第31話 見せしめ

 応仁の乱以来、たびたび戦火に見舞われた都は、菊が考えていたよりも新しい建物が多く、それでもまだ足りずに次々に家が建つ、つち音高く活気に満ちた忙しい町でもあった。信長が将軍・足利義昭を追って室町幕府を滅ぼしたその年に、上京七千戸が焼き討ちにあったのももう十年も昔のこと、住人たちは、戦があったことなどもうすっかり忘れてしまったようだった。

 そんな町中を、戦の死臭を身にまとったまま、を訪ねる菊たち一行が、亡霊でも見たかのような扱いを受けるのは、当然といえば当然のことだった。

「まあ、よう御無事で……でもなあ、主人も代替だいがわりしてしもうたさかい、私らには何も出来まへんのや、堪忍かんにんしとくれやす。」

 屋敷の裏に回されて、握らされる紙包みを、菊は丁重ていちょうに断って去るのだったが、一行が遠ざかるのを待って、揚羽や猿若がそっと戻って有難く頂戴ちょうだいしてくるのだった。菊は知らなかったが、苦しい旅の途中で路銀ろぎんはあらかた底をついていたからだ。金を握らせてくれるのはまだ親切なほうで、通報されないだけでも有難いと思え、と言わんばかりのな態度を取る者もいて、菊は心の中で何度こぶしを握り締めたかわからなかった。

 そのうち、どこに行っても鼻先で門を閉められるようになった。

 きっかけは、ある家を訪ねていった時のことだった。おとないをうと、家の中であわてた声がして、ばたばたと走り回っている足音がしている。

「早よ、早よ、追い返さんと……。」

後難こうなんが恐ろし……。」

 内の人に聞こえるように、揚羽がやや声を高くした。

「武田の家中かちゅうの者でございます……。」

 甲高い声で返事があった。

「早よ帰っておくれやす!五条の河原に行ってみなはれ、あんさん方も早よ逃げたほうがよろし!」

 皆顔色を変えた。

 五条の河原は当時の仕置場しおきばであり、いつも首がさらされていた。ふだんは盗人・人殺しのたぐいだったが、たまに戦で敗れた名のある武将の首がかかることがある。

 気の進まない菊の手をぐいぐい引っ張って、揚羽が急ぎ足で歩いていく。河原に近づくにつれ皆、だんだん足が速くなり、最後には我先われさきに走りだしていた。頭上からじりじりと陽が照りつけ、首の後ろがげるのを感じる。

 風の通り道になっている河原も、今日ばかりは、むっと生暖なまあたたかい空気がよどんでいる。ふだんの倍以上の人が詰め掛けていた。めったにない見世物みせものにわきかえっているのだ。

 菊は群集の中にもぐりこんだ。怒号どごうが上がり、足をられたり、髪をつかまれたりした。途中で揚羽の手も離れてしまったが、もう構ってはいられなかった。菊のすぐ後ろにぴったりとくっついて、松も器用に割り込んできた。

 人ごみをき分けるにつれ、異臭が漂ってきた。鼻を突く猛烈な臭いはしかしもう既に、彼女らにとって馴染なじみ深いものになっていた。

 ふいにぽっかりと空いた場所に出た。そこには、丸太をにして支えにして、幅二けんばかりの横木が差し渡された、さらし台があった。

 覚悟はもう出来ていたはずだった。

 だが実際その前に立った時、菊はその覚悟とやらが音をたてて崩れるのを感じた。

 そこには武田の武将たちの首が並べてあった。全て彼女の近しい人々だった。

 中央に置いてある勝頼の首は、薄く目を開けて口を半開きにしていた。ようやく肩の荷を降ろしてほっとしているのか、それとも自分が死んでしまったことに気づいてびっくりしているかのようだった。その隣の仁科盛信の首は、はえにびっしりとおおわれて真っ黒になって縮んでいるので、形も定かではなかった。

 隣に立っていた松が声も無くくずおれた。

 菊は、くらくらする頭を両手で押さえながら、いつまでも晒し台を見つめて立ち尽くしていた。

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