように出口に殺到する人々に
力を持つお
そのうちお客は垣根を
最初駆けつけた侍たちは、人ごみの中から伸びてきた
だがそのときには、何倍もの応援の侍たちが、芝居小屋を
出てくる客の中にあの男はいなかった。
まだこの中にいる。
捕らえるのは時間の問題だ。
誰もが思った、だが。
小屋の中には一座の者しかいなかった。
そのうち、楽屋の物入れの中で、
「うひゃア、恐ろしや。お役人さま、もう騒ぎは終わりましただかね?」
役人たちが首をひねりながら引き上げた後、菊は誰も居なくなった舞台に上がっていった。
「もう大丈夫よ。上がっていらっしゃい。」
菊が穴を
「いってえ。」
ぶつぶつ言いながら、若侍が上がってきた。
逃げ回っている時には確かに被っていた笠は、何処かにすっ飛んでしまっている。
「
「こないだのお返しだ。それに言っとくが」
御自慢の衣装のあちこちにかぎ
「
「腕はちっとも衰えていないようね、土屋殿。組み手はそなたが一番だと、兄上がいつも仰っていた。」
菊が言った。
「お久しゅうございます、姫君。」
土屋惣蔵は手をついた。そのまま顔を上げない。ぽたぽたと落ちる涙が、床に幾つもの小さな水溜りを作った。
「生きていてくれただけでも良かっ……。」
「言うことはそれだけ?」
菊の言葉を
「そなたの役目は兄上を守ることだったはず。よくもまあ、おめおめと生きて、ここに姿を現したものね。」
もう
「命を惜しんだか、え?」
「そのようなことは決してありませぬ!」
惣蔵は床に手を突いたまま、松を見上げて必死で反論した。
「あの日私は、崖の上の、人一人しか通れない狭い道で、上がってくる敵を防いでおりました。片手に刀、もう一方の手には
涙で言葉が
「せめて首を取り返し、
ふいに惣蔵に松が抱きついた。
「わかった、もういい、いいから……。」
そのまま、子供のように大声で泣き出した。
惣蔵は
「行こう、お
「へっ?え、ええ、そうね。」
惣蔵の姿が十分遠くなっているのを、ちらっと見て確かめてから、
「達丸だけど……
「え?いいけど、どうして?」
「どうしてって……姫君、達丸が生きていること、アイツが知ったら……相当マズいんじゃないのか?」
菊はぼんやりした頭で、慶次郎の言葉を
「うん、マズい!絶対まずい!でもどうしよ、いつまで隠せる?」
「さあなあ、俺もあんまり難しいコト、考えられない
慶次郎は頭を
「ま、様子を見ようや。なるようにしかならんだろう。」
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